IWATE CLUB CRAWLERS
1973 → NOW

Hip-HopHistoryヒップホップ全史

Boom Bap → Trap / 50 years in 1 page

1973年、ブロンクスの小さなパーティーから始まった文化が、半世紀かけて世界の音楽の真ん中に座った。Run-DMC、Public Enemy、Nas、2Pac、The Notorious B.I.G.——そしてドレイク、ミーゴス、ケンドリック・ラマー。年代ごとの名盤、街ごとの音、レーベル、プロデューサー、ビーフ、サンプリング、そして日本まで。「ブームバップからトラップへ」の流れを、446人のアーティスト、332本のYouTube、329枚の写真で掘る、岩手のクラブ好きのための長い読み物。

446Artists
332YouTube
329Photos
53Years
序章 | PROLOGUE
Prologue

ヒップホップは、音楽である前に「街」だった

ブレイクダンスのフリーズを決めるダンサー(2017年撮影)
ブレイキング
フィリップス D 8210 のビンテージ・ラジカセ(ブームボックス)
ブームボックス
ロンドン・ショーディッチの屋外マーケットで、レコードを選ぶ人たち(2016年撮影)
レコード・ディギング

ヒップホップを「ラップという音楽ジャンル」のことだと思っている人は多い。間違いではないが、起源をたどると少し違う。ヒップホップはもともと、ひとつの街角で同時に育った四つの表現——MC(ラップ)、DJ、ブレイキング(ダンス)、グラフィティ(壁の絵)——をまとめて呼ぶ「文化」の名前だった。声と、ターンテーブルと、身体と、スプレー缶。楽器を買う余裕がなくても、いま手元にあるものだけで始められる表現ばかりだ。

舞台は1970年代のニューヨーク、ブロンクス。高速道路の建設で街は引き裂かれ、工場は去り、空き家への放火が相次いだ。「燃えるブロンクス」として全米に知られたこの街で、若者たちは公園の街灯から電気を引き込んでまでレコードを鳴らし、パーティーを開いたという。何もない場所から、あるものだけで楽しみを作る。その発想こそが、半世紀にわたるヒップホップの背骨になった。

他人のレコードを切り貼りするサンプリングも、手売りのミックステープも、寝室で録った曲をSoundCloudに上げた十代がスターになる流れも、根っこは同じ場所にある。いまのトラップの重い低音も、90年代のブームバップの埃っぽいドラムも、たどれば同じ街角から枝分かれしたものだ。

このページは、その50年を年代ごとに辿る読み物だ。縦軸は1970年代から2020年代まで。そこにもう一本、大きな流れを通した。サンプルとブレイクビーツで組む「ブームバップ」から、ドラムマシンの重低音とハイハットで組む「トラップ」へ。古い名盤を並べるだけの回顧ではなく、「なぜ今の音はこうなったのか」がつながって見えるように書いた。各章に写真とYouTubeを置いたので、読みながら実際の音を確かめてほしい。

TIMELINE
  1. 19738月11日、ブロンクスのセジウィック・アベニュー1520番地でDJクール・ハークがパーティー。誕生の日として語られる。
  2. 1979シュガーヒル・ギャング「Rapper's Delight」。ラップが初めて全米ポップ・チャートのトップ40に入る。
  3. 1982Grandmaster Flash「The Message」、Afrika Bambaataa「Planet Rock」。社会を語るラップと、TR-808の電子ビート。
  4. 1986Run-DMC「Walk This Way」、Beastie Boys『Licensed to Ill』。ラップが白人のお茶の間にも届く。
  5. 1988Public Enemy『It Takes a Nation…』、N.W.A『Straight Outta Compton』。黄金期の幕開け。
  6. 1992Dr. Dre『The Chronic』。西海岸のGファンクが全米を席巻。
  7. 1993-94Wu-Tang、Nas『Illmatic』、Biggie『Ready to Die』。東海岸のブームバップ最盛期。
  8. 1996-972Pacが9月13日に、The Notorious B.I.G.が翌年3月9日に銃撃で死去。
  9. 2003T.I.『Trap Muzik』。アトランタのトラップが名前を持つ。
  10. 2004Kanye West『The College Dropout』。プロデューサー出身のスターが誕生。
  11. 2008Lil Wayne『Tha Carter III』が初週100万枚超。Kanye『808s & Heartbreak』が歌うラップの扉を開く。
  12. 2013Migos「Versace」。三連のフローとトラップが世界中に広がる。
  13. 2017米国でヒップホップ/R&Bが最も聴かれるジャンルに(ニールセン)。Kendrick『DAMN.』は翌年ピューリッツァー賞音楽部門を受賞。
  14. 2019Lil Nas X「Old Town Road」が全米1位に19週連続(当時の最長記録)。
  15. 2023ヒップホップ誕生50周年。グラミー賞でも大規模なトリビュート。
  16. 2024-25Kendrick vs Drake。「Not Like Us」がグラミー賞の主要2部門を制す。
BIRTH | 誕生
1970s

1973年8月11日、セジウィック・アベニュー

ブレイクを引き延ばす。マイクで煽る。壁に名前を描く。バラバラだった遊びが、ひとつの文化の名前を持つまで。

ブロンクスのハンツポイントでレコードをかけるDJクール・ハーク(2009年2月撮影)
DJクール・ハーク
ニューヨーク地下鉄タイムズ・スクエア駅のホームに停車中の、グラフィティが描かれた車両(1973年5月撮影)
グラフィティ
DJプレイを披露するグランドマスター・フラッシュ(2014年6月、ロンドンのMeltdown Festival)
グランドマスター・フラッシュ
19738月11日、DJクール・ハークと妹シンディが「新学期の資金づくり」パーティーを開く
25¢ / 50¢伝えられる入場料。女性25セント、男性50セント
1979「Rapper's Delight」が全米36位。ラップが商品になった年

歴史の起点としてよく挙げられるのが、1973年8月11日だ。ブロンクス、セジウィック・アベニュー1520番地のアパートにある集会室で、ジャマイカ出身の青年クライヴ・キャンベル——のちのDJクール・ハーク——が、妹シンディが企画した新学期用の資金づくりパーティーでDJを務めた。入場料は女性25セント、男性50セント。その夜は後年、「ヒップホップが生まれた日」として語り継がれることになる。

ハークの発明は、「ブレイク」を引き延ばしたことだった。ファンクやソウルのレコードには、歌やメロディが抜けてドラムとベースだけになる短い部分がある。踊っている客が最高潮になるのは、いつもそこだ。同じレコードを2枚用意したハークは、片方のブレイクが終わる瞬間にもう片方の頭を出し、数秒の山場を延々と続けた。「メリーゴーラウンド」と呼ばれたこのやり方が、ヒップホップのビートの原型になる。ブレイクで踊る少年少女は「ビー・ボーイ/ビー・ガール」と呼ばれ、これがブレイキングの始まりだ。

ハークはもうひとつ、故郷の文化を持ち込んでいた。巨大なスピーカーを積んだサウンドシステムと、マイクで客を煽る「トースティング」。ラップの祖先のひとつは、レゲエのDJトークでもある。盛岡のレゲエ・シーンを知る人には、この話は少し身近に聞こえるかもしれない(→ マガジン「サウンドシステムという文化」)。

ニューヨーク・ブロンクスのセジウィック・アベニュー1520番地の集合住宅(2009年撮影)。1973年にDJクール・ハークが最初のパーティーを開いたとされる建物
1520 Sedgwick Avenue(ブロンクス)。ここの集会室が、ヒップホップ誕生の地として知られる。📷 Bigtimepeace (Wikimedia Commons user) / Public domain

技術を一段押し上げたのが、グランドマスター・フラッシュだ。電気の技術を学んでいた彼は、レコードのラベルに印をつけて狙った箇所を正確に頭出しする方法を編み出し、2枚のレコードをリズムの中で自在に行き来する「クイック・ミックス」を完成させた。のちに彼の弟子グランド・ウィザード・セオドアが、レコードを手で前後に擦る音を偶然見つけたとされる。スクラッチの誕生である。

一方、ギャング抗争の渦中にいたアフリカ・バンバータは、暴力の代わりに音楽で若者をまとめようと、団体自身が創設日とする1973年に「ユニバーサル・ズールー・ネーション」を立ち上げた。パーティーを争いの代わりの場にする——ヒップホップの「ピース・アンド・ユニティ」の思想はここに根を持つ。

※ バンバータには、のちに性的虐待の告発が相次ぎ、2016年にズールー・ネーションから除名された。本人は否定したまま、2026年4月に68歳で亡くなっている。文化への功績と告発の両方が、事実として残っている人物だ。

ここまで、「ラップ」はほとんど出てこない。初期のMCの仕事は、DJの横でマイクを握り、「みんな踊れ」と煽り、自己紹介を韻に乗せることだった。それが次第に独立して、独自の歌詞とフローを持ちはじめる。「ヒップホップ」という言葉そのものも、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブの一員、キース・カウボーイがリズムを口ずさんだ「ヒップ、ホップ」が語源のひとつだとされている。

壁には名前を、フロアにはビートを、マイクには声を。誰にも許可をもらわずに始めた。

そして1979年。ニュージャージーの小さなレーベル「シュガーヒル・レコード」の創設者シルヴィア・ロビンソンが、3人の若者を集めて録音させたのが、シュガーヒル・ギャング「Rapper's Delight」だった。ディスコの名曲、シックの「Good Times」のベースラインをバンドに生演奏で再現させ、その上にラップを乗せる。ラジオ向けに3分台が当たり前だった時代に、12インチ盤は約15分という破格の長さだったが、それでも全米36位のヒットになった。ブロンクスのパーティーで育った表現が、初めて「売れる商品」として世界に出ていった瞬間だ。

ただし、この曲はブロンクスの現場にいたラッパーたちからすれば「よそ者が作った成功」でもあった。現場から出てくる本物のヒップホップが全国に届くのは、もう少し先、1980年代になってからのことになる。

なぜ、ブロンクスだったのか

ヒップホップがほかの街ではなくブロンクスで生まれた理由は、街の傷と切り離せない。1948年から1972年にかけて作られた高速道路(クロス・ブロンクス・エクスプレスウェイ)は、多くの住民を立ち退かせ、街を分断した。1970年代には、空き家への放火による火災が相次ぎ、1977年7月13日の大停電では略奪も起きた。財政危機に陥ったニューヨーク市では、学校の音楽教育の予算も削られたと言われる。

それでも、街には人がいた。黒人、プエルトリコ系、ジャマイカなどカリブ海からの移民。違うルーツの若者が同じ集合住宅や公園で暮らし、それぞれの音楽——ファンク、ソウル、ラテン、レゲエ——を持ち寄った。楽器が買えなくても、ターンテーブルとスピーカーさえあれば、近所を一晩で踊らせられる。貧しさが、ヒップホップの発明を必要にしたのだ。ギャングの縄張り争いが日常だった街で、DJが「喧嘩の代わりに踊ろう」とパーティーを開いたことも、この文化が祝祭として育つ土台になった。

FOUR ELEMENTS | 四つの要素と道具
ブレイクダンスのフリーズを決めるダンサー(2017年撮影)
ブレイキングブレイクで踊るB-BOY/B-GIRL。ストリートのダンスは、のちに五輪競技にまでなった。2017年撮影 | 📷 Muhammed amine benloulou / CC BY-SA 4.0
ニューヨーク地下鉄タイムズ・スクエア駅のホームに停車中の、グラフィティが描かれた車両(1973年5月撮影)
グラフィティ壁や地下鉄車両に名前を描くグラフィティ。「動くキャンバス」から広がった。1973年・NY地下鉄 | 📷 Erik Calonius (EPA DOCUMERICA projec… / Public domain
ターンテーブル Technics SL-1200MK2(直接駆動式)
Technics SL-1200テクニクスSL-1200。1972年発売。DJの世界標準機になった。2006年撮影 | 📷 Adrian DuMay from USA / CC BY 2.0
フィリップス D 8210 のビンテージ・ラジカセ(ブームボックス)
ブームボックスブームボックス(ラジカセ)。ストリートに音楽を持ち出す道具だった。ビンテージのラジカセ | 📷 Free Photo Fun / CC BY 2.0
ロンドン・ショーディッチの屋外マーケットで、レコードを選ぶ人たち(2016年撮影)
レコード・ディギングレコード・ディギング。サンプリングは、ここから始まる。2016年・ロンドン | 📷 Artificial Photography (Unsplash: @a… / CC0
ARTISTS | 1970s10
ブロンクスのハンツポイントでレコードをかけるDJクール・ハーク(2009年2月撮影)
DJクール・ハークジャマイカ→ブロンクス|1973〜ジャマイカ生まれのDJ。巨大なサウンドシステムで鳴らした「メリーゴーラウンド」(ブレイクの引き延ばし)が、ヒップホップのビートとブレイキングの原型になった。
代表作1973年8月11日、セジウィック・アベニューのパーティー
2009年撮影 | 📷 Bigtimepeace (Wikimedia Commons user) / Public domain
DJプレイを披露するグランドマスター・フラッシュ(2014年6月、ロンドンのMeltdown Festival)
グランドマスター・フラッシュブロンクス|1970年代〜精密なクイック・ミックスでDJを「演奏家」に押し上げた。グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブは、2007年にヒップホップ勢として初めてロックの殿堂入りを果たした。
代表作「The Message」(1982)
2014年撮影 | 📷 Victor Frankowski / Southbank Centre / CC BY 2.0
アフリカ・バンバータ(2009年4月撮影)。後方でDJ機材を操作しているのは別の人物
アフリカ・バンバータブロンクス|1970年代〜ズールー・ネーションの創設者。クラフトワークを引用した電子ビートで、ヒップホップに未来的な音色を持ち込んだ。のちの告発で評価は複雑になった。
代表作「Planet Rock」(1982)
2009年撮影・奥でDJをしているのは別の人物 | 📷 docmonstereyes from USA / CC BY 2.0
グランドマスター・メリー・メル(2010年1月、ニューヨークのCanal Roomでのライブ)
グランドマスター・メリー・メルブロンクス|1970年代〜フューリアス・ファイブの中心MC。複数のヴァースを畳みかける語り口で、「ラップは言葉の芸だ」という基準を最初期に作った。
代表作「The Message」(1982)、「White Lines」(1983)
2010年1月、ニューヨークのCanal Roomでのライブ | 📷 Samantha Lauren (derivative work: Go… / CC BY 2.0
シュガーヒル・ギャング(2015年、英シェフィールドのトラムラインズ・フェスティバル)
シュガーヒル・ギャングニュージャージー|1979〜Wonder Mike、Big Bank Hank、Master Geeの3人組。レーベル創設者シルヴィア・ロビンソンが集め、ラップを初めて全米ポップ・チャートのトップ40に送り込んだ。
代表作「Rapper's Delight」(1979)
2015年、英シェフィールドのトラムラインズ・フェスティバル | 📷 Tramlines Festival / CC BY 2.0
カーティス・ブロウ(2015年、アート・オブ・ラップ・フェスで)
カーティス・ブロウハーレム|1979〜メジャー・レーベルと契約した最初期のラッパー。「The Breaks」(1980)はラップ作品として初めてゴールド認定を受けた。
代表作「The Breaks」(1980)
2015年、アート・オブ・ラップ・フェスで | 📷 Moe N Reed / CC BY-SA 4.0
グランド・ウィザード・セオドア(2002年、米シアトルでのDJプレイ)
グランド・ウィザード・セオドアブロンクス|1975頃〜グランドマスター・フラッシュの弟子。レコードを手で擦る「スクラッチ」を偶然見つけたとされる、発明者の一人。
代表作スクラッチの発明
2002年、米シアトルでのDJプレイ | 📷 Flintmi (Flintmichigan) / CC BY 3.0
コールド・クラッシュ・ブラザーズ(1980年代初頭とみられるグループ写真)
コールド・クラッシュ・ブラザーズブロンクス|1970年代〜初期ライブ・シーンを代表するMCグループ。二人ずつ掛け合いで進める緻密なルーティンで、ステージの水準を引き上げた。映画『Wild Style』にも出演。
代表作映画『Wild Style』(1983)
1980年代初頭とみられるグループ写真 | 📷 Easy AD / CC BY-SA 3.0
ファブ・ファイブ・フレディ(2009年トライベッカ映画祭)
ファブ・ファイブ・フレディブルックリン|1970年代〜グラフィティ・アーティスト/MC。ダウンタウンのアート界とストリートをつなぎ、のちにMTV『Yo! MTV Raps』の初代ホストを務めた。
代表作ブロンディ「Rapture」(1981)で言及
2009年トライベッカ映画祭 | 📷 David Shankbone / CC BY 3.0
ファンキー・フォー・プラス・ワンブロンクス|1977〜女性MCシャ・ロックを擁したグループ。1981年に『サタデー・ナイト・ライブ』に出演し、ラップが全国放送のテレビに映った早い例になった。
代表作「That's the Joint」(1980)
PLAY | 1970s–80s5
OLD SCHOOL → GOLDEN AGE | 黄金期へ
1980s

ラップが「流行」から「表現」になった10年

社会を語る。ロックと握手する。FBIに目をつけられる。ターンテーブルの前にサンプラーが現れ、ヒップホップは一気に深くなった。

ラン・DMCのランとDMC(ジョゼフ・シモンズとダリル・マクダニエルズ)のステージ(1984年12月、ロングビーチ・アリーナ)
Run-DMC
ラキム(2008年6月、ニューヨークのPaid Duesフェスティバル)
ラキム
パブリック・エネミーのチャックD(左)とフレイヴァー・フレイヴ(右)(2014年4月、ニューオーリンズ・ジャズフェスト)
パブリック・エナミー
1982「The Message」で、ラップが街の現実を語る手段に
1987Beastie Boys『Licensed to Ill』(1986年発売)がラップ作品として初の全米アルバム1位に
1988『It Takes a Nation…』『Straight Outta Compton』など、歴史的名盤が集中

1980年代の前半、ヒップホップはまだ「新しいパーティー・ミュージック」として受け取られていた。カーティス・ブロウの「The Breaks」(1980)がラップ作品として初めてゴールド認定を受け、ブロンクスの外にもレコードが流通しはじめる。流れを変えたのが、1982年のグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブ「The Message」だった。崩れかけた建物、仕事のない日常、いつ爆発してもおかしくない怒り。パーティーの煽りではなく、街の現実そのものを歌詞にしたラップが、はじめて大きな注目を集めた。

同じ1982年、アフリカ・バンバータが発表した「Planet Rock」は、ドイツのクラフトワークの電子音を下敷きに、ローランドのドラムマシン「TR-808」を鳴らした。808は発売当時は商業的に振るわなかった機種だが、中古が安く出回ったことでヒップホップの現場に流れ込む。この機械の太いキックと低音が、40年後のトラップまで続く、ヒップホップの低域の骨格になる。(この話は後半の「ブームバップ→トラップ」の章で詳しく。)

ロックと握手したRun-DMC

80年代半ばに顔を変えたのが、クイーンズ出身の3人組Run-DMCだ。派手な衣装が当たり前だった時代に、黒のレザージャケットとアディダス、無駄を削ったドラムマシンの音、怒鳴るような二人のラップ。路上の服装をそのままステージに持ち込んだ姿は、ストリートの美学を決定づけた。1986年にエアロスミスと共演した「Walk This Way」は全米4位の大ヒットになり、MTVでラップが流れるきっかけになる。「My Adidas」(1986)は、アーティストとブランドの協業の先駆けとされる。

その背後にいたのが、ランの兄でマネージャーのラッセル・シモンズと、プロデューサーのリック・ルービンだ。二人は1984年にレーベルデフ・ジャムを立ち上げた。LL・クール・Jが最初のスターになり、ルービンがプロデュースしたビースティ・ボーイズの『Licensed to Ill』(1986)は、ラップのアルバムとして初めて全米アルバムチャート1位になった。

「黄金期」の幕開け——ラキムとKRS-One

1987年、エリック・B&ラキムの『Paid in Full』が出る。それまでのラップは、声を張り上げて韻を踏むのが主流だった。ところがラキムは、低く落ち着いた声で、行をまたいで韻を重ね、言葉をビートの上に滑らせるように乗せた。ラップが「リズムに乗せた喋り」から、「高度な言語芸術」に変わった瞬間だ。いまのラッパーのほとんどが、彼のフロウの影響下にいると言っても大げさではない。

同じ年、サウスブロンクスから登場したブギ・ダウン・プロダクションズの『Criminal Minded』は、ラップを街のドキュメントに変えた。中心にいたKRS-Oneは、後に「教師(The Teacher)」と呼ばれる存在になる。ライバルのクイーンズ勢との応酬は、「ブリッジ戦争」と呼ばれる有名な対立になった。ヒップホップの「ビーフ(口喧嘩)」は、この頃から競技の一部だった。

ラップは「黒人のCNNだ」。——チャックDは、そう言ってラップを報道に変えた。

怒りを音にしたPublic EnemyとN.W.A

1988年は、ヒップホップ史に残る名盤が立て続けに生まれた年だ。ロングアイランドのパブリック・エナミーは『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』で、チャックDの太い声と、フレイヴァー・フレイヴの道化役、そしてハンク・ショックリー率いるボム・スクワッドのサンプルを幾重にも重ねた轟音のようなトラックを叩きつけた。サイレン、スクラッチ、演説、ファンクのドラム。音を詰め込んだ音圧は、のちのヒップホップのプロダクションを根底から変える。1989年にスパイク・リー監督の映画『Do the Right Thing』のために作った「Fight the Power」は、いまも抵抗と黒人の誇りの讃歌として歌い継がれている。

その同じ年、西海岸のコンプトンから登場したのがN.W.Aの『Straight Outta Compton』だ。アイス・キューブ、ドクター・ドレー、イージー・E。街で日常的に起きる警察の暴力と暴力のある暮らしを、そのままの言葉で描いた「ギャングスタ・ラップ」は、大論争を呼んだ。収録曲「Fuck tha Police」に対して、FBIが所属レーベルに警告の手紙を送るほどだった。それでも、いやそれだからこそ、アルバムは全米で爆発的に売れる。ヒップホップが「危険な音楽」として大人たちに恐れられ、同時に若者から熱狂的に支持される構図は、このとき固まった。

サンプラーが変えた作り方

80年代後半のもうひとつの革命が、サンプラーの普及だ。E-mu SP-1200(1987)やAkai MPC60(1988)の登場で、DJはレコードの一部を機械に取り込み、並べ替えて叩けるようになった。古いレコードの一音一音がそのまま「楽器」になる。90年代のブームバップへ、一直線の道が敷かれた。

同じ時期、ネイティヴ・タンの面々——デ・ラ・ソウルの『3 Feet High and Rising』(1989)、ジャングル・ブラザーズ、ア・トライブ・コールド・クエストら——は、ギャングスタとは別の道を見せた。ユーモア、ジャズ、ヒッピー的な明るさ。ヒップホップには、怒りだけではない幅があることを、彼らはあらためて証明した。ストーリーテラーのスリック・リック「Children's Story」(1988)も、ラップを一本の短編に変えた。

映画とMTVがラップを全国に運んだ

80年代のヒップホップを広めたのは、レコードだけではない。『Wild Style』と『Style Wars』(ともに1983)は、ブロンクスの現場の空気を映画とドキュメンタリーに残し、『Beat Street』(1984)や『Krush Groove』(1985)はスクリーンを通じて世界中の若者にブレイキングとラップを見せた。日本の若者が最初に「ヒップホップ」を知った入口も、こうした映画とダンスのブームだったという人は多い。

テレビでは、MTVが「Walk This Way」を機にラップを流しはじめ、1988年8月6日には専門番組『Yo! MTV Raps』が始まった。初期の司会を務めたのは、あのファブ・ファイブ・フレディだ。雑誌『The Source』(1988年創刊)も、レコード会社が選ばない側の視点で作品を採点した。ヒップホップが自分たちの言葉で語られる「媒体」を持ちはじめたのが、この10年だった。

ARTISTS | 1980s47
ラン・DMCのランとDMC(ジョゼフ・シモンズとダリル・マクダニエルズ)のステージ(1984年12月、ロングビーチ・アリーナ)
ランDMC (Run-DMC)クイーンズ・ホリス|1983〜Run、DMC、Jam Master Jayの3人。黒のレザーとアディダスで路上の服装をそのままステージに持ち込み、ヒップホップを世界のポップスにした。Jam Master Jayは2002年に亡くなった。
代表作『Raising Hell』(1986)、「My Adidas」
1984年12月・ロングビーチ | 📷 Ian Dryden, Los Angeles Times / CC BY 4.0
LL・クール・J(2017年12月、ケネディ・センター名誉賞の晩餐会にて)
LL・クール・Jクイーンズ|1984〜デフ・ジャム最初のスター。ラップ・バラードの定番を作り、「Mama Said Knock You Out」(1990)で復活。俳優としても長く活躍し、2017年にケネディ・センター名誉賞を受けた。
代表作『Radio』(1985)、『Mama Said Knock You Out』(1990)
2017年撮影 | 📷 U.S. State Department / Public domain
ビースティ・ボーイズのステージ(1992年9月、川崎のクラブチッタ。『Check Your Head』ツアー)
ビースティ・ボーイズニューヨーク|1981〜元はハードコア・パンクのバンド。『Licensed to Ill』(1986)はラップ作品として初の全米アルバム1位。『Paul's Boutique』(1989)ではサンプリングの極致を見せた。
代表作『Licensed to Ill』(1986)、『Paul's Boutique』(1989)
1992年・川崎クラブチッタ | 📷 Masao Nakagami / CC BY-SA 2.0
パブリック・エネミーのチャックD(左)とフレイヴァー・フレイヴ(右)(2014年4月、ニューオーリンズ・ジャズフェスト)
パブリック・エナミーロングアイランド|1985〜チャックDの太い声とフレイヴァー・フレイヴの道化役、ボム・スクワッドの過密なサンプル。政治を叫ぶヒップホップの代表で、2013年にロックの殿堂入り。
代表作『It Takes a Nation of Millions…』(1988)、「Fight the Power」(1989)
2014年・チャックD(左)とフレイヴァー・フレイヴ | 📷 kowarski / CC BY 2.0
ラキム(2008年6月、ニューヨークのPaid Duesフェスティバル)
ラキム (Eric B. & Rakim)ロングアイランド|1986〜行をまたぐ内韻と、落ち着いた低い語り口。ラップを「リズムに乗せた喋り」から「言語芸術」に変えた、現代のフロウの源流。
代表作『Paid in Full』(1987)、『Follow the Leader』(1988)
2008年撮影 | 📷 Flowizm / CC BY 2.0
KRS・ワン(2009年11月撮影)
KRS・ワン (Boogie Down Productions)サウスブロンクス|1986〜「Criminal Minded」(1987)でストリートの現実を記録した。のちに「教師(The Teacher)」と呼ばれ、ヒップホップの歴史と哲学を語り続けている。
代表作『Criminal Minded』(1987)、『Return of the Boom Bap』(1993)
2009年撮影 | 📷 Luigi / CC BY 2.0
スリック・リック(2009年8月撮影)
スリック・リックロンドン→ブロンクス|1985〜眼帯と金鎖がトレードマーク。声色を使い分ける語りの名手で、「Children's Story」(1988)は物語ラップの教科書になった。
代表作『The Great Adventures of Slick Rick』(1988)
2009年撮影 | 📷 Brett Hammond / CC BY 2.0
ビッグ・ダディ・ケイン(2013年8月、チェコのHip Hop Kemp)
ビッグ・ダディ・ケインブルックリン|1986〜Juice Crewの一員。高速で複雑なフロウとダンサーを従えたショーで、のちのスター像のモデルを作った。
代表作『Long Live the Kane』(1988)
2013年撮影 | 📷 RustyShack / CC BY 2.0
ダグ・E・フレッシュ(2010年、ニューヨーク・ブルックリンでの公演)
ダグ・E・フレッシュハーレム|1984〜「ヒューマン・ビートボックス」の第一人者。スリック・リックとの「La Di Da Di」(1985)は、後世に最も多くサンプリングされたヒップホップ曲の一つ。
代表作「La Di Da Di」(1985)
2010年、ニューヨーク・ブルックリンでの公演 | 📷 Jason Persse from Brooklyn, USA / CC BY-SA 2.0
ビズ・マーキー(2016年、ニューヨークでのジュース・クルー再結成公演)
ビズ・マーキーロングアイランド|1985〜ビートボックスと愛嬌ある歌うようなラップの人気者。「Just a Friend」(1989)の大ヒットと、サンプリング裁判の当事者になったことで歴史に名を残す。2021年に亡くなった。
代表作「Just a Friend」(1989)
2016年、ニューヨークでのジュース・クルー再結成公演 | 📷 fuseboxradio (Flickr) / CC BY-SA 2.5
マーリー・マール(1999年、英ノッティンガング)
マーリー・マールクイーンズブリッジ|1983〜Juice Crewを率いたプロデューサー。ドラムをレコードから切り出すサンプリング手法を広め、Big Daddy Kane、MC Shan、Roxanne Shantéらを世に出した。
代表作「The Bridge」(MC Shan)、Juice Crew「The Symphony」(1988)
1999年、英ノッティンガング | 📷 MikaV (Mika Väisänen) / CC BY-SA 4.0
ロクサーヌ・シャンテ(2016年、ニューヨークのジュース・クルー再結成公演)
ロクサーヌ・シャンテクイーンズブリッジ|1984〜14歳で録音した「Roxanne's Revenge」(1984)が、UTFOへの返答合戦「ロクサーヌ・ウォーズ」を生んだ。女性MCの先駆。
代表作「Roxanne's Revenge」(1984)
2016年、ニューヨークのジュース・クルー再結成公演 | 📷 fuseboxradio (Flickr) / CC BY-SA 2.0
ソルト・ン・ペパ(2013年、オーストラリア・キャンベラでの公演)
ソルト・ン・ペパクイーンズ|1985〜女性ラップ・グループの草分け。恋愛や性を自分の言葉で語り、「Push It」(1987)、「Shoop」(1993)を大ヒットさせた。
代表作『Hot, Cool & Vicious』(1986)、「Push It」
2013年、オーストラリア・キャンベラでの公演 | 📷 David Burke / CC BY 2.0
MCライト(1999年、ドイツ・ハンブルク)
MCライトブルックリン|1986〜『Lyte as a Rock』(1988)は、女性ソロ・ラッパーとして初のフルアルバムの一つとされる。男性中心のシーンで硬質なライムを貫いた。
代表作『Lyte as a Rock』(1988)、「Paper Thin」
1999年、ドイツ・ハンブルク | 📷 Mika Väisänen (Mikamote) / CC BY-SA 3.0
クイーン・ラティファ(2023年、ケネディ・センター名誉賞の関連夕食会で)
クイーン・ラティファニューアーク|1988〜「Ladies First」(1989)、「U.N.I.T.Y.」(1993)で、女性への敬意をラップの主題に据えた。グラミー受賞者であり、俳優としても活躍する。
代表作「U.N.I.T.Y.」(1993)
2023年、ケネディ・センター名誉賞の関連夕食会で | 📷 Freddie Everett / U.S. Department of… / Public domain
アイス・T(2019年8月、ドイツのヴァッケン・オープン・エア。ボディ・カウントとして出演)
アイス・Tニュージャージー→ロサンゼルス|1983〜「6 in the Mornin'」(1986)は西海岸のギャングスタ・ラップの先駆けとされる。ロックバンドBody Countも率い、のちに俳優としても知られる。
代表作「6 in the Mornin'」(1986)、『O.G. Original Gangster』(1991)
2019年撮影 | 📷 Sven Mandel / CC BY-SA 4.0
スクーリーD(2012年、米シカゴ・ハウス・オブ・ブルース)
スクーリー・D (Schoolly D)フィラデルフィア|1984〜「P.S.K. What Does It Mean?」(1985)は、ギャングスタ・ラップの原型とされる。重いドラムマシンと暴力的な言葉が、のちの西海岸に影響を与えた。
代表作「P.S.K. What Does It Mean?」(1985)
2012年、米シカゴ・ハウス・オブ・ブルース | 📷 swimfinfan / CC BY-SA 2.0
イージー・E(1993年、ロサンゼルス市警の訪問時のスナップ。右は警察官のエドワード・レイエス)
イージー・Eコンプトン|1986〜1995Ruthless Recordsの創設者。N.W.Aを率い、Bone Thugs-N-Harmonyらを世に出した。1995年、30歳でエイズ関連の合併症により亡くなった。
代表作『Eazy-Duz-It』(1988)
1993年、ロサンゼルス市警の訪問時のスナップ。右は警察官のエドワード・レイエス | 📷 Edward Reyes / CC BY 2.0
N.W.AのMCレン(1990年、ロサンゼルスで撮影)
MCレンコンプトン|1986〜N.W.Aの辛辣なライム担当。解散後のソロ作『Shock of the Hour』(1993)も評価が高い。
代表作『Shock of the Hour』(1993)
1990年、ロサンゼルスで撮影 | 📷 Ithaka Darin Pappas / CC BY-SA 4.0
トゥー・ショート(2023年、米フロリダ州ウェストパームビーチでの公演)
トゥー・ショートオークランド|1983〜自主制作のカセット販売から始め、ベイエリアのラップを全国に知らしめた先駆者。
代表作『Born to Mack』(1987)、『Life Is… Too $hort』(1988)
2023年、米フロリダ州ウェストパームビーチでの公演 | 📷 Rickmunroe01 / CC BY-SA 4.0
ルーサー・キャンベル(ルーク)。マイアミの2ライヴ・クルーを率いた(2017年撮影)
2ライブ・クルーカリフォルニア→マイアミ|1984〜マイアミ・ベースの代表格。『As Nasty As They Wanna Be』(1989)をめぐる猥褻裁判は、表現の自由の観点でも注目された。
代表作『As Nasty As They Wanna Be』(1989)
ルーク)。マイアミの2ライヴ・クルーを率いた(2017年撮影 | 📷 David Cabrera / CC BY-SA 4.0
デ・ラ・ソウル(2004年6月、ベルリンで撮影)
デ・ラ・ソウルロングアイランド|1987〜ユーモアとサンプルの洪水で、ギャングスタとは別の道を示したネイティヴ・タンの旗手。長く配信が解禁されなかったが2023年に解禁。Trugoyは同年2月に亡くなった。
代表作『3 Feet High and Rising』(1989)
2004年撮影 | 📷 Matti Hillig / CC BY-SA 3.0
ジャングル・ブラザーズ(1999年、ドイツ・ハンブルクの楽屋)
ジャングル・ブラザーズブルックリン|1987〜ネイティヴ・タン最初のグループ。ジャズやハウスを取り込む自由な発想で、のち世代に道を開いた。
代表作『Straight Out the Jungle』(1988)
1999年、ドイツ・ハンブルクの楽屋 | 📷 Mika Väisänen (Mikamote) / CC BY-SA 3.0
DJジャジー・ジェフ(2011年、米テキサス州ダラスでのDJ)
DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスフィラデルフィア|1985〜「Parents Just Don't Understand」(1988)で、グラミー賞のラップ部門初の受賞者になった。フレッシュ・プリンスはのちに俳優ウィル・スミスとして世界的スターに。
代表作「Parents Just Don't Understand」(1988)
2011年、米テキサス州ダラスでのDJ | 📷 Dopefish / Public domain
ホーディニのエクスタシー(右)とフレイヴァー・フレイヴ(左)。2009年フレッシュ・フェスト
フーディニ (Whodini)ブルックリン|1981〜ドラムマシンとラップを組み合わせた初期の人気グループ。「Friends」(1984)は何度もサンプリングされた。
代表作「Friends」(1984)
📷 Brett Hammond / CC BY 2.0
EPMD(2013年7月、ブルックリン・ヒップホップ・フェスティバルでのステージ)
EPMDロングアイランド|1987〜ファンクを太く使ったビートと淡々とした掛け合い。Redman、Keith Murrayらも送り出した。
代表作『Strictly Business』(1988)
2013年7月、ブルックリン・ヒップホップ・フェスティバルでのステージ | 📷 Simon Abrams from Brooklyn, USA / CC BY-SA 2.0
クール・G・ラップ(2006年撮影)
クール・G・ラップ (Kool G Rap & DJ Polo)クイーンズ・コロナ|1986〜ジュース・クルーの一員で、DJポロとのコンビで『Road to the Riches』(1989)を発表した。多音節の韻と犯罪の物語を畳みかけ、ナズやノトーリアス・B.I.G.が影響を挙げる。
代表作『Road to the Riches』(1989)、『Wanted: Dead or Alive』(1990)、「The Symphony」(1988)
2006年撮影 | 📷 Kanamedia from Tokyo, Japan / CC BY-SA 2.5
ウルトラマグネティックMC's(2011年、ATP/I'll Be Your Mirrorフェスにて)
ウルトラマグネティックMC's (クール・キース)ブロンクス|1984〜クール・キースが結成したグループ。Ced-Geeが音源を切り刻んで組み直す手法を最初期に押し広げ、『Critical Beatdown』(1988)は後続のビート作りに影響した。キースはDr. Octagon名義でも知られる。
代表作『Critical Beatdown』(1988)、「Ego Trippin'」(1986)、Dr. Octagon『Dr. Octagonecologyst』(1996)
2011年、ATP/I'll Be Your Mirrorフェスにて | 📷 Jason Persse / CC BY-SA 2.0
ロブ・ベース&DJ E-Zロック(2006年、トロントのクラブにて)
ロブ・ベース&DJ E-Zロック (Rob Base & DJ E-Z Rock)ハーレム|1985〜2014「It Takes Two」(1988)はジェームス・ブラウン&リン・コリンズの「Think (About It)」を引用し、全米トップ40に入った。DJ E-Zロックは2014年に46歳で、ロブ・ベースは2026年に59歳で亡くなった。
代表作『It Takes Two』(1988)、「Joy and Pain」(1988)
2006年、トロントのクラブにて | 📷 Mick Tobyn / CC BY-SA 2.0
ダディ・O(ステッツァソニックのメンバー、2010年アトランタにて撮影)
ステッツァソニック (Stetsasonic)ブルックリン|1981〜ダディ・O、プリンス・ポールらによる「ヒップホップ・バンド」。生演奏とサンプリングを併用し、「Talkin' All That Jazz」(1988)でサンプリングへの批判に答えた。プリンス・ポールはのちデ・ラ・ソウルを手がけた。
代表作『In Full Gear』(1988)、『On Fire』(1986)、「Talkin' All That Jazz」(1988)
ステッツァソニックのメンバー、2010年アトランタにて撮影 | 📷 WeLove1990 / CC BY-SA 3.0
トーン・ロック(2023年、ヒューストンの90'sイベントにて)
トーン・ロック (Tone Lōc)ロサンゼルス|1987〜ざらついた低音の声で知られるラッパー。ヤングMCが書いた「Wild Thing」(全米2位)と「Funky Cold Medina」(同3位)が続けて大ヒットし、デビュー作『Lōc-ed After Dark』(1989)は全米アルバム1位になった。
代表作『Lōc-ed After Dark』(1989)、「Wild Thing」(1988)、「Funky Cold Medina」(1989)
2023年、ヒューストンの90'sイベントにて | 📷 2C2K Photography / CC BY 2.0
ヤングMC(2021年撮影)
ヤングMC (Young MC)ロンドン→ニューヨーク|1987〜ロンドン生まれ、クイーンズ育ちで、南カリフォルニア大学で経済学を学んだ。トーン・ロックの「Wild Thing」「Funky Cold Medina」を書き、自身の「Bust a Move」で1990年のグラミー賞(最優秀ラップ・パフォーマンス)を受賞した。
代表作『Stone Cold Rhymin'』(1989)、「Bust a Move」(1989)
2021年撮影 | 📷 Super Festivals / CC BY 2.0
キッド・アンド・プレイ(2010年、トライベッカ映画祭にて)
キッド・アンド・プレイ (Kid 'n Play)ニューヨーク|1987〜クリストファー・リード(キッド)とクリストファー・マーティン(プレイ)の二人組。約25cmにそびえるハイトップ・フェイドと二人で踊る「キックステップ」で人気を集め、映画『House Party』(1990)でも主演した。
代表作『2 Hype』(1988)、『Kid 'n Play's Funhouse』(1990)、映画『House Party』(1990)
2010年、トライベッカ映画祭にて | 📷 David Shankbone / CC BY 3.0
ワールド・クラス・レッキン・クルーのDJイエラ(2019年撮影)
ワールド・クラス・レッキン・クルー (World Class Wreckin' Cru)コンプトン|1983〜1987DJアロンゾ・ウィリアムスが率いたロサンゼルスのエレクトロ・グループ。ドクター・ドレーとDJイエラが在籍し、のちにN.W.Aを結成する二人の出発点になった。自主レーベルから『World Class』(1985)を出した。
代表作『World Class』(1985)、『Rapped in Romance』(1986)、「Surgery」(1984)
2019年撮影 | 📷 Don Bigileone / CC BY 2.0
クワメ(2014年、ニューヨーク・コミコンにて)
クワメ (Kwamé)クイーンズ|1987〜水玉(ポルカドット)柄を衣装とビデオの意匠にして流行を作ったMC。バンドを従えた『Kwamé the Boy Genius』(1989)と、高校生の一日を描いた『A Day in the Life』(1990)で知られ、のちにプロデューサーに転じた。
代表作『Kwamé the Boy Genius』(1989)、『A Day in the Life: A Pokadelick Adventure』(1990)
2014年、ニューヨーク・コミコンにて | 📷 Luigi Novi / CC BY 3.0
クール・モー・ディーハーレム|1978〜Treacherous Threeの出身。1981年のバスティ・ビー(Busy Bee)とのバトルや、LL Cool Jとの対立でも知られる、ステージの技巧派。
代表作「Go See the Doctor」(1986)、『How Ya Like Me Now』(1987)
N.W.Aコンプトン|1986〜Eazy-E、Dr. Dre、Ice Cube、MC Ren、DJ Yella。『Straight Outta Compton』(1988)でギャングスタ・ラップを全米に広め、2016年にロックの殿堂入りした。
代表作『Straight Outta Compton』(1988)
ヘヴィ・Dマウント・バーノン|1986〜Heavy D & the Boyz。温かい声のラップとダンス・ナンバーで人気を集めた。2011年に44歳で亡くなった。
代表作「Now That We Found Love」(1991)
ファット・ボーイズブルックリン|1983〜ビートボックスのBuff Loveを擁し、映画やCMでも人気を集めた3人組。
代表作『The Fat Boys』(1984)
スプーニー・ギー (Spoonie Gee)ハーレム|1970年代〜叔父のプロデューサー、ボビー・ロビンソンのもとでラップを磨き、1979年に「Spoonin' Rap」でレコード・デビューした最初期のラッパー。1987年に初のアルバム『The Godfather of Rap』を出した。
代表作「Spoonin' Rap」(1979)、「Monster Jam」(1980)、『The Godfather of Rap』(1987)
ラブバグ・スターキー (Lovebug Starski)ブロンクス|1971〜2018ブロンクスのクラブ「Disco Fever」で1978年からDJを務めたMC。「ヒップホップ」の言葉を生んだと自称した。「Positive Life」(1981)はMARRSにサンプリングされた。2018年に57歳で死去。
代表作「Positive Life」(1981)、『House Rocker』(1986)、「Amityville (The House on the Hill)」(1986)
UTFOブルックリン|1980年代前半〜Kangol Kid、Educated Rapper、Doctor Ice、Mix Master Iceの4人組。「Roxanne, Roxanne」(1984)への返答曲が多数生まれ、「ロクサーヌ・ウォーズ」と呼ばれた。
代表作「Roxanne, Roxanne」(1984)、『UTFO』(1985)
ジャジー・ジェイ (Jazzy Jay)ブロンクス|1970年代〜ズールー・ネーションのDJ。1984年ごろからリック・ルービンを手伝ってデフ・ジャムの立ち上げを支え、デフ・ジャムの立ち上げを支え、初期のシングル「It's Yours」(1984)に参加した。。自身のスタジオでブランド・ヌビアンらの初期録音も制作した。
代表作「It's Yours」(1984、T La Rock & Jazzy Jay)
マントロニクス (Mantronix)ニューヨーク|1984〜1991DJカーティス・マントロニクとMCティーのデュオ。シンセと電子ドラムを軸にしたエレクトロ・ヒップホップで人気を得た。「Needle to the Groove」は、ベックが「Where It's At」(1996)で引用した。
代表作『The Album』(1985)、『In Full Effect』(1988)、「King of the Beats」(1988)
キング・ティー (King Tee)コンプトン|1987〜コンプトン最初期のラッパーの一人。キャピトルからの『Act a Fool』(1988)で知られ、ザ・アルカホリックスらライクウィッド・クルーを後押しした。ドクター・ドレー『2001』(1999)にも参加した。
代表作『Act a Fool』(1988)、『Tha Triflin' Album』(1993)
エジプシャン・ラヴァー (Egyptian Lover)ロサンゼルス|1982〜ローランドTR-808をラップとダンス音楽に持ち込んだ、ロサンゼルスのエレクトロ・シーンの先駆者。アンクル・ジャムズ・アーミーのDJから出発し、1984年に自主レーベルを設立して『On the Nile』を出した。
代表作『On the Nile』(1984)、「Egypt, Egypt」(1984)
スペシャル・エド (Special Ed)ブルックリン|1989〜17歳で出したデビュー作『Youngest in Charge』(1989)が、50万枚以上を売ったとされるブルックリンの若手MC。ハウィー・ティーが手がけた「I Got It Made」は、のち『グランド・セフト・オートIV』にも使われた。
代表作『Youngest in Charge』(1989)、「I Got It Made」(1989)、「Think About It」(1989)
PLAY | 1980s23
THE GOLDEN ERA | 黄金時代
1990s

東と西、そして南。ヒップホップが天下を取った10年

NasのIllmatic、ビギーのReady to Die、2Pacの『All Eyez on Me』、Wu-Tangの36の部屋。古き良きヒップホップと言えば、たいていここを指す。

ナズ(2022年9月、バージニア州ブリストーでの公演)
ナズ (Nas)
ウータン・クランのステージ(2007年8月撮影)
ウータン・クラン
アウトキャスト(アンドレ3000とビッグ・ボーイ)のステージ(2014年10月、ニューヨーク)
アウトキャスト
1992『The Chronic』。ドレーが西海岸の「Gファンク」を確立
1994『Illmatic』と『Ready to Die』。ニューヨークの逆襲
25歳 / 24歳2Pac(1996年)とBiggie(1997年)が亡くなった年齢

90年代のヒップホップを一言で語るのは難しい。ジャズを刻むニューヨーク、シンセの口笛が鳴るロサンゼルス、ベースが地面を這うアトランタやヒューストン。地域ごとに違う音が一斉に花開き、それぞれがヒットチャートを揺らした。「ヒップホップ黄金時代」と呼ばれるこの10年を、四つの流れに分けて見ていこう。

① ニューヨーク——サンプルと言葉の職人たち

90年代初頭、ニューヨークのヒップホップは「職人の時代」に入る。ア・トライブ・コールド・クエストは『The Low End Theory』(1991)で、ジャズのウッドベースをそのままビートの中心に据えた。ギャング・スターのDJプレミアは、レコードを小さく刻んで別の曲に組み替える、鋭いドラムとピアノのループで「ニューヨークの音」を定義する。ピート・ロック&C.L.スムースの「T.R.O.Y.」(1992)は、ソウルのホーンを温かく鳴らした名曲として、今も語り継がれる。

この頃、プロデューサーの作法にも大きな変化があった。1991年、ビズ・マーキーが無断でサンプルを使った曲をめぐる訴訟で、判事は「汝、盗むなかれ」と厳しい言葉を残した。以降、サンプルの使用には権利者の許可が必須になる。許可の費用が重くのしかかったため、プロデューサーは使うネタの数を絞り、元ネタが分からないほど細かく刻んで加工する工夫も広がった。皮肉なことに、この制約が職人技を磨く一因にもなった。

② ロサンゼルス——ドクター・ドレーとGファンク

1992年、N.W.Aを離れたドクター・ドレーが自身のレーベル「デス・ロウ」から発表した『The Chronic』は、西海岸の音を決定づけた。パーラメント/ファンカデリックのファンクを下敷きに、ゆっくり揺れる低音、口笛のような高いシンセ、女性コーラス——Gファンクだ。ニューヨークの硬いサンプルとは対照的に、カリフォルニアの太陽の下で聴くための音だった。そこに登場した新人がスヌープ・ドギー・ドッグで、気だるく滑るフロウで一躍時代の顔になる。デビュー作『Doggystyle』(1993)は、新人の作品としては異例の全米初登場1位だった。

③ ニューヨークの逆襲——Wu-Tang、Nas、Biggie

Gファンクの勢いに押されていたニューヨークが反撃に出る。口火を切ったのが、スタテン島の9人組ウータン・クランの『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』(1993)だ。カンフー映画のセリフを散りばめ、RZAが荒く歪ませたピアノと打ち込みのビート。ざらついた質感のまま、九人のMCが入れ代わり立ち代わりマイクを奪い合う。「C.R.E.A.M.」は、金が全てを回す世界を描いた象徴的な一曲だ。

翌1994年、さらに決定的な作品が二つ出る。一つはナズ(Nas)の『Illmatic』。クイーンズブリッジの団地で育った20歳の青年が、ほとんど映画のカメラワークのような言葉で街の風景を描いた。収録は10曲、約40分。DJプレミア、ピート・ロック、Q-ティップ、ラージ・プロフェッサーといった当時の最高峰の職人が一枚のアルバムに集まった。ラップ専門誌『ザ・ソース』が最高評価の5マイクをつけ、いまも「ヒップホップの最高傑作」の議論に必ず名前が挙がる。

もう一つがノトーリアス・B.I.G.(ビギー)の『Ready to Die』だ。ブルックリンのベッドフォード・スタイベサントで育った巨漢のラッパーは、のんびりとした低音の声で、犯罪の世界と成り上がりの喜びを、時にユーモアを交えて語った。「Juicy」の「かつて貧しかった自分がここまで来た」という物語は、ヒップホップの定番ストーリーの原型になった。レーベルのバッド・ボーイを率いたパフ・ダディ(ショーン・コムズ)は、ヒップホップを「きらびやかな成功の音楽」としてポップ・チャートに持ち込んでいく。続くモブ・ディープの『The Infamous』(1995)は、冷たく不穏なループで、ニューヨークの暗部を描いた。1996年にはジェイ・Zが自主レーベルから『Reasonable Doubt』でデビューする。

④ 南部——「南部には言いたいことがある」

1995年、ザ・ソース・アワードの会場。アウトキャストのアンドレ3000は、東西の大物の前でブーイングを浴びながら、「南部にも言いたいことがある」とスピーチした。当時のヒップホップは東と西で語られるのが常識だったが、アトランタのアウトキャスト、テキサスのUGKとゲットー・ボーイズ、メンフィスのスリー・6・マフィア、ニューオーリンズのマスターPやキャッシュ・マネーが、独自の音と言葉でシーンを塗り替えていく。ヒューストンではDJスクリューがレコードを遅く回してぼんやり引き延ばす「チョップド&スクリュード」を生み出し、これがのちのトラップ以降の「ゆっくり浮遊する声」の源流のひとつになる。

南部の音は、低音の重いドラムマシン(TR-808)と、クラブで体を揺らすためのビートが軸だった。ニューヨーク的な「言葉の技巧」と違って、まず身体に効く低音。この発想が、2000年代、そして2010年代のヒップホップを完全に塗り替えることになる。

東西で終わった話じゃなかった。90年代のヒップホップは、最初から「全国区」だった。

悲劇——2Pacとビギー

90年代のヒップホップを語るとき、避けて通れないのが2パック(2Pac)の存在だ。ニューヨークのハーレムに生まれ、元ブラック・パンサー党員の母のもとで育った彼は、演劇学校で詩と演技を学び、ボルチモアからカリフォルニアへ移った。社会への怒りと母への愛、街の暴力と優しさを同じ声で歌えるラッパーは、ほかにいなかった。1995年の『Me Against the World』は、本人が収監中に全米アルバム1位を獲得。母に捧げた「Dear Mama」は、ギャングスタ・ラップの枠を超えた名曲として世界中で愛される。同年デス・ロウと契約し、「California Love」と、翌1996年の2枚組『All Eyez on Me』で西海岸の王座に就いた。

そして1996年9月7日、ラスベガスで銃撃を受け、9月13日、25歳で亡くなった。翌1997年3月9日には、ロサンゼルスでビギーも銃撃され、24歳で世を去った。死の約2週間後に発売された二枚組『Life After Death』は、あまりに皮肉なタイトルだった。「東と西の抗争が二人の命を奪った」という物語は広く語られているが、当事者の多くはそれを望んでいなかったとも言われている。2パックの事件では、2023年に容疑者が起訴された。ふたりの死は、ヒップホップが「危険な音楽」であることを、本人たち自身が突きつけられた事件でもあった。

90年代後半——ポップ化と、女性たちの台頭

90年代後半、ヒップホップは完全にポップ・チャートの中心に座った。パフ・ダディの煌びやかな曲、ジェイ・Zの『Vol. 2… Hard Knock Life』(1998)の大ヒット。そしてローリン・ヒルの『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998)は、ラップとソウルを一つの声で歌い、翌年のグラミー賞で5部門を受賞した。ミッシー・エリオットとティンバランドは、まるで未来から届いたようなリズムを鳴らした。女性ラッパーが「例外」ではなくなった10年でもある。

ラジオとミックステープ、そして雑誌が作ったシーン

90年代の名盤は、ラジオの深夜枠から生まれたとも言える。ニューヨークの大学ラジオWKCRで1990年から続いた番組「Stretch and Bobbito」は、無名だった頃のNasやWu-Tang、Biggieらのフリースタイルを流し、シーンの登竜門になった。Hot 97のファンクマスター・フレックスのようなDJは、新曲を最初にかける役割そのものでスターになった。

雑誌も力を持った。『The Source』に加えて、『Vibe』(1993)、『XXL』(1997)が創刊され、アルバムの評価が文化の言葉になる。1991年5月、米ビルボードが売上の集計方法を「サウンドスキャン」に切り替えると、ヒップホップやカントリーが、思われていた以上に売れていることが数字で明らかになった。「売れているのは、実は街で聴かれている音楽だった」という事実が、レコード会社の姿勢を変えていく。

ARTISTS | 1990s114
ナズ(2022年9月、バージニア州ブリストーでの公演)
ナズ (Nas)クイーンズブリッジ|1991〜20歳で出した『Illmatic』(1994)が「最高傑作」論争の常連になった。2021年、『King's Disease』でキャリア初のグラミー賞(最優秀ラップ・アルバム)を受賞した。
代表作『Illmatic』(1994)、『Stillmatic』(2001)
2022年撮影 | 📷 All-Pro Reels / CC BY-SA 2.0
ニューヨーク・ブルックリンの建物の壁に描かれたノトーリアス・B.I.G.の壁画(2024年2月撮影)
ノトーリアス・B.I.G.ブルックリン|1993〜1997重く甘い声で語る犯罪と成功。1997年3月9日、24歳で銃撃され死去。死の2週間後に『Life After Death』が発売され、2020年にロックの殿堂入りした。
代表作『Ready to Die』(1994)、『Life After Death』(1997)
ブルックリンの壁画を撮影(2024年) | 📷 whatsdownthatstreet (Flickr user; re… / CC BY-SA 2.0
リオデジャネイロの壁に描かれた2パックのグラフィティ(2010年3月撮影)
2パック (2Pac)ハーレム→オークランド|1991〜1996詩と怒りと優しさを同じ声で歌った。1996年9月13日、25歳で死去。2017年にロックの殿堂入りした。
代表作『Me Against the World』(1995)、『All Eyez on Me』(1996)
リオの壁のグラフィティを撮影(2010年) | 📷 marycsalome / CC BY 2.0
ウータン・クランのステージ(2007年8月撮影)
ウータン・クランスタテン島|1992〜RZA、GZA、Method Man、Raekwon、Ghostface Killah、Inspectah Deck、U-God、Masta Killa、ODB。9人のMCが奪い合うマイクと、カンフー映画の世界観。
代表作『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』(1993)
2007年撮影 | 📷 Napalm filled tires / CC BY-SA 2.0
RZA(2009年10月、ニューヨークで開かれた『The Tao of Wu』の朗読イベントにて)
RZAスタテン島|1992〜クランの総帥でプロデューサー。荒いピアノのループとカンフー映画のセリフで「Wu-Tangの音」を作り、映画『キル・ビル』の音楽も手がけた。
代表作『Enter the Wu-Tang』(1993)、『Bobby Digital in Stereo』(1998)
2009年10月、ニューヨークで開かれた『The Tao of Wu』の朗読イベントにて | 📷 David Shankbone / CC BY 3.0
GZA(2008年6月、ニューヨークのPaid Duesフェスティバル)
GZAスタテン島|1990〜クランの「頭脳」と呼ばれるMC。科学とチェスの比喩を織り込んだ、緻密で冷静なヴァースが持ち味。
代表作『Liquid Swords』(1995)
2008年6月、ニューヨークのPaid Duesフェスティバル | 📷 Flowizm / CC BY 2.0
メソッド・マン(2010年4月撮影)
メソッド・マンスタテン島|1992〜クランで最も華のあるMC。ざらついた声と人懐っこいユーモアで、俳優としてもテレビや映画で活躍する。
代表作『Tical』(1994)、「Bring the Pain」
2010年4月撮影 | 📷 Alyssa Tomfohrde from Oakland, USA / CC BY 2.0
レイクウォン(2010年7月、ピッチフォーク・ミュージック・フェスティバル)
レイクウォンスタテン島|1992〜マフィア映画のイメージで犯罪世界を描く「マフィオソ・ラップ」を世に広めた立役者。ゴーストフェイスとの掛け合いが名物。
代表作『Only Built 4 Cuban Linx…』(1995)
2010年7月、ピッチフォーク・ミュージック・フェスティバル | 📷 Weekly Dig / CC BY 2.0
ゴーストフェイス・キラー(2010年8月、ノルウェー公演)
ゴーストフェイス・キラースタテン島|1992〜言葉があふれ出すような、シュールで情景豊かな語り。ソロでも長く第一線で活躍する、クランのもう一人のエース。
代表作『Ironman』(1996)、『Supreme Clientele』(2000)
2010年8月、ノルウェー公演 | 📷 Niklas Hellerstedt / CC BY 2.0
インスペクター・デック(2013年5月、パリ)
インスペクター・デックスタテン島|1992〜「Triumph」(1997)の冒頭ヴァースで知られる、クランきってのテクニシャン。
代表作「Triumph」(1997)
2013年5月、パリ | 📷 Coup d'Oreille / CC BY-SA 2.0
ア・トライブ・コールド・クエストのステージ(2008年7月、マサチューセッツ州マンスフィールドのRock the Bells)
ア・トライブ・コールド・クエストクイーンズ|1985〜Q-Tip、Phife Dawg、Ali Shaheed Muhammad。ジャズの低音とやわらかな知性。Phifeは2016年に亡くなり、同年の最終作が全米1位になった。
代表作『The Low End Theory』(1991)、『Midnight Marauders』(1993)
2008年撮影 | 📷 Charice L. from USA / CC BY-SA 2.0
Qティップ(2008年9月、ワシントンD.C.)
Qティップクイーンズ|1985〜ATCQの中心人物。プロデューサーとしてもNasの『Illmatic』で「One Love」を手がけ、ネイティヴ・タンの美学を継いだ。
代表作『Amplified』(1999)
2008年撮影 | 📷 docmonstereyes / CC BY 2.0
DJプレミア(2019年5月、ベルリン公演「Gods of Rap」ツアー)
DJプレミアブルックリン|1987〜チョップしたピアノやホーンと鋭いスクラッチで、Nas、Jay-Z、Biggieらのヒット曲を手がけた「ブームバップ職人」。ギャング・スターのDJ。
代表作「N.Y. State of Mind」(Nas)、Gang Starr「Mass Appeal」
2019年撮影 | 📷 Sven Volkens / CC BY-SA 4.0
グールー(ギャング・スター)。2006年撮影
グル (Gang Starr)ボストン→ブルックリン|1987〜2010ギャング・スターのMC。落ち着いた低い声で都市の日常を語り、ジャズ・ラップの『Jazzmatazz』も手がけた。2010年に亡くなった。
代表作『Moment of Truth』(1998)
📷 Barbara Mürdter / CC BY-SA 3.0
ターンテーブルを操作するピート・ロック(2011年4月、ロサンゼルス)
ピート・ロック&C.L.スムースマウント・バーノン|1990〜ホーンとソウルを温かく鳴らすプロデューサー、ピート・ロックと、MC・C.L.スムースのコンビ。「T.R.O.Y.」は永遠の名曲とされる。
代表作「They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)」(1992)
2011年撮影 | 📷 pinguino k from North Hollywood, USA / CC BY 2.0
モブ・ディープのハヴォック(2014年撮影)
モブ・ディープクイーンズブリッジ|1991〜HavocとProdigy。冷たく乾いたループと暗い語り口でニューヨークの暗部を描いた。Prodigyは2017年に亡くなった。
代表作『The Infamous』(1995)、「Shook Ones Pt. II」
2014年撮影 | 📷 Tobias Nielsen (Flickr user Tobi Nie… / CC BY 2.0
ジェイ・Z(2008年7月撮影のライブ)
ジェイ・Zブルックリン|1996〜『Reasonable Doubt』(1996)でデビュー。Roc Nationを率い、2019年にForbes誌がヒップホップ界初の億万長者と報じた。
代表作『Reasonable Doubt』(1996)、『The Blueprint』(2001)
2008年撮影 | 📷 Mike Barry from Wirral, England / CC BY 2.0
ブラック・ムーンのバックショット(2009年、モントリオールでのライブ)
ブラック・ムーンブルックリン|1992〜ブート・キャンプ・クリックの中核。暗く硬質な『Enta da Stage』(1993)は、ブームバップの質感の見本として語られる。
代表作『Enta da Stage』(1993)
2009年、モントリオールでのライブ | 📷 Flowizm / CC BY 2.0
レッドマン(2016年、ドイツでの公演)
レッドマンニュージャージー|1990〜EPMD一門のMC。ファンク好きの荒々しさとユーモア。メソッド・マンとのコンビも名物。
代表作『Whut? Thee Album』(1992)
2016年、ドイツでの公演 | 📷 Stefan Brending (2eight) / CC BY-SA 3.0 de
オニクスのスティッキー・フィンガズとフレドロ・スター(2014年、ライブ)
オニックスクイーンズ|1988〜叫ぶようなハードなラップ。「Slam」(1993)のモッシュを呼ぶ攻撃性で話題になった。
代表作「Slam」(1993)
2014年、ライブ | 📷 EnglishLoverWillie (English Wikipedia) / CC0
ノーティ・バイ・ネイチャーのステージ(2012年、シドニーのスーパーフェスト)
ノーティ・バイ・ネイチャーニュージャージー|1989〜陽気なフックとハードな語り。「O.P.P.」(1991)がヒットした。
代表作「O.P.P.」(1991)
2012年、シドニーのスーパーフェスト | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
バスタ・ライムス(2022年9月、バージニア州ブリストーでの公演)
バスタ・ライムスブルックリン|1990〜Leaders of the New School出身。高速でシャウトするフロウとド派手なMVの先駆者。
代表作「Woo-Hah!! Got You All in Check」(1996)
2022年撮影 | 📷 All-Pro Reels / CC BY-SA 2.0
コモン(2018年、ニューヨーク・ブルックリンのセレブレイト・ブルックリン公演)
コモンシカゴ|1992〜知性と温かさを備えたMC。「I Used to Love H.E.R.」(1994)は、ヒップホップを恋人にたとえた名曲。2015年には映画『グローリー/明日への行進』の主題歌でアカデミー賞を受賞した。
代表作『Resurrection』(1994)、『Like Water for Chocolate』(2000)
2018年、ニューヨーク・ブルックリンのセレブレイト・ブルックリン公演 | 📷 Steven Pisano (Feast of Music) / CC BY 2.0
ザ・ルーツのブラック・ソート(1999年、ドイツ公演)
ザ・ルーツフィラデルフィア|1987〜ブラック・ソートのラップとクエストラブのドラム。生バンド編成のヒップホップで、2014年から『ザ・トゥナイト・ショー』のハウスバンドを務める。
代表作『Things Fall Apart』(1999)
1999年、ドイツ公演 | 📷 Mika Väisänen / CC BY 3.0
ザ・ファーサイド(1999年、ドイツ・ハンブルク)
ザ・ファーサイドロサンゼルス|1991〜ユーモアと脱力感のある4人組。J Dillaが後に手がけた『Labcabincalifornia』(1995)も重要。
代表作『Bizarre Ride II the Pharcyde』(1992)
1999年、ドイツ・ハンブルク | 📷 MikaV (Mika Väisänen) / CC BY-SA 3.0
デジタブル・プラネッツ(2010年12月、コロラド州フォートコリンズでのライブ)
デジタブル・プラネッツブルックリン|1989〜ジャズをまとった滑らかなラップ。「Rebirth of Slick (Cool Like Dat)」(1993)でグラミー賞を受賞した。
代表作「Rebirth of Slick (Cool Like Dat)」(1993)
2010年12月、コロラド州フォートコリンズでのライブ | 📷 Jester Jay Goldman / CC BY-SA 2.0
ソウルズ・オブ・ミスチーフ(フェスト、タジャイ、オピオ、A・プラス。インタビュー映像より)
ソウルズ・オブ・ミスチーフオークランド|1991〜ヒエログリフィックスの一員。ベイエリアの知的でユーモアのあるラップの代表。
代表作「'93 til Infinity」(1993)
フェスト、タジャイ、オピオ、A・プラス。インタビュー映像より | 📷 User:AstonishingTunesAdmirer, Manife… / CC BY 3.0
ワイクリフ・ジョン(2021年、米オマハでの公演)
フージーズニュージャージー|1989〜Wyclef Jean、Pras、Lauryn Hill。『The Score』(1996)が世界的大ヒットとなり、「Killing Me Softly」「Ready or Not」が象徴曲に。
代表作『The Score』(1996)
2021年、米オマハでの公演 | 📷 Matt Johnson (Matt A.J.) / CC BY 2.0
ローリン・ヒル(2014年6月、トロント公演)
ローリン・ヒルニュージャージー|1989〜ラップとソウルを一つの声で歌った。『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998)は翌年のグラミー賞で5部門を受賞した。
代表作『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998)
2014年撮影 | 📷 The Come Up Show from Canada / CC BY 2.0
ワイクリフ・ジョン(2021年、米オマハでの公演)
ワイクリフ・ジョンハイチ→ニュージャージー|1989〜フージーズの一員。ギターも弾くマルチな才能で、ソロでもハイチの文化を持ち込んだ。
代表作『The Carnival』(1997)
2021年、米オマハでの公演 | 📷 Matt Johnson (Matt A.J.) / CC BY 2.0
ドクター・ドレー(2012年4月、コーチェラ・フェスティバル)
ドクター・ドレーコンプトン|1984〜N.W.A→Death Row→Aftermath。Snoop、Eminem、50 Centを世に出し、Kendrickの飛躍も後押しした。2014年にBeats by Dreを約30億ドルでAppleに売却した。
代表作『The Chronic』(1992)、『2001』(1999)
2012年撮影 | 📷 Jason Persse / CC BY-SA 2.0
スヌープ・ドッグ(2023年3月、シドニー公演)
スヌープ・ドッグロングビーチ|1992〜気だるく滑るフロウでGファンクの顔になった。近年はテレビ、ビジネス、2024年パリ五輪の中継にも登場している。
代表作『Doggystyle』(1993)
2023年撮影 | 📷 Bruce Baker / CC BY 2.0
ウォーレンG(2007年2月、アカデミー賞アフターパーティーにて)
ウォーレンGロングビーチ|1990年代〜Dr. Dreの義理の弟。Nate Doggの歌声と組んだ「Regulate」(1994)がGファンクの大ヒットになった。
代表作「Regulate」(1994)
2007年2月、アカデミー賞アフターパーティーにて | 📷 John B. Mueller / CC BY 2.5
カラプト(2015年、ロサンゼルスのスヌープ・ドッグ関連パーティー)
サ・ドッグ・パウンドロングビーチ|1992〜Daz DillingerとKurupt。Death Rowの屋台骨を支えた西海岸のデュオ。
代表作『Dogg Food』(1995)
2015年、ロサンゼルスのスヌープ・ドッグ関連パーティー | 📷 Connie Lodge / CC BY-SA 2.0
アイス・キューブ(2012年4月、シドニーのSupafest)
アイス・キューブロサンゼルス|1986〜N.W.A脱退後の『AmeriKKKa's Most Wanted』(1990)で政治的な怒りを掲げ、のちに映画『Friday』(1995)で俳優としても成功した。
代表作『Death Certificate』(1991)
2012年撮影 | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
サイプレス・ヒル(1998年、ドイツ・ボンでのツアー中の楽屋)
サイプレス・ヒルロサンゼルス|1988〜B-Real、Sen Dog、DJ Muggs。マリファナ賛歌と不穏なファンクが特徴のラテン系ヒップホップ・グループ。
代表作「Insane in the Brain」(1993)
1998年、ドイツ・ボンでのツアー中の楽屋 | 📷 Mika Väisänen / CC BY-SA 4.0
クーリオ(2012年、ニューヨーク・ブルックリンのグレート・グーガモーガ・フェスティバル)
クーリオコンプトン|1990年代〜「Gangsta's Paradise」(1995)が世界的ヒット。2022年に59歳で亡くなった。
代表作「Gangsta's Paradise」(1995)
2012年、ニューヨーク・ブルックリンのグレート・グーガモーガ・フェスティバル | 📷 Timothy Krause / CC BY 2.0
E-40(2007年撮影)
E-40ヴァレーホ|1990〜独自のスラングを作り続ける多作のベイエリアMC。自主レーベルで成功した先駆者。
代表作「Tell Me When to Go」(2006)
2007年撮影 | 📷 Gamerscore Blog / CC BY-SA 2.0
ボーン・サグスのウィッシュ・ボーン(2015年、トロントのダンフォース・ミュージック・ホール)
ボーン・サグスン・ハーモニークリーブランド|1993〜メロディアスで高速な「歌うラップ」の先駆け。イージー・Eに見出され、「Tha Crossroads」(1996)でグラミー賞。
代表作「Tha Crossroads」(1996)
2015年、トロントのダンフォース・ミュージック・ホール | 📷 Drew Yorke (The Come Up Show) / CC BY 2.0
シーロー・グリーン(2022年、米アリゾナ州フェニックスのイベント)
グッディ・モブアトランタ|1991〜Cee-Loらによるグループ。『Soul Food』(1995)の収録曲が、南部ヒップホップの呼び名「ダーティ・サウス」の由来とされる。
代表作『Soul Food』(1995)
2022年、米アリゾナ州フェニックスのイベント | 📷 Gage Skidmore / CC BY-SA 3.0
スカーフェイス(2013年撮影)
ゲトー・ボーイズ (スカーフェイス)ヒューストン|1986〜「Mind Playing Tricks on Me」(1991)で、不安や被害妄想という内面を南部ラップに持ち込んだ。
代表作「Mind Playing Tricks on Me」(1991)
2013年撮影 | 📷 Jeremy Perez Photos. / CC BY-SA 2.0
UGKのバンB(2013年撮影)
UGKポート・アーサー|1987〜Bun BとPimp C。南部の語りを全国に広めたデュオで、Pimp Cは2007年に33歳で亡くなった。
代表作『Ridin' Dirty』(1996)
2013年撮影 | 📷 Eli Watson / CC BY 2.0
スリー・6・マフィア(DJポールとジューシーJ、2007年12月撮影)
スリー・6・マフィアメンフィス|1991〜ダークなホラー調のビートでクランクとトラップの源流を作った。2006年、映画主題歌でアカデミー賞を受賞したラップ・グループ。
代表作「Tear da Club Up '97」、「It's Hard out Here for a Pimp」
DJポールとジューシーJ、2007年12月撮影 | 📷 Jay West / CC BY-SA 3.0
マスターP(2001年、ドイツ)
マスターPニューオーリンズ|1990〜No Limit Recordsを設立。自前のレーベルを軸に成功するビジネスモデルを築いた。
代表作「Make 'Em Say Uhh!」(1997)
2001年、ドイツ | 📷 Mika Väisänen (Mikamote) / CC BY-SA 3.0
ファット・ジョー(2011年、オーストラリアのスーパーフェスト)
ファット・ジョーブロンクス|1990〜Terror Squadを率い、Big Punの盟友としても知られた。「Lean Back」(2004)が大ヒット。
代表作「Lean Back」(2004)
2011年、オーストラリアのスーパーフェスト | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
DMX(2014年、ツウェンティ・フォー・フェスティバルでの公演)
DMXヨンカーズ|1998〜唸るような声と祈りを同居させたラッパー。『It's Dark and Hell Is Hot』(1998)でデビューし、2021年に50歳で亡くなった。
代表作『It's Dark and Hell Is Hot』(1998)
2014年、ツウェンティ・フォー・フェスティバルでの公演 | 📷 Rzom_ / CC BY-SA 2.0
ミッシー・エリオット(2006年のライブ)
ミッシー・エリオットバージニア州ポーツマス|1997〜ティンバランドと『Supa Dupa Fly』(1997)を制作。MVとビートで未来を描き、2023年に女性ラッパーとして初めてロックの殿堂入りした。
代表作『Supa Dupa Fly』(1997)、「Get Ur Freak On」(2001)
2006年撮影 | 📷 Romana Pierzga / CC BY-SA 2.0
ティンバランド(2019年、コリジョン・カンファレンス)
ティンバランドバージニア州ノーフォーク|1990年代〜つまずくようなリズムと異国的な音色で、Missy、Aaliyah、Justin Timberlakeらのヒットを量産したプロデューサー。
代表作「Try Again」(Aaliyah)、「SexyBack」
2019年、コリジョン・カンファレンス | 📷 Collision Conf / CC BY 2.0
リル・キム(2008年、ライブ)
リル・キムブルックリン|1994〜『Hard Core』(1996)。性や欲望を強く語り、女性ラッパーの表現の幅を広げた。
代表作『Hard Core』(1996)
2008年、ライブ | 📷 windyjonas (Flickr) / CC BY 4.0
イヴ(2011年、ニューヨークのレッドドレス・コレクション)
イヴフィラデルフィア|1999〜Ruff Ryders所属。「Let Me Blow Ya Mind」(2001)でグラミー賞を受賞した。
代表作「Let Me Blow Ya Mind」(2001)
2011年、ニューヨークのレッドドレス・コレクション | 📷 The Heart Truth (U.S. Dept. of Healt… / Public domain
ショーン・コムズ(パフ・ダディ/ディディ)。2010年、ディディ・ダーティ・マネーとして
パフ・ダディ (ショーン・コムズ)ハーレム|1993〜Bad Boy Recordsを設立。80年代ヒットの引用と煌びやかな映像で、ヒップホップをポップの中心に押し出した。
代表作「I'll Be Missing You」(1997)、『No Way Out』(1997)
📷 Reckless Dream Photography / CC BY 2.0
アレステッド・ディベロップメント(2006年、ベルギーでのライブ)
アレステッド・ディベロップメントアトランタ|1988〜「Tennessee」で知られる、穏やかで農村的な視点のグループ。1993年のグラミー賞で最優秀新人賞を受賞した。
代表作「Tennessee」(1992)
2006年、ベルギーでのライブ | 📷 Joris Peeters / CC BY 2.0
アウトキャスト(アンドレ3000とビッグ・ボーイ)のステージ(2014年10月、ニューヨーク)
アウトキャストアトランタ|1992〜André 3000とBig Boi。『Aquemini』(1998)、『Stankonia』(2000)を経て、『Speakerboxxx/The Love Below』(2003)で2004年グラミー賞の年間最優秀アルバムを受賞した。
代表作『Aquemini』(1998)、『Stankonia』(2000)
2014年撮影 | 📷 David Shankbone / CC BY 3.0
アンドレ3000(2014年10月、ニューヨーク・タイムズスクエアでの公演)
アンドレ3000アトランタ|1992〜1995年ザ・ソース・アワードの「南部には言いたいことがある」の演説で知られる。2023年にはフルート中心のインスト作『New Blue Sun』を発表した。
代表作『The Love Below』(2003)
2014年撮影 | 📷 David Shankbone / CC BY 3.0
ビッグ・ボーイ(2006年4月、アトランタ公演)
ビッグ・ボーイアトランタ|1992〜アウトキャストの「地面に根を張る側」。力強く滑らかなフロウで、ソロでも長く第一線を保った。
代表作『Sir Lucious Left Foot』(2010)
2006年撮影 | 📷 Utoks / CC BY 3.0
マスタ・エース(2002年、ハンブルクでのライブ)
マスタ・エース (Masta Ace)ブルックリン|1988〜ジュース・クルーの一員として1988年の「The Symphony」で登場。『SlaughtaHouse』(1993)でギャングスタ・ラップを風刺し、「Born to Roll」は全米23位。コンセプト作『Disposable Arts』(2001)も高評価。
代表作『SlaughtaHouse』(1993)、『Sittin' on Chrome』(1995)、『Disposable Arts』(2001)
2002年、ハンブルクでのライブ | 📷 Mikamote (Mika Väisänen) / CC BY-SA 3.0
ブランド・ヌビアンのグランド・プーバ(2014年撮影)
ブランド・ヌビアン (Brand Nubian)ニューロシェル|1989〜グランド・プーバ、サダット・X、ロード・ジャマーの3MC。ネーション・オブ・ゴッズ・アンド・アースの教えを取り入れた『One for All』(1990)は、オルタナティブ・ヒップホップの名盤とされる。
代表作『One for All』(1990)、『In God We Trust』(1993)
2014年撮影 | 📷 DeShaun Craddock / CC BY-SA 4.0
MCハマー(2008年撮影)
MCハマー (MC Hammer)オークランド|1985〜『Please Hammer Don't Hurt 'Em』(1990)は全米アルバム1位を21週続け、ヒップホップ初のダイヤモンド認定を受けた。「U Can't Touch This」は1991年のグラミー賞で最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスを受賞した。
代表作『Please Hammer Don't Hurt 'Em』(1990)、「U Can't Touch This」(1990)、「Pray」(1990)
2008年撮影 | 📷 Brian Solis / CC BY 2.0
サー・ミックス・ア・ロット(2016年、ポートランドのローズ・フェスティバルにて)
サー・ミックス・ア・ロット (Sir Mix-a-Lot)シアトル|1981〜シアトルの中央地区で育ち、1983年にナスティミックス・レーベルの設立に加わった。「Baby Got Back」(1992)は全米1位を5週続け、1993年のグラミー賞で最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスを受賞した。
代表作『Mack Daddy』(1992)、「Baby Got Back」(1992)、「Posse on Broadway」(1987)
2016年、ポートランドのローズ・フェスティバルにて | 📷 New Millennium Music / CC BY-SA 4.0
ダズ・EFX(1997年、ニューヨーク)
ダズ・EFX (Das EFX)ブルックリン/ニュージャージー|1988〜スクーブとドレイの二人組。バージニア州立大学で出会い、EPMDに見いだされた。語尾に「-iggedy」を付ける早口が特徴で、『Dead Serious』(1992)はプラチナ認定を受けた。
代表作『Dead Serious』(1992)、「They Want EFX」(1992)、『Straight Up Sewaside』(1993)
1997年、ニューヨーク | 📷 Mika Väisänen (Mika-photography) / CC BY-SA 3.0
ヨーヨー(1997年、ニューヨーク)
ヨーヨー (Yo-Yo)ロサンゼルス|1990〜アイス・キューブの『AmeriKKKa's Most Wanted』(1990)への客演で登場した女性MC。「You Can't Play with My Yo-Yo」(1991)で知られ、女性の自立を訴える作風で、自分のクルーを「IBWC」と呼んだ。
代表作『Make Way for the Motherlode』(1991)、「You Can't Play with My Yo-Yo」(1991)
1997年、ニューヨーク | 📷 Mika Väisänen / CC BY-SA 4.0
ロード・フィネス(2014年撮影)
ロード・フィネス (Lord Finesse)ブロンクス|1989〜D.I.T.C.の中心人物。DJマイク・スムースとの『Funky Technician』(1990)でデビューし、ノトーリアス・B.I.G.の「Suicidal Thoughts」(1994)やビッグLの「M.V.P.」(1995)のビートも手がけた。
代表作『Funky Technician』(1990)、『Return of the Funky Man』(1992)
2014年撮影 | 📷 JonathanMena / CC BY 2.0
ダイアモンド・D(2008年、アトランタのA3Cフェスにて)
ダイアモンド・D (Diamond D)ブロンクス|1987〜D.I.T.C.の創設メンバーでMC兼プロデューサー。ジャジー・ジェイのスタジオで制作を学び、ATCQ『The Low End Theory』の「Show Business」(1991)に客演して注目された。1992年にデビュー作を出した。
代表作『Stunts, Blunts & Hip Hop』(1992)
2008年、アトランタのA3Cフェスにて | 📷 Dom Brady / CC BY 2.0
ラージ・プロフェッサー(2016年7月、ブルックリン・ボウルでのRahzel and Friendsにて)
ラージ・プロフェッサー (Large Professor / Main Source)クイーンズ|1989〜Main Sourceの中心人物。ナズ『Illmatic』では「Halftime」「It Ain't Hard to Tell」「One Time 4 Your Mind」の3曲をプロデュースした。バスタ・ライムスやモブ・ディープも手がけた。
代表作『Breaking Atoms』(1991・Main Source)/「Looking at the Front Door」(1990)
2016年7月、ブルックリン・ボウルでのRahzel and Friendsにて | 📷 Steven Pisano / CC BY 2.0
ジェルー・ザ・ダマジャ(2016年7月、ドイツのOut4Fame Festivalにて)
ジェルー・ザ・ダマジャ (Jeru the Damaja)ブルックリン|1992〜イースト・ニューヨーク出身で、ガング・スター・ファウンデーションの一員。『The Sun Rises in the East』(1994)と『Wrath of the Math』(1996)は、いずれもDJプレミアが全曲を手がけた。
代表作『The Sun Rises in the East』(1994)/「Come Clean」(1993)
2016年7月、ドイツのOut4Fame Festivalにて | 📷 Dominik Lippe (Lipstar) und Yannic L… / CC BY-SA 2.5
M.O.P.(2017年、ドイツ公演にて)
M.O.P.ブラウンズビル|1992〜Billy DanzeとLil' Fameのデュオ。ブルックリンのブラウンズビル出身で、怒鳴り合うような掛け合いが持ち味。「Ante Up (Robbin-Hoodz Theory)」(2000)はイギリスのシングル・チャートで7位に入った。
代表作『Firing Squad』(1996)、『Warriorz』(2000)/「Ante Up (Robbin-Hoodz Theory)」(2000)
2017年、ドイツ公演にて | 📷 Stefan Brending (2eight) / CC BY-SA 3.0 DE
スミフ・ン・ウェッスン(2015年、フェニックスでのライブ)
スミフ・ン・ウェッスン (Smif-N-Wessun)ブルックリン|1993〜TekとSteeleのデュオで、ブーツ・キャンプ・クリックの一員。デビュー作『Dah Shinin'』(1995)は全米59位。スミス&ウェッソン社の警告で1996年にCocoa Brovazへ改名し、2005年に元の名へ戻した。
代表作『Dah Shinin'』(1995)/「Bucktown」(1994)
2015年、フェニックスでのライブ | 📷 Drew Yorke-Slader / CC BY 2.0
フォクシー・ブラウン(1998年4月、ニューヨークで)
フォクシー・ブラウン (Foxy Brown)ブルックリン|1994〜ジェイ・Zと組んだ「I'll Be」(1996)で注目を集め、『Ill Na Na』(1996)は全米7位でプラチナになった。ザ・ファームの一員でもあり、『Chyna Doll』(1999)は全米アルバム・チャートに1位で初登場した。
代表作『Ill Na Na』(1996)、『Chyna Doll』(1999)/「I'll Be」(1996)
1998年4月、ニューヨークで | 📷 Mika-photography / CC BY-SA 3.0
トリーナ(2009年9月、マイアミでのBleu誌のサイン会にて)
トリーナ (Trina)マイアミ|1998〜マイアミのリバティ・シティ出身。Slip-N-Slideから『Da Baddest Bitch』(2000)でデビュー。ケリー・ローランド参加の「Here We Go」(2005)は全米17位、ゴールドになった。
代表作『Da Baddest Bitch』(2000)、『Glamorest Life』(2005)/「Here We Go」(2005)
2009年9月、マイアミでのBleu誌のサイン会にて | 📷 Tiff Wilson / CC BY-SA 2.0
ミスティカル(2012年SXSWでのライブ)
ミスティカル (Mystikal)ニューオーリンズ|1991〜ニューオーリンズ出身。叫ぶように畳みかける高速のフロウで知られる。『Let's Get Ready』(2000)は全米1位、ネプチューンズらが手がけた「Shake Ya Ass」は全米13位になった。
代表作『Let's Get Ready』(2000)/「Shake Ya Ass」(2000)
2012年SXSWでのライブ | 📷 Daniel Benavides from Austin, TX / CC BY 2.0
ルニズのユークマウス(2025年、ポッドキャスト出演時)
ルニズ (Luniz)オークランド|1992〜YukmouthとNumskullのデュオ。デビュー作『Operation Stackola』(1995)のリード曲「I Got 5 on It」は、Michael Marshallのコーラスをのせて全米8位、プラチナになった大麻ソングの定番だ。
代表作『Operation Stackola』(1995)/「I Got 5 on It」(1995)
写真はメンバーのYukmouth | 📷 BOSS TALK 101 / CC BY 3.0
ジュラシック5(2000年、ドイツ・ハンブルクで)
ジュラシック5 (Jurassic 5)ロサンゼルス|1993〜Chali 2na、Akil、Zaakir、Marc 7の4MCに、DJのNu-MarkとCut Chemistを加えた6人組。オールドスクール調のマイクリレーで人気を集め、2007年に解散、2013年に再結成した。
代表作『Quality Control』(2000)、『Power in Numbers』(2002)
2000年、ドイツ・ハンブルクで | 📷 Mika-photography / CC BY-SA 3.0
ダイレイテッド・ピープルズ(2001年9月、ドイツ・ハンブルクにて)
ダイレイテッド・ピープルズ (Dilated Peoples)ロサンゼルス|1992〜EvidenceとRakaa、DJ Babuのトリオ。The Alchemistらが制作に加わり、『The Platform』(2000)でCapitolからデビューした。2004年にはカニエ・ウェストを迎えた「This Way」を発表した。
代表作『The Platform』(2000)/「This Way」(2004)
2001年9月、ドイツ・ハンブルクにて | 📷 Mika-photography / CC BY-SA 3.0
ブラックアリシャス(2008年、ペイド・デューズでのライブ。左がチーフ・エクセル、右がギフト・オブ・ギャブ)
ブラックアリシャス (Blackalicious)サクラメント|1992〜MCのGift of GabとDJ・プロデューサーのChief Xcelのデュオ。早口のアルファベット・ラップ「Alphabet Aerobics」で知られる。Gift of Gabは2021年6月、50歳で亡くなった。
代表作『Nia』(1999)、『Blazing Arrow』(2002)/「Alphabet Aerobics」(1999)
2008年、ペイド・デューズでのライブ。左がチーフ・エクセル、右がギフト・オブ・ギャブ | 📷 Flowizm / CC BY 2.0
アトモスフィアのスラッグ(2009年8月、サンフランシスコのOutside Landsにて)
アトモスフィア (Atmosphere)ミネアポリス|1996〜MCのSlugとプロデューサーAntのデュオ。インディーズのRhymesayers Entertainmentを代表する存在で、2008年の『When Life Gives You Lemons…』は全米5位に入った。
代表作『God Loves Ugly』(2002)、『When Life Gives You Lemons, You Paint That Shit Gold』(2008)
2009年8月、サンフランシスコのOutside Landsにて | 📷 Moses / CC BY 2.0
カンパニー・フロウのEl-P(2007年撮影)
カンパニー・フロウ (Company Flow)ブルックリン|1992〜2001El-P、Bigg Jus、Mr. Lenの3人組。インディーズから出した『Funcrusher Plus』(1997)で、暗く実験的な90年代後半のアンダーグラウンド・ラップを切り開いた。El-Pはのちに Definitive Juxを設立した。
代表作『Funcrusher Plus』(1997)
2007年撮影 | 📷 Fred Benenson / CC BY 2.0
イソップ・ロック(2007年、シアトルでのライブ)
イソップ・ロック (Aesop Rock)ロングアイランド|1996〜本名Ian Bavitz。ノースポート育ち。難解で密度の高い歌詞で知られ、2014年公開の85人のラッパーの語彙調査では、異なり語数が最多だった。
代表作『Labor Days』(2001)、『Bazooka Tooth』(2003)、『Skelethon』(2012)
2007年、シアトルでのライブ | 📷 Alex Blackstock from San Francisco, … / CC BY 2.0
アウトロウズのヤング・ノーブル(2006年撮影)
アウトロウズ (Outlawz)ニュージャージー|1995〜2パックが率いたラップ・グループ。E.D.I. Mean、Kastro、Napoleon、Young Nobleらが所属し、『Still I Rise』(1999)は全米6位に入った。Yaki Kadafiは1996年11月、19歳で射殺された。
代表作『Still I Rise』(1999・2Pacと共作)
2006年撮影 | 📷 Mogkilluminati / CC BY-SA 3.0
トゥイスタ(2010年11月、シカゴのラジオ局WGCIにて)
トゥイスタ (Twista)シカゴ|1991〜超高速ラップの名手で、1992年に55秒で598音節を発声しギネス世界記録の最速ラッパーとなった。2004年、「Slow Jamz」(カニエ・ウェスト参加)と『Kamikaze』がともに全米1位に輝いた。
代表作『Adrenaline Rush』(1997)、『Kamikaze』(2004)/「Slow Jamz」(2004)
2010年11月、シカゴのラジオ局WGCIにて | 📷 Photobra Adam Bielawski / CC BY-SA 3.0
WC(WCアンド・ザ・マッド・サークルのフロントマン、1989年ロサンゼルス)
WCアンド・ザ・マッド・サークル (WC and the Maad Circle)ロサンゼルス|1990〜1995Low Profileを経たWCが、Coolio、Big Gee、DJ Crazy Tooneと結成した。のちにWCは、ウエストサイド・コネクションの『Bow Down』(1996)で全米2位を記録した。
代表作『Ain't a Damn Thang Changed』(1991)、『Curb Servin'』(1995)
WCアンド・ザ・マッド・サークルのフロントマン、1989年ロサンゼルス | 📷 IthakaDarinPappas / CC BY-SA 4.0
オール・ダーティ・バスタードブルックリン|1992〜2004予測不能な、歌うようなラップで場を支配したクランの異端児。2004年に35歳で亡くなった。
代表作『Return to the 36 Chambers』(1995)
ビッグ・Lハーレム|1990年代〜1999鋭い言葉遊びで知られた天才肌のMC。1999年に24歳で射殺された。
代表作『Lifestylez ov da Poor & Dangerous』(1995)
ネイト・ドッグロングビーチ|1990年代〜2011Gファンクの歌声担当。数々のヒット曲のフックを歌い、2011年に41歳で亡くなった。
代表作「Regulate」、「21 Questions」
キャッシュ・マネー (バードマン / ジュヴィナイル)ニューオーリンズ|1991〜Birdmanと兄のSlim(ロナルド・ウィリアムズ)が創業。ジュヴィナイルの大ヒット曲、プロデューサーのMannie Fresh、そしてのちのLil Wayneを生んだ。
代表作「Back That Azz Up」(1999)
ビッグ・パンブロンクス|1995〜2000『Capital Punishment』(1998)で、ラテン系ソロ・ラッパーとして初のプラチナ。2000年に28歳で亡くなった。
代表作『Capital Punishment』(1998)
デジタル・アンダーグラウンド (ショックG)オークランド|1987〜ショックGが率いたファンク色の強いグループ。別人格ハンプティ・ハンプで歌った「The Humpty Dance」(1990)は全米11位。若き日の2パックがダンサーとして在籍した。ショックGは2021年に57歳で死去。
代表作『Sex Packets』(1990)、「The Humpty Dance」(1990)、「Same Song」(1991)
DJクイック (DJ Quik)コンプトン|1987〜コンプトン出身のラッパー兼プロデューサー。ロジャー・トラウトマンに教わったトークボックスを使うGファンクで知られ、『Quik Is the Name』(1991)はプラチナ認定を受けた。
代表作『Quik Is the Name』(1991)、「Tonite」(1991)、『Safe + Sound』(1995)
ザ・アルカホリックス (Tha Alkaholiks)ロサンゼルス|1991〜J-Ro、Tash、E-Swiftの3人。酒とパーティーを題材にした作風で、ライクウィッド・クルーの中心になった。E-Swiftはプロデューサーとしてもグループ外の作品を手がけた。
代表作『21 & Over』(1993)、『Coast II Coast』(1995)、『Likwidation』(1997)
ブラック・シープ (Black Sheep)クイーンズ|1989〜1995ドレスとミスタ・ラウンジのデュオで、ネイティヴ・タンズの一員。ユーモアと独特のリズムで評価された『A Wolf in Sheep's Clothing』(1991)を出し、「The Choice Is Yours」はのち自動車のCMにも使われた。
代表作『A Wolf in Sheep's Clothing』(1991)、「Flavor of the Month」(1991)、「The Choice Is Yours」(1991)
リーダーズ・オブ・ザ・ニュー・スクール (Leaders of the New School)ロングアイランド|1984〜1994チャーリー・ブラウン、ディンコD、カット・モニター・ミロ、バスタ・ライムスの4人組。ATCQ「Scenario」(1991)でバスタが注目を集め、のちのソロ転身につながった。
代表作『A Future Without a Past...』(1991)、「Case of the P.T.A.」(1991)
Xクラン (X Clan)ブルックリン|1989〜ブラザーJ、プロフェッサーX、シュガー・シャフト、パラダイスによる、アフロセントリズムを掲げたグループ。『To the East, Blackwards』(1990)でデビューした。プロフェッサーXは2006年に49歳で死去。
代表作『To the East, Blackwards』(1990)、『Xodus』(1992)
プア・ライチャス・ティーチャーズ (Poor Righteous Teachers)トレントン|1989〜ワイズ・インテリジェント、カルチャー・フリーダム、ファーザー・シャヒードの3人。ネーション・オブ・ゴッズ・アンド・アースの教えに根ざした社会派の歌詞で、「Rock Dis Funky Joint」(1990)が最大のヒットになった。
代表作『Holy Intellect』(1990)、『Pure Poverty』(1991)、『Black Business』(1993)
モニー・ラブ (Monie Love)ロンドン→ニューヨーク|1987〜ロンドン生まれで、1988年にニューヨークへ渡った。クイーン・ラティファとの「Ladies First」(1989)で名を上げた。グラミー賞に2度ノミネートされた、最初の英国人女性ヒップホップ・アーティストとされる。
代表作『Down to Earth』(1990)、「Ladies First」(1989、クイーン・ラティファ)、「It's a Shame (My Sister)」(1990)
エド・オージー (Ed O.G.)ボストン|1986〜ボストンのロクスベリー出身。エド・オージー&ダ・ブルドッグス名義の『Life of a Kid in the Ghetto』(1991)で、全国的に知られた最初期のボストンのラッパーになった。のちにピート・ロックとも共演した。
代表作『Life of a Kid in the Ghetto』(1991)、『My Own Worst Enemy』(2004、ピート・ロックと)
ショウビズ&A.G. (Showbiz & A.G.)ブロンクス|1989〜プロデューサーのショウビズとMCのA.G.のコンビ。EP『Soul Clap』(1991)の曲「Diggin' in the Crates」がD.I.T.C.の名の由来。ショウビズはKRS・ワン「Sound of da Police」(1993)も制作した。
代表作『Runaway Slave』(1992)、『Goodfellas』(1995)
O.C.ブルックリン|1990〜ブッシュウィック育ちで、D.I.T.C.の一員。1994年のデビュー作『Word...Life』収録の「Time's Up」が最も知られる。1997年の「Far From Yours」は全米81位に入った。
代表作『Word...Life』(1994)/「Time's Up」(1994)
グループ・ホーム (Group Home)ブルックリン|1990〜Lil' DapとMelachi the Nutcrackerのデュオで、ガング・スター・ファウンデーションの一員。デビュー作『Livin' Proof』(1995)は、DJプレミアが全曲をプロデュースした。
代表作『Livin' Proof』(1995)/「Supa Star」
キャンプ・ロウ (Camp Lo)ブロンクス|1995〜Geechi SuedeとSonny Cheebaのデュオ。ジャズやソウルを溶かし込んだSki制作の音で『Uptown Saturday Night』(1997)を出し、「Luchini AKA This Is It」は全米50位に入った。
代表作『Uptown Saturday Night』(1997)/「Luchini AKA This Is It」(1997)
コーメガ (Cormega)クイーンズブリッジ|1989〜ブルックリン生まれでクイーンズブリッジ育ち。ザ・ファームの構想に加わったが、結成前にネイチャーと入れ替わった。自主レーベルLegal Hustleから『The Realness』(2001)を出し、のちにナズと和解した。
代表作『The Realness』(2001)、『The True Meaning』(2002)
ヘルタ・スケルタ (Heltah Skeltah)ブルックリン|1994〜RockとRuck(ショーン・プライス)のデュオ。ブーツ・キャンプ・クリックの一員。O.G.C.とのFab 5名義「Leflaur Leflah Eshkoshka」(1995)がヒットし、デビュー作『Nocturnal』(1996)は全米35位に入った。
代表作『Nocturnal』(1996)、『Magnum Force』(1998)/「Leflaur Leflah Eshkoshka」(1995)
ショーン・プライス (Sean Price)ブルックリン|1992〜2015ヘルタ・スケルタのRuckとして知られ、ブラウンズビル育ち。毒のあるユーモアを混ぜた荒いラップでソロでも支持を集めた。2015年8月8日、43歳で死去した。
代表作『Monkey Barz』(2005)、『Jesus Price Supastar』(2007)、『Mic Tyson』(2012)
クレイグ・マック (Craig Mack)ブロンクス→ロングアイランド|1988〜2018ブロンクス生まれ、ロングアイランド育ち。パフ・ダディのバッド・ボーイ・レコードの初期を飾った「Flava in Ya Ear」(1994)が全米9位、プラチナを記録した。2018年、47歳で死去した。
代表作『Project: Funk da World』(1994)/「Flava in Ya Ear」(1994)
ジュニア・マフィア (Junior M.A.F.I.A. / リル・シーズ)ブルックリン|1994〜ノトーリアス・B.I.G.が幼なじみを集めて結成した。Lil' Kim、Lil' Cease、Larcenyらが参加。「Player's Anthem」(1995)は全米13位で、『Conspiracy』(1995)はゴールドになった。
代表作『Conspiracy』(1995)/「Player's Anthem」(1995)、「Get Money」(1996)
カポーン・ン・ノリエガ (Capone-N-Noreaga)クイーンズ|1995〜CaponeとN.O.R.E.のデュオ。デビュー作『The War Report』(1997)は全米21位で、のちにゴールドになった。荒々しいニューヨーク流のストリート・ラップを示した。
代表作『The War Report』(1997)/「L.A., L.A.」(1997)、「T.O.N.Y. (Top of New York)」(1997)
B.G.ニューオーリンズ|1995〜12歳でキャッシュ・マネーと契約し、ホット・ボーイズの一員となった。「Bling Bling」(1999)でこの言葉を広め、同語は2003年にオックスフォード英語辞典に収録された。
代表作『Chopper City in the Ghetto』(1999)/「Bling Bling」(1999)
クリス・クロス (Kris Kross)アトランタ|1990〜2013Chris KellyとChris Smithの少年デュオで、ジャーメイン・デュプリが見いだした。服を前後逆に着るスタイルでも話題になり、「Jump」(1992)は全米1位に8週連続でとどまった。Kellyは2013年に34歳で死去した。
代表作『Totally Krossed Out』(1992)/「Jump」(1992)
スパイス・ワン (Spice 1)ヘイワード|1991〜ベイエリアのギャングスタ・ラップを代表する一人。Jive Recordsから『Spice 1』(1992)、『187 He Wrote』(1993)、『AmeriKKKa's Nightmare』(1994)を出し、この3作がゴールドになった。
代表作『187 He Wrote』(1993)、『AmeriKKKa's Nightmare』(1994)
フリースタイル・フェローシップ (Freestyle Fellowship)ロサンゼルス|1980年代後半〜Aceyalone、Myka 9、Self Jupiter、P.E.A.C.E.らによるグループ。Good Life Cafeのオープンマイクから生まれ、ジャズ的な即興と入り組んだ韻で、西海岸アンダーグラウンドに大きな影響を与えた。
代表作『To Whom It May Concern…』(1991)、『Innercity Griots』(1993)
カニバル・オックス (Cannibal Ox)ハーレム|1998〜Vast AireとVordul Megaのデュオ。『The Cold Vein』(2001)は全編をEl-Pがプロデュースしたアンダーグラウンドの名盤で、Definitive Juxを代表する一枚とされる。
代表作『The Cold Vein』(2001)/「Vein」
ドゥ・オア・ダイ (Do or Die)シカゴ|1995〜N.A.R.D.、Belo Zero、AK-47のトリオ。Twistaを迎えた「Po Pimp」(1996)が全米22位、ラップ・シングル・チャートで1位に。シカゴ発のラップが全国的に注目される契機のひとつになった。
代表作『Picture This』(1996)/「Po Pimp」(1996)
クルーシャル・コンフリクト (Crucial Conflict)シカゴ|1993〜シカゴのグループ。デビュー作『The Final Tic』(1996)は全米12位でゴールドになった。大麻をテーマにしたシングル「Hay」は全米18位で、これもゴールドを記録した。
代表作『The Final Tic』(1996)/「Hay」(1996)
マック・10 (Mack 10)イングルウッド|1992〜イングルウッド出身のラッパー。自身のHoo-Bangin' Recordsを率い、『Mack 10』(1995)から3作連続でゴールドを獲得した。アイス・キューブ、WCと組んだウエストサイド・コネクションの『Bow Down』(1996)は全米2位。
代表作『Mack 10』(1995)、『Based on a True Story』(1997)
ラス・カス (Ras Kass)カーソン|1991〜ロサンゼルス近郊のカーソン育ち。宗教や人種問題にまで踏み込む高密度の歌詞で、リリシストとして評価が高い。デビュー作『Soul on Ice』(1996)で知られる。
代表作『Soul on Ice』(1996)/「Nature of the Threat」
8ボール&MJG (8Ball & MJG)メンフィス|1989〜メンフィスのオレンジ・マウンド出身のデュオ。『Comin' Out Hard』(1993)でデビューし、『On Top of the World』(1995)はゴールド。2005年のスリー・6・マフィアとの共演「Stay Fly」は全米13位になった。
代表作『Comin' Out Hard』(1993)、『On Top of the World』(1995)/「Space Age Pimpin'」(1995)
PLAY | 1990s78
SUPERSTARS & THE SOUTH | スターと南部
2000s

CDが売れ、ミックステープが走り、南部が主役になった

エミネム、50セント、カニエ、リル・ウェイン。ヒップホップが名実ともにポップスの王様になり、そして街の音が静かに「トラップ」へ傾きはじめる。

エミネム(2014年11月、ワシントンD.C.の「コンサート・フォー・ヴァラー」にて)
エミネム
カニエ・ウェスト(2008年8月、ライブでのパフォーマンス)
カニエ・ウェスト
リル・ウェイン(2006年撮影のモノクロ写真)
リル・ウェイン
2002「Lose Yourself」(エミネム)。ラップ曲として初めてアカデミー賞歌曲賞を受賞(2003年授賞)
2003『Trap Muzik』(T.I.)。トラップという言葉が音楽の名前になる
100万枚+Lil Wayne『Tha Carter III』(2008)の初週売上。CD不況下の快挙

2000年代のヒップホップは、とにかく売れた。CDが最後の黄金期を迎え、MTVの『TRL』やラジオのヘビーローテーションをラッパーが占領する。誰もが知るスターが続々と生まれた10年だが、同時に水面下では、次の時代の種がいくつも芽を出していた。

エミネム、50セント——ドレーの最後の発明

デトロイトの白人ラッパーエミネムは、ドクター・ドレーの後ろ盾で世に出た。『The Slim Shady LP』(1999)の毒と笑い、『The Marshall Mathers LP』(2000)の壮絶な告白は、発売当時の記録的な売れ行きを見せる。自身の半自伝的な映画『8 Mile』の主題歌「Lose Yourself」は、ラップ曲として初めてアカデミー賞の歌曲賞を受賞した。

続いてドレーとエミネムが送り出したのが、9発の銃弾を浴びて生き延びたという逸話を持つ50セントだ。『Get Rich or Die Tryin'』(2003)と「In Da Club」は、街の暴力と成り上がりを、キャッチーなフックと重いビートで包み込み、全米を制した。彼のG-Unitを含め、「ストリートの危うさをそのままポップスとして売る」ビジネスモデルが完成した時代でもある。

カニエ・ウェスト——プロデューサーが主役になった日

2001年、ジェイ・Zの『The Blueprint』で、スタジオにはもう一人の天才が座っていた。シカゴ出身のプロデューサーカニエ・ウェストだ。ソウルのレコードを高速に早回しして歌声を甲高くする「チップマンク・ソウル」で、ブームバップの職人文化を温かいサウンドに塗り替えた彼は、2004年に『The College Dropout』でラッパーとしてもデビューする。事故で顎を固定したまま録音した「Through the Wire」や、神への祈りを真正面から歌った「Jesus Walks」。ギャングスタ一辺倒だった当時のヒップホップに、「弱さ」や「迷い」を持ち込んだ点がカニエの革命だった。

そして2008年の『808s & Heartbreak』。ドラムマシンの808とオートチューンを軸に、失恋と孤独を歌い上げたこの作品は、発売当初こそ賛否が割れたが、のちのドレイクやトラヴィス・スコットといった「歌うラップ」「感情を溶かすラップ」の世代の基準点になった。

南部の夜明け——クランク、スナップ、そしてトラップ

2000年代は、南部が主役になった時代でもある。アトランタのリル・ジョン&ザ・イーストサイド・ボーイズは、叫ぶようなコールと跳ねるビートの「クランク」で、クラブを熱狂させた(「Get Low」2003)。ヒューストンでは、マイク・ジョーンズやポール・ウォールがチョップド&スクリュードの流れを全国区に押し上げる。アトランタのD4Lの「Laffy Taffy」(2005)は、指を鳴らす乾いたビートの「スナップ」が全米1位にまで登りつめた。

そして、のちに世界を覆う音の名前が生まれる。T.I.の『Trap Muzik』(2003)だ。「トラップ」とは、もともと麻薬を売買する場所を指すアトランタの隠語。その暮らしを描いたラップとして、T.I.、ヤング・ジージー(『Let's Get It: Thug Motivation 101』2005)、グッチ・メインらが次々と作品を出す。重い808、暗いシンセ、短く刻むハイハット。この時期のアトランタが、いまのトラップの設計図を描いたと言っていい。

リル・ウェインとミックステープ文化

ニューオーリンズ出身のリル・ウェインは、2005年から2008年にかけて、驚異的なペースでミックステープを出し続けた。他人のビートの上に勝手にラップを乗せて無料で配る、という違法すれすれのやり方だったが、ここで彼は誰よりも多作で、誰よりも奇妙な言葉を使うラッパーになった。『Tha Carter III』(2008)は初週に100万枚以上を売り上げ、CD不況の中でも例外的な数字を叩き出す。ミックステープ、のちのSoundCloud、さらにはストリーミングへと続く「作品を出し続け、聴いてもらう」文化の先駆けだった。

アンダーグラウンドの宝物——DOOMとJ Dilla

売れ線とは別のところで、2000年代はブームバップの職人たちが最高の仕事を残した時代でもある。仮面のラッパーMFドゥームとプロデューサー、マッドリブが組んだ『Madvillainy』(2004)は、寝室で作ったようなざらついたビートに、ユーモアと奇想が詰まった一枚としていまも崇拝されている。

そしてJ・ディラ。デトロイトのプロデューサーは、ア・トライブ・コールド・クエストやコモン、エリカ・バドゥらの名曲を手がけ、「機械的に揃えない」少しよれたドラムのスウィングで、ブームバップの新しい形を作った。2006年2月7日、病床で作り上げたインストの傑作『Donuts』が出た3日後、彼は32歳で亡くなった。いま世界中で流れている「ローファイ・ヒップホップ」の大きな源流のひとつが、ここにある。

「ヒップホップは死んだ」

2006年、ナズは『Hip Hop Is Dead』というアルバムを出した。ニューヨークの黄金期を知る側から見れば、南部と商業主義に押されて「言葉の文化」が消えていくように見えたのだ。けれど、YouTubeやMySpaceからヒット(ソウルジャ・ボーイ「Crank That」2007)が生まれ、ネットが主役になっていく中で、ヒップホップは死んだのではなく、場所を変えただけだった。

ネットが流通を変えた

2000年代は、音楽の届け方が根本から変わった10年でもある。2003年に始まったiTunes Storeは「1曲ずつ買う」習慣を広め、2005年創設のYouTubeとMySpaceは、レーベルを通さずに曲と顔を知らせる場所になった。ミックステープの配布サイトDatPiffもこの年に生まれ、リル・ウェインやグッチ・メインの無料作品がネットで拡散した。ソウルジャ・ボーイの「Crank That」が、10代の自作動画と振り付けから全米1位に届いた2007年は、ネット発のスターという新しい道筋の始まりだった。

一方で、CDの売上は急速に落ちていった。アルバムを丸ごと売る時代の終わりが見えるなかで、ヒップホップは「ミックステープで量を出し、ライブとブランドで稼ぐ」モデルを先に作った。この発想は、次のストリーミング時代にそのまま通用することになる。

ARTISTS | 2000s50
エミネム(2014年11月、ワシントンD.C.の「コンサート・フォー・ヴァラー」にて)
エミネムデトロイト|1996〜超高速の韻と物語性。『The Marshall Mathers LP』(2000)は当時の記録的ヒットで、「Lose Yourself」でラップ曲として初のアカデミー賞を受賞。2022年にロックの殿堂入りした。
代表作『The Marshall Mathers LP』(2000)、「Lose Yourself」(2002)
2014年11月、ワシントンD.C.の「コンサート・フォー・ヴァラー」にて | 📷 DoD News Features (U.S. Department o… / Public domain
50セント(2009年11月、パリ)
50セントクイーンズ|2002〜9発の銃弾を浴びた逸話とともに、『Get Rich or Die Tryin'』(2003)でストリートの成功譚を全米に売った。G-Unitを率い、ビジネスでも成功した。
代表作『Get Rich or Die Tryin'』(2003)、「In Da Club」
2009年11月、パリ | 📷 Nicolas Richoffer / CC BY-SA 4.0
ロイド・バンクス(G-ユニット)。2008年頃、ビデオ撮影現場で
G-Unit (ロイド・バンクス / ヤング・バック)クイーンズ/ナッシュビル|2003〜50 Centが率いたクルー。Lloyd Banksの『The Hunger for More』(2004)など、メンバーも次々にソロで成功した。
代表作『Beg for Mercy』(2003)
📷 East718 (English Wikipedia); derivat… / Public domain
カニエ・ウェスト(2008年8月、ライブでのパフォーマンス)
カニエ・ウェストシカゴ|1996〜プロデューサーからスターへ。ソウルを早回しする「チップマンク・ソウル」から出発し、『808s & Heartbreak』(2008)で歌うラップの基準点を作った。のちに言動をめぐる論争でも評価が大きく揺れた。
代表作『The College Dropout』(2004)、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』(2010)
2008年8月、ライブでのパフォーマンス | 📷 jurvetson / CC BY 2.0
ネリー(2007年)
ネリーセントルイス|2000〜歌うようなフロウと地元の言葉を武器に、『Country Grammar』(2000)から「Hot in Herre」(2002)まで世界的ヒットを連発した。
代表作『Country Grammar』(2000)、「Hot in Herre」
2007年 | 📷 reeb0k2008 / CC BY 2.0
リュダクリス(2009年4月)
リュダクリスアトランタを拠点に|1999〜コミカルで超高速のフロウ。俳優としても『ワイルド・スピード』シリーズなどに出演している。
代表作『Back for the First Time』(2000)
2009年4月 | 📷 Kelseymariebell / CC BY 3.0
リル・ウェイン(2006年撮影のモノクロ写真)
リル・ウェインニューオーリンズ|1996〜ミックステープ・ブームの王。『Tha Carter III』(2008)は初週100万枚超。Drake、Nicki Minajの師匠でもある。
代表作『Tha Carter III』(2008)、「A Milli」
2006年撮影のモノクロ写真 | 📷 RJ Shaughnessy (RJ) / Public domain
T・ペイン(2019年、iHeartRadioミュージック・アワード)
T・ペインタラハシー|2005〜オートチューンを「楽器」として普及させた立役者。「Buy U a Drank」(2007)で一世を風靡した。
代表作「Buy U a Drank」(2007)
2019年、iHeartRadioミュージック・アワード | 📷 Glenn Francis (PacificProDigital.com) / CC BY-SA 4.0
T.I.(2014年11月、Paperworkツアーでのライブ)
T.I.アトランタ|2001〜『Trap Muzik』(2003)で「トラップ」を音楽の呼び名として定着させた。自ら「King of the South」を名乗る。
代表作『Trap Muzik』(2003)、『King』(2006)
2014年11月、Paperworkツアーでのライブ | 📷 Eddy James Rissling / CC BY 2.0
ヤング・ジージー(2005年7月)
ヤング・ジージーアトランタ|2005〜低いダミ声と重厚なトラップ・ビート。『Let's Get It: Thug Motivation 101』(2005)で一躍有名に。
代表作『Thug Motivation 101』(2005)、「Soul Survivor」
2005年7月 | 📷 Timothy M. Moore / CC BY-SA 3.0
グッチ・メイン(2017年8月、アイオワ州デモインの「515 Alive」にて)
グッチ・メインアトランタ|2005〜ミックステープを大量に出し続けるアトランタ・トラップの重鎮。Waka Flocka、Young Thugなど次世代に影響を与えた。
代表作『Trap House』(2005)、「Lemonade」(2009)
2017年8月、アイオワ州デモインの「515 Alive」にて | 📷 Evan Guest / CC BY 2.0
ワカ・フロッカ・フレイム(2014年8月、ライブでのパフォーマンス)
ワカ・フロッカ・フレイムアトランタ|2009〜「Hard in da Paint」(2009)。Lex Lugerのビートと怒号のようなラップで、トラップをクラブの爆音に変えた。
代表作「Hard in da Paint」、『Flockaveli』(2010)
2014年8月、ライブでのパフォーマンス | 📷 Eddy Rissling for The Come Up Show / CC BY 2.0
リル・ジョン(2007年9月、イベント会場にて)
リル・ジョンアトランタ|1997〜クランクの帝王。叫ぶようなコールと跳ねるビートで、「Get Low」(2003)やUsher「Yeah!」(2004)を世に送り出した。
代表作「Get Low」(2003)
2007年9月、イベント会場にて | 📷 Gamerscore Blog from USA / CC BY-SA 2.0
イン・ヤン・ツインズのケイン(左)とD-ロック(2008年、グリーンランド・チューレ空軍基地のUSOショー)
イン・ヤン・ツインズアトランタ|1998〜「Salt Shaker」(2003)、「Wait (The Whisper Song)」(2005)で南部のクラブ・ヒップホップを広げた。
代表作「Wait (The Whisper Song)」(2005)
左)とD-ロック(2008年、グリーンランド・チューレ空軍基地のUSOショー | 📷 Adam M. Stump, U.S. Air Force / Public domain
D4Lのファボ(2023年、アトランタでのライブ)
D4Lアトランタ|2005指を鳴らす軽いビートの「スナップ」ミュージック。「Laffy Taffy」(2005)は全米1位になった。
代表作「Laffy Taffy」(2005)
2023年、アトランタでのライブ | 📷 HOTSPOTATL / CC BY 3.0
ポール・ウォール(2005年6月撮影)
ポール・ウォールヒューストン|2000年代〜ダイヤのグリルでも有名な、チョップド&スクリュードの人気者。
代表作『The People's Champ』(2005)
2005年6月撮影 | 📷 Bradley G. / CC BY 2.0
チャミリオネア(2008年7月撮影)
チャミリオネアヒューストン|2005〜「Ridin'」(2005)で2007年のグラミー賞を受賞。のちにテック系の投資家としても活動する。
代表作「Ridin'」(2005)
2008年7月撮影 | 📷 Brian Solis / CC BY 2.0
プシャ・T(2013年撮影)
プシャ・T (クリプス)バージニア・ビーチ|2002〜Maliceとの兄弟デュオ。ファレルのビートに乗せた冷静で突き刺さる語り。ソロでは『Daytona』(2018)で高い評価を得た。
代表作「Grindin'」(2002)、『Daytona』(2018)
2013年撮影 | 📷 Simon Abrams / CC BY-SA 4.0
ファレル・ウィリアムス(2014年4月、コーチェラ・フェスティバル)
ファレル・ウィリアムスバージニア・ビーチ|1992〜The Neptunesとして、乾いたシンコペ・ビートでJay-Zやブリトニーのヒットを量産。「Happy」(2013)は世界的ヒットとなった。
代表作「Grindin'」(Clipse)、「Happy」(2013)
2014年4月、コーチェラ・フェスティバル | 📷 Shawn Ahmed / CC BY 2.0
キャムロン(2014年、ワシントンDCのブロッコリー・シティ・フェスティバル)
カムロン (ディプロマッツ)ハーレム|1996〜ピンクの毛皮とシニカルな語り口。ディプロマッツ(ジュエルズ・サンタナ、ジム・ジョーンズ)を率いて、2000年代前半のニューヨークをけん引した。
代表作『Purple Haze』(2004)
2014年、ワシントンDCのブロッコリー・シティ・フェスティバル | 📷 fuseboxradio (Flickr) / CC BY-SA 2.0
モス・デフ(現ヤシーン・ベイ)。2012年、フィンランドのイロサーリロック
ブラック・スター (モス・デフ&タリブ・クウェリ)ブルックリン|1998〜意識的(コンシャス)なヒップホップの代表。モス・デフは俳優としても活躍する。
代表作『Mos Def & Talib Kweli Are Black Star』(1998)
📷 Tuomas Vitikainen / CC BY-SA 3.0
ルーペ・フィアスコ(2008年10月、ニューオーリンズのブードゥー・ミュージック・エクスペリエンス)
ルーペ・フィアスコシカゴ|2006〜知的で社会的なテーマを扱うラッパー。『Food & Liquor』(2006)で評価を獲得した。
代表作『Food & Liquor』(2006)、「Kick, Push」
2008年10月、ニューオーリンズのブードゥー・ミュージック・エクスペリエンス | 📷 Vincent Escudero / CC BY 2.0
キッド・カディ(2009年、『Man on the Moon』公演)
キッド・カディクリーブランド|2008〜孤独や憂鬱を率直に歌い、感情表現の幅を広げた。「Day 'n' Nite」(2008)がヒット。
代表作『Man on the Moon: The End of Day』(2009)
2009年、『Man on the Moon』公演 | 📷 J. Rivera from California, US / CC BY 2.0
ザ・ゲーム(2011年、オーストラリアのスーパーフェスト)
ザ・ゲームコンプトン|2005〜Dr. Dreの後ろ盾で西海岸の復活を担った。『The Documentary』(2005)でデビュー。
代表作『The Documentary』(2005)
2011年、オーストラリアのスーパーフェスト | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
ディジー・ラスカル(2018年7月、フィンランド・Ilosaarirockでのライブ)
ディジー・ラスカルロンドン|2003〜英国のグライムを世に知らしめた。デビュー作『Boy in da Corner』(2003)でマーキュリー賞を受賞した。
代表作『Boy in da Corner』(2003)
2018年7月、フィンランド・Ilosaarirockでのライブ | 📷 Tuomas Vitikainen / CC BY-SA 4.0
MFドゥーム(2011年7月、ライブでのパフォーマンス)
MFドゥームロンドン→ニューヨーク|1988〜2020鉄の仮面をかぶった覆面ラッパー。『Madvillainy』(2004)で崇拝される存在に。2020年に49歳で亡くなった(発表は同年末)。
代表作『Madvillainy』(2004)、『Operation: Doomsday』(1999)
2011年7月、ライブでのパフォーマンス | 📷 possan / CC BY 2.0
マッドリブ(2014年、ロサンゼルスのエコープレックスでのDJ)
マッドリブオックスナード|1990年代〜Stones Throwの鬼才プロデューサー。MF DOOMと『Madvillainy』、Freddie Gibbsと『Piñata』(2014)を作った。
代表作『Madvillainy』(2004)、『Piñata』(2014)
2014年、ロサンゼルスのエコープレックスでのDJ | 📷 Carl Pocket / CC BY-SA 2.0
J・ディラが使用したAKAI MPC3000リミテッド・エディション(スミソニアン国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館所蔵)
J・ディラデトロイト|1990年代〜2006機械的に揃えない「よれたドラム」の革命者。2006年2月7日に『Donuts』が出た3日後、32歳で亡くなった。写真は彼が愛用したAkai MPC3000。
代表作『Donuts』(2006)、Slum Village『Fantastic, Vol. 2』(2000)
写真はJ・ディラ愛用のAkai MPC3000(スミソニアン博物館所蔵) | 📷 National Museum of African American … / CC0
ジャ・ルール(2016年、ウェブ・サミットのステージで)
ジャ・ルール (Ja Rule)クイーンズ(ホリス)|1994〜Murder Inc.の看板として、しゃがれ声のラップと歌心あるフックで2000年代初頭を席巻した。『Rule 3:36』(2000)と『Pain Is Love』(2001)が全米1位、アシャンティ参加の「Always on Time」(2001)も1位に。
代表作『Venni Vetti Vecci』(1999)、『Rule 3:36』(2000)、「Always on Time」(2001)
2016年、ウェブ・サミットのステージで | 📷 Web Summit / CC BY 2.0
キャシディ(2005年5月、サインをする姿)
キャシディ (Cassidy)フィラデルフィア|2000〜バトル・ラップで名を上げ、スウィズ・ビーツ率いるFull Surface Recordsと契約。商業デビュー曲「Hotel」(2003)は全米4位、デビュー作『Split Personality』(2004)につながった。2014年にバトルへ復帰した。
代表作『Split Personality』(2004)、「Hotel」(2003)
2005年5月、サインをする姿 | 📷 Timothy M. Moore at https://www.flic… / CC BY-SA 3.0
ビーニー・シーゲル(2002年3月、ドイツ・ケルンで)
ビーニー・シーゲル (Beanie Sigel)フィラデルフィア|1994〜太い声と荒削りなストリート描写でRoc-A-Fellaの顔となり、フィラデルフィアのクルーState Propertyを率いた。デビュー作『The Truth』(2000)は初登場全米5位、続く『The Reason』(2001)も5位だった。
代表作『The Truth』(2000)、『The Reason』(2001)、『The B. Coming』(2005)
2002年3月、ドイツ・ケルンで | 📷 User:Mika-photography / CC BY-SA 3.0
フリーウェイ(2008年7月、デラウェア州ウィルミントンでのライブ)
フリーウェイ (Freeway)フィラデルフィア|1999〜State Propertyの一員としてRoc-A-Fella入りし、「What We Do」(2002、Jay-Z・Beanie Sigel参加)などで知られる。2015年に腎不全と診断され、2019年2月に腎臓移植を受けた。現在は腎臓病啓発の大使も務める。
代表作『Philadelphia Freeway』(2003)、『Free at Last』(2007)
2008年7月、デラウェア州ウィルミントンでのライブ | 📷 Saquan Stimpson from Newark, DE, USA / CC BY 2.0
メンフィス・ブリーク(1998年、ニューヨークで撮影)
メンフィス・ブリーク (Memphis Bleek)ブルックリン|1996〜Jay-Zと同じマーシー団地で育ち、Roc-A-Fella初期を支えたラッパー。『Coming of Age』(1999)でデビューし、Jay-Z作品にも頻繁に参加した。2009年にレーベルを離れた。
代表作『Coming of Age』(1999)、『The Understanding』(2000)、『M.A.D.E.』(2003)
1998年、ニューヨークで撮影 | 📷 Mikamote / CC BY-SA 3.0
ステイト・プロパティのビーニー・シーゲル(2002年3月、ドイツ・ケルンにて)
ステイト・プロパティ (State Property)フィラデルフィア|2000〜ビーニー・シーゲルが率いたフィラデルフィアのクルーで、Freeway、Peedi Crakk、Young Gunzらが参加した。同名映画のサントラ(2002)は全米14位、全米R&Bヒップホップ・アルバム1位。
代表作『State Property』(2002)、『The Chain Gang Vol. 2』(2003)、「Roc the Mic」(2002)
2002年3月、ドイツ・ケルンにて | 📷 User:Mika-photography / CC BY-SA 3.0
ジョー・バドゥン(2010年3月のライブ)
ジョー・バドゥン (Joe Budden)ハーレム→ジャージーシティ|1999〜「Pump It Up」(2003)が全米38位となり、グラミー賞にノミネートされた。のちスーパーグループSlaughterhouseに参加し、2015年開始のポッドキャスト『The Joe Budden Podcast』でも影響力を持つ。
代表作『Joe Budden』(2003)、「Pump It Up」(2003)
2010年3月のライブ | 📷 InkwellDesignGroup / CC BY 2.0
パプース(2013年12月、パリのGlaz'Artでのライブ)
パプース (Papoose)ブルックリン(ベッドスタイ)|1998〜ミックステープ界の重鎮。DJ Kay Slayに見出され、「Alphabetical Slaughter」で評判を得た。公式デビュー作『The Nacirema Dream』(2013)まで長い年月を要した。
代表作『The Nacirema Dream』(2013)、「Alphabetical Slaughter」
2013年12月、パリのGlaz'Artでのライブ | 📷 Coup d'Oreille / CC BY-SA 2.0
レミー・マー(2005年撮影)
レミー・マー (Remy Ma)ブロンクス|2000〜Big Punに見出され、Terror Squadの「Lean Back」(2004)で全米1位。Fat Joeとの「All the Way Up」(2016)は全米27位でグラミー賞にノミネート。2017年にはニッキー・ミナージュへのディス曲を発表した。
代表作『There's Something About Remy』(2006)、「Lean Back」(2004)、「All the Way Up」(2016)
2005年撮影 | 📷 Timothy M. Moore at https://www.flic… / CC BY-SA 3.0
トリック・ダディ(2015年撮影)
トリック・ダディ (Trick Daddy)マイアミ|1996〜Slip-N-Slide Recordsを代表するマイアミのラッパー。トリーナとの「Nann」(1998)で注目され、「I'm a Thug」(2001)、「Let's Go」(2004、全米7位)とヒットを重ねた。
代表作『Book of Thugs』(2000)、『Thugs Are Us』(2001)、「Let's Go」(2004)
2015年撮影 | 📷 Kwan Wallace (KJW Photography) / CC BY 2.0
ブージー・バッダス(リル・ブージー名義、2014年7月のライブ)
ブージー・バッダス (Boosie Badazz / リル・ブージー)バトンルージュ|1990年代末〜ルイジアナ州バトンルージュを代表するラッパー。Webbieとの「Wipe Me Down」(2007、全米38位)で知られ、『Superbad』(2009)は全米7位。2014年にLil Boosieから改名した。
代表作『Bad Azz』(2006)、『Superbad: The Return of Boosie Bad Azz』(2009)、「Wipe Me Down」(2007)
リル・ブージー名義、2014年7月のライブ | 📷 TrillEntCMG / CC BY-SA 3.0
フロー・ライダー(2026年7月、The Great American State Fairでのライブ)
フロー・ライダー (Flo Rida)マイアミ(キャロルシティ)|2000〜T-Painを迎えた「Low」(2007年発売、2008年に全米1位10週)でデビュー。「Right Round」(2009)は発売週のデジタル売上63.6万を記録するなど、ダンスフロア向けのヒットを連発した。
代表作『Mail on Sunday』(2008)、「Low」(2007)、「Right Round」(2009)
2026年7月、The Great American State Fairでのライブ | 📷 Gage Skidmore / CC BY-SA 4.0
エイコン(2019年5月、Collision Conferenceのバックステージにて)
エイコン (Akon)セントルイス生まれ、セネガル育ち|1996〜セネガルで幼少期を過ごした後、ニュージャージーでキャリアを築いた。「Locked Up」(2004、全米8位)で登場し、エミネムを迎えた「Smack That」(2006、全米2位)でヒップホップとR&Bの垣根を溶かした。
代表作『Trouble』(2004)、『Konvicted』(2006)、「Smack That」(2006)
2019年5月、Collision Conferenceのバックステージにて | 📷 Collision Conf / CC BY 2.0
ピットブル(2012年、プラネット・ピット・ツアー・シドニー公演)
ピットブル (Pitbull)マイアミ|1998〜キューバ移民の子として育ったマイアミのラッパー。スペイン語と英語を行き来する「I Know You Want Me (Calle Ocho)」(2009、全米2位)でブレイクし、「Give Me Everything」(2011)で全米1位に。
代表作『M.I.A.M.I.』(2004)、『Dale』(2015)、「I Know You Want Me (Calle Ocho)」(2009)
2012年、プラネット・ピット・ツアー・シドニー公演 | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
テック・ナイン(2006年11月、ミズーリ州インディペンデンスでのアルバム発売サイン会にて)
テック・ナイン (Tech N9ne)カンザスシティ|1991〜超高速の「チョッパー」ラップで知られるインディペンデントの雄。1999年にTravis O'Guinと自主レーベルStrange Musicを設立し、『All 6's and 7's』(2011)は全米4位、R&B/ヒップホップ・アルバムとインディペンデント・アルバムの両チャートで1位を記録した。
代表作『Anghellic』(2001)、『Everready (The Religion)』(2006)、『All 6's and 7's』(2011)
2006年11月、ミズーリ州インディペンデンスでのアルバム発売サイン会にて | 📷 Mizery Made / CC BY-SA 3.0
ナッピー・ルーツのライブ(2005年撮影)
ナッピー・ルーツ (Nappy Roots)ボウリンググリーン(ケンタッキー)|1995〜ウェスタン・ケンタッキー大学で出会ったグループ。南部の田舎の風景を前面に出し、『Watermelon, Chicken & Gritz』(2002)はプラチナ認定。「Po' Folks」は全米21位でグラミー賞にもノミネートされた。
代表作『Watermelon, Chicken & Gritz』(2002)、「Po' Folks」(2002)
2005年撮影 | 📷 Simon Law (sfllaw) / CC BY-SA 2.0
ソウルジャ・ボーイシカゴ→アトランタ|2007〜「Crank That (Soulja Boy)」(2007)が全米1位。YouTubeとMySpaceから生まれた、ネット世代の最初のスターのひとり。
代表作「Crank That (Soulja Boy)」(2007)
リック・ロスマイアミ|2006〜重厚なダミ声と豪華なトラック。「Hustlin'」(2006)でデビュー、のちに「ボス」像を築いた。
代表作『Port of Miami』(2006)、「B.M.F.」(2010)
マイク・ジョーンズヒューストン|2004〜「Still Tippin'」(2004)の大ヒット。名乗りのフレーズ「Who?」で全国区に。
代表作「Still Tippin'」(2004)
サイゴン (Saigon)ブルックリン→スプリングバレー|2000〜Just Blazeらのビートに乗る骨太なラップで評価されたMC。Atlanticとの契約はうまくいかず、デビュー作『The Greatest Story Never Told』(2011)まで長い道のりだった。HBOドラマ『Entourage』にも出演した。
代表作『The Greatest Story Never Told』(2011)
ウェビー (Webbie)バトンルージュ|2003〜Boosieの盟友でTrill所属。共作『Ghetto Stories』(2003)で知られ、ソロ『Savage Life』(2005)の後、Lil Boosie参加の「Independent」(2007)が全米9位の最大のヒットに。
代表作『Savage Life』(2005)、『Savage Life 2』(2008)、「Independent」(2007)
プライズ (Plies)フォートマイヤーズ|2003〜フロリダ州フォートマイヤーズ出身。T-Painを迎えた「Shawty」(2007、全米9位)と『The Real Testament』(2007、全米2位)でブレイクし、「Bust It Baby Pt. 2」(2008、全米7位)でさらに知名度を上げた。
代表作『The Real Testament』(2007)、「Shawty」(2007)、「Bust It Baby Pt. 2」(2008)
PLAY | 2000s43
STREAMING & TRAP | トラップの時代
2010s

ストリーミングが門を開け、ヒップホップは米国で一番聴かれる音楽になった

ドレイク、ケンドリック、ミーゴス、フューチャー、トラヴィス・スコット、リル・ウージー・ヴァート。聴き方が変わると、音と言葉も変わった。

ケンドリック・ラマー(2016年7月、スペインの音楽フェスF.I.B.でのライブ)
ケンドリック・ラマー
ドレイク(2010年9月、ライブでのパフォーマンス)
ドレイク
トラヴィス・スコット(2016年2月、ライブ)
トラヴィス・スコット
2017米国でヒップホップ/R&Bが最も聴かれるジャンルに(ニールセン調べ)
2018ケンドリック・ラマー『DAMN.』がピューリッツァー賞音楽部門を受賞
19週Lil Nas X「Old Town Road」の全米1位の連続週数(2019年)

2010年代の最大の変化は、音楽の「聴き方」だった。Spotify、Apple Music、YouTube、SoundCloud。CDを買う代わりに、誰もが月額で何億曲にもアクセスできるようになると、アルバム全体を通して聴かせるより、1曲目のイントロで引っ張る強さや、再生リストに入れたくなるムードが大事になった。2017年、米国のニールセン調べで、ヒップホップ/R&Bはロックを抜いて最も聴かれるジャンルになる。街角の遊びから始まった文化が、世界のメインストリームになった瞬間だ。

ドレイクとケンドリック——二人の頂点

トロント出身のドレイクは、元子役という異色の経歴で、2009年のミックステープ『So Far Gone』から頭角を現す。ラップと歌のあいだを自然に行き来し、弱さや不安をさらけ出すスタイルは、カニエが開いた扉を一気に大衆化させた。『Take Care』(2011)、「Started from the Bottom」(2013)、「Hotline Bling」(2015)、「One Dance」(2016)。ストリーミングの時代に最も多く再生されるアーティストの一人として、チャートの常連であり続けた。

対照的に、コンプトンのケンドリック・ラマーは、一枚のアルバムを一本の映画のように作るラッパーだった。『good kid, m.A.A.d city』(2012)で自分の少年時代を描き、『To Pimp a Butterfly』(2015)ではジャズやファンク、スポークンワードを総動員して黒人の歴史と自己嫌悪に向き合った。収録曲「Alright」は、警察の暴力に抗議する運動の中で人々が口ずさむ讃歌になる。そして『DAMN.』(2017)は、翌年、クラシックでもジャズでもない作品として初めてピューリッツァー賞の音楽部門に選ばれた。ラップが、アメリカで最も権威ある文化賞のひとつに届いた。

ほかにも、独立したまま無料配布のミックステープで世界を揺らし、2016年の『Coloring Book』でストリーミング限定の作品として初めてグラミー賞(最優秀ラップ・アルバム)を獲得したチャンス・ザ・ラッパー。そして、女性ラッパーとして「Bodak Yellow」(2017)でソロ曲の全米1位を獲得し、ローリン・ヒル以来となる快挙を成し遂げたカーディ・B。この10年で、スターになる道筋は何通りにも広がった。

トラップが世界を覆う

2000年代にアトランタで育ったトラップが、この10年で世界の標準になる。きっかけの一つが、プロデューサーのレックス・ルガーだ。ワカ・フロッカ・フレイムの「Hard in da Paint」や、リック・ロスの「B.M.F.」で彼が鳴らした、オーケストラのような派手なシンセと爆撃のような808は、「トラップのサウンド」を一気に分かりやすく定義した。

そして2013年、アトランタ郊外の3人組ミーゴスの「Versace」がドレイクのリミックスで広がる。メロディのように聞こえる三連符のフロウ(通称「ミーゴス・フロウ」)、合いの手のようなアドリブ、跳ねるハイハット。2017年には「Bad and Boujee」が全米シングル1位に、アルバム『Culture』も全米1位に輝いた。彼らの成功は、ラップの技術の物差しを、「韻の巧みさ」から「ノリと中毒性」へと広げた。(メンバーのTakeoffは2022年に亡くなった。)

フューチャーは『DS2』(2015)の頃から、オートチューンで歪ませた声に、孤独と薬物依存を重ねて歌い、トラップの感情の幅を押し広げた。「Mask Off」(2017)のフルートのループは、現代のヒップホップを象徴する旋律になった。ヤング・サグは、自由自在に声の高さを動かし、言葉の意味より声の質感でフックを作る新しいやり方を見せた。トラヴィス・スコットの『Astroworld』(2018)は、一曲のなかで何度もビートが切り替わる遊園地のような構成で、アルバム全体をエンターテインメントに変えた。「Sicko Mode」(2018)は、その到達点の一つだ。

ジャンルの境界はどんどん消えていく。リル・ウージー・ヴァートはロックやエモの感覚をトラップに持ち込み(「XO Tour Llif3」2017)、ポスト・マローンは歌とラップとロックを一人で往復し、リル・ナズ・Xの「Old Town Road」(2019)はカントリーとトラップを混ぜて、全米1位に19週連続でとどまった(当時の最長記録)。バトンルージュのNBA ヤングボーイは、驚くほどの多作ぶりと、感情を剥き出しにしたメロディアスなストリート・ラップで、熱狂的な支持を集めた。

この10年は、早すぎる死も多かった。XXXテンタシオン(2018年、20歳)、マック・ミラー(2018年、26歳)、ジュース・ワールド(2019年、21歳)。SoundCloudから突然スターになった若い才能が、重圧や依存と向き合う場所は、まだ整っていなかった。

「何を言っているのか分からない」——その批判は、かつて大人たちがラップそのものに向けた言葉と、同じ形をしている。

「マンブル・ラップ」論争の読み方

トラップが主流になると、「歌詞が聞き取れない」「ただのノリだけ」という批判が先輩世代から起こった。ナズの『Illmatic』世代からすれば無理もない。ただ、トラップは歌詞の巧さ「だけ」で成り立つ音楽ではない。声のトーン、アドリブ、メロディ、ビートとの一体感——声そのものを楽器として使う文化だと考えれば、見え方は変わる。ここでも「何もないところから、あるものだけで作る」の精神は、ちゃんと生きている。

一方、シカゴではチーフ・キーフの「I Don't Like」(2012)が暗く攻撃的な「ドリル」を世界に知らしめ、のちにロンドンやブルックリンへ広がった。ブームバップの伝統も途切れていない。ニューヨークのジョーイ・バッドアスや、バッファローのグリゼルダ一派は、90年代のざらついた音をそのまま現代に持ち込んだ。

SoundCloudとバイラル、新人の登竜門

2010年代の新人は、レーベルの審査より先に、SoundCloudの再生数で選ばれた。2007年に始まったこのサービスは、寝室で録った曲を誰でも公開できる場となり、2015年前後から「SoundCloudラップ」と呼ばれる勢いのあるシーンを育てた。雑誌『XXL』が毎年選ぶ新人特集「Freshman Class」(2007年〜)は、その年の顔ぶれを知る一種の通信簿だった。

ダンスと動画も曲を押し上げた。2019年のリル・ナズ・Xは、TikTokでの拡散が火種になって世界的ヒットになった。曲の冒頭15秒が使われるかどうかが、制作の段階から意識されるようになる。「アルバムの一曲目から聴いてもらう」より「最初の数秒で止められない」ことが価値になった——それが2010年代のトラップを速く、短く、中毒的にした背景のひとつだ。

ARTISTS | 2010s86
ドレイク(2010年9月、ライブでのパフォーマンス)
ドレイクトロント|2006〜元子役。ラップと歌のあいだを自在に行き来し、ストリーミング時代の最多再生級のアーティストになった。
代表作『Take Care』(2011)、「One Dance」(2016)
2010年9月、ライブでのパフォーマンス | 📷 musicisentropy / CC BY-SA 2.0
ケンドリック・ラマー(2016年7月、スペインの音楽フェスF.I.B.でのライブ)
ケンドリック・ラマーコンプトン|2009〜アルバムを映画のように作るラッパー。2018年に『DAMN.』でピューリッツァー賞を受賞し、2025年には「Not Like Us」でグラミー賞の年間最優秀レコードなどを受けた。
代表作『good kid, m.A.A.d city』(2012)、『To Pimp a Butterfly』(2015)
2016年7月、スペインの音楽フェスF.I.B.でのライブ | 📷 Batiste Safont / CC BY-SA 4.0
J・コール(2010年3月、SXSWにて)
J・コールフェイエットヴィル|2009〜Dreamville Recordsの主宰。『2014 Forest Hills Drive』(2014)はゲストなしでプラチナを記録した。
代表作『2014 Forest Hills Drive』(2014)
2010年3月、SXSWにて | 📷 H D / CC BY 2.0
ニッキー・ミナージュ(2012年、ロンドン公演)
ニッキー・ミナージュクイーンズ/トリニダード生まれ|2007〜複数の声色を使い分けるラップで、女性ラッパーの商業的な頂点に立った。
代表作『Pink Friday』(2010)、「Super Bass」(2011)
2012年、ロンドン公演 | 📷 Rory from Glasgow, United Kingdom / CC BY 2.0
ビッグ・ショーン(2015年4月撮影)
ビッグ・ショーンデトロイト|2007〜G.O.O.D. Music所属。リズム感のあるフロウで「Mercy」(2012)などがヒットした。
代表作『Dark Sky Paradise』(2015)
2015年4月撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
ミーク・ミル(2015年9月、フィラデルフィアのMade in Americaにて)
ミーク・ミルフィラデルフィア|2008〜『Dreams and Nightmares』(2012)の冒頭イントロが象徴的。刑事司法改革団体REFORM Allianceの共同創設者でもある。
代表作『Dreams and Nightmares』(2012)
2015年9月、フィラデルフィアのMade in Americaにて | 📷 Chris Sikich from Philadelphia, USA / CC BY-SA 2.0
A$AP・ロッキー(2025年5月、カンヌ国際映画祭)
A$AP・ロッキーハーレム|2011〜A$AP Mobを率いる。ニューヨークと南部の音を混ぜ、ファッションとの距離の近さでも知られる。
代表作『Long.Live.A$AP』(2013)
2025年5月、カンヌ国際映画祭 | 📷 Gabriel Hutchinson / CC BY-SA 4.0
タイラー・ザ・クリエイター(2025年7月、トロント公演)
タイラー・ザ・クリエイターロサンゼルス|2007〜Odd Futureの中心。ビートも映像もデザインも自分で作り、『Igor』(2019)と『Call Me If You Get Lost』(2021)でグラミー賞の最優秀ラップ・アルバムを受賞した。
代表作『Igor』(2019)、『Call Me If You Get Lost』(2021)
2025年7月、トロント公演 | 📷 Lygonstreet / CC BY-SA 4.0
アール・スウェットシャツ(2026年1月、コペンハーゲンのAmager Bioにて)
アール・スウェットシャツロサンゼルス|2010〜Odd Futureの一員。内省的で入り組んだ言葉選びの『Some Rap Songs』(2018)で評価が高い。
代表作『Some Rap Songs』(2018)
2026年1月、コペンハーゲンのAmager Bioにて | 📷 414.Elis / CC BY 4.0
チャイルディッシュ・ガンビーノ(2014年3月、SXSWにて)
チャイルディッシュ・ガンビーノジョージア→ロサンゼルス|2011〜俳優ドナルド・グローヴァーの音楽名義。「This Is America」(2018)が、ラップ作品として初めてグラミー賞の年間最優秀レコードに選ばれた。
代表作「This Is America」(2018)
2014年3月、SXSWにて | 📷 Daniel Benavides / CC BY 2.0
ジョーイ・バッドアス(2017年9月撮影)
ジョーイ・バッドアスブルックリン|2012〜『1999』(2012)で、10代にして90年代ブームバップの質感を現代に蘇らせた。
代表作『1999』(2012)
2017年9月撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.5
キラー・マイク(2014年、Run the Jewelsとして米アイダホ州ボイジーのTreefort Music Festivalにて)
ラン・ザ・ジュエルズ (キラー・マイク&エル・P)アトランタ/ブルックリン|2013〜Killer MikeとEl-P。政治意識の高いハードな語りで人気を集めた。
代表作『Run the Jewels 2』(2014)
2014年、Run the Jewelsとして米アイダホ州ボイジーのTreefort Music Festivalにて | 📷 Treefort Music Fest / CC BY 2.0
ダニー・ブラウン(2017年、米オレゴン州ポートランドのProject Pabstにて)
ダニー・ブラウンデトロイト|2010〜甲高い声と実験的なビート。『Atrocity Exhibition』(2016)で独自の世界を確立した。
代表作『XXX』(2011)
2017年、米オレゴン州ポートランドのProject Pabstにて | 📷 Julio Enriquez from Denver,CO, USA / CC BY 2.0
チャンス・ザ・ラッパー(2017年5月、コロラド州レッドロックス野外劇場)
チャンス・ザ・ラッパーシカゴ|2011〜レーベルに属さず、無料配布のミックステープで世界的なスターに。『Coloring Book』(2016)で、ストリーミング限定作品として初のグラミー賞(最優秀ラップ・アルバム)を受賞した。
代表作『Acid Rap』(2013)、『Coloring Book』(2016)
2017年5月、コロラド州レッドロックス野外劇場 | 📷 Julio Enriquez / CC BY 2.0
スクールボーイ・Q(2012年8月撮影)
TDE (スクールボーイQ / アブ・ソウル / ジェイ・ロック)ロサンゼルス|2010年代〜Kendrick Lamarの所属するTop Dawg Entertainmentの仲間たち。ScHoolboy Q『Oxymoron』(2014)など。
代表作『Oxymoron』(2014)
2012年8月撮影 | 📷 DJ Teck / CC BY 2.0
ヴィンス・ステイプルズ(2015年6月、NXNEにて)
ヴィンス・ステイプルズロングビーチ|2011〜ギャング暮らしを冷めた視線で描く。『Summertime '06』(2015)で評価を得た。
代表作『Summertime '06』(2015)
2015年6月、NXNEにて | 📷 Tse Daniel for The Come Up Show / CC BY 2.0
マック・ミラー(2017年、ドイツのsplash! Festivalにて)
マック・ミラーピッツバーグ|2007〜2018『Blue Slide Park』(2011)は独立流通のデビュー作として全米1位。2018年9月、26歳で亡くなった。
代表作『Swimming』(2018)
2017年、ドイツのsplash! Festivalにて | 📷 Nicolas Völcker / CC BY-SA 4.0
ミーゴス(クエイヴォ、テイクオフ、オフセットの3人/2017年8月、トロントのVeld Music Festival)
ミーゴスローレンスヴィル(アトランタ郊外)|2008〜Quavo、Offset、Takeoff。三連符のフロウとアドリブでトラップの型を作った。Takeoffは2022年に28歳で亡くなった。
代表作『Culture』(2017)、「Bad and Boujee」
クエイヴォ、テイクオフ、オフセットの3人/2017年8月、トロントのVeld Music Festival | 📷 The Come Up Show (Charito Yap) / CC BY 2.0
クエイヴォ(2018年、音楽フェスPalmesusでのライブ)
クエイヴォローレンスヴィル|2008〜ミーゴスの顔。歌うようなフックと抜群の人懐っこさで、多数のコラボ曲を生んだ。
代表作「Bad and Boujee」、『Quavo Huncho』(2018)
2018年、音楽フェスPalmesusでのライブ | 📷 Jørund Føreland Pedersen / CC BY-SA 4.0
オフセット(2024年、Clout Festivalでのライブ)
オフセットローレンスヴィル|2008〜ミーゴスの一員。切れ味のあるフロウでヴァースを締める職人肌。
代表作『Father of 4』(2019)
2024年、Clout Festivalでのライブ | 📷 Wojciech Pędzich / CC BY 4.0
テイクオフ(2017年、ミーゴスのライブ)
テイクオフローレンスヴィル|2008〜2022ミーゴス最年少のメンバー。控えめな佇まいと切れ味のあるヴァースで評価された。2022年11月1日、28歳で亡くなった。
代表作『The Last Rocket』(2018)
2017年、ミーゴスのライブ | 📷 The Come Up Show (Charito Yap) / CC BY 2.0
フューチャー(2016年、サマー・シックスティーン・ツアー)
フューチャーアトランタ|2010〜オートチューンで歪んだ声に孤独と享楽を重ねる。2024年にはMetro Boominとの『We Don't Trust You』が全米1位に。
代表作『DS2』(2015)、「Mask Off」(2017)
2016年、サマー・シックスティーン・ツアー | 📷 The Come Up Show / CC BY 4.0
ヤング・サグ(2019年7月、スイスのOpenair Frauenfeldでのライブ)
ヤング・サグアトランタ|2011〜声の高さを自在に動かす実験的なフロウで、後続のラッパーに大きな影響を与えた。YSLを創設した。
代表作『Barter 6』(2015)、「Best Friend」
2019年7月、スイスのOpenair Frauenfeldでのライブ | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
トラヴィス・スコット(2016年2月、ライブ)
トラヴィス・スコットヒューストン|2013〜Cactus Jackを主宰。一曲の中でビートが切り替わる遊園地のような構成で、『Astroworld』(2018)と『Utopia』(2023)が全米1位になった。
代表作『Astroworld』(2018)、「Sicko Mode」
2016年2月、ライブ | 📷 Brandon Dull / CC BY 2.0
リル・ウージー・ヴァート(2017年8月、Day N Night Festival)
リル・ウージー・ヴァートフィラデルフィア|2014〜ロックやエモの感覚をトラップに持ち込んだ。『Luv Is Rage 2』(2017)、『Eternal Atake』(2020)が人気に。
代表作『Luv Is Rage 2』(2017)、「XO Tour Llif3」
2017年8月、Day N Night Festival | 📷 Frank Morales / CC BY-SA 4.0
プレイボーイ・カーティ(2016年11月、ライブ)
プレイボーイ・カーティアトランタ|2015〜叫びや「ベイビー・ボイス」を含む実験的な表現で、のちに「レイジ」と呼ばれる潮流の起点になった。
代表作『Die Lit』(2018)、『Whole Lotta Red』(2020)
2016年11月、ライブ | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
リル・ヨッティ(2016年8月撮影)
リル・ヨッティアトランタ|2015〜ゆるくカラフルな「バブルガム・トラップ」で注目され、のち『Let's Start Here』(2023)でサイケ・ロックへ大胆に転換した。
代表作「Minnesota」(2016)
2016年8月撮影 | 📷 Anton Mak / CC BY 2.0
21サヴェージ(2018年6月、テキサス州オースティンの野外劇場)
21サヴェージアトランタ|2015〜Metro Boominと作った『Savage Mode』(2016)。冷たく淡々とした語りで知られ、「a lot」(2018)でグラミー賞(最優秀ラップ・ソング)を受賞。
代表作『Savage Mode』(2016)、「a lot」
2018年6月、テキサス州オースティンの野外劇場 | 📷 Ralph Arvesen / CC BY 2.0
ジュース・ワールド(2019年5月、プリークネス・ステークス併催のInField Fest)
ジュース・ワールドシカゴ|2015〜2019エモとトラップを融合した「Lucid Dreams」(2018)で世界的に支持された。2019年12月8日、21歳で亡くなった。
代表作『Goodbye & Good Riddance』(2018)
2019年5月、プリークネス・ステークス併催のInField Fest | 📷 Andy Jones / CC BY-SA 2.0
ポスト・マローン(2020年2月、シカゴ公演)
ポスト・マローンシラキュース→ダラス|2015〜「White Iverson」(2015)から始まり、ロック、R&B、カントリーを横断するスーパースターに。
代表作『Beerbongs & Bentleys』(2018)、「rockstar」
2020年2月、シカゴ公演 | 📷 Adam Bielawski / CC BY-SA 4.0
カーディ・B(2026年7月、Essence Festival of Culture)
カーディ・Bブロンクス|2015〜「Bodak Yellow」(2017)で、ローリン・ヒル以来の女性ソロ・ラッパーとしての全米1位。『Invasion of Privacy』(2018)でグラミー賞(最優秀ラップ・アルバム)を受賞した。
代表作『Invasion of Privacy』(2018)
2026年7月、Essence Festival of Culture | 📷 Runawaymo / CC BY-SA 4.0
リル・ナズ・X(2019年8月、MTVビデオ・ミュージック・アワードの舞台裏)
リル・ナズ・Xアトランタ|2018〜「Old Town Road」(2019)がカントリー×トラップで全米1位に19週連続。ジャンルの境界を壊した象徴。
代表作「Old Town Road」(2019)
2019年8月、MTVビデオ・ミュージック・アワードの舞台裏 | 📷 Fabebk / CC BY-SA 4.0
NBAヤングボーイ(2023年、インタビュー動画より)
NBAヤングボーイバトンルージュ|2015〜驚異的な多作ぶりと、感情をむき出しにしたメロディアスなストリート・ラップで熱狂的な支持を得た。
代表作『Top』(2020)、「Outside Today」
2023年、インタビュー動画より | 📷 Million Dollaz Worth of Game / CC BY 3.0
コダック・ブラック(2018年10月撮影)
コダック・ブラックポンパノ・ビーチ(フロリダ)|2014〜独特のくぐもった声とゆったりしたフロウ。「Tunnel Vision」(2017)がヒット。
代表作「Tunnel Vision」(2017)
2018年10月撮影 | 📷 Chrisallmeid / CC BY-SA 4.0
ダベイビー(2023年6月、アトランタのBirthday Bashにて)
ダベイビーシャーロット|2015〜「Suge」(2019)でブレイクし、Roddy Ricchとの「Rockstar」(2020)で全米1位に。勢いのあるフロウが持ち味。
代表作「Rockstar」(2020)
2023年6月、アトランタのBirthday Bashにて | 📷 HOTSPOTATL / CC BY 3.0
チーフ・キーフ(2019年のライブ)
チーフ・キーフシカゴ|2011〜「I Don't Like」(2012)で暗く攻撃的な「ドリル」を世界に知らしめた。後のUKドリルやブルックリン・ドリルの出発点。
代表作「I Don't Like」(2012)
2019年のライブ | 📷 glenjamn3 / CC BY 3.0
ザイトーヴェン(2025年3月、SXSWのトークセッション)
ザイトーヴェンアトランタ|2000年代〜ピアノのループでGucci Mane、Migos、Future、Young Thugらのトラップを支えた名プロデューサー。
代表作「Versace」(Migos)
2025年3月、SXSWのトークセッション | 📷 Vbrunophotog / CC BY-SA 4.0
マスタード(2019年3月、iHeartRadio Music Awardsにて)
マスタードロサンゼルス|2010年代〜ミニマルで跳ねるLAクラブ・サウンドの旗手。「Not Like Us」(2024)も彼のプロデュース。
代表作「Rack City」(Tyga)、「Not Like Us」
2019年3月、iHeartRadio Music Awardsにて | 📷 Toglenn / CC BY-SA 4.0
レイ・スレマード(スリム・ジミー&スウェイ・リー、2015年撮影)
レイ・スレマードミシシッピ|2013〜兄弟デュオ。「No Flex Zone」(2014)、「Black Beatles」(2016、全米1位)で軽快なトラップ・ポップを響かせた。
代表作「Black Beatles」(2016)
スリム・ジミー&スウェイ・リー、2015年撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
フェティ・ワップ(2019年)
フェティ・ワップニュージャージー|2014〜「Trap Queen」(2014)が世界的ヒット。片目の義眼が目印の、歌うようなトラップ。
代表作「Trap Queen」(2014)
2019年 | 📷 Bs.Ballout / CC BY 3.0
ストームジー(2022年3月、ロンドンのThe O2にて)
ストームジーロンドン|2014〜UKグライムの顔。『Gang Signs & Prayer』(2017)は、グライムとして初の全英アルバム1位に。2019年にはグラストンベリーのヘッドライナーも務めた。
代表作『Gang Signs & Prayer』(2017)
2022年3月、ロンドンのThe O2にて | 📷 Raph_PH / CC BY 2.0
DJキャレド(2012年4月、Gig-Itのローンチイベントにて)
DJキャレド (DJ Khaled)ニューオーリンズ生まれ、マイアミ育ち|1998〜マイアミのラジオDJとして出発し、大物ラッパーを集める「アンセム」型の制作で台頭した。「I'm the One」(2017)で初の全米1位。「Higher」(ニプシー・ハッスル、ジョン・レジェンド参加)で2020年に初のグラミー賞。
代表作『Major Key』(2016)、「All I Do Is Win」(2010)、「I'm the One」(2017)
2012年4月、Gig-Itのローンチイベントにて | 📷 Meghan Roberts / CC BY 2.0
ウィズ・カリファ(2023年、フロリダ州ウェストパームビーチでのライブ)
ウィズ・カリファ (Wiz Khalifa)ピッツバーグ|2005〜ノースダコタ州生まれ、ピッツバーグ育ち。ミックステープ『Kush & Orange Juice』(2010)で注目され、地元スティーラーズの色を歌った「Black and Yellow」が全米1位。「See You Again」(2015)も全米1位に。
代表作『Rolling Papers』(2011)、「Black and Yellow」(2010)、「See You Again」(2015)
2023年、フロリダ州ウェストパームビーチでのライブ | 📷 Rickmunroe01 / CC BY-SA 4.0
B.o.B(2013年8月、トロントでのUnder the Influence Tourにて)
B.o.Bアトランタ(デケイター)|2006〜ノースカロライナ生まれ、ジョージア州デケイター育ち。ブルーノ・マーズ参加の「Nothin' on You」が全米1位、「Airplanes」(2010)が2位。デビュー作『The Adventures of Bobby Ray』(2010)は全米1位。
代表作『The Adventures of Bobby Ray』(2010)、「Nothin' on You」(2010)、「Airplanes」(2010)
2013年8月、トロントでのUnder the Influence Tourにて | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
ビッグ・K.R.I.T.(2015年12月、ジョージア州メイコンでのKritically Acclaimed Tourにて)
ビッグ・K.R.I.T. (Big K.R.I.T.)メリディアン(ミシシッピ)|2005〜自らビートも作るミシシッピのラッパー。ミックステープ『K.R.I.T. Wuz Here』(2010)で注目され、Def Jamからのメジャー・デビュー作『Live from the Underground』(2012)は全米5位。
代表作『Return of 4Eva』(2011)、『Live from the Underground』(2012)、『Cadillactica』(2014)
2015年12月、ジョージア州メイコンでのKritically Acclaimed Tourにて | 📷 Usfjrain / CC BY-SA 4.0
カレンシー(2010年、The Come Up Showにて)
カレンシー (Curren$y)ニューオーリンズ|2002〜No LimitやCash Moneyを経て独立し、Ski Beatzと組んだ『Pilot Talk』(2010)で評価を確立。2011年にJet Lifeを立ち上げた。2016年だけで12本のミックステープを出す多作ぶりでも知られる。
代表作『Pilot Talk』(2010)、『Covert Coup』(2011)、『The Stoned Immaculate』(2012)
2010年、The Come Up Showにて | 📷 thecomeupshow / CC BY 2.0
YG(2015年、ロサンゼルスでのイベントにて)
YGコンプトン|2008〜DJ Mustardのビートで登場したコンプトンのラッパー。デビュー作『My Krazy Life』(2014)は全米2位。2016年の「FDT」(ニプシー・ハッスル参加)はドナルド・トランプへの抗議曲として話題になった。
代表作『My Krazy Life』(2014)、『Still Brazy』(2016)、「FDT」(2016)
2015年、ロサンゼルスでのイベントにて | 📷 Connie Lodge / CC BY-SA 2.0
ニプシー・ハッスル(2009年3月、シカゴのHouse of Bluesにて)
ニプシー・ハッスル (Nipsey Hussle)ロサンゼルス(クレンショー)|2005〜独立を貫いたLAのラッパー。『Crenshaw』(2013)を1枚100ドルで1,000枚限定販売し、Jay-Zが100枚を購入。『Victory Lap』(2018)は全米4位。2019年3月31日に33歳で銃撃され死去。翌年グラミー賞を2部門受賞。
代表作『Victory Lap』(2018)、『Crenshaw』(2013)、『The Marathon』(2010)
2009年3月、シカゴのHouse of Bluesにて | 📷 Adam Bielawski / CC BY-SA 3.0
リル・B(2011年2月撮影)
リル・B (Lil B)バークレー|2004〜The Packの「Vans」(2006)で注目され、のちソロで「Based」を掲げた。2010年までに1,500曲超を録音するなど、大量の音源をネットで配信し、クラウド・ラップの先駆者とされる。
代表作「Vans」(2006)、『I'm Gay (I'm Happy)』(2011)
2011年2月撮影 | 📷 https://www.flickr.com/photos/genera… / CC BY 2.0
マシン・ガン・ケリー(2018年7月、ミルウォーキーのSummerfestにて)
マシン・ガン・ケリー (Machine Gun Kelly)クリーブランド|2007〜ヒューストン生まれ、クリーブランド育ち。2011年にショーン・コムズ主宰のBad Boyと契約し、『Lace Up』(2012)は全米4位。2020年のポップ・パンク作『Tickets to My Downfall』は全米1位となった。
代表作『Lace Up』(2012)、『Tickets to My Downfall』(2020)、「Bad Things」(2016)
2018年7月、ミルウォーキーのSummerfestにて | 📷 Paulien Zomer / CC BY-SA 4.0
ホプシン(2013年、トロントでのライブ)
ホプシン (Hopsin)ロサンゼルス(パノラマシティ)|2003〜2009年にDamien Ritterと自主レーベルFunk Volumeを設立。YouTube発の「Ill Mind of Hopsin」シリーズで支持を集め、第5作(2012)が代表曲に。『Pound Syndrome』(2015)は全米17位。
代表作『Knock Madness』(2013)、『Pound Syndrome』(2015)、「Ill Mind of Hopsin 5」(2012)
2013年、トロントでのライブ | 📷 thecomeupshow / CC BY 2.0
ロジック(2018年9月、米デンバーのGrandoozyにて)
ロジック (Logic)ゲイザースバーグ(メリーランド)|2009〜ミックステープ『Young Sinatra』シリーズで支持を集め、Def Jamからの『Everybody』(2017)が全米1位。「1-800-273-8255」(2017)は全米3位で、自殺予防ホットラインの番号を曲名にした。
代表作『The Incredible True Story』(2015)、『Everybody』(2017)、「1-800-273-8255」(2017)
2018年9月、米デンバーのGrandoozyにて | 📷 Julio Enriquez from Denver,CO, USA / CC BY 2.0
ラス(2025年7月、トロントでのInto The W!ld Tourにて)
ラス (Russ)セコーカス(ニュージャージー)→アトランタ|2011〜2011年12月から約3年弱で11作のアルバムと87曲を無料公開するなど、DIYで量産し続けた。Columbia移籍後の『There's Really a Wolf』(2017)は全米7位。2020年に再びインディペンデントへ戻った。
代表作『There's Really a Wolf』(2017)、「Losin Control」
2025年7月、トロントでのInto The W!ld Tourにて | 📷 TorontoPhoto9290 / CC0
マックルモア&ライアン・ルイス(2011年5月、Sasquatch Music Festivalでのライブ)
マックルモア&ライアン・ルイス (Macklemore & Ryan Lewis)シアトル|2009〜メジャーに頼らず『The Heist』(2012)を出し、「Thrift Shop」と「Can't Hold Us」で全米1位。2014年のグラミー賞で最優秀新人賞を含む4部門を受賞した。「Same Love」は同性婚を支持する曲として知られる。
代表作『The Heist』(2012)、「Thrift Shop」(2012)、「Can't Hold Us」(2011)
2011年5月、Sasquatch Music Festivalでのライブ | 📷 Christopher Dube / CC BY-SA 3.0
リル・ディッキー(2015年9月、Bumbershoot Festivalにて)
リル・ディッキー (Lil Dicky)フィラデルフィア近郊(チェルトナム)|2011〜本名デイヴィッド・バード。コメディ寄りの自虐的なラップで、「Ex-Boyfriend」(2013)が話題に。『Professional Rapper』(2015)は全米7位。FXXのコメディ『Dave』(2020〜)の制作・主演も務める。
代表作『Professional Rapper』(2015)、「Freaky Friday」(2018)、「Earth」(2019)
2015年9月、Bumbershoot Festivalにて | 📷 Kayla Johnson / CC BY 2.0
イェラウルフ(2015年、ポイントフェストでのライブ)
イェラウルフ (Yelawolf)アラバマ州ガズデン|2005〜南部ヒップホップにロックやカントリーを混ぜる異色のMC。ミックステープ『Trunk Muzik』(2010)の後、2011年にエミネムのShady Recordsと契約し、『Radioactive』(2011)は全米27位。
代表作『Trunk Muzik』(2010)、『Radioactive』(2011)、『Trial by Fire』(2017)
2015年、ポイントフェストでのライブ | 📷 Abby Gillardi / CC BY 2.0
エース・フッド(2013年10月撮影)
エース・フッド (Ace Hood)ディアフィールドビーチ(フロリダ)|2005〜DJキャレドに見出され、2008年にWe the Best Music Groupの第1号アーティストに。「Hustle Hard」(2011)、フューチャーとリック・ロスを迎えた「Bugatti」(2013、全米33位)が代表曲。
代表作『Gutta』(2008)、『Blood, Sweat & Tears』(2011)、「Bugatti」(2013)
2013年10月撮影 | 📷 Chad Cooper / CC BY 2.0
リッチ・ホーミー・クワン(2014年、Under The Influence Tourでのライブ)
リッチ・ホーミー・クワン (Rich Homie Quan)アトランタ|2011〜2024「Type of Way」(2013)でブレイクしたアトランタのラッパー。Rich Gang名義でヤング・サグと組んだ「Lifestyle」(2014)や、ソロ曲「Flex (Ooh, Ooh, Ooh)」(2015)で歌心あるトラップを広めた。2024年9月5日、34歳で死去。
代表作「Type of Way」(2013)、「Flex (Ooh, Ooh, Ooh)」(2015)、『Rich as in Spirit』(2018)
2014年、Under The Influence Tourでのライブ | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
トリッピー・レッド(2018年2月、テキサス州オースティンのACL Live Moody Theaterにて)
トリッピー・レッドカントン(オハイオ)|2010年代〜エモとトラップを溶かし合わせた歌うようなラップ。『A Love Letter to You』(2017)の「Love Scars」で人気を得て、『A Love Letter to You 4』(2019)で初の全米アルバム1位を獲得した。
代表作『A Love Letter to You 4』(2019)、『Life's a Trip』(2018)、「Love Scars」
2018年2月、テキサス州オースティンのACL Live Moody Theaterにて | 📷 Ralph Arvesen / CC BY 2.0
リル・スカイズ(2019年、デンバーでのライブ)
リル・スカイズウェインズボロ(ペンシルベニア)|2016〜ペンシルベニアの小さな町から出た、メロディ重視のトラップ・ラッパー。「Red Roses」「Nowadays」(いずれも2017)がヒットし、デビュー作『Shelby』(2019)は全米アルバム5位に入った。
代表作『Life of a Dark Rose』(2018)、『Shelby』(2019)、「Nowadays」(2017)
2019年、デンバーでのライブ | 📷 Julio Enriquez from Denver,CO, USA / CC BY 2.0
スモークパープ(2018年5月、トロントのPhoenix Concert Theatreにて)
スモークパープシカゴ生まれ、マイアミ育ち|2010年代〜SoundCloud上でプロデューサーとして始め、のちにラッパーとして注目された。「Audi」(2017)がプラチナ認定を受け、ミックステープ『Deadstar』(2017)は全米アルバム42位を記録した。
代表作『Deadstar』(2017)、「Audi」(2017)
2018年5月、トロントのPhoenix Concert Theatreにて | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
YBNナミール(2018年1月、トロントのMod Clubでのライブ)
YBNナミールバーミンガム(アラバマ)|2014〜コーデーらも名を連ねるYBN一派の中心人物のひとり。10代で頭角を現し、「Rubbin Off the Paint」(2017)は全米シングル46位まで上昇した。ネット発のスターの代表例になった。
代表作「Rubbin Off the Paint」(2017)、『YBN: The Mixtape』(2018)
2018年1月、トロントのMod Clubでのライブ | 📷 The Come Up Show from Canada / CC BY 2.0
ブルーフェイス(2020年のインタビュー映像より)
ブルーフェイスロサンゼルス|2017〜ビートの拍からずれて聞こえる独特のフロウで、ネット上の話題を集めた。「Thotiana」(2018)は2019年に全米シングル8位まで上昇し、Cardi BやYGを迎えたリミックスも制作された。
代表作「Thotiana」(2018)、『Famous Cryp』(2018)
2020年のインタビュー映像より | 📷 MILLION DOLLAS WORTH OF GAME / CC BY 3.0
リル・ティージェイ(2019年6月撮影)
リル・ティージェイブロンクス|2017〜ブロンクス出身のメロディック・ラッパー。Polo Gとの「Pop Out」(2019)に続き、6LACKとの「Calling My Phone」(2021)が全米シングル3位に。2022年6月に銃撃を受けたが、一命を取りとめた。
代表作『True 2 Myself』(2019)、「Pop Out」(2019)、「Calling My Phone」(2021)
2019年6月撮影 | 📷 Bearian / CC BY-SA 4.0
NLEチョッパ(2019年7月撮影)
NLEチョッパメンフィス|2018〜10代でメンフィスから登場し、「Shotta Flow」(2019)が全米シングル36位、プラチナ認定のヒットになった。デビュー作『Top Shotta』(2020)は全米アルバム10位に入った。
代表作『Top Shotta』(2020)、「Shotta Flow」(2019)
2019年7月撮影 | 📷 WikiWikiSkylar / CC BY-SA 4.0
シティ・ガールズ(左:ヤング・マイアミ、右:JT。2018年7月)
シティ・ガールズマイアミ|2017〜JTとYung Miamiによるマイアミの女性ラップ・デュオ(2023年の『RAW』後は活動休止)。Quality Control所属で、「Twerk」(Cardi B参加、全米29位)と「Act Up」(同26位、ともに2018年の曲)がトップ30入りを果たし、『Girl Code』(2018)につながった。
代表作『Girl Code』(2018)、「Act Up」(2018)、「Twerk」(2018)
左:ヤング・マイアミ、右:JT。2018年7月 | 📷 Cntrl+Alt+Delete / CC BY 3.0
セイウィーティー(2021年撮影)
スウィーティーヘイワード(ベイエリア)|2016〜Instagramに投稿したフリースタイルから注目された、ベイエリアの女性ラッパー。「My Type」(2019)は全米シングル21位でクアドラプル・プラチナに。2022年のグラミー賞で最優秀新人賞にノミネートされた。
代表作「Icy Grl」(2017)、「My Type」(2019)
2021年撮影 | 📷 Amywesson / CC BY-SA 4.0
エイ・ブギー・ウィット・ダ・フーディ(2017年11月、トロントのライブにて)
エイ・ブギー・ウィット・ダ・フーディ (A Boogie wit da Hoodie)ブロンクス|2016〜ブロンクスのハイブリッジ出身で、歌とラップを往き来する歌声が持ち味。2016年にAtlanticと契約し、デビュー作『The Bigger Artist』(2017)は全米4位、『Hoodie SZN』(2018)は全米アルバム1位に達した。
代表作『The Bigger Artist』(2017)、『Hoodie SZN』(2018)、「Look Back at It」(2018)
2017年11月、トロントのライブにて | 📷 Curtis Huynh for The Come Up Show / CC BY 2.0
リッチ・ザ・キッド(2019年7月、スイス・Openair Frauenfeldでのライブ)
リッチ・ザ・キッドクイーンズ→カレッジパーク(ジョージア)|2010〜レーベルRich Forever Musicを率い、『The World Is Yours』(2018)は全米アルバム2位。¥$(Kanye WestとTy Dolla $ign)の「Carnival」(2024)への客演で、全米シングル1位も経験した。
代表作『The World Is Yours』(2018)、「New Freezer」(2017)、「Plug Walk」(2018)
2019年7月、スイス・Openair Frauenfeldでのライブ | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
JPEGMAFIA(2019年8月、カナダ・カルガリーのSled Islandにて)
JPEGMAFIA (ジェイペグマフィア)ブルックリン→ボルチモア|2015〜米空軍に所属し、沖縄など日本にも滞在した経歴を持つ。ノイズと実験性を押し出したラップで評価を高め、『Veteran』(2018)で一気に注目された。2023年にはDanny Brownと『Scaring the Hoes』を発表した。
代表作『Veteran』(2018)、『All My Heroes Are Cornballs』(2019)、『Scaring the Hoes』(2023)
2019年8月、カナダ・カルガリーのSled Islandにて | 📷 Levi Manchak / CC BY 2.0
インジャリー・リザーブ(2018年2月、トロントのRivoliでのライブ)
インジャリー・リザーブテンピ(アリゾナ)|2012〜2023Ritchie with a T、Stepa J. Groggs、Parker Coreyの3人組。『Injury Reserve』(2019)で評価を高めたが、2020年6月29日にGroggsが32歳で亡くなり、2023年に解散した。
代表作『Injury Reserve』(2019)、『By the Time I Get to Phoenix』(2021)
2018年2月、トロントのRivoliでのライブ | 📷 The Come Up Show from Canada / CC BY 2.0
アースギャング(2016年、トロントでのライブ)
アースギャングアトランタ|2008〜OluとWowGr8によるアトランタの2人組。OutKastを思わせる、ファンクやソウルを取り込んだ南部ヒップホップを聴かせる。J. ColeのDreamvilleに所属し、『Mirrorland』(2019)で世に出た。
代表作『Mirrorland』(2019)、『Ghetto Gods』(2022)
2016年、トロントでのライブ | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
ラプソディ(2014年5月、パリ公演)
ラプソディースノーヒル(ノースカロライナ)|2003〜9th WonderのJamlaで育った、緻密なリリックの持ち主。『Laila's Wisdom』(2017)でグラミー賞の最優秀ラップ・アルバムにノミネートされ、「3:AM」(2024、Erykah Badu参加)で2025年に初のグラミー賞を受賞した。
代表作『Laila's Wisdom』(2017)、『Eve』(2019)、「3:AM」(2024)
2014年5月、パリ公演 | 📷 Coup d'Oreille / CC BY-SA 2.0
スミノ(2016年10月撮影)
スミノセントルイス|2009〜シカゴの大学に通い、仲間とZero Fatigueを築いたセントルイス出身のラッパー。歌とラップが溶け合う「ファンキー」な手触りで、『blkswn』(2017)、『NOIR』(2018)で評価を固めた。
代表作『blkswn』(2017)、『NOIR』(2018)、『Luv 4 Rent』(2022)
2016年10月撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
アイザイア・ラシャド(2017年1月のライブ)
アイザイア・ラシャドチャタヌーガ(テネシー)|2010年代〜2013年にTDEと契約した南部出身のラッパー。ふらつくような郷愁を帯びた質感で、うつや依存との闘いを語った。『The Sun's Tirade』(2016)は全米17位、『The House Is Burning』(2021)は全米7位。
代表作『Cilvia Demo』(2014)、『The Sun's Tirade』(2016)、『The House Is Burning』(2021)
2017年1月のライブ | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
コーデイ(2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて)
コーデーサイトランド(メリーランド)|2014〜当初はEntendre名義で活動し、YBNの一員として登場した。デビュー作『The Lost Boy』(2019)は全米13位で、第62回グラミー賞の最優秀ラップ・アルバムと最優秀ラップ・ソングにノミネートされた。
代表作『The Lost Boy』(2019)、「Bad Idea」(2019)
2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
フィヴィオ・フォーリン(2023年7月)
ファイヴィオ・フォーリンイースト・フラットブッシュ(ブルックリン)|2019〜ブルックリン・ドリルを代表する顔のひとり。「Big Drip」(2019)で注目され、Kanye Westが総指揮を執ったデビュー作『B.I.B.L.E.』(2022)は全米アルバム9位に入った。
代表作『B.I.B.L.E.』(2022)、「Big Drip」(2019)、「City of Gods」(2022)
2023年7月 | 📷 Mixtape Madness / CC BY 3.0
XXXテンタシオンフロリダ|2013〜2018SoundCloud発。感情の振り幅の激しい『17』(2017)、『?』(2018)で注目された。2018年6月18日、20歳で殺害された。生前は暴行事件で起訴されており、評価が割れる存在でもある。
代表作『17』(2017)、「SAD!」
メトロ・ブーミンセントルイス|2012〜Future、21 Savage、Travis Scottらの音を設計する現代トラップの顔。『Heroes & Villains』(2022)など。
代表作『Heroes & Villains』(2022)
スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドフォートローダーデール(フロリダ)|2014〜XXXテンタシオンと「Members Only」を結成した盟友。アニメやゲームを思わせる言葉遊びと早口のラップが持ち味で、『Stokeley』(2018)は全米アルバム6位に入った。
代表作『You Will Regret』(2017)、『Stokeley』(2018)、「Catch Me Outside」
ポロGシカゴ|2017〜ピアノを軸にした哀愁のあるビートで、人種差別やメンタルヘルスを語るシカゴのメロディック・ラッパー。「Rapstar」(2021)が全米シングル初登場1位、『Hall of Fame』(2021)も全米アルバム1位となった。
代表作『Die a Legend』(2019)、「Pop Out」(2019)、「Rapstar」(2021)
マネーバッグ・ヨーメンフィス|2011〜Yo Gottiが率いるCMGに所属するメンフィスのラッパー。『Federal 3X』(2017)で飛躍し、『A Gangsta's Pain』(2021)で初の全米アルバム1位を記録した。
代表作『Federal 3X』(2017)、『A Gangsta's Pain』(2021)
リル・モジーシアトル|2016〜10代でシアトルから登場した軽やかなメロディのラッパー。「Noticed」(2018)で注目され、『Certified Hitmaker』(2019)は全米アルバム12位、「Blueberry Faygo」(2020)は全米シングル8位に。
代表作『Certified Hitmaker』(2019)、「Noticed」(2018)、「Blueberry Faygo」(2020)
クオリティ・コントロール (Quality Control Music)アトランタ|2013〜「P」ことPierre Thomasと「Coach K」ことKevin Leeが2013年に設立したアトランタのレーベル兼マネジメント。Migos、City Girls、Lil Babyらを世に出し、2023年にHYBE America傘下となった。
代表作『Control the Streets, Volume 1』(2017)、『Control the Streets, Volume 2』(2019)
リル・ゴティットアトランタ|2017〜アトランタのラッパー。『Hood Baby』(2018)、『Crazy But It's True』(2019)などのミックステープを重ねた。兄のラッパー、Lil Keedは2022年5月13日に24歳で亡くなり、ゴティットは追悼曲を発表した。
代表作『Hood Baby』(2018)、『Top Chef Gotit』(2021)
アーマンド・ハマー (ビリー・ウッズ&エルシッド)ニューヨーク|2013〜billy woodsとELUCIDのデュオ。入り組んだ言葉と暗い質感で、地下ヒップホップの批評的な支持を集めた。The Alchemistと組んだ『Haram』(2021)で広く知られ、woods自身も『Aethiopes』(2022)で評価された。
代表作『Paraffin』(2018)、『Haram』(2021)、『We Buy Diabetic Test Strips』(2023)
PLAY | 2010s82
NOW | いま
2020s

50周年を越えて——世界同時に細かく枝分かれする

ビーフは、ヒップホップ最古の遊びのひとつ。2024年に燃え上がったその火は、2025年にグラミー賞とスーパーボウルまで届いた。

ミーガン・ジー・スタリオン(2022年9月、ミュンヘンのSuperbloomフェス)
ミーガン・ジー・スタリオン
リル・ベイビー(2019年7月、スイスのOpenair Frauenfeldでのライブ)
リル・ベイビー
ロディ・リッチ(2022年11月、インタビュー動画より)
ロディ・リッチ

2020年代に入ると、ヒップホップはもはや「ひとつのジャンル」ではなく、世界中の街で別々の進化を遂げる巨大な共通言語になった。ブルックリンやロンドンでは、不穏なベースのドリル(ポップ・スモークの「Welcome to the Party」2019がブルックリン・ドリルの象徴になった。2020年、彼は20歳で亡くなっている)。ラテン圏ではレゲトンと混ざり合い、アフリカではアフロビーツと結びつき、韓国や日本では独自のシーンが育つ。同時に、パンデミック下のゲーム内ライブ(トラヴィス・スコットの『Fortnite』コンサートは初回だけで同時1,000万人超が参加した)のように、「ライブ」の定義も広がった。

2023年は、ヒップホップ誕生から50年の節目だった。ニューヨークでは記念イベントが開かれ、グラミー賞の授賞式では、グランドマスター・フラッシュ、Run-DMC、ラキム、バスタ・ライムスから、リル・ウェイン、フューチャー、そして世代を超えたラッパーたちが一堂に会する大規模なトリビュートが行われた。1973年にブロンクスの集会室で始まった夜が、世界の中心の舞台で祝われた瞬間だった。

Kendrick vs Drake、そして「Not Like Us」

2024年、ヒップホップを今の時代でも本気の競技だと思い出させたのが、ケンドリック・ラマーとドレイクの対立だ。フューチャー&メトロ・ブーミンの「Like That」でのケンドリックの一節をきっかけに、両者は立て続けにディス曲を応酬。5月に出たケンドリックの「Not Like Us」は、ロサンゼルスの地元プロデューサー、マスタードの跳ねるビートに乗せて、西海岸のクラブでも、ホームパーティーでも、スポーツ観戦の会場でも鳴り響いた。

この曲は、2025年のグラミー賞で、年間最優秀レコードと最優秀楽曲を含む5部門を獲得する。続くスーパーボウル(2025年2月)のハーフタイムショーでは、ケンドリックがヘッドライナーを務めた。1980年代の「ブリッジ戦争」から続く、「言葉でやり合う」という古い文化が、世界最大の舞台で肯定された、とも言える。

私たちが生きているのは、その続きだ。50年前にブロンクスで鳴ったブレイクのループは、いまスマホの中で、SoundCloudやTikTokやYouTubeで、世界のどこかの寝室から新しい声を生みつづけている。この物語はまだ書き終わっていない。

2020年代のあの人たち——近況メモ

  • ドレイク 『Certified Lover Boy』(2021)、『Honestly, Nevermind』(2022)でハウス寄りの作風にも挑戦し、21 Savageとの『Her Loss』(2022)も話題に。
  • ケンドリック・ラマー 『Mr. Morale & the Big Steppers』(2022)、2024年に突然発表した『GNX』。ビーフと並行して表現の幅を広げ続けている。
  • トラヴィス・スコット 『Utopia』(2023)が全米1位。ライブ演出と映像を含めた世界観づくりで、いまも最前線にいる。
  • フューチャー&メトロ・ブーミン 2024年に『We Don't Trust You』と『We Still Don't Trust You』を連続発表。トラップの現在地を象徴する共作になった。
  • タイラー・ザ・クリエイター 『Call Me If You Get Lost』(2021)でグラミー賞、『Chromakopia』(2024)も全米1位に。
  • プレイボーイ・カーティ 『Whole Lotta Red』(2020)の発売後、新作『MUSIC』(2025)まで長い沈黙を挟み、そのたびに話題をさらった。
ARTISTS | 2020s39
リル・ベイビー(2019年7月、スイスのOpenair Frauenfeldでのライブ)
リル・ベイビーアトランタ|2017〜2017年に本格的に活動を始めると、短期間で頂点に上った現代トラップの人気者。「The Bigger Picture」(2020)は、警察の暴力に抗議する運動の中で歌われた。
代表作『My Turn』(2020)、「The Bigger Picture」
2019年7月、スイスのOpenair Frauenfeldでのライブ | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
ロディ・リッチ(2022年11月、インタビュー動画より)
ロディ・リッチコンプトン|2017〜メロディアスで切ない声。「The Box」(2019)が全米1位を11週にわたって記録した。
代表作「The Box」(2019)、『Please Excuse Me for Being Antisocial』(2019)
2022年11月、インタビュー動画より | 📷 Million Dollaz Worth of Game / CC BY 3.0
ミーガン・ジー・スタリオン(2022年9月、ミュンヘンのSuperbloomフェス)
ミーガン・ジー・スタリオンヒューストン|2016〜「Savage」「WAP」(Cardi Bと)で2020年を席巻し、2021年グラミー賞の最優秀新人賞を受賞。「Hot Girl」の合言葉で女性の自己肯定を前面に出した。
代表作「Savage」(2020)、「WAP」(2020)
2022年9月、ミュンヘンのSuperbloomフェス | 📷 Valerie Albert / CC BY-SA 4.0
ガナ(2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて)
ガンナアトランタ|2018〜なめらかなメロディのラップで人気を集め、『DS4EVER』(2022)が全米1位に。Young Thugの一門で、Lil Babyとのコンビも名物。
代表作『Drip or Drown 2』(2019)、『DS4EVER』(2022)
2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
リル・ダーク(2022年)
リル・ダークシカゴ|2011〜ドリル出身で、哀愁を帯びたメロディが持ち味。
代表作『Almost Healed』(2022)
2022年 | 📷 JD Sports / CC BY 3.0
アイス・スパイス(2024年11月、ロンドンのOuternetにて)
アイス・スパイスブロンクス|2021〜「Munch (Feelin' U)」(2022)がバイラルヒット。PinkPantheressとの「Boy's a liar Pt. 2」(2023)も世界的に支持された。
代表作「Munch (Feelin' U)」(2022)
2024年11月、ロンドンのOuternetにて | 📷 Raph_PH / CC BY 2.0
グロリラ(2025年、Essence Festでのライブ)
グロリラメンフィス|2021〜荒々しい声とメンフィスの伝統的なクランクを現代に蘇らせた女性ラッパー。
代表作「F.N.F. (Let's Go)」(2022)
2025年、Essence Festでのライブ | 📷 Cameron Woods / CC BY-SA 4.0
ラト(2024年、ラジオ番組のインタビューにて)
ラトアトランタ|2016〜「Big Energy」(2021)が大ヒット。
代表作「Big Energy」(2021)
2024年、ラジオ番組のインタビューにて | 📷 HOTSPOTATL / CC BY 3.0
ドーチー(2022年7月、米デンバーのFillmore Auditoriumにて)
ドーチータンパ|2019〜ミックステープ『Alligator Bites Never Heal』(2024)で、2025年グラミー賞の最優秀ラップ・アルバムを受賞した。
代表作『Alligator Bites Never Heal』(2024)
2022年7月、米デンバーのFillmore Auditoriumにて | 📷 Josh Berendes (@brende_films) / CC BY 3.0
ベイビー・キーム(2022年撮影)
ベイビー・キームラスベガス|2018〜ケンドリック・ラマーの従兄弟。共演曲「family ties」(2021)でグラミー賞(最優秀ラップ・パフォーマンス)を受賞した。
代表作「family ties」(2021)
2022年撮影 | 📷 Joseph Higgins / CC BY 2.0
デンゼル・カリー(2017年3月撮影)
デンゼル・カリーフロリダ|2013〜重いトラップから内省まで振れ幅の大きいラッパー。
代表作『Melt My Eyez, See Your Future』(2022)
2017年3月撮影 | 📷 friedoxygen / CC BY 2.0
ドン・トリヴァー(2021年9月、米サンディエゴ公演)
ドン・トリバーヒューストン|2018〜Travis ScottのCactus Jack所属。甘く歪んだ歌声で人気を集めた。
代表作『Heaven or Hell』(2020)
2021年9月、米サンディエゴ公演 | 📷 Sanchez Productions / CC BY-SA 4.0
セントラル・シー(2023年7月、Lollapalooza Parisにて)
セントラル・シーロンドン|2020〜UKドリル出身。「Doja」(2022)で世界的ヒット。
代表作「Doja」(2022)
2023年7月、Lollapalooza Parisにて | 📷 200izo / CC BY-SA 4.0
デイヴ(2019年5月、ロンドン・ブリクストンのO2 Academyにて)
デイヴロンドン|2016〜『Psychodrama』(2019)で、英国最高峰の音楽賞マーキュリー賞を受賞した。
代表作『Psychodrama』(2019)
2019年5月、ロンドン・ブリクストンのO2 Academyにて | 📷 SamuelWren98 / CC BY-SA 4.0
フレディ・ギブス(2014年3月、ロサンゼルスのEchoplexにて)
フリー・ディー・ギブスゲーリー(インディアナ)|2000年代〜MadlibやThe Alchemistと組んだ職人肌のストリート・ラップ。
代表作『Piñata』(2014)、『Alfredo』(2020)
2014年3月、ロサンゼルスのEchoplexにて | 📷 Carl Pocket / CC BY-SA 2.0
グリゼルダのコンウェイ・ザ・マシーン(2022年のインタビュー映像より)
グリゼルダ (ウエストサイド・ガン / コンウェイ / ベニー)バッファロー|2010年代〜ブームバップの質感を現代に再び持ち込んだ3人。2017年にWestside GunnとConwayがEminemのShady Recordsと契約した。
代表作『Hell on Earth』(2017)
2022年のインタビュー映像より | 📷 SUPA CINDY / CC BY 3.0
バッド・バニー(2019年10月、ロサンゼルスにて)
バッド・バニープエルトリコ|2016〜ラテン・トラップ/レゲトンの世界的スーパースター。スペイン語のままグローバルなチャートの頂点に立った。
代表作『Un Verano Sin Ti』(2022)
2019年10月、ロサンゼルスにて | 📷 Toglenn / CC BY-SA 4.0
ドージャ・キャット(2024年、ロンドンO2アリーナ公演)
ドージャ・キャットロサンゼルス|2012〜歌とラップを自在に行き来するポップスター。Nicki Minajを迎えた「Say So」(2020)で全米シングル1位となり、「Kiss Me More」(SZA参加)で2022年のグラミー賞最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンスを受賞した。
代表作『Hot Pink』(2019)、『Planet Her』(2021)、「Say So」(2019)
2024年、ロンドンO2アリーナ公演 | 📷 Raph_PH / CC BY 2.0
コイ・リレイ(2026年、エッセンス・フェスティバルでのライブ)
コイ・リレイボストン→ハッケンサック(ニュージャージー)|2018〜ラッパーのBenzinoを父に持つ。「No More Parties」(2021、Lil Durk参加のリミックスも話題に)でブレイクし、「Players」(2022)は全米シングル9位の大ヒットになった。『Trendsetter』(2022)を発表した。
代表作『Trendsetter』(2022)、「No More Parties」(2021)、「Players」(2022)
2026年、エッセンス・フェスティバルでのライブ | 📷 Runawaymo / CC BY-SA 4.0
セクシー・レッド(2023年12月)
セクシー・レッドセントルイス|2018〜2023年夏を代表するブレイク組のひとり。「Pound Town」(2023)がTikTokで広まり、Nicki Minajを迎えたリミックスで初のHot 100入り。Drakeの「Rich Baby Daddy」(2023)にも参加した。
代表作『Hood Hottest Princess』(2023)、「Pound Town」(2023)、「SkeeYee」(2023)
2023年12月 | 📷 MILLION DOLLAZ WORTH OF GAME / CC BY 3.0
BIA(2017年2月、ニューハンプシャー州でのDangerous Woman Tourにて)
BIA (ビア)メドフォード(マサチューセッツ)|2013〜プエルトリコ系とイタリア系の血を引く、ボストン近郊のラッパー。「Whole Lotta Money」(2021)がTikTokで広がり、Nicki Minajを迎えたリミックスは全米シングル16位まで上昇した。
代表作『For Certain』(2020)、「Whole Lotta Money」(2021)
2017年2月、ニューハンプシャー州でのDangerous Woman Tourにて | 📷 Emma / CC BY-SA 2.0
フロ・ミリ(2024年、ラジオ番組のインタビューにて)
フロ・ミリモービル(アラバマ)|2018〜2018年にネットで広まった「Beef FloMix」で注目され、『Ho, Why Is You Here?』(2020)で評価を固めた。SZAとCardi B参加版も出た「Never Lose Me」(2023)は全米シングル18位に。
代表作『Ho, Why Is You Here?』(2020)、「In the Party」(2019)、「Never Lose Me」(2023)
2024年、ラジオ番組のインタビューにて | 📷 HOTSPOTATL / CC BY 3.0
デストロイ・ロンリー(2024年、クラウト・フェスティバルでのライブ)
デストロイ・ロンリーアトランタ|2010年代〜Playboi CartiのOpiumに所属するアトランタのラッパー。デビュー作『If Looks Could Kill』(2023)は全米アルバム18位、『Love Lasts Forever』(2024)で初の全米トップ10(10位)入りを果たした。
代表作『If Looks Could Kill』(2023)、『Love Lasts Forever』(2024)
2024年、クラウト・フェスティバルでのライブ | 📷 Wojciech Pędzich / CC BY 4.0
ナルド・ウィック(2022年7月、Birthday Bash ATLでのパフォーマンス)
ナルド・ウィックジャクソンビル(フロリダ)|2020〜G Herbo、Lil Durk、21 Savageが参加した「Who Want Smoke??」(2021)のリミックスが全米シングル17位に。デビュー作『Who Is Nardo Wick?』(2021)は全米アルバム16位に入った。
代表作『Who Is Nardo Wick?』(2021)、「Who Want Smoke??」(2021)
2022年7月、Birthday Bash ATLでのパフォーマンス | 📷 HOTSPOTATL / CC BY 3.0
ビッグXザプラグ(2023年のインタビュー映像より)
ビッグXザプラグ (BigXthaPlug)ダラス|2019〜2024年のXXLフレッシュマンに選ばれたダラスのラッパー。Bailey Zimmermanと組んだ「All the Way」(2025)は全米シングル4位、Hot Country Songsでも1位となり、ヒップホップとカントリーの接点を広げた。
代表作『Take Care』(2024)、『I Hope You're Happy』(2025)、「All the Way」(2025)
2023年のインタビュー映像より | 📷 BOSS TALK 101 / CC BY 3.0
アルマニ・ホワイト(2023年9月、米国務省Global Music Diplomacy Initiative発足イベントにて)
アルマニ・ホワイトフィラデルフィア|2014〜N.O.R.E.の「Nothin'」を引用した「Billie Eilish.」(2022)がTikTokで広まり、Def Jamから世に出たフィラデルフィアのラッパー。同曲は全米シングル58位まで上昇した。
代表作「Billie Eilish.」(2022)
2023年9月、米国務省Global Music Diplomacy Initiative発足イベントにて | 📷 U.S. Department of State from United… / Public domain
ラリー・ジューン(2018年5月、トロントのPhoenix Concert Theatreでのライブ)
ラリー・ジューンサンフランシスコ|2006〜オレンジをトレードマークに、健康的な暮らしと「パッシブ・インカム」を説くベイエリアのラッパー。Cardoとの『Into the Late Night』(2021)、The Alchemistとの『The Great Escape』(2023)で評価を広げた。
代表作『Into the Late Night』(2021)、『Spaceships on the Blade』(2022)、『The Great Escape』(2023)
2018年5月、トロントのPhoenix Concert Theatreでのライブ | 📷 The Come Up Show from Canada / CC BY 2.0
ロブ49(2023年、ラジオ番組WHTAのインタビューにて)
ロブ49ニューオーリンズ|2020〜名前は育った第4・第9地区に由来するニューオーリンズのラッパー。2023年にXXLフレッシュマンに選ばれ、Travis Scott「Topia Twins」(2023)への客演で全米シングル17位に入った。
代表作『Welcome to Vulture Island』(2022)、『4God II』(2023)
2023年、ラジオ番組WHTAのインタビューにて | 📷 WHTA / CC BY 3.0
ハンチョ(ポッドキャスト出演時の映像より)
ハンチョ (Hunxho)グリーンズボロ→アトランタ|2017〜ノースカロライナ州生まれ、アトランタ東部育ちのラッパー。「Let's Get It」(2021)で注目され、21 Savage参加のリミックスも出た。2024年にXXLフレッシュマンに選ばれ、「Your Friends」(2024)はゴールド認定を受けた。
代表作『22』(2023)、『Thank God』(2024)、「Your Friends」(2024)
ポッドキャスト出演時の映像より | 📷 MILLION DOLLAZ WORTH OF GAME / CC BY 3.0
ポップ・スモークブルックリン|2019〜2020低くしゃがれた声でブルックリン・ドリルを世界に広めた。2020年2月19日、20歳で亡くなり、遺作『Shoot for the Stars, Aim for the Moon』は全米1位に。
代表作「Welcome to the Party」、「Dior」
JIDアトランタ|2010年代〜J. Coleの設立したDreamville所属。速く詰め込んだ言葉で、リリシストの系譜を継ぐ。
代表作『The Forever Story』(2022)
ジャック・ハーロウルイビル|2018〜「First Class」(2022)が全米1位。軽快でポップなラップ。
代表作「First Class」(2022)
リル・テッカクイーンズ|2019〜16歳で出した「Ransom」(2019)が突然のヒット。
代表作「Ransom」(2019)
ロッド・ウェイブセント・ピーターズバーグ(フロリダ)|2018〜感傷的なメロディの「ソウルフル・トラップ」。作品がたびたび全米アルバムチャートの上位に入る。
代表作『SoulFly』(2021)
イートポートランド→ロサンゼルス|2020〜金属的なシンセと独特の声色で、「レイジ」と呼ばれる新潮流の人気者に。
代表作『2 Alive』(2022)
ケン・カーソンアトランタ|2020年代〜Playboi Cartiの「Opium」レーベルを代表する若手。
代表作『Project X』(2021)、『A Great Chaos』(2023)
プー・シャイスティメンフィス|2018〜Gucci Maneの1017 Recordsに迎えられたメンフィスのラッパー。Lil Durk参加の「Back in Blood」(2020)が全米シングル13位、『Shiesty Season』(2021)は全米アルバム3位に達した。
代表作『Shiesty Season』(2021)、「Back in Blood」(2020)
ラッキー (Lucki)シカゴ|2012〜シカゴ出身ながらドリルとは違う、淡く電子的なビートに内省的な声を乗せた「オルタナティヴ・トラップ」で支持を広げた。多作なインディーの活動を経て、『Flawless Like Me』(2022)は全米アルバム12位に入った。
代表作『Alternative Trap』(2013)、『Watch My Back』(2017)、『Flawless Like Me』(2022)
スリーピー・ホロウフラットブッシュ(ブルックリン)|2017〜ジャマイカ系のブルックリン・ドリルのラッパー。Sheff Gとともに世に出て、「Deep End Freestyle」(2020)がTikTokで広がり全米シングル80位に。「2055」(2021)は全米51位、のちに多重プラチナとなった。
代表作『Still Sleep?』(2021)、「Deep End Freestyle」(2020)、「2055」(2021)
PLAY | 2020s42
THE THROUGH-LINE | 一本の線
Boom Bap
→ Trap

ブームバップからトラップへ——何が変わって、何が変わらなかったか

古い音と新しい音は、敵同士ではない。同じ川の上流と下流だ。聴き比べるための地図を作った。

ローランド TR-808(リズムマシン)
Roland TR-808
アカイ MPC2000XL(サンプラー/シーケンサー)
Akai MPC
ターンテーブル Technics SL-1200MK2(直接駆動式)
Technics SL-1200

ブームバップとは

「ブームバップ(Boom Bap)」は、キックの「ブーン」とスネアの「バップ」を音にした呼び名だ。KRS-Oneが1993年のソロ・デビュー作に『Return of the Boom Bap』と名づけたことで定着した。1980年代後半から90年代にかけての、ニューヨークを中心にしたヒップホップのサウンドの総称で、テンポは85〜95BPM前後。キックが1拍目と3拍目、スネアが2拍目と4拍目に入る、人間が首を縦に振って揺れる速さと形をしている。

ドラムの多くは、ジェームス・ブラウンの「Funky Drummer」や、ザ・ウィンストンズの「Amen, Brother」のような、古いファンクやソウルのレコードのブレイクを切り出して作る。その上に、ジャズのピアノやホーン、ソウルの歌声の断片をループさせる。使うのはターンテーブルとサンプラー——とくにE-mu SP-1200はサンプリングできる時間がわずか10秒ほどで、少ない容量にぎゅっと音を詰め込む工夫が、あの独特の荒いざらつきを生んだ。歌詞のほうは、複数の音節を重ねて踏む複雑な韻、物語を語るストーリーテリング、そして相手を打ち負かす言葉の格闘技(バトル)。「うまいラップとは何か」の基準は、この時代に固まった。

トラップとは

「トラップ(Trap)」は、先にふれたとおり、アトランタの隠語で麻薬を売る場所を指す言葉だ。音としてのトラップは、2000年代のアトランタで育ち、2010年代に世界へ広がった。テンポは130〜150BPM前後と速いが、ビートは半分の速度(65〜75BPM)で重く感じるよう組まれる。キックには、あのTR-808の長く伸びる低音。スネアやクラップは3拍目に1発。そして最大の特徴が、1拍を3つや4つ、あるいはそれ以上に刻むハイハットの細かい連打(ロール)だ。ピッチを上げ下げして転がすことで、機械なのに生き物のように聞こえる。上には暗いシンセ、鐘のようなメロディ、映画音楽のようなストリングスが乗る。

制作の道具も変わった。古いレコードとサンプラーの代わりに、パソコンのソフト(トラップではFL Studioがその代表格)と、プラグインの音源。極端に言えば、ノートパソコン一台と数万円のヘッドホンで、一曲が完成する。この「敷居の低さ」が、SoundCloudから世界に飛び出す十代を何人も生んだ。歌詞は、同じフレーズを繰り返すフック、短い決めゼリフ、「スカー!」のような合いの手(アドリブ)が中心。メロディをつけて歌うように伸ばし、オートチューンで声を楽器のように加工する。

Boom Bap
Trap
全盛期
1988〜1999年ごろ
2010年代〜現在(原型は2000年代)
本拠地
ニューヨーク(クイーンズ、ブルックリン、ブロンクス)
アトランタ。のち世界中の都市へ
テンポ
85〜95BPM。首を縦に振る速さ
130〜150BPM(ハーフで65〜75BPMに感じる)
ドラム
古いレコードのブレイクを切り出した、乾いたキックとスネア
TR-808の長い低音キック、3拍目のスネア、細かいハイハットのロール
上モノ
ジャズのピアノ、ソウルのホーン、ヴォーカルの断片
暗いシンセ、鐘のメロディ、ストリングス、フルート
道具
ターンテーブル、SP-1200、MPC
パソコン(FL Studioなど)、プラグイン音源、オートチューン
ラップ
複雑な韻、物語、バトル。歌詞の密度が評価軸
フック、アドリブ、メロディ、声の質感。ノリと中毒性が評価軸
代表
Nas、Wu-Tang Clan、Mobb Deep、Gang Starr、A Tribe Called Quest
Migos、Future、Travis Scott、Young Thug、Lil Uzi Vert、Metro Boomin
GEAR | 音を作った道具
ターンテーブル Technics SL-1200MK2(直接駆動式)
Technics SL-1200Technics SL-1200。ブームバップのDJの定番機。2006年撮影 | 📷 Adrian DuMay from USA / CC BY 2.0
E-mu SP-1200(サンプラー)
E-mu SP-1200E-mu SP-1200。わずか10秒ほどのサンプリング時間が、ざらついた音の理由だった。サンプラー | 📷 2xUeL (Wikipedia/Commons user) / Public domain
アカイ MPC2000XL(サンプラー/シーケンサー)
Akai MPCAkai MPC。パッドを叩いてビートを組む、ヒップホップのためのサンプラー。サンプラー | 📷 user:withe (Wikimedia Commons) / Public domain
ローランド TR-808(リズムマシン)
Roland TR-808Roland TR-808。長く伸びる低音のキックが、トラップまで続く骨格になった。リズムマシン | 📷 Brandon Daniel (Flickr); derivative … / CC BY-SA 2.0

「808」という一本の線

二つは対立しているようで、実は同じ線上にある。1982年の「Planet Rock」で鳴ったTR-808の低音は、マイアミ・ベース(2 Live Crewなど)、ヒューストンやメンフィスの南部ヒップホップ、アトランタのクランク、そして2000年代のトラップへと、途切れることなく受け継がれてきた。808の低音は、ニューヨークの「言葉の文化」とは別の、南部の「身体の文化」の系譜だ。90年代にその二つが別々の場所で育ち、2010年代、ストリーミングという一つの舞台で出会った。いま世界で流れる曲の骨格は、ほとんどが「ニューヨーク的な語りの技術」と「南部的な低音の身体性」の混血でできている。

1973 DJ Kool Herc
ブレイクの引き延ばし
→1982 Planet Rock
TR-808
→80-90s 南部
Miami bass / UGK / Three 6
→2003 Trap Muzik
T.I.
→2010 Lex Luger
ロール
→2013 Migos
三連フロウ
→いま

だから「昔のヒップホップは良かった、今は…」という言い方は、実は少しもったいない。ブームバップは「言葉とサンプルの美学」を、トラップは「声とリズムの快楽」を、それぞれ極限まで磨いた。しかも、古いほうは消えていない。バッファローのグリゼルダ、ケンドリック・ラマーの一部作品、J・コールなどが、ブームバップの質感を現代に持ち込み続けている。日本のヌジャベス(Nujabes)の音は、ジャズのサンプルを滑らかに刻むスタイルで、世界のローファイ・ヒップホップの原風景のひとつになった。

おすすめの聴き方は一つ。Nasの「N.Y. State of Mind」のあとに、Futureの「Mask Off」を続けて聴く。

20年以上の時間が空いているのに、街の暗さを描く手つきは、驚くほど似ているはずだ。ドラムの速さも、声の使い方も違う。でも、「ここにしかない現実を、ここにある道具で音にする」という態度は、1973年のあの夜と何も変わっていない。

PLAY | 聴き比べ6

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街ごとに違う音
Scenes

同じ4拍、違う街——ヒップホップの地図

ブロンクスからアトランタ、ロンドン、ソウルまで。街が違えば、低音も言葉も変わる。ヒップホップを地図の上で歩いてみよう。

ここまでは時代順に追ってきた。この章は地図で見る。同じビートの文化でも、どの街で鳴るかで、速さも低音も言葉も別物になる。

ニューヨーク——五つの区、五つの顔

ブロンクスはすべての出発点だ。クール・ハークのパーティーからKRS-One、ビッグ・パン、カーディ・Bまで、いまも「始まりの区」であり続ける。クイーンズは、Run-DMCとLL・クール・J、そして北米最大級の公営住宅団地クイーンズブリッジからナズとモブ・ディープを送り出した、言葉の職人の街だ。

ブルックリンは、ビギーとジェイ・Zの故郷。2010年代にはUKドリルの影響を受けた「ブルックリン・ドリル」が生まれ、ポップ・スモークやフィヴィオ・フォーリンが現れた。ハーレムは、キャムロンらが1997年に結成したディプロマッツと、A$AP Rockyを生んだ街だ。そしてスタテン島は、ウータン・クランが「シャオリン」と呼んだ小さな島。そこから9人が世界を揺らした。

ロサンゼルスとベイエリア——西海岸は一つではない

ロサンゼルスはN.W.AとGファンクの街のまま、いまも更新を続けている。コンプトンからはケンドリック・ラマーが現れ、地元育ちのマスタードは、手拍子のように跳ねるクラブ向けのビートで「Not Like Us」(2024)まで鳴らした。クレンショーに自分の店を開いたニプシー・ハッスル(2019年に33歳で死去)は、街ごと育てる姿勢の象徴になった。

湾の向こうのベイエリアは、もっと独立志向が強い。2000年代半ばに全米へ届いたハイフィ(hyphy、hyperactiveの略)は、オークランドやヴァレーホで育った熱狂の文化だ。硬いベース、早口、走る車から降りて踊る「ゴーストライド」。E-40、キーク・ダ・スニーク、そして2004年に34歳で亡くなったヴァレーホのマック・ドレが象徴で、その痕跡はのちのトラップにも残る。

南部——五つの街、五つの低音

アトランタは、ダンジョン・ファミリー(アウトキャストら)からクランク、スナップを経て、T.I.の『Trap Muzik』(2003)でトラップの本拠地になった。ヒューストンは、DJスクリューが1990年代前半に編み出した「チョップド&スクリュード」の街だ。ゲットー・ボーイズ、スウィシャハウスのマイク・ジョーンズ、のちのトラヴィス・スコットとミーガン・ジー・スタリオンが続いた。

メンフィスは、安いテープとTR-808で作る、暗くざらついた音の街だ。スリー・6・マフィアは2006年、映画『Hustle & Flow』の曲でヒップホップ・グループとして初めてアカデミー賞(歌曲賞)を受賞した。ニューオーリンズは、定番ループ「トリガーマン・ビート」を使い回し、掛け声で踊る「バウンス」の街で、キャッシュ・マネーとビッグ・フリーディアを生んだ。マイアミでは、130BPM前後の808を車のスピーカーで鳴らすマイアミ・ベースが育った。

同じ808でも、鳴らす街が違えば、まったく別の音楽になる。

南部のラップは、言葉より先に低音が身体に効く。その発想が、のちのトラップの骨格になった。

デトロイトとシカゴ——中西部の二つの顔

デトロイトは、腕を試される街だ。1993年開店のヒップホップ・ショップではプルーフが主催するバトルが名物になり、エミネムらが腕を磨いた。J・ディラとスラム・ヴィレッジの柔らかなビートも、同じ街の産物だ。近年はティー・グリズリーの「First Day Out」を弾みに、サダ・ベイビー、ベイビーフェイス・レイ、ヴィーズらが現れた。跳ねるリズムと、揺れるように歪んだベースが目印だ。

シカゴは、言葉の街と路上の街が背中合わせにある。コモンは『Resurrection』(1994)で、ヒップホップを一人の女性に見立てた「I Used to Love H.E.R.」を書き、カニエ・ウェスト、ルーペ・フィアスコ、チャンス・ザ・ラッパーが内省的な流れを継いだ。その対極で2010年代初頭に現れたのが、サウスサイド発のドリルだ。当時16歳のチーフ・キーフが「I Don't Like」(2012)で、暗く跳ねるその音を世界に知らせた。

トロント——夜の音をつくったOVO

カナダでは1989年、マエストロ・フレッシュ・ウェスの「Let Your Backbone Slide」が、同国のラッパーとして初めてゴールド・シングルを記録したとされ、道を開いた。トロントはカリブ系の移民が多く、ジャマイカやトリニダードのリズムとスラングが混ざった独特の響きを持つ。そこから世界へ出たのがドレイクだ。プロデューサーの40(ノア・シェビブ)らと作る暗く静かな低音を軸に、OVO(October's Very Own)は2010年にフェスOVO Fest、2012年にワーナーと組んだレーベルOVO Soundを築き、パーティネクストドアやdvsnを送り出した。

ロンドン——グライムとUKドリル

英国では、ヒップホップが別の街の音と混ざった。グライム(grime)は2000年代初頭の東ロンドンで、UKガラージ、ジャングル、ダンスホールが混ざって生まれた約140BPMの鋭い音楽だ。海賊ラジオが広め、ワイリーが先駆けた。ディジー・ラスカルは『Boy in da Corner』(2003)で、10代にしてマーキュリー賞の最年少受賞者になる。スケプタは2016年に同賞を受け、ストームジーの『Gang Signs & Prayer』(2017)はグライム作品として初めて全英アルバム1位になった。ストームジーは2019年、黒人の英国人ソロ・アーティストとして初めてグラストンベリーのピラミッド・ステージでヘッドライナーを務めた。

2012年ごろからは、ロンドン南部ブリクストンでUKドリルが生まれた。シカゴのドリルを下敷きに、滑る808と独特のハイハット、英国のスラングを乗せた音だ。150や67といった集団が先駆けで、ヘディ・ワンの『Edna』は全英1位になった。ブルックリン・ドリルは、このUKドリルの制作者たちの影響を受けている。ドレイクも『More Life』(2017)にスケプタとジグスを招いた。

スペイン語のラップ、韓国、そして日本

ラテン圏では、キューバ生まれの兄弟、メロウ・マン・エースとセン・ドッグがロサンゼルスで先駆けになった。メロウ・マン・エースの「Mentirosa」(1990)は二言語のヒットとされ、セン・ドッグらのサイプレス・ヒルは英語とスペイン語を混ぜて、『Black Sunday』(1993)で全米アルバム1位に立った。ニューヨークのビッグ・パンは『Capital Punishment』(1998)でラティーノのソロ・ラッパーとして初のプラチナ認定を受け、2000年に28歳で亡くなった。

別の流れが、パナマとプエルトリコで育ったレゲトンだ。ダディ・ヤンキーの「Gasolina」(2004)が世界への扉を開き、2010年代にはプエルトリコからラテン・トラップが広がった。バッド・バニーは、スポティファイの年間最多再生アーティストに2020年から3年連続で輝き、2026年には『Debí Tirar Más Fotos』でスペイン語のアルバムとして初めてグラミー賞の年間最優秀アルバムを獲得した。

韓国のヒップホップは、米軍基地周辺やイテウォンのクラブを通じて入ってきた。1992年にソ・テジ・ワ・アイドゥルが米国流のラップとダンスを大衆に広め、1999年デビューのドランクン・タイガー、2003年デビューのエピック・ハイらが支持を集めて、ホンデのクラブがシーンの中心になる。2012年にMnetが始めた『Show Me the Money』がヒップホップをお茶の間の娯楽にし、2015年にはキース・エイプの「It G Ma」がネットで世界に広まった。

日本の歩みは別の章にまとめた。ここでは街の色だけ。1999年に札幌のTHA BLUE HERBが『Stilling, Still Dreaming』を出し、地方発の存在感を示した。2024年2月には川崎のBAD HOPが、国内のヒップホップ・アーティストとして初めて東京ドームで単独公演を行って解散した。日本の強さは、各地の街に根を張るクルーにある。

街の音 早見表

  1. 1990s
    Los Angeles

    Gファンク

    ゆっくり揺れる低音、口笛のようなシンセ、女性コーラス。ドクター・ドレー、スヌープ・ドギー・ドッグ、ウォーレン・G。

  2. 2000s
    Oakland / Vallejo

    ハイフィ

    硬いベースと早口、走る車に合わせて踊る熱狂の文化。E-40、キーク・ダ・スニーク、マック・ドレ。

  3. 1980s
    Miami

    マイアミ・ベース

    130BPM前後のTR-808を車載スピーカーで鳴らす。踊るための低音。2 Live Crew、MC A.D.E.、ルーク(ルーサー・キャンベル)。

  4. 1990s
    New Orleans

    バウンス

    定番ループ「トリガーマン・ビート」と、掛け合いのコール。DJジュビリー、ビッグ・フリーディア、キャッシュ・マネーのマニー・フレッシュ。

  5. 1990s
    Houston

    チョップド&スクリュード

    曲を遅く回し、声を引き延ばす酩酊感。DJスクリュー、ポール・ウォール、マイク・ジョーンズ。

  6. 1990s
    Memphis

    メンフィス・ラップ

    暗く歪んだローファイな質感と808、カセットでの口コミ流通。スリー・6・マフィア、プロジェクト・パット、DJスパニッシュ・フライ。

  7. 2000s
    Atlanta

    トラップ

    重い808、暗いシンセ、細かく刻むハイハット。T.I.、ヤング・ジージー、のちにミーゴスとフューチャー。

  8. 2010s
    Chicago

    ドリル

    不穏なシンセと、跳ねるハイハット。サウスサイドの路上を映した音。チーフ・キーフ、リル・ダーク、ヤング・チョップ。

  9. 2000s
    East London

    グライム

    約140BPMの鋭いビートと早口のMC。海賊ラジオから広がった。ディジー・ラスカル、ワイリー、スケプタ、ストームジー。

  10. 2010s
    Brixton, London

    UKドリル

    滑る808と独特のハイハット、英国のスラング。ヘディ・ワン、67、150。ブルックリン・ドリルにも影響した。

レーベルが歴史を作った
Labels

独立、提携、買収、そして再び独立——ヒップホップ・レーベルの45年

ヒップホップを街角から世界へ運んだのは、ラッパーだけではない。レコードを刷り、売り込み、ときに権利まで握った「レーベル」の側から、1979年以降の歴史を読み直す。

ショーン・コムズ(パフ・ダディ/ディディ)。2010年、ディディ・ダーティ・マネーとして
ショーン・コムズ(パフ・ダディ/ディディ)。2010年、ディディ・ダーティ・マネーとして
マスターP(2001年、ドイツ)
マスターP

一枚の12インチが、産業を動かした

ラップが広く「商品」として売れはじめた1979年、その舞台は大手ではなく、ニュージャージー州の小さなレーベルだった。シュガーヒル・レコード(Sugar Hill Records)を率いたのは、シルヴィア・ロビンソン。彼女が世に出した「Rapper's Delight」は、世界で1,400万枚を売ったとも伝えられる。だが同社は1985年に破産を申請し、翌年に姿を消した。

1981年創業のトミー・ボーイ(Tommy Boy)は、ダンス音楽の業界誌を出していたトム・シルヴァーマンが興し、アフリカ・バンバータの「Planet Rock」(1982)を送り出した。同じ1981年に生まれたプロファイル(Profile)は、ラッセル・シモンズが持ち込んだデモを機にRun-DMCと契約。そのデビュー・アルバム(1984)は、ラップのアルバムとして初めてゴールド認定を受けた。

1984年にはデフ・ジャム(Def Jam)が始まる。リック・ルービンとシモンズが、ニューヨーク大学の寮の一室を拠点に興した会社だ。翌1985年にCBS/コロムビアが配給を引き受け、同じ年にワーナーがトミー・ボーイの株の半分を取得した。ここで骨格になる分業ができる。音楽を見つけて育てるのは小さな独立レーベル、工場と流通は大手。リスクは街の目利きが負い、大手は売れた分だけ利益を得る仕組みだ。

90年代——レーベルが「陣営」になった

ロゴが旗印になるのは90年代だ。コンプトンでは1987年にイージー・Eがルースレス(Ruthless)を興し、N.W.Aを送り出す。そこを離れたドクター・ドレーは1991年、シュグ・ナイトらとデス・ロウ(Death Row)を設立。インタースコープの資金と配給を後ろ盾に、『The Chronic』(1992)と『Doggystyle』(1993)を連発し、1995年には2Pacも加わった。

ニューヨークでは1993年、パフ・ダディ(ショーン・コムズ)がバッド・ボーイ(Bad Boy)をアリスタの配給で立ち上げ、翌年のビギー『Ready to Die』で花開く。ウータン・クランが契約したラウド(Loud)は、メンバーが他社とソロ契約を結んでよいという条件を認めている。

デス・ロウは、1996年のドレーの離脱と2Pacの死、同年秋に始まった創業者ナイトの収監(保護観察違反。1997年2月に禁錮9年の判決)が続き、急速に力を失った。

原盤を握る者が勝つ

長く稼ぐのは、原盤(マスター音源)の持ち主だ。マスターPのノー・リミット(No Limit)は、カリフォルニア州リッチモンドのレコード店から出発し、1995年にニューオーリンズへ移る。90年代半ばにプライオリティと結んだ配給契約でも、原盤は手放さなかった。1998年だけで23枚のアルバムを出した。同じ街のキャッシュ・マネー(Cash Money)は、1998年にユニバーサルと3年・約3,000万ドルの配給契約を結んだと伝えられる。傘下のヤング・マネー(2005年)からは、ドレイクやニッキー・ミナージュが飛躍した。

ジェイ・Zも同じ方向を向いた。大手に断られた彼は、デイモン・ダッシュ、ビッグス・バークと1994〜95年ごろにロッカフェラ(Roc-A-Fella)を立ち上げ、『Reasonable Doubt』(1996)をプライオリティの配給で出す。1997年にデフ・ジャムと対等な提携を結び、2004年12月、デフ・ジャムが残りの持ち分を買い取るとともに、ジェイ・Z本人が同社の社長に就いた。レーベルを興した男が、巨大レーベルのトップに座ったのだ。

曲が当たるのは一瞬だが、原盤は持ち主に長く収入をもたらす。

少数精鋭の工房と、地下の灯

大手の内側にも小さな工房があった。ドクター・ドレーが1996年に始めたアフターマス(Aftermath)は、インタースコープ経由で配給される会社として、1998年にエミネムと契約し、2002年に50セントを迎える。エミネムも1999年、マネージャーとシェイディ(Shady)を設立した。

独立の旗も折れなかった。ロウカス(Rawkus)はブラック・スター(1998)で、ストーンズ・スロウ(Stones Throw、1996年設立)は『Madvillainy』(2004)や『Donuts』(2006)で、アンダーグラウンドの灯をともした。

ストリーミング以後——レーベルは「ブランド」になった

2010年代、SoundCloudやストリーミングが音楽を届ける費用を大きく下げた。独立系の配給会社EMPIRE(2010年創業)のように、小さな才能の入り口になる会社も育つ。そこで力を持ったのが、アーティスト自身が率いる「レーベル兼ブランド」だ。

カーソンのTDE(Top Dawg Entertainment、2004年設立)は2012年、アフターマス、インタースコープとの共同事業を結び、ケンドリック・ラマーが両方に所属する形をつくった。ドレイクのOVOは同じ2012年にワーナーとの提携を発表。J・コールが2007年に興したドリームヴィル(Dreamville)は2014年にインタースコープと組み、2019年の『Revenge of the Dreamers III』は、アトランタでの10日間のセッションから生まれて全米1位に。

トラップの世代も同じ道を歩む。アトランタのクオリティ・コントロール(Quality Control、2013年設立)はミーゴスやリル・ベイビーらを送り出し、2023年にHYBEの米国法人が約3億ドルで買収した。トラヴィス・スコットのカクタス・ジャック(Cactus Jack)も2017年に生まれた。バッファローのグリゼルダ(Griselda)は限定プレスのレコードで力をつけ、2017年にシェイディと契約した。

もうひとつの合言葉が360度契約だ。音源だけでなくライブ、グッズ、広告、出版まで収入源を分け合う契約で、2002年のEMIとロビー・ウィリアムスの契約が知られる。ジェイ・Zは2008年、ライブ・ネーションとの約1.5億ドルと報じられた契約を機にロック・ネイション(Roc Nation)を設立する。レーベルは、マネジメントも興行も服も抱えるブランドの母体へと姿を変えた。

クラブで曲が流れるとき、レーベルのロゴは見えない。それでも、誰が曲を見つけ、誰が資金を出し、誰が権利を持つか——その駆け引きが、この文化の形を決めてきた。

ロゴで読む、14のレーベル

  1. 1979
    Sugar Hill Records

    ラップに値札をつけた

    ニュージャージー州イングルウッドで、シルヴィア・ロビンソンらが設立。「Rapper's Delight」(1979)と、グランドマスター・フラッシュの「The Message」(1982)を送り出した。

  2. 1981
    Tommy Boy Records

    業界誌の発行人が興した

    トム・シルヴァーマンが親からの借り入れで創業した。デ・ラ・ソウル、クイーン・ラティファ、ノーティ・バイ・ネイチャーと契約し、1985年にワーナーが半分の株を取得した。

  3. 1984
    Def Jam Recordings

    寮の一室から

    リック・ルービンとラッセル・シモンズが設立。LL・クール・J、ビースティ・ボーイズ、パブリック・エナミーらを擁し、のちにポリグラム、ユニバーサルの傘下へ移った。

  4. 1987
    Ruthless Records

    コンプトンから全米へ

    イージー・Eが設立し、N.W.A『Straight Outta Compton』(1988)を出した。ボーン・サグスン・ハーモニーとも契約したが、イージー・Eは1995年に亡くなった。

  5. 1991
    Death Row Records

    西海岸の音を決めた

    ドクター・ドレー、シュグ・ナイトらが設立。スヌープ・ドッグと2Pacを擁して頂点に立ち、のちに破産を経て、2022年にスヌープが買い取った。

  6. 1991
    Cash Money Records

    ニューオーリンズの兄弟

    バードマンとスリムのウィリアムス兄弟が創業。ジュヴェナイルの『400 Degreez』(1998)は全米9位、複数のプラチナを獲得した。ヤング・マネーを通じて、リル・ウェインからドレイクへつながる。

  7. 1991
    No Limit Records

    原盤を手放さなかった

    マスターPが小さなレコード店から築いた。1998年の『MP da Last Don』は全米1位。2003年末に破産を申請したが、原盤を握る戦略の代表例として語られる。

  8. 1993
    Bad Boy Records

    成功そのものを売った

    パフ・ダディ(ショーン・コムズ)が設立し、最初はアリスタが配給。クレイグ・マックの「Flava in Ya Ear」(1994)とビギーの『Ready to Die』(1994)で走り出した。

  9. 1994
    Roc-A-Fella Records

    レーベルを興し、トップに座った

    ジェイ・Z、デイモン・ダッシュ、ビッグス・バークが設立。カニエ・ウェストやビーニー・シーゲルを擁したが、2013年に活動を終えた。

  10. 2004
    Top Dawg Entertainment

    カーソンの小さな工房

    アンソニー・「トップ・ドッグ」・ティフィスが設立。ケンドリック・ラマー(2022年まで)、ジェイ・ロック、スクールボーイ・Q、SZAらを擁する。

  11. 2012
    OVO Sound

    ドレイクの看板

    ドレイク、プロデューサーのノア・「40」・シェビブ、マネージャーのオリヴァー・エル=ハティブらの「OVO」から生まれた。2013年にパーティネクストドアらと契約している。

  12. 2012
    Griselda Records

    限定盤で火をつけた

    ウェストサイド・ガン、コンウェイ・ザ・マシーン、ベニー・ザ・ブッチャーが核。ロンドンの小レーベルDaupe!から限定盤を出し、2019年にシェイディ/インタースコープから『WWCD』を出した。

  13. 2013
    Quality Control Music

    アトランタの新世代を束ねる

    ピエール「P」・トーマスとケヴィン「コーチ・K」・リーがアトランタで設立。リル・ベイビーやリル・ヨッティらを擁し、2023年にHYBE傘下に入った。

  14. 2017
    Cactus Jack Records

    スターが育てる新人たち

    トラヴィス・スコットが2017年1月に設立。シェック・ウェスやドン・トリヴァーらを抱える。作品の配給はアーティストごとに異なり、トラヴィス本人はエピック、ドン・トリヴァーはアトランティックと組む。

ビートを作った人たち
Producers

ターンテーブルからラップトップへ——ビートを作る手は、どう変わったか

ラッパーの後ろには、いつも「音を作る人」がいた。道具が変わるたびにビートの手触りが変わり、やがて作り手そのものがスターになっていく。

DJプレミア(2019年5月、ベルリン公演「Gods of Rap」ツアー)
DJプレミア
マッドリブ(2014年、ロサンゼルスのエコープレックスでのDJ)
マッドリブ
ティンバランド(2019年、コリジョン・カンファレンス)
ティンバランド

道具が変わるたび、ビートが変わった

ビートを作る仕事は、DJから始まった。2枚のターンテーブルでブレイクを引き延ばしたクール・ハークの時代から、1980年のローランドTR-808、1985年のE-mu SP-12、1987年のSP-1200、1988年のAkai MPC60へ。SP-1200は録れる時間が約10秒と短く、音質も荒い。その荒さが、かえって「ざらついた温かさ」として愛された。MPC60は4×4のパッドを叩いて組み立てる設計で、のちのビートメイカーの手つきの原型になった。

ニューヨークの職人たち

マーリー・マール(Marley Marl)は、クイーンズブリッジのジュース・クルーの中心人物だ。1986年のMCシャン「The Bridge」などで、ドラムの音を一つずつ取り込んで組み直す手法を広めた。本人の説明では、ボーカルを取り込む最中にスネアが紛れ込んだのが発見のきっかけだったという。

90年代に入ると、サンプルを刻む職人芸が頂点に達する。DJプレミアはギャング・スターのほぼ全作品を手がけ、ナズ『Illmatic』(1994)では「N.Y. State of Mind」などを担当した。ピート・ロックはSP-1200を長く愛用し、ソウルを温かく切り出した「T.R.O.Y.」(1992)で名を上げ、『Illmatic』では「The World Is Yours」を作った。RZAは『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』(1993)を、エンソニックのサンプラー(EPS-16 PlusやASR-10)を中心にした安価な機材で組んだとされる。

プロデューサーが「ブランド」になる

ドクター・ドレーは、サンプル中心の制作から、スタジオに演奏者を呼ぶ手法へ重心を移していった。1996年にアフターマスを設立し、エミネムと50セントを世に出す。ジミー・アイオヴィンとヘッドフォンのビーツを立ち上げ、2014年にはアップルが約30億ドルで買収すると発表した。ビートを作る人が、巨額の取引の主役になった。

ヴァージニア・ビーチからは二つの名前が出てくる。ティンバランドは1996年にアリーヤ『One in a Million』の大半を、1997年にミッシー・エリオットのデビュー作『Supa Dupa Fly』を手がけ、ヒップホップとR&Bの境目を溶かした。ザ・ネプチューンズ(ファレル・ウィリアムスとチャド・ヒューゴ)はブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバーレイクへと活躍の場を広げ、2004年にグラミー賞の最優秀プロデューサーを受賞する。

カニエ・ウェストはシカゴで育った。2000年ごろにロッカフェラの専属になり、ジェイ・Zの『The Blueprint』(2001)で注目された。2004年のデビュー作『The College Dropout』は、MPCも使って組んだトラックに自分の声を乗せたアルバムだった。プロデューサーが、そのまま表の顔になる道がここで開く。

影の職人——J・ディラとマッドリブ

流行とは別の場所で、ビートの質感を磨いた人たちがいる。デトロイトのJ・ディラは、MPC3000のクオンタイズ(拍の自動補正)を切り、わずかによれたリズムを作った。その揺れは「ディラ・タイム」と呼ばれる。2006年2月7日に『Donuts』を出し、3日後の10日、32歳で亡くなった。オックスナードのマッドリブはボスのSP-303などを使ったサンプル主体の制作で知られ、MFドゥームとの『Madvillainy』(2004)を残した。

FLスタジオと808——南部の時代

2000年代以降、制作の中心は専用機からパソコンに移る。1991年登場のPro Toolsがスタジオの標準になり、1997年末に最初の版が出たFruity Loops(2003年にFL Studioへ改称)は、若いビートメイカーの入り口になった。

ザイトーヴェン(Zaytoven)は教会でピアノとオルガンを覚え、グッチ・メインと組み、ミーゴスの「Versace」(2013)なども手がけた。レックス・ルガーはFLスタジオとMPCでビートを作り、MySpaceでの連絡をきっかけにワカ・フロッカ・フレイムと組む。「Hard in da Paint」は2010年5月までにヒットし、同年にはリック・ロスの「B.M.F.」も彼の制作だ。

2010年代の主役がメトロ・ブーミンだ。セントルイス出身で、13歳でFLスタジオを触り始めた。ミーゴスの「Bad and Boujee」(2016)で初の全米1位を手がけ、2018年の『Not All Heroes Wear Capes』と2022年の『Heroes & Villains』はともに全米アルバム・チャート初登場1位。2024年のフューチャーとの『We Don't Trust You』からは、ケンドリック・ラマー参加の「Like That」が全米1位に届いた。

ロサンゼルスのマスタード(Mustard)は、808と手拍子、シンセ、掛け声を軸にしたビートで知られ、タイガ「Rack City」(2011)が全米7位。2024年のケンドリック・ラマー「Not Like Us」の制作を務め、同曲は2025年のグラミー賞で5部門を制した。マイク・ウィル・メイド・イットは「23」(2013)がデビュー・シングルで全米11位に入り、ケンドリックの「HUMBLE.」でグラミー賞の最優秀ラップ・ソングを受賞する。ヒット・ボーイはナズ『King's Disease』(2020)を手がけ、同作は2021年のグラミー賞で最優秀ラップ・アルバムに選ばれた。

声の署名と「タイプ・ビート」

プロデューサーが主役になった証拠のひとつが、曲の頭で鳴る「プロデューサー・タグ」だ。自分の名前を呼ぶ短い声の署名で、メトロ・ブーミンのタグは、フューチャーの声で知られる。もうひとつ、YouTubeやSoundCloudではアーティストの雰囲気を真似た「タイプ・ビート」が売買される文化も広がった。

道具は軽くなり、作り手の名前だけが重くなった。

ビートを作る場所は、スタジオから寝室へ移った。メトロ・ブーミンもレックス・ルガーも、FLスタジオから始めている。ノートパソコン1台と制作ソフトがあれば、ロサンゼルスでもアトランタでも、盛岡でも、最初の一曲は作り始められる。

16人のビートメイカー

  1. 1986
    Marley Marl

    ドラムを一音ずつ組み直した

    ジュース・クルーの中心人物。ビッグ・ダディ・ケーンの『Long Live the Kane』(1988)、ビズ・マーキーの『Goin' Off』(1988)を全面的に手がけた。

  2. 1992
    Dr. Dre

    Gファンクを決めた

    N.W.Aのあと『The Chronic』(1992)で西海岸の音を決定づけた。アフターマスからエミネムや50セントを世に出し、ビーツは2014年にアップルが約30億ドルで買収すると発表した。

  3. 1992
    Pete Rock

    ソウルを温かく切り出す

    ピート・ロック&C.L.スムース『Mecca and the Soul Brother』(1992)の制作者。ナズ『Illmatic』の「The World Is Yours」も手がけた。

  4. 1993
    RZA

    ウータンの設計者

    ウータン・クランを1992年に結成し、『Enter the Wu-Tang (36 Chambers)』(1993)を制作。映画『キル・ビル』などの映画音楽も手がけた。

  5. 1994
    DJ Premier

    刻んだ声がフックになる

    ギャング・スターのほぼ全作品を手がけ、『Illmatic』では「N.Y. State of Mind」「Memory Lane」「Represent」を担当した。2023年のビルボード誌の歴代ラップ・プロデューサー・ランキングで3位。

  6. 1996
    Timbaland

    ラップとR&Bの境目を溶かした

    アリーヤ『One in a Million』(1996)の大半と、ミッシー・エリオット『Supa Dupa Fly』(1997)を制作。のちにティンバーレイクの『FutureSex/LoveSounds』(2006)も手がけた。

  7. 2001
    The Neptunes

    ヴァージニア・ビーチの二人組

    ファレル・ウィリアムスとチャド・ヒューゴ。ブリトニー・スピアーズ(2001)やジャスティン・ティンバーレイク(2002)を手がけ、2004年にグラミー賞の最優秀プロデューサーを受賞した。

  8. 2001
    Kanye West

    専属から表の顔へ

    ロッカフェラの専属として『The Blueprint』(2001)で頭角を現し、チップマンク・ソウルで知られる。2004年の『The College Dropout』はグラミー賞の最優秀ラップ・アルバムに選ばれた。

  9. 2004
    Madlib

    ストーンズ・スロウの鬼才

    オックスナード出身。MFドゥームとの『Madvillainy』(2004)がいまも崇拝され、ボスのSP-303などで、ざらついたビートを作る。

  10. 2006
    J Dilla

    よれたリズムの発明者

    MPC3000のクオンタイズを切った独特の揺れで、コモンやスラム・ヴィレッジの作品に関わった。『Donuts』の発売3日後、32歳で亡くなった。

  11. 2010
    Lex Luger

    MySpaceから届いたビート

    ヴァージニア州の10代がFLスタジオで量産したビートで、「Hard in da Paint」や「B.M.F.」(ともに2010)がヒット。『Watch the Throne』にも参加した。

  12. 2011
    Mustard

    跳ねる西海岸のクラブ・サウンド

    ロサンゼルス生まれ。タイガ「Rack City」(2011)で全米7位を記録し、2025年には「Not Like Us」でグラミー賞の最優秀レコードを受賞した。

  13. 2013
    Zaytoven

    教会のピアノがトラップに

    ピアノとオルガンを教会で学び、グッチ・メインらアトランタの音を支えた。ミーゴスの「Versace」(2013)も制作した。

  14. 2013
    Mike WiLL Made-It

    アトランタ郊外から全米へ

    マリエッタ出身。「23」(2013)がデビュー・シングルで全米11位。ケンドリック・ラマー「HUMBLE.」で、2018年のグラミー賞最優秀ラップ・ソングを受賞した。

  15. 2016
    Metro Boomin

    声の署名をブランドにした

    セントルイス出身。ミーゴス「Bad and Boujee」(2016)で初の全米1位を手がけ、2024年には「Like That」で、リード・アーティストとして初の全米1位を獲得した。

  16. 2020
    Hit-Boy

    ナズとの共作で頂点へ

    カリフォルニア州フォンタナ出身。FLスタジオを使い、ナズ『King's Disease』(2020)を制作して、2021年のグラミー賞最優秀ラップ・アルバムを受賞した。

女性たちのヒップホップ史
Women

「唯一の女性」から、流行を決める側へ——女性ラッパーたちの40年

シャ・ロックからドゥーチーまで。女性たちは「例外」と呼ばれた時代を越え、チャートも権利も握る側に立った。

クイーン・ラティファ(2023年、ケネディ・センター名誉賞の関連夕食会で)
クイーン・ラティファ
ミッシー・エリオット(2006年のライブ)
ミッシー・エリオット
ローリン・ヒル(2014年6月、トロント公演)
ローリン・ヒル

ヒップホップの歴史に、女性は最初からいた。ただ長いあいだ、語られ方は「例外」だった。その立ち位置が、40年をかけて変わっていく。

先駆者たち——1980年代

最初の女性MCとされるのが、ブロンクスのシャ・ロックだ。所属するFunky 4 + 1は1981年2月14日、『サタデー・ナイト・ライブ』に出演し、ヒップホップのグループとして初めて全米のテレビで演奏した。1984年、当時14〜15歳だったロクサーヌ・シャンテは、UTFOの曲への返答「Roxanne's Revenge」を発表。返答曲が数十から100曲超も飛び交う「ロクサーヌ戦争」の火種になった。

続いて、ソルト・ン・ペパが『Hot, Cool & Vicious』(1986)で女性ラップ・アクト初のゴールド&プラチナ認定を受けた。ブルックリンのMCライトは17歳で、女性初のフル・ソロ作『Lyte as a Rock』(1988)を出す。1995年のグラミー賞では、ソルト・ン・ペパとクイーン・ラティファ(「U.N.I.T.Y.」)がそろって受賞した。

スターの時代——1990年代後半から2000年代

ローリン・ヒルは『The Miseducation of Lauryn Hill』(1998)で、翌年のグラミー賞で5部門を受賞した。ミッシー・エリオットは自分のレーベルから『Supa Dupa Fly』(1997)でデビューした。ブルックリンのリル・キムとフォクシー・ブラウンは、ともに1996年にデビュー作を出し、性や欲望を自分の言葉で語って人気を集める。フォクシーの『Chyna Doll』(1999)は、女性のソロ・ラップ作として初めて初登場1位になった。リル・キムは2001年、クリスティーナ・アギレラらとの「Lady Marmalade」で全米1位に立ち、グラミーも受賞した。

ラフ・ライダーズのイヴは、デビュー作『Let There Be Eve…』(1999)で全米アルバム1位を獲得し、2002年にはグウェン・ステファニーとの「Let Me Blow Ya Mind」でグラミーを受けた。マイアミのトリーナも、2000年のデビュー作でゴールドを記録した。

2010年代以降——トレンドを作る側へ

トリニダード生まれ、クイーンズ育ちのニッキー・ミナージュは『Pink Friday』(2010)でデビューし、2017年にはHot 100に入った曲数でアレサ・フランクリンを抜いて、女性アーティスト最多(当時)になった。カーディ・Bは「Bodak Yellow」(2017)でローリン・ヒル以来となる女性ラッパーのソロ全米1位に立ち、『Invasion of Privacy』で女性のソロとして初めてグラミーの最優秀ラップ・アルバムを獲った。2025年の『Am I the Drama?』も初登場1位で、女性ラッパーとして初めて、最初の2作がともに全米アルバム1位になった。

ヒューストンのミーガン・ジー・スタリオンは、カーディとの「WAP」(2020)で、女性ラップのコラボとして初めて初登場1位を飾った。メンフィスのグロリラは2022年、TikTokで広がった「F.N.F. (Let's Go)」を足がかりに、ヨ・ゴッティ率いるCMGと契約した。ブロンクスのアイス・スパイスも同年、「Munch (Feelin' U)」で頭角を現した。

「唯一の女性」と呼ばれた時代は終わり、いまは彼女たちが、流行の席を決めている。

2025年、タンパのドゥーチー(Doechii)は『Alligator Bites Never Heal』でグラミーの最優秀ラップ・アルバムを獲得した。同部門を獲った女性は、ローリン・ヒル(フージーズ名義)とカーディ・Bに続く3人目だ。ロンドンのリトル・シムズは、自主レーベルの作品『Sometimes I Might Be Introvert』で2022年のマーキュリー賞とブリット・アワードの最優秀新人賞を受けた。

音楽の外側——権利と会社

もう一つの変化がビジネスの席だ。クイーン・ラティファは共同経営者とともに、マネジメントと制作の会社フレイヴァー・ユニットを率いてきた。ミーガンは2024年、ワーナー・ミュージック・グループと配給契約を結びながら、原盤と出版権を手元に残したと報じられている。作る人が権利を握る流れが、ここにも見える。

女性ヒップホップ 10の節目

  1. 1981
    Sha-Rock / The Bronx

    初の全米テレビ出演

    Funky 4 + 1の一員で、最初の女性MCとされる。『SNL』に出演し、ヒップホップのグループとして初めて全国ネットで演奏した。

  2. 1984
    Roxanne Shanté / Queens

    14歳の返答

    「Roxanne's Revenge」はUTFOへの返答曲で、プロデュースはマーリー・マール。数十〜100曲超の返答曲が生まれた。

  3. 1986
    Salt-N-Pepa / Queens

    初のゴールド&プラチナ

    『Hot, Cool & Vicious』が女性ラップ・アクトとして初めてゴールドとプラチナ認定を受けた。「Push It」(1987年発表)は全米トップ20入り。

  4. 1988
    MC Lyte / Brooklyn

    女性初のソロ・フルアルバム

    『Lyte as a Rock』を17歳で発表。1993年の「Ruffneck」は、女性ソロ・ラッパー初のゴールド認定を受けた。

  5. 1995
    Queen Latifah / New Jersey

    「U.N.I.T.Y.」でグラミー

    最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンスを受賞。2006年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに星を刻み、ヒップホップ・アーティストとして初とされる。

  6. 1997
    Missy Elliott / Portsmouth, VA

    自分のレーベルから登場

    『Supa Dupa Fly』が全米3位で初登場。2019年に女性ラッパー初の作詞作曲家殿堂、2023年に女性ヒップホップ・アーティスト初のロックの殿堂入り。

  7. 1999
    Lauryn Hill / New Jersey

    グラミー5部門

    『The Miseducation of Lauryn Hill』で、年間最優秀アルバムなど5部門を受賞。「Doo Wop (That Thing)」は初登場1位だった。

  8. 2017
    Cardi B / The Bronx

    「Bodak Yellow」全米1位

    ローリン・ヒル以来の女性ラッパーのソロ1位。2019年には『Invasion of Privacy』で、女性ソロとして初めて最優秀ラップ・アルバムを獲得。

  9. 2020
    Megan Thee Stallion / Houston

    「WAP」初登場1位

    カーディ・Bとの「WAP」は女性ラップのコラボとして初の初登場1位で、初週ストリーミングの記録も塗り替えた。2021年にグラミー3部門。

  10. 2025
    Doechii / Tampa

    最優秀ラップ・アルバム

    『Alligator Bites Never Heal』(2024)で受賞。同部門を獲った女性は、フージーズのローリン・ヒル、カーディ・Bに続く3人目。

言葉の喧嘩と、言葉の競技
Beef

ビーフとバトル——名指しの曲で殴り合い、観客が勝敗を決める

ヒップホップの喧嘩は、もともと言葉の腕を競う競技だった。ブリッジ戦争から2024年のケンドリック対ドレイクまで、ビーフとMCバトルの歴史と、競技が競技でなくなった日をたどる。

喧嘩が競技になるまで

ヒップホップのビーフ(beef)は、ただの口論ではない。相手を名指しして攻撃する曲をディス・トラックと呼び、受けた側は曲で打ち返す。観客は両方を聴いて、どちらが鋭いかを判定する。黒人コミュニティには、観客の前でけなし合い、言い返せなくなったほうが負けという言葉遊びダズンズ(the dozens)がある。ラップの応酬は、この伝統と並べて語られる。

早い例が1984年。UTFOの「Roxanne, Roxanne」への返答として、当時14歳のロクサーヌ・シャンテが「Roxanne's Revenge」を録音した。ニューヨーク周辺だけで25万枚以上売れ、返答曲が30曲以上続く騒ぎになった。

橋の戦争から、世代間の応酬へ

ヒップホップ史に残る大きな戦いのひとつがブリッジ戦争(Bridge Wars)だ。きっかけは、クイーンズブリッジのMCシャンが出した「The Bridge」(1986)。発祥はクイーンズブリッジだ、と言っているように聞こえる曲だった(本人は否定している)。サウスブロンクスのKRS-One率いるブギ・ダウン・プロダクションズは、「South Bronx」(1986)と「The Bridge Is Over」(1987)で反撃する。手打ちは2007年。KRS-Oneと、MCシャン側のプロデューサーだったマーリー・マールが、共作アルバム『Hip Hop Lives』を出した。

同じ頃、世代間の勝負も起きる。Kool Moe Deeは『How Ya Like Me Now』(1987)で、売り出し中のLL Cool Jを攻撃した。ジャケットには、LLのトレードマークだったカンゴールのバケットハットが、ジープのタイヤに踏み潰されている。LLは1988年の「Jack the Ripper」で言い返し、Moe Deeもまた曲で応じた。

ビーフが「数字」で語られる時代

2000年代に入ると、ビーフはセールスや知名度と一体になる。Jay-Zの「Takeover」(2001)に、Nasは「Ether」(2001)で打ち返した。二人は2005年10月のJay-Zのコンサートで和解を示し、2006年にはNasが、Jay-Zが社長を務めるデフ・ジャムと契約した。2003年には50 Centのデビュー作『Get Rich or Die Tryin'』が初週87万枚超で全米1位になる。収録の「Back Down」はジャ・ルールを狙った曲で、対立の流れは50 Centに傾いた。

2015年にはMeek Millが「Drakeは自分でヴァースを書いていない」と公に主張した。Drakeは「Charged Up」と「Back to Back」で応戦した。二人は2018年に和解している。同じ2018年には、Pusha Tの「Infrared」(5月25日)、同日のDrakeの「Duppy Freestyle」、4日後の「The Story of Adidon」(5月29日)と、数日で応酬が進み、私生活にまで踏み込んだ内容が語り草になった。

そして2024年、Kendrick Lamar対Drake。3月22日、フューチャーとメトロ・ブーミンの「Like That」でのケンドリックのヴァースが引き金になり、4月中旬から5月初めにかけて、両者が短い間隔で曲を出し合った。5月4日の「Not Like Us」は発売直後にHot 100の首位に立ち、2025年2月のグラミー賞では、ノミネートされた5部門のすべてで受賞した。

ビーフは、聴き手が審判をつとめる言葉の競技だ。

東と西——競技が現実にのまれた日

ただし、競技の枠が壊れた時期もある。1990年代半ば、ニューヨークのバッド・ボーイ・レコーズと、ロサンゼルスのデス・ロウ・レコーズの対立が、「東海岸対西海岸」という構図で広がった。1995年8月のザ・ソース・アワードで緊張が表に出て、1996年6月には2パックが「Hit 'Em Up」を発表する。同年9月7日、2パックはラスベガスで銃撃され、13日に25歳で亡くなった。翌1997年3月9日には、ノトーリアス・B.I.G.がロサンゼルスで銃撃され、24歳で亡くなった。言葉の競技が現実の暴力と地続きになりうることを、シーンは最悪の形で知った。

マイクを握る競技——MCバトル

ビーフの競技の部分だけを切り出したのがMCバトルだ。2002年の映画『8 Mile』(カーティス・ハンソン監督、主演エミネム)はデトロイトを舞台に即興ラップの対決を描き、主題歌「Lose Yourself」は、ラップ曲として初めてアカデミー賞の歌曲賞(2003年)を受賞した。BETの『106 & Park』のコーナー「Freestyle Friday」では、7週勝ち抜いた挑戦者が殿堂入りする決まりだった。ジン(Jin)は2002年にこれを達成し、ラフ・ライダーズとの契約をつかんだ。

日本では、1999〜2001年のB-BOY PARKのMCバトルでKREVAが3連覇し、2005年にはLibra RecordsがULTIMATE MC BATTLE(UMB)を始めた。R-指定は2012〜14年に3連覇した。2012年7月に『BAZOOKA!!!』の企画として生まれた「高校生RAP選手権」、2015年9月にテレビ朝日で始まった「フリースタイルダンジョン」(ZEEBRAがメインMC)が、バトルを茶の間に届けた。バトルは、ビーフが競技だったころの形を、いまも一番素直に残している。

  1. 1984
    UTFO/ロクサーヌ・シャンテ

    Roxanne, Roxanne → Roxanne's Revenge

    14歳のシャンテが即興で返答し、ニューヨーク周辺で25万枚超。返答曲が30曲以上続いた「ロクサーヌ戦争」の発端。

  2. 1986–87
    MCシャン/KRS-One

    The Bridge → South Bronx → The Bridge Is Over

    ブリッジ戦争。「発祥の地」をめぐる地区同士の応酬で、2007年に共作アルバムで手打ちになった。

  3. 1987–88
    Kool Moe Dee/LL Cool J

    How Ya Like Me Now → Jack the Ripper

    先輩が新人を攻め、新人が曲で返した世代間の勝負。ジャケットのカンゴールが象徴になった。

  4. 1996
    2パック

    Hit 'Em Up

    1996年6月発表。「How Do U Want It」のB面で、ノトーリアス・B.I.G.とバッド・ボーイ勢を名指しした。東西対立を決定的に深めた曲とされる。

  5. 2001
    Jay-Z/Nas

    Takeover → Ether

    『The Blueprint』と『Stillmatic』の年に交わされた、ニューヨークの頂上決戦。2005年に和解した。

  6. 2002
    カーティス・ハンソン監督

    8 Mile

    即興ラップのバトルを広く知らしめた映画。主演エミネム、主題歌「Lose Yourself」はアカデミー賞歌曲賞を受賞。

  7. 2003
    50 Cent/Ja Rule

    Back Down

    『Get Rich or Die Tryin'』の収録曲。初週87万枚超で全米1位となったアルバムとともに、対立の流れを変えた。

  8. 2015
    Drake/Meek Mill

    Charged Up/Back to Back

    ヴァースの書き手をめぐる主張から始まった。「Back to Back」はHot 100で21位。2018年に和解。

  9. 2018
    Pusha T/Drake

    Infrared → The Story of Adidon

    5月25日から29日のわずか4日間の応酬。「The Story of Adidon」はJay-Zの曲のビートを使い、批評家の評価も高かった。

  10. 2024
    Kendrick Lamar/Drake

    Like That → Not Like Us

    3月22日の「Like That」を発端に、4月中旬から5月初めにかけて曲が立て続けに飛び交った。「Not Like Us」はHot 100首位で、2025年のグラミー賞5部門を受賞。

盗み、切り、貼り、作り変える
Samples

サンプリング入門——他人のレコードを楽器にする発明

ヒップホップのビートは、古いレコードのたった数秒から作られてきた。ブレイク、チョップ、フリップ、そして「借りるには許可がいる」という現実まで。

ロンドン・ショーディッチの屋外マーケットで、レコードを選ぶ人たち(2016年撮影)
レコード・ディギング
E-mu SP-1200(サンプラー)
E-mu SP-1200

ブレイク——曲でいちばん踊れる数秒

ヒップホップは、他人のレコードを楽器にして始まった音楽だ。出発点はブレイク。ファンクやソウルの曲で、歌や上モノが抜けて、ドラムとベースだけになる短い区間をいう。1973年、DJクール・ハークは同じレコードを2枚用意し、ブレイクだけをつなぎ続けて引き延ばした。踊る人たちが一番盛り上がるのが、そこだったからだ。のちには、そうしたレコードを集めた『Ultimate Breaks & Beats』(1986〜91年、全25枚)が出て、プロデューサーたちの教科書になる。

名ブレイクを並べておく。ジェームス・ブラウン「Funky Drummer」(1970)は、クライド・スタブルフィールドのドラムが、パブリック・エナミー「Fight the Power」やLL Cool J「Mama Said Knock You Out」に使われた。ただしスタブルフィールドは作曲者としてクレジットされておらず、使用料は受け取れなかったとされる。ザ・ウィンストンズ「Amen, Brother」(1969)のドラムは、わずか7秒ほど。それでもN.W.A「Straight Outta Compton」に使われ、のちに英国のドラムンベースの土台にもなった。ハニー・ドリッパーズ「Impeach the President」(1973)は、ビーフの章で触れたMCシャン「The Bridge」にも使われている。

切る、貼る、作り変える

この作り方を広げたのが、1987年のE-mu SP-1200と、1988年のAkai MPCだ。SP-1200が録音できるのは約10秒。その短さの中で、長いフレーズを細かく切り、パッドに割り当てて、元とは違う順番で叩き直す。これがチョップだ。切った断片を繰り返すのがループ、元の曲とはまったく別物に作り替えるのがフリップ。この三つがサンプリングの基本の動作になる。

名手の例を挙げる。RZAはウータン・クランの「C.R.E.A.M.」(1993)で、ザ・チャーメルズ「As Long as I've Got You」(1967)の冒頭のピアノとドラムを回し続けた。カニエ・ウェストはJay-Z「Izzo (H.O.V.A.)」(2001)でジャクソン5「I Want You Back」(1969)を使い、自分の「Through the Wire」(2003)ではチャカ・カーンの歌声のピッチを上げて使った。J・ディラはコモン「The Light」(2000)で、ボビー・コールドウェル「Open Your Eyes」(1980)を滑らかに回している。ディラはMPC3000のクオンタイズ(拍に自動で揃える機能)を切って叩いたとされ、あの少しよれたグルーヴが生まれた。2006年2月7日に『Donuts』を出し、3日後の10日、32歳で亡くなった。

借りるには許可がいる

自由に借りられた時代は、長くは続かなかった。1991年12月、ニューヨークの連邦地裁は、ビズ・マーキーがギルバート・オサリバン「Alone Again (Naturally)」(1972)を無断で使ったとして、レコード会社に不利な判断を下した。判事は、聖書の「汝、盗むなかれ」という言葉から判決を書き起こし、曲はビズのアルバム『I Need a Haircut』から外された。以後、サンプルの使用許可(クリアランス)の費用は膨らみ、パブリック・エナミーのように数十のサンプルを重ねる作り方は、経済的に難しくなったとされる。

権利は二層ある。録音そのもの(マスター)と、曲(作詞作曲)だ。サンプリングでは両方の許可がいる。これに対し、元のフレーズを自分たちで演奏し直すインターポレーションなら、曲の権利だけで済む。1979年の「Rapper's Delight」が、シックの「Good Times」のベースラインを演奏し直して使ったのが、古い例だ。のちにシックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズは作曲者としてクレジットされた。2005年には米国の控訴裁判所(第6巡回区)が、ごく短いサンプルでも許可が要ると判断したが、他の地域の裁判所では異なる判断も出ている。

ヒップホップのビートは、レコードを何枚聴いたかの記録でもある。

サンプル・ドリル——いま起きていること

2020年代の初め、ニューヨークのブロンクスからサンプル・ドリルが広がった。ドリルの重いビートの上に、R&Bやポップの誰でも知っている曲を乗せるスタイルだ。B-Loveeの「My Everything」は、メアリー・J・ブライジの「Everything」を使っている。耳なじみのある旋律は、SNSで一気に広まる。一方で、権利処理が追いついていない例も少なくないとされる。道具は変わっても、「誰かの音を自分の曲にする」という発明は、1973年のブロンクスから止まっていない。

  1. 1967
    The Charmels

    As Long as I've Got You

    ウータン・クラン「C.R.E.A.M.」(1993)。RZAが冒頭のピアノとドラムを回し続けた。

  2. 1969
    The Winstons

    Amen, Brother

    N.W.A「Straight Outta Compton」ほか。約7秒のドラム・ソロは、英国のドラムンベースの土台にもなった。

  3. 1969
    The Jackson 5

    I Want You Back

    Jay-Z「Izzo (H.O.V.A.)」(2001)。プロデュースはカニエ・ウェスト。

  4. 1970
    James Brown

    Funky Drummer

    パブリック・エナミー「Fight the Power」(1989)、LL Cool J「Mama Said Knock You Out」(1990)。ドラムはクライド・スタブルフィールド。

  5. 1972
    Lyn Collins

    Think (About It)

    ロブ・ベース&DJ E-Z・ロック「It Takes Two」(1988)、カニエ・ウェスト「Lost in the World」(2010)。

  6. 1973
    The Honey Drippers

    Impeach the President

    MCシャン「The Bridge」(1986)、オーディオ・ツー「Top Billin'」(1987)、Nas「I Can」(2002)。

  7. 1973
    Incredible Bongo Band

    Apache

    Nas「Made You Look」(2002)。ミッシー・エリオット「We Run This」(2006)が使ったのは、シュガーヒル・ギャングによるカバー版(1981)。クール・ハークが「ヒップホップの国歌」と呼んだとされる。

  8. 1973
    Melvin Bliss

    Synthetic Substitution

    ウルトラマグネティックMC's「Ego Trippin'」(1986)で火がつき、ノーティ・バイ・ネイチャー「O.P.P.」(1991)、ウータン・クラン「Bring da Ruckus」(1993)へ。

  9. 1979
    Chic

    Good Times

    シュガーヒル・ギャング「Rapper's Delight」(1979)。演奏し直して使うインターポレーションの古い例で、のちにシックの二人がクレジットされた。

  10. 1980
    Bobby Caldwell

    Open Your Eyes

    コモン「The Light」(2000)。J・ディラが手がけ、コモン初のHot 100入りシングルになった。

服、靴、映画、言葉
Style

服、靴、映画——ヒップホップは見た目とスクリーンでも広がった

Run-DMCのアディダスから、ルイ・ヴィトンの席に座るファレルまで。着こなしと映像が、音楽の外側からヒップホップを世界に運んだ。

ステージの足元から始まった

ヒップホップの服装は、最初から音楽と一体だった。Run-DMCは1986年に「My Adidas」を出し、同年7月のマディソン・スクエア・ガーデン公演で、観客がアディダスを掲げる光景が契約につながった。音楽アーティストとスポーツブランドの大型契約の先駆けとされる。

そこから、作業着やスポーツ用品が次々と「街の制服」になっていく。英国発祥の帽子カンゴールは、LL Cool Jのバケットハットで象徴的な存在になった。1973年に作業用として売り出されたティンバーランドのイエロー・ブーツは、ウータン・クラン、モブ・ディープ、Nas、2パック、ノトーリアス・B.I.G.らが曲や映像に登場させ、「ブーツ界のエア・ジョーダン」とも呼ばれた。スニーカーでは、1982年にブルース・キルゴアが設計したエア・フォース1がハーレムで「アップタウンズ」と呼ばれて愛され、2002年にネリーが曲にした。1985年発売のエア・ジョーダン1も、ラッパーたちの足元を通じて定番になっていく。ブルックリンでは、1988年に結成されたクルーロー・ライフスが、ポロ・ラルフ ローレンの着こなしで知られる。

ハーレムの仕立て屋

ダッパー・ダンは、1982年にハーレムの125丁目で店を開いた。ルイ・ヴィトンやグッチ、フェンディのロゴを、自ら開発した生地やレザーのプリントで再構成し、特注のジャケットに仕立てる。客にはマイク・タイソン、LL Cool J、エリックB&ラキム、ソルト・ン・ペパ、Jay-Zらがいた。店はブランド側の法的措置を受けて1992年に閉じたが、2017年にグッチが彼の作品を想起させるジャケットを発表して批判を浴び、2018年にはグッチと組んだ店をハーレムに開いた。ブランドの外にいた人間が、ブランドの意匠をストリートの着こなしに変えた先駆けだ。

歯に被せる金属の装飾グリルも、1980年代のニューヨークで広まった。作り手のエディ・プレインの最初の有名な客がジャスト・アイスで、1987年のアルバム・ジャケットで金歯を見せている。90年代に南部で定着し、2005年にはネリーの「Grillz」(ポール・ウォールら参加)が全米に広めた。

ストリートが高級ブランドを動かす

流れは逆向きにもなった。日本のNIGOが1993年に始めたA BATHING APE(BAPE)は、2000年代にファレル・ウィリアムスと組んでBillionaire Boys ClubやIce Creamを立ち上げ、世界のストリートに広がった。NIGOは2021年にKENZOのアーティスティック・ディレクターにも就いた。ヴァージル・アブローは2013年にオフ-ホワイトを立ち上げ、2018年にルイ・ヴィトンのメンズ部門の芸術監督になる。アフリカ系の人物としては初めてとされる。2021年11月28日、41歳で亡くなった。後任には2023年2月14日、ファレルが発表され、同年6月のパリ・メンズ・ファッション・ウィークで最初のコレクションを見せた。ラッパー自身がブランドを興す動きも続き、ウータン・クランのWu-Wear、Jay-ZのRocawear、ディディのSean Johnなどが生まれた。

スクリーンの中のヒップホップ

映像は、映画から入るのが早い。1983年の『Wild Style』(チャーリー・エイハーン監督)は「最初のヒップホップ映画」と呼ばれ、PBSで放送された記録映画『Style Wars』(1983年製作)は、グラフィティの書き手たちを追った。『Beat Street』(1984)と、デフ・ジャムの初期を描いた『Krush Groove』(1985)が続く。1989年、スパイク・リーの『Do the Right Thing』は、ブルックリンの猛暑の一日を舞台に、Public Enemyの「Fight the Power」を鳴らした。

1990年代は、ロサンゼルスとハーレムの現実が映画になる。『Boyz n the Hood』(1991)で、ジョン・シングルトンは史上最年少、かつアフリカ系として初のアカデミー監督賞ノミネートを受けた。『Juice』(1992)は2パックの俳優デビュー作、『Menace II Society』(1993)はヒューズ兄弟の監督デビュー作だ。一方で、アイス・キューブが脚本を書いた『Friday』(1995)のように、同じ街を笑いで描く作品も生まれた。

2000年代以降は、音楽の成功譚が増える。『8 Mile』(2002)はエミネム主演、「Lose Yourself」で歌曲賞。『Hustle & Flow』(2005)ではスリー・シックス・マフィアの曲が、ヒップホップ曲として2曲目の歌曲賞を獲った。『Straight Outta Compton』(2015)はN.W.Aの伝記映画で、世界で約2億ドルを稼いだ。テレビでは、ドナルド・グローヴァーが制作・主演したFXの『Atlanta』(2016〜22)が、2017年のエミー賞で主演男優賞と監督賞(コメディ部門)を獲得している。日本では、入江悠監督の『SR サイタマノラッパー』(2009)が、地方都市でラップを夢みる若者たちを描いた。

ヒップホップは、耳だけでなく、目で追いかけても面白い文化だ。
  1. 1983
    チャーリー・エイハーン監督

    Wild Style

    ブロンクスのグラフィティ・ライターが主人公で、グランドマスター・フラッシュらが出演。Nasやア・トライブ・コールド・クエストが、この映画の音をサンプリングしている。

  2. 1983
    トニー・シルバー、ヘンリー・シャルファント監督

    Style Wars

    1980年代前半のニューヨークで、グラフィティの書き手とブレイクダンサーを追った記録映画。1984年のサンダンス映画祭でドキュメンタリー部門の審査員大賞。

  3. 1989
    スパイク・リー監督

    Do the Right Thing

    ブルックリンの猛暑の一日。主題曲はPublic Enemyの「Fight the Power」で、アカデミー賞の脚本賞と助演男優賞にノミネート。

  4. 1991
    ジョン・シングルトン監督

    Boyz n the Hood

    サウス・セントラルで育つ若者たちの物語。アイス・キューブも出演。シングルトンは史上最年少、かつアフリカ系初の監督賞ノミネート。

  5. 1992
    アーネスト・R・ディッカーソン監督

    Juice

    ハーレムの十代4人組の転落。DJを夢みる少年を軸に、2パックが俳優デビューした。

  6. 1995
    F・ゲイリー・グレイ監督

    Friday

    アイス・キューブとDJプーが脚本を書いた、サウス・セントラルのある一日のコメディ。クリス・タッカーも出演。

  7. 2002
    カーティス・ハンソン監督

    8 Mile

    デトロイトで成り上がりを目指すラッパーをエミネムが演じた。バトルの場面と、アカデミー賞歌曲賞の「Lose Yourself」。

  8. 2005
    クレイグ・ブリュワー監督

    Hustle & Flow

    メンフィスの男がラップで人生を変えようとする。テレンス・ハワードが主演男優賞にノミネートされ、スリー・シックス・マフィアが歌曲賞。

  9. 2015
    F・ゲイリー・グレイ監督

    Straight Outta Compton

    N.W.Aの伝記映画。アイス・キューブとドクター・ドレーが製作に加わり、世界興収は約2億ドル。脚本賞にノミネート。

  10. 2016
    ドナルド・グローヴァー制作・主演

    Atlanta

    FXのドラマ(全4シーズン、2016〜22)。売り出し中のラッパーとマネージャーを軸に、アトランタの日常を描く。2017年のエミー賞を2部門で受賞。

GOING GLOBAL | 世界へ
World

ブロンクスの遊びは、世界中の言葉で鳴り出した

ロンドンのグライム、パリのラップ・フランセ、ソウルのK-HIPHOP、リオ、ラゴス、そして東京。どの街も、自分の言葉と自分のビートでヒップホップを作り替えてきた。

ストームジー(2022年3月、ロンドンのThe O2にて)
ストームジー
デイヴ(2019年5月、ロンドン・ブリクストンのO2 Academyにて)
デイヴ
セントラル・シー(2023年7月、Lollapalooza Parisにて)
セントラル・シー

ヒップホップは、1980年代のうちにはもうアメリカ国外へ出ていた。映画『Wild Style』や『Beat Street』の上映、ブレイキングのブーム、そしてレコード。最初に起きたのは「真似」だったが、やがて各国のMCが自国の言葉と街の暮らしでラップを書きはじめる。ヒップホップの本質は、場所を選ばない「作り方」にあるから、どの街でも、その街のスラングがそのまま武器になった。

ロンドンでは、レゲエのサウンドシステム文化とジャングルが混ざって2000年代前半にグライムが生まれ、のちにUKドリルが続いた。パリではMC SolaarやIAMが、フランス語のライムの可能性を示した。ソウルではEpik Highが、のちに世界的な「K-HIPHOP」の土台を築いた。ブラジルではRacionais MC'sがファヴェーラの現実を語り、ラテン圏ではトラップとレゲトンが混ざって、Bad Bunnyのようなスペイン語のまま世界のチャートを制する存在が現れた。

そして日本。次の章では、輸入から独自進化へ進んだ日本語ラップの歩みを辿る。岩手の夜に鳴っているビートも、実はこの長い連なりの末端にある。

ARTISTS | WORLD40
スケプタ(2016年7月、フランスでのライブにて)
スケプタ (Skepta)ロンドン(英)|2002〜弟のJMEらとクルー「ボーイ・ベター・ノウ」を率い、グライムを世界へ押し出した。2016年の『Konnichiwa』は、グライムのMCとしてディジー・ラスカルに次ぐマーキュリー賞に輝いた。
代表作『Konnichiwa』(2016)、「That's Not Me」(2014)、「Shutdown」(2015)
2016年7月、フランスでのライブにて | 📷 Batiste Safont / CC BY-SA 4.0
ワイリー(2005年、ニューヨークでのライブ)
ワイリー (Wiley)ロンドン(英)|1994〜東ロンドンのボウ出身。「エスキビート」と呼ぶインストでグライムの原型を作り、「グライムのゴッドファーザー」と称される。2012年の「Heatwave」は自身初の全英1位になった。
代表作「Wearing My Rolex」(2008)、「Heatwave」(2012)、『Godfather』(2017)
2005年、ニューヨークでのライブ | 📷 believekevin / CC BY-SA 2.0
AJ・トレイシー(2019年、AIMアワードでのパフォーマンス)
AJ・トレイシー (AJ Tracey)ロンドン(英)|2011〜ブリクストン生まれ、ラドブローク・グローヴ育ち。グライムとラップ、ダンスホールを軽やかに行き来する。2019年のデビュー作『AJ Tracey』は全英3位、同作の「Ladbroke Grove」も全英3位に入った。
代表作『AJ Tracey』(2019)、「Ladbroke Grove」(2019)、「Butterflies」(2018)
2019年、AIMアワードでのパフォーマンス | 📷 Jwslubbock / CC BY-SA 4.0
ヘディ・ワン(2017年、Mixtape Madness映像より)
ヘディ・ワン (Headie One)ロンドン(英)|2010〜トッテナムの団地街ブロードウォーター・ファームで育ったUKドリルの旗手。亡き母の名を冠した初のアルバム『Edna』(2020)が全英アルバムチャートで1位を獲得した。
代表作『Edna』(2020)、『Music x Road』(2019)、「18Hunna」
2017年、Mixtape Madness映像より | 📷 Mixtape Madness / CC BY 3.0
リトル・シムズ(2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて)
リトル・シムズ (Little Simz)ロンドン(英)|2010〜イズリントン出身の女性ラッパー。自主制作の『Grey Area』(2019)でイヴァー・ノヴェロ賞の最優秀アルバムを受賞し、『Sometimes I Might Be Introvert』(2021)で2022年のマーキュリー賞に輝いた。
代表作『Grey Area』(2019)、『Sometimes I Might Be Introvert』(2021)
2019年、スイスのOpenair Frauenfeldにて | 📷 Frank Schwichtenberg / CC BY-SA 4.0
スロウタイ(2023年、シドニーのレーンウェイ・フェスティバルにて)
スロウタイ (slowthai)ノーザンプトン(英)|2015〜英中部ノーザンプトン出身。荒削りなビートと社会への怒りを込めたラップで、BBCの「Sound of 2019」で4位に選ばれた。デビュー作はマーキュリー賞の候補になり、2作目『Tyron』は全英1位を獲得した。
代表作『Nothing Great About Britain』(2019)、『Tyron』(2021)、「Inglorious」(2019)
2023年、シドニーのレーンウェイ・フェスティバルにて | 📷 Bruce Baker / CC BY 2.0
ケイノ(2017年、スプラッシュ!フェスティバルでのライブ)
ケイノ (Kano)ロンドン(英)|2000〜東ロンドンのイースト・ハム出身。初期グライムのクルー「N.A.S.T.Y.」で名を上げ、『Made in the Manor』と『Hoodies All Summer』の2作がマーキュリー賞の候補になった。ドラマ『Top Boy』のサリー役でも知られる。
代表作『Made in the Manor』(2016)、『Hoodies All Summer』(2019)、「Hail」(2015)
2017年、スプラッシュ!フェスティバルでのライブ | 📷 Nicolas Völcker / CC BY-SA 4.0
ルーツ・マヌーヴァ(2012年3月、オークランド公演にて)
ルーツ・マヌーヴァ (Roots Manuva)ロンドン(英)|1994〜ジャマイカ系の家庭に生まれ、ストックウェルで育った。ダブやレゲエを溶かした重いビートで、英国ヒップホップの礎を築いた一人とされる。「Witness (1 Hope)」は英国ラップの定番曲として語り継がれている。
代表作『Brand New Second Hand』(1999)、『Run Come Save Me』(2001)、「Witness (1 Hope)」(2001)
2012年3月、オークランド公演にて | 📷 Anaïs Chaine / CC BY-SA 3.0
リーサル・ビズル(2007年撮影)
リーサル・ビズル (Lethal Bizzle)ロンドン(英)|2000〜ウォルサムストウ出身。クルー「モア・ファイア・クルー」の「Oi!」(2002)で、グライムとして早い時期に全英トップ10入りした。ソロの「Pow! (Forward)」(2004)は規制を受けつつ全英11位に入り、MOBO賞の最優秀シングルを獲得した。
代表作「Oi!」(2002)、「Pow! (Forward)」(2004)、『Against All Oddz』(2005)
2007年撮影 | 📷 Max Gleeson (derivative work: A Thou… / CC BY 2.0
ザ・ストリーツのマイク・スキナー(2019年6月、グラストンベリー・フェスティバルのジョン・ピール・ステージ)
ザ・ストリーツ (The Streets)バーミンガム(英)|2001〜バーミンガムを拠点とする、マイク・スキナーのプロジェクト。英国の若者の日常を訛りのままに語り、『Original Pirate Material』(2002)でマーキュリー賞の候補になった。「Dry Your Eyes」(2004)は唯一の全英シングル1位。
代表作『Original Pirate Material』(2002)、『A Grand Don't Come for Free』(2004)、「Dry Your Eyes」(2004)
2019年6月、グラストンベリー・フェスティバルのジョン・ピール・ステージ | 📷 Simoncromptonreid / CC BY-SA 4.0
M.I.A.(2009年撮影、アウトサイド・ランズ・フェスティバル)
M.I.A. (マヤ)ロンドン(英)|2002〜スリランカ系タミルの両親のもとロンドンで生まれ、内戦を逃れて戻った難民の経験を創作に注いだ。ダンスや世界各地の音を混ぜたヒップホップで、「Paper Planes」(2008)は全米4位。2009年にはグラミー賞とアカデミー賞の両方にノミネートされた。
代表作『Arular』(2005)、『Kala』(2007)、「Paper Planes」(2008)
2009年撮影、アウトサイド・ランズ・フェスティバル | 📷 Moses (moses namkung), noise reducti… / CC BY 2.0
MCソラール(2009年7月、マルセイユでのRH Factorとの共演にて)
MCソラー (MC Solaar)パリ郊外(仏)|1990〜セネガルのダカール生まれで、パリ郊外で育った。言葉遊びに富む流麗なフロウで、フランス語ラップを広く浸透させた。『Qui sème le vent récolte le tempo』(1991)は国内で40万枚超を売り、1995年に年間男性アーティスト賞を得た。
代表作『Qui sème le vent récolte le tempo』(1991)、『Prose Combat』(1994)、「Bouge de là」
2009年7月、マルセイユでのRH Factorとの共演にて | 📷 Thomas Faivre-Duboz / CC BY-SA 2.0
IAM(2019年、パリでの音楽賞授賞式にて)
IAM (アイアム)マルセイユ(仏)|1989〜マルセイユ出身のグループ。古代エジプトやアフリカを題材にしたリリックで、仏ラップの草分けとなった。『L'école du micro d'argent』(1997)はフランスでダイヤモンド認定を受けた名盤だ。
代表作『...De la planète Mars』(1991)、『L'école du micro d'argent』(1997)、「Je danse le Mia」
2019年、パリでの音楽賞授賞式にて | 📷 CsdemFrance / CC BY-SA 4.0
ブーバ(2019年7月、フランス・ヴィエイユ・シャリュ音楽祭にて)
ブーバ (Booba)パリ郊外(仏)|1994〜パリ近郊のセーヴル出身。盟友アリとのデュオ「リュナティック」で2000年に作品を残し、2002年の『Temps mort』でソロデビューした。『Trône』(2017)は、のちにキャリア初のダイヤモンド認定を受けた。
代表作『Temps mort』(2002)、『Ouest Side』(2006)、『Trône』(2017)
2019年7月、フランス・ヴィエイユ・シャリュ音楽祭にて | 📷 Thesupermat / CC BY-SA 4.0
ネクフ(2017年10月、パリでの映画プレミアにて)
ネクフ (Nekfeu)パリ(仏)|2001〜南仏の生まれで、11歳からパリ15区に育った。クルー「1995」や「$-Crew」で頭角を現し、ソロ初作『Feu』(2015)で2016年のヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク(都市音楽アルバム賞)を受賞した。
代表作『Feu』(2015)、『Cyborg』(2016)、『Les étoiles vagabondes』(2019)
2017年10月、パリでの映画プレミアにて | 📷 Georges Biard / CC BY-SA 3.0
カピタル・ブラ(2018年2月、ドイツ・ニュルンベルクのDer Hirschでのライブ)
カピタル・ブラ (Capital Bra)ベルリン(独)|2016〜シベリア生まれでウクライナ育ち、7歳でベルリンに移った。ドイツのチャート史で最多の1位獲得を誇るアーティストとされる。『Berlin lebt』(2018)はドイツ、オーストリア、スイスのアルバム首位に立った。
代表作『Berlin lebt』(2018)、『CB6』(2019)、「Neymar」(2018)
2018年2月、ドイツ・ニュルンベルクのDer Hirschでのライブ | 📷 Stefan Brending (2eight) / CC BY-SA 3.0 de
シド(2011年、フランクフルトでのライブ)
シド (Sido)ベルリン(独)|2004〜旧東ベルリン生まれ。銀色のドクロ仮面で登場し、団地街マルキッシェス・フィアテルを歌った「Mein Block」(2004)で注目された。ドイツ語ギャングスタ・ラップを商業的に押し上げた立役者の一人だ。
代表作『Maske』(2004)、『Ich und meine Maske』(2008)、「Astronaut」(2015)
2011年、フランクフルトでのライブ | 📷 Sven-Sebastian Sajak (Sven0705) / CC BY-SA 3.0
エピック・ハイ(2019年3月、ソウル・COEXでのファンサイン会にて)
エピック・ハイ (Epik High)ソウル(韓国)|2003〜タブロ、ミスラ・ジン、DJトゥクツの3人組。『Swan Songs』(2005)の「Fly」で韓国ヒップホップが主流に出る先駆けとなり、2016年には韓国勢として初めて米コーチェラ・フェスに出演した。
代表作『Swan Songs』(2005)、「Fly」(2005)、『Shoebox』(2014)
2019年3月、ソウル・COEXでのファンサイン会にて | 📷 Explicit / CC BY-SA 4.0
Dok2(2018年、釜山海のフェスティバルにて)
Dok2 (ドッキ)韓国|2005〜13歳で事務所と契約した早熟のラッパー。2011年にザ・クワイエットとレーベル「イリオネア・レコーズ」を立ち上げ、韓国ヒップホップで影響力の大きいレーベルに育てた。『Multillionaire』(2015)で一般層にも知られた。
代表作『Multillionaire』(2015)、「1llusion」
2018年、釜山海のフェスティバルにて | 📷 Explicit / CC BY-SA 4.0
ジェイ・パーク(2012年のステージ)
ジェイ・パーク (Jay Park)ソウル(韓国)|2008〜シアトル近郊のエドモンズ生まれ。ビーボーイ出身で、2PMのリーダーを経てソロに転じ、2013年にヒップホップ・レーベルAOMGを設立した。2017年にはジェイ・Zのロック・ネイションと契約した。
代表作『New Breed』(2012)、『Everything You Wanted』(2016)、「SOJU」(2018)
2012年のステージ | 📷 임윤아1 / CC BY-SA 2.0
ジコ(2017年7月、ソウルでのMonster Concert #5にて)
ジコ (Zico)ソウル(韓国)|2011〜ボーイズグループ「Block B」のリーダーとして2011年にデビューし、ラッパー兼プロデューサーとしても評価された。2020年の「Any Song」はTikTokのチャレンジで広がり、2020年の「Any Song」はTikTokのチャレンジで広がり、Circle(当時はGaon)デジタル・チャートで通算7週の1位になった。。
代表作「Any Song」(2020)、「Boys and Girls」(2015)、『Television』(2017)
2017年7月、ソウルでのMonster Concert #5にて | 📷 Bonnielou2013 / CC BY-SA 4.0
ザ・クワイエット(2018年、釜山海のフェスティバルにて)
ザ・クワイエット (The Quiett)韓国|2003〜韓国ヒップホップのレーベル文化をつくった一人。2004年にソウル・カンパニー、2011年にDok2とイリオネア・レコーズを共同設立し、人気ラップ番組『Show Me the Money』にも審査員として出た。
代表作『Q Train』(2006)、『The Real Me』(2007)
2018年、釜山海のフェスティバルにて | 📷 Explicit / CC BY-SA 4.0
ビンジノ(2011年6月、ソウルのPuma X Undefeated Clyde Block Partyにて)
ビンジノ (Beenzino)韓国|2009〜ソウル大学で彫刻を学んだ異色のラッパー。2012年のデビュー作『24:26』と、2013年の先行曲「Dali, Van, Picasso」で主流のリスナーを掴んだ。イリオネア・レコーズ所属で脚光を浴びた。
代表作『24:26』(2012)、『Up All Night』(2014)、「Dali, Van, Picasso」(2013)
2011年6月、ソウルのPuma X Undefeated Clyde Block Partyにて | 📷 Lamin / CC BY 4.0
ダディ・ヤンキー(2015年)
ダディ・ヤンキー (Daddy Yankee)サンファン(プエルトリコ)|1992〜「レゲトンの王」と呼ばれる。『Barrio Fino』(2004)の「Gasolina」でレゲトンを世界へ広め、2017年のルイス・フォンシとの「Despacito」はスペイン語曲として21年ぶりにビルボードHot 100の首位に立った。
代表作『Barrio Fino』(2004)、「Gasolina」(2004)、「Despacito」(2017)
2015年 | 📷 Daddy Yankee / CC BY 3.0
アヌエル・AA(2022年1月、インタビュー映像より)
アヌエル・AA (Anuel AA)カロリーナ(プエルトリコ)|2010〜ラテン・トラップの草分けの一人とされるプエルトリコの歌い手。デビュー作『Real Hasta la Muerte』(2018)は米ビルボードのラテン・アルバム首位に。2019年にはダディ・ヤンキーらと「China」を発表した。
代表作『Real Hasta la Muerte』(2018)、「China」(2019)、「Secreto」(2019)
2022年1月、インタビュー映像より | 📷 Tony Dandrades / CC BY 3.0
レシデンテ(2019年、パナマのMUPAフェスティバルにて)
レシデンテ (Residente / Calle 13)サンファン(プエルトリコ)|2004〜デュオ「Calle 13」のラッパー、ルネ・ペレス。社会批評とジャンルを越境する音で、2011年のラテン・グラミーでは「Latinoamérica」が年間最優秀レコードと楽曲を獲得した。同賞の最多受賞記録を持つ。
代表作『Residente o Visitante』(2007)、「Latinoamérica」(2011)、『Residente』(2017)
2019年、パナマのMUPAフェスティバルにて | 📷 RandyNavarroB / CC BY-SA 4.0
ラシオナイス・MC's(2013年5月、サンパウロでのライブ)
ラシオナイス・MC's (Racionais MC's)サンパウロ(ブラジル)|1988〜マノ・ブラウンらの4人組。貧困地区の暴力と人種差別を告発し、ブラジル・ヒップホップの象徴となった。『Sobrevivendo no Inferno』(1997)は推定150万枚超で、のちに名門大学の入試課題にも選ばれた。
代表作『Sobrevivendo no Inferno』(1997)、「Diário de um Detento」(1997)、『Nada Como um Dia Após o Outro Dia』(2002)
2013年5月、サンパウロでのライブ | 📷 Fernando Eduardo / CC BY 2.0
エミシーダ(2023年、ブエノスアイレスのMICAにて)
エミシーダ (Emicida)サンパウロ(ブラジル)|2005〜サンパウロ北部育ち。即興ライムで頭角を現し、弟とレーベル「ラボラトリオ・ファンタズマ」を立ち上げた。『AmarElo』(2019)は、2020年のラテン・グラミーでポルトガル語ロック/オルタナティブ・アルバム賞を受賞した。
代表作『AmarElo』(2019)、『Sobre Crianças, Quadris, Pesadelos e Lições de Casa...』(2015)
2023年、ブエノスアイレスのMICAにて | 📷 Ministerio de Cultura de la Nación / CC BY-SA 2.0
サーコディ(2017年10月、ガーナ・アクラのモールでのコンサートにて)
サーコディ (Sarkodie)テマ(ガーナ)|2005〜首都アクラ近郊の港湾都市テマの出身。多くをトゥイ語で歌い、速いフロウと機知に富んだリリックでガーナ・ヒップホップの顔となった。2019年のBETヒップホップ・アワードで、最優秀インターナショナル・フロー賞を獲得した。
代表作『Makye』(2009)、『Rapperholic』(2012)、『Highest』(2017)
2017年10月、ガーナ・アクラのモールでのコンサートにて | 📷 Owula kpakpo / CC BY-SA 4.0
キャスパー・ニョヴェスト(2014年4月、Back to the City フェスティバルにて)
キャスパー・ニョヴェスト (Cassper Nyovest)マヒケン(南アフリカ)|2013〜北西州マヒケンの出身。自主企画ライブ「Fill Up」で知られ、2015年にヨハネスブルグのドーム、2016年にオーランド・スタジアムを満員にし、2017年には約9万人収容のFNBスタジアムに挑んだ。
代表作『Tsholofelo』(2014)、「Doc Shebeleza」、『Thuto』(2017)
2014年4月、Back to the City フェスティバルにて | 📷 Thabiso Molatlhwa / CC BY 2.5 za
カリグラフ・ジョーンズ
カリグラフ・ジョーンズ (Khaligraph Jones)ナイロビ(ケニア)|2008〜ナイロビのカヨレ地区出身。2009年に汎アフリカのMC部門「Emcee Africa」を受賞して知られ、2018年にデビュー作『Testimony 1990』を発表した。2020年のBETヒップホップ・アワードで国際フロー賞の候補になった。
代表作『Testimony 1990』(2018)、「Yego」、「Mazishi」
📷 Safari jpk / CC BY-SA 4.0
カーディナル・オフィシャル(2024年9月、トロント国際映画祭にて)
カーディナル・オフィシャル (Kardinal Offishall)トロント(カナダ)|1994〜トロントのスカボロー生まれ。ジャマイカ系の両親を持ち、ダンスホールを溶かしたヒップホップで「カナダのヒップホップ大使」と呼ばれる。アコンと組んだ「Dangerous」(2008)は全米5位に入り、2009年のジュノー賞で年間最優秀シングルを受賞した。
代表作『Quest for Fire: Firestarter, Vol. 1』(2001)、『Not 4 Sale』(2008)、「Dangerous」(2008)
2024年9月、トロント国際映画祭にて | 📷 Kevin Payravi / CC BY-SA 4.0
マエストロ・フレッシュ・ウェス(2023年、ハリファックス・ジャズ・フェスティバルにて)
マエストロ・フレッシュ・ウェス (Maestro Fresh Wes)トロント(カナダ)|1987〜「カナダ・ヒップホップのゴッドファーザー」と呼ばれる。1989年の『Symphony in Effect』は黒人カナダ人アーティストとして初の認定プラチナ作で、「Let Your Backbone Slide」は同国のヒップホップ初のヒット曲となった。
代表作『Symphony in Effect』(1989)、「Let Your Backbone Slide」
2023年、ハリファックス・ジャズ・フェスティバルにて | 📷 A Disappearing Act / CC BY-SA 2.0
ヒルトップ・フーズ(左:サファ、右:プレッシャー。2012年5月、Groovin the Mooにて)
ヒルトップ・フッズ (Hilltop Hoods)アデレード(豪)|1994〜スーファ、プレッシャー、DJデブリスの3人組。『The Hard Road』(2006)は豪ヒップホップのアルバムとして初めてARIAチャート1位になり、以後も計6作が首位を獲った。
代表作『The Calling』(2003)、『The Hard Road』(2006)、『Drinking from the Sun』(2012)
左:サファ、右:プレッシャー。2012年5月、Groovin the Mooにて | 📷 Gwendolyn Lee from Sydney, Australia / CC BY-SA 2.0
ギグス (Giggs)ロンドン(英)|2005〜ペッカムを拠点に、自らのクルー兼レーベルSN1を率いる。低く落ち着いた声で語るUKラップで知られ、2016年の『Landlord』は全英2位と自己最高位に。2017年にはドレイクのアルバム『More Life』にも客演した。
代表作『Landlord』(2016)、「Talkin' da Hardest」(2007)
エイチ (Aitch)マンチェスター(英)|2015〜マンチェスター出身。2018年の「Straight Rhymez」で一躍注目され、ポップにも寄り添う軽快なラップで支持を広げた。2022年のデビュー作『Close to Home』は全英2位、アシャンティのヒット曲を使った「Baby」も全英2位だった。
代表作『Close to Home』(2022)、「Baby」(2022)、「Rain」(2020)
PNL (ピー・エヌ・エル)コルベイユ=エソンヌ(仏)|2014〜パリ南郊の団地街タルトレ出身の兄弟デュオ、アデモとN.O.S。『Deux frères』(2019)は発売初週に10万枚を超えた。同作の「Au DD」では、エッフェル塔でMVを撮った初のデュオ/バンドとなった。
代表作『Dans la légende』(2016)、『Deux frères』(2019)、「Au DD」(2019)
ジュル (Jul)マルセイユ(仏)|2013〜マルセイユ出身。2014年のデビュー以来、年に複数枚を出す多作ぶりでフランス最大級の売り上げを誇る。『My World』(2015)で2017年のヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク(都市音楽アルバム賞)を受賞した。
代表作『Dans ma paranoïa』(2014)、『My World』(2015)、「Tchikita」(2016)
キース・エイプ (Keith Ape)ソウル(韓国)|2011〜ソウル出身のラッパー。2015年1月に公開した「잊지마(It G Ma)」が米国のラップファンにも広まり、同年のSXSWやニューヨーク公演で話題を呼んだ。ビルボードK-Townの「2015年のベストK-POP」で5位に入った。
代表作「It G Ma」(2015)
ナスティ・C (Nasty C)ダーバン(南アフリカ)|2012〜14歳でミックステープを出し、ダーバンで育った南アの新世代の旗手。「Juice Back」(2015)のリミックスで国外にも知られ、2020年には米デフ・ジャムと提携契約を結んだ。
代表作『Bad Hair』(2016)、『Strings and Bling』(2018)、『Zulu Man with Some Power』(2020)
PLAY | WORLD15
日本語ラップの歩み
Japan

輸入から独自進化へ——日本のヒップホップ小史

日本語でどう韻を踏むか。その試行錯誤が40年続いて、いま世界のチャートに届いている。

ZEEBRA(2008年10月、バンコクのアジアン・ヒップホップ・フェスティバル)
ZEEBRA
RHYMESTER(2011年12月、COUNTDOWN JAPANでのライブ)
RHYMESTER
Awich(2017年7月、沖縄・キャンプ・ハンセンでのライブ)
Awich

日本のヒップホップは、1980年代にニューヨークのレコードや映画『Wild Style』『Style Wars』を通じて入ってきた。いとうせいこう、近田春夫、藤原ヒロシ、高木完といった人たちが、日本語でラップをする方法を手探りで始める。最初の課題は単純で、そして難しかった。日本語は、英語のように強弱では韻を踏みにくい。母音の響きで合わせる「日本語ラップ」の作法は、ここから少しずつ形になっていく。

1990年代に入ると、スチャダラパーが「ゆるく、でも本気」の日本語ラップを提示する。1994年、小沢健二とのコラボ曲「今夜はブギー・バック」は、クラブにもお茶の間にも広がった。1995年にはキングギドラの『空からの力』が、硬派な日本語ラップの到達点としてシーンに衝撃を与え。RHYMESTER(1993年デビュー)やブッダ・ブランドらと並んで、日本語ラップは一気に層を厚くしていく。1999年のDragon Ash「Grateful Days」は、ヒップホップを日本中のヒットチャートに連れ出した。

2000年代は、Rip Slyme(「楽園ベイベー」2002)、Kick the Can Crew、そしてKREVAがポップスの舞台でヒップホップを鳴らし、同時に地方都市に根づく無数のクルーが各地でイベントを開いた。ヌジャベスのジャズ・ヒップホップは、アニメ『サムライチャンプルー』の音楽とともに世界のリスナーを増やしていく。

2010年代の転機は、MCバトルだった。2012年からの「高校生RAP選手権」、そして2015年9月にテレビ朝日で始まった「フリースタイルダンジョン」(ZEEBRA率いる)が、即興でラップする対決を一気に茶の間の娯楽にした。R-指定(Creepy Nuts)、般若、サイプレス上野ら、バトルの猛者がスターになり、若い世代が一斉にマイクを握りはじめる。同時にKOHHのような孤高の存在や、川崎のBAD HOPなど、日本語のトラップで独自の世界観を描くアーティストが現れた。

そして2024年。Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」が、アニメ『マッシュル』のオープニングとTikTokを通じて世界的な大ヒットになり、Billboard Global 200で最高8位、国内のBillboard JAPAN Hot 100では19週にわたって1位に輝いた。日本語のラップが、日本語のまま世界の耳に届いた。かつての「輸入」の関係が、確実に変わった瞬間だ。

そして岩手にも、確かな熱源がある。盛岡や花巻で、マイクを握り、トラックを作る人たちが、いまも夜のフロアをつくっている。岩手のヒップホップ・アーティストの紹介はトップページ「HIP-HOP」へ。マガジンISSUE 05「岩手のヒップホップ、その熱源」もあわせてどうぞ。

ARTISTS | JAPAN51
いとうせいこう(2019年4月、アースデイ・コンサート2019・代々木公園野外ステージにて)
いとうせいこう東京|1980年代〜作家・タレント。1980年代半ばから日本語でのラップに取り組んだ、日本語ラップの草分けのひとり。
代表作「業界こんなもんだラップ」(1985)
2019年4月、アースデイ・コンサート2019・代々木公園野外ステージにて | 📷 Nesnad / CC BY 4.0
スチャダラパー(2022年8月、渋谷でのライブ)
スチャダラパー東京|1988〜Bose、ANI、SHINCO。ゆるく、でも本気の日本語ラップ。小沢健二との「今夜はブギー・バック」(1994)で広い層に届いた。
代表作「今夜はブギー・バック」(1994)
2022年8月、渋谷でのライブ | 📷 Nesnad / CC BY 4.0
キングギドラのZEEBRA(2008年、バンコクのアジアン・ヒップホップ・フェスティバルにて)
キングギドラ東京|1993〜K DUB SHINE、ZEEBRA、DJ OASIS。『空からの力』(1995)は硬派な日本語ラップのひとつの到達点とされる。
代表作『空からの力』(1995)
2008年、バンコクのアジアン・ヒップホップ・フェスティバルにて | 📷 Sry85 / CC BY 3.0
ZEEBRA(2008年10月、バンコクのアジアン・ヒップホップ・フェスティバル)
ZEEBRA東京|1993〜キングギドラの一員。日本語ラップを牽引し、「フリースタイルダンジョン」のオーガナイザー兼MCも務めた。
代表作『Based on a True Story』(1998)
2008年10月、バンコクのアジアン・ヒップホップ・フェスティバル | 📷 Sry85 / CC BY 3.0
RHYMESTER(2011年12月、COUNTDOWN JAPANでのライブ)
RHYMESTER東京|1989〜Mummy-D、宇多丸(Utamaru)、DJ JIN。日本語の韻の可能性を追求し続けるグループ。宇多丸はラジオパーソナリティとしても知られる。
代表作「B-BOYイズム」(1998)
2011年12月、COUNTDOWN JAPANでのライブ | 📷 Nesnad / CC BY-SA 3.0
宇多丸(RHYMESTER)/2026年4月、TBSラジオのスタジオにて
宇多丸東京|1989〜RHYMESTERのMC。ラジオ番組の司会など、ヒップホップ以外の領域でも言葉の力で多くのリスナーを獲得している。
代表作RHYMESTER
📷 さえぼー (Saebo) / CC0
RIP SLYME(2016年8月13日、ライブ)
RIP SLYME東京|1994〜RYO-Z、ILMARI、PES、SU、DJ FUMIYA。「楽園ベイベー」(2002)が大ヒットし、ヒップホップのポップ化を牽引した。
代表作「楽園ベイベー」(2002)
2016年8月13日、ライブ | 📷 Nesnad / CC BY-SA 4.0
Awich(2017年7月、沖縄・キャンプ・ハンセンでのライブ)
Awich沖縄|2000年代〜沖縄発の日本を代表する女性ラッパー。力強いリリックと表現力で、「Queendom」(2022)など国内外から評価を集める。
代表作「Queendom」(2022)
2017年7月、沖縄・キャンプ・ハンセンでのライブ | 📷 Tayler P. Schwamb (U.S. Marine Corps) / Public domain
DJ KRUSH(2007年、バンクーバーでのライブ)
DJ KRUSH東京|1980年代〜日本のヒップホップDJの草分け。KRUSH POSSEを経て英国のMo' Waxに見いだされ、1994年に『Krush』でソロデビュー。ジャズやアンビエントを溶かし込んだ作風で世界に知られる。
代表作『Krush』(1994)、『Meiso』(1995)、『漸 -ZEN-』(2001)
2007年、バンクーバーでのライブ | 📷 Jhayne / CC BY 2.0
Shing02(2011年9月、ニューヨークのb.p.m.でのライブ)
Shing02東京|1995〜東京生まれ。幼少期をタンザニアや英国で過ごし、15歳で渡米。日英両語を操り、1999年の『緑黄色人種』で知られる。Nujabesの「Luv(sic)」シリーズへの参加でも広く知られる。
代表作『緑黄色人種』(1999)、「Luv(sic) Part3」(2005)、『歪曲』(2008)
2011年9月、ニューヨークのb.p.m.でのライブ | 📷 May S. Young from Metro NYC, United … / CC BY 2.0
THA BLUE HERB(2016年のステージ)
THA BLUE HERB札幌|1997〜MCのILL-BOSSTINO、トラックメイカーのO.N.O、DJ DYE。札幌から自主レーベルで発信を続け、『LIFE STORY』『TOTAL』はオリコン15位。フジロックなど大型フェスにも出演する。
代表作『STILLING, STILL DREAMING』(1999)、『SELL OUR SOUL』(2002)、『LIFE STORY』(2007)
2016年のステージ | 📷 Nesnad / CC BY-SA 4.0
PUNPEE(2024年7月、ライブにて)
PUNPEE東京|2000年代〜文京区生まれ、板橋育ち。2006年にULTIMATE MC BATTLEの東京大会で優勝し、実弟の5lackらとPSGを結成。宇多田ヒカル「光」のリミックスも手がけた。
代表作『MODERN TIMES』(2017)、「光 (Ray Of Hope MIX)」(2017)
2024年7月、ライブにて | 📷 Nesnad / CC BY 4.0
呂布カルマ(2021年4月、Sasa Folk Jamboreeでのライブ)
呂布カルマ名古屋|2000年代〜兵庫生まれ、名古屋を拠点とするラッパー。MCバトルで頭角を現し、KING OF KINGSを二度制し、2021年にはULTIMATE MC BATTLEでも優勝した。メディア出演も多い。
代表作KING OF KINGS二度優勝、ULTIMATE MC BATTLE優勝(2021)
2021年4月、Sasa Folk Jamboreeでのライブ | 📷 Jun Tsuneda / CC BY-SA 4.0
近田春夫東京|1980年代〜ミュージシャン。President BPM名義でのラップなど、日本語ラップの黎明期を支えた。
代表作President BPM名義の活動
藤原ヒロシ / 高木完東京|1980年代〜TINNIE PUNXとして、日本のヒップホップと DJ カルチャーの黎明期を作った先駆者たち。
代表作TINNIE PUNX
Dragon Ash東京|1996〜降谷建志(Kj)が率いる。「Grateful Days」(1999)でヒップホップ的手法を日本のヒットチャートに持ち込んだ。
代表作「Grateful Days」(1999)
KICK THE CAN CREW東京|1996〜KREVA、MCU、LITTLE。ポップでキャッチーなヒップホップで2000年代前半に人気を集めた。
代表作「マルシェ」(2002)
KREVA東京|1996〜KICK THE CAN CREW出身。MC、トラックメイカー、ライブ演出まで一人で担える日本屈指のアーティスト。
代表作『新人クレバ』(2004)、『愛・自分博』(2006)
Nujabes東京|1990年代〜2010ジャズとヒップホップを滑らかに混ぜたトラックメイカー。『Modal Soul』(2005)、『サムライチャンプルー』の音楽で世界中のリスナーを獲得。2010年に亡くなった。
代表作『Metaphorical Music』(2003)
般若東京・三軒茶屋|1990年代〜怒りと生活を言葉にする硬派なMC。「フリースタイルダンジョン」の最後の相手、いわゆる「ラスボス」として知られた。
代表作自伝『何者でもない』(2018)
Creepy Nuts東京|2013〜R-指定とDJ松永のユニット。「Bling-Bang-Bang-Born」(2024)がアニメ『マッシュル』とTikTokで世界的ヒットとなり、Billboard Global 200で8位を記録した。
代表作「Bling-Bang-Bang-Born」(2024)
KOHH東京・王子|2012〜日本語トラップの先駆けとして海外のヒップホップ・メディアからも注目された、独自の世界観を持つラッパー。
代表作『MONOCHROME』(2014)
ZORN東京|2000年代〜家族や日常を温かい視点で描くラッパー。
代表作「家庭の事情」(2021)
サイプレス上野とロベルト吉野横浜|2000年代〜横浜から全国へ。「フリースタイルダンジョン」のバトルモンスターとしても知られる。
代表作「フリースタイルダンジョン」出演
BAD HOP川崎|2014〜T-Pablow、YZERRら川崎のクルー。日本語トラップを世代の声に押し上げ、2024年に東京ドームでのラスト公演を行い解散した。
代表作「Kawasaki Drift」(2018)
ECD東京|1987〜東京生まれ、中野区で育った。1987年に活動を始め、1996年には「さんピンCAMP」をプロデュースするなど、日本語ラップの土台を築いた。2018年に57歳で亡くなった。
代表作『ECD』(1992)、『ホームシック』(1995)、『Final Junky』(2004)
BUDDHA BRAND東京|1989〜DEV LARGE、CQ、NIPPS、DJ MASTERKEYの4人。ニューヨークで前身グループ「うわさのチャンネル」を結成し、1990年に改名。1996年に「人間発電所 プロローグ」でデビューした。
代表作「人間発電所 プロローグ」(1996)、「ブッダの休日」(1997)、『これがブッダブランド!』(2019)
DEV LARGE東京|1980年代〜BUDDHA BRANDのリーダーで、代々木生まれのMC。1998年に自身のレーベルEL DORADO RECORDSを設立し、プロデューサー、DJとしても活動した。2015年に45歳で亡くなった。
代表作『THE ALBUM (ADMONITIONS)』(2006)、『OOPARTS』(2011)
MICROPHONE PAGER東京|1992〜MUROとTWIGYのユニット。1992年に5人組で結成され、のち2人体制となった。1995年の『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』は、日本語ラップ黎明期のクラシックとされる。
代表作「改正開始」(1993)、『DON'T TURN OFF YOUR LIGHT』(1995)、『王道楽土』(2009)
SHAKKAZOMBIE東京|1993〜IGNITION MAN、BIG-O、TSUTCHIEの3人。1996年にメジャーデビューし、同年のさんピンCAMPにはBUDDHA BRANDと「大神」名義でも出演した。
代表作『HERO THE S.Z.』(1997)、『JOURNEY OF FORESIGHT』(1999)
DJ KENTARO仙台|1995〜仙台出身。13歳でDJを始め、2002年にDMC世界大会で日本人・アジア人として初優勝した。2006年に英Ninja Tuneと契約し、2007年に『Enter』でソロデビューした。
代表作『Enter』(2007)、『Contrast』(2012)
DABO千葉|1990年代〜千葉生まれのMC。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの一員として2000年にアルバムを発表し、同グループはDef Jam Japanの第1号アーティストとして契約した。
代表作『PLATINUM TONGUE』(2001)、『HITMAN』(2002)、『Diamond』(2003)
SEEDA東京|1990年代〜練馬生まれ。幼少期をロンドンで過ごし、1999年にSHIDA名義で『DETONATOR』を発表。『街風』(2007)は「THE SOURCE JAPAN」誌のアワードで年間1位のアルバムに選ばれた。
代表作『花と雨』(2006)、『街風』(2007)
KEN THE 390東京・町田|1999〜町田出身。1999年ごろからラッパーとして活動し、2006年に『Prologue』でソロデビュー。2011年に自身のレーベルDREAM BOYを設立し、『フリースタイルダンジョン』では審査員を務めた。
代表作『Prologue』(2006)、『WEEKEND』(2015)、『en route』(2021)
ANARCHY京都|2000年代〜京都・伏見の向島で育った。2005年にシングル「Ghetto King」でデビューし、2006年に1stアルバム『Rob The World』を発表。、2008年の『Dream and Drama』は複数の音楽誌で年間ベストに選ばれた。2014年にavexからメジャー作を発表した。
代表作『Rob The World』(2006)、『Dream and Drama』(2008)、『NEW YANKEE』(2014)
田我流山梨|2000年代〜山梨・笛吹出身。ニューヨーク留学を経て帰郷し、幼なじみとstillichimiyaを結成した。ソロ作も重ね、2011年の映画『サウダーヂ』には主演のひとりとして出演した。
代表作『作品集 JUST』(2008)、『B級映画のように2』(2012)、『Ride On Time』(2019)
Hilcrhyme新潟|2006〜新潟で結成された、MCのTOCとDJ KATSUのユニット(のちTOC一人の体制)。「春夏秋冬」(2009)で支持を広げ、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。2014年に日本武道館でワンマンを開いた。
代表作「春夏秋冬」(2009)、『リサイタル』(2010)
NORIKIYO神奈川・相模原|2000年代〜相模原を拠点にSD JUNKSTAを率いるラッパー、トラックメイカー。2007年のデビュー作『EXIT』は「THE SOURCE JAPAN」誌の「BEST OF JAPANESE RAP 2007」で3位に選ばれた。
代表作『EXIT』(2007)、『OUTLET BLUES』(2008)
梅田サイファー大阪|2007〜2007年、大阪・梅田の歩道橋で始まったサイファーから生まれた集合体。R-指定(Creepy Nuts)らが参加し、2023年に『RAPNAVIO』でメジャーデビューした。
代表作『ビッグジャンボジェット』(2021)、『RAPNAVIO』(2023)
5lack東京|2007〜PUNPEEの実弟。2007年にPSGの一員となり、2011年にはSICK TEAMにも加わったラッパー。ソロでも『夢から覚め。』(2015)、『KESHIKI』(2018)などを発表している。
代表作『我時想う愛』(2011)、『夢から覚め。』(2015)、『KESHIKI』(2018)
AKLO東京|2008〜東京生まれ、メキシコで育ったバイリンガルのラッパー。2008年から活動し、『The Package』(2012)、『The Arrival』(2014)を経て、2016年にトイズファクトリーからメジャーデビューした。
代表作『The Package』(2012)、『The Arrival』(2014)、『Outside the Frame』(2016)
BIM神奈川・川崎|2011〜川崎出身。2011年にTHE OTOGIBANASHI'Sを結成し、CreativeDrugStoreにも名を連ねる。2018年の『The Beam』でアルバムデビューし、ドラマにも出演した。
代表作『The Beam』(2018)、『Boston Bag』(2020)、「BUDDY feat. PUNPEE」(2018)
KID FRESINO埼玉|2011〜埼玉県所沢市出身。Fla$hBackSでDJ・トラックメイカーを務めたのち、2013年に『Horseman's Scheme』でソロデビュー。ジャンルを横断するサウンドで『ài qíng』(2018)などを発表している。
代表作『Conq.u.er』(2015)、『ài qíng』(2018)、『20,Stop it.』(2021)
KANDYTOWN東京・世田谷|2012〜世田谷の幼なじみによるクルー。KEIJU、Ryohu、IO、Gottzらが所属し、2016年にメジャー1stアルバムを発表。2023年3月の日本武道館でのラストライブで活動を終えた。
代表作『KANDYTOWN』(2016)、『LAST ALBUM』(2022)
KEIJU (YOUNG JUJU)東京・世田谷|2012〜KANDYTOWNのメンバー。2016年にYOUNG JUJU名義の『JUZZY '92』でソロデビューし、2017年のメジャー契約を機に改名。現在はKEIJU名義で活動する。
代表作『JUZZY '92』(2016)、『T.A.T.O.』(2020)、『N.I.T.O.』(2025)
JP THE WAVY神奈川・湘南|2012〜湘南出身。2017年の「Cho Wavy De Gomenne」(SALUとのリミックス)で注目され、2021年に映画『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』のサントラに参加、GQ MEN OF THE YEARのベスト・ラップ・アーティスト賞も受賞した。
代表作「Cho Wavy De Gomenne」(2017)、『LIFE IS WAVY』(2020)
kZm東京|2015〜渋谷生まれ。2015年にkiLLaのリーダーとして活動を始め、のちYENTOWNの一員となった。『DIMENSION』(2018)でソロデビューし、BIMや5lackら多くのラッパーと共演している。
代表作『DIMENSION』(2018)、『DISTORTION』(2020)、『DESTRUCTION』(2024)
Tohji横浜|2017〜ロンドン生まれ、横浜育ち。2017年から活動し、gummyboyとのMall Boyzでも知られる。2026年での引退と、11月17日の東京ドーム公演(最後のライブ)を発表している。
代表作『angel』(2019)、『t-mix』(2022)
Daichi Yamamoto京都|2017〜京都を拠点とするラッパー、美術家。ロンドンの美大留学を経て2017年に帰国し、音楽活動を本格化。ピアニストAaron Choulaiとの共作EP『WINDOW』(2018)を経て、『Andless』(2019)で注目を集めた。
代表作『Andless』(2019)、『Elephant In My Room』(2020)
唾奇沖縄・那覇|2010年代〜那覇出身。ビートメイカーSweet Williamとのアルバム『Jasmine』(2017)で評価を確立し、2025年12月には初の日本武道館公演「Camellia」を開催した。
代表作『Jasmine』(2017)、『道 -TAO-』(2018)、『Camellia』(2025)
¥ELLOW BUCKS岐阜・高山|2010年代〜岐阜県高山市出身、1996年生まれ。2019年にオーディション番組「ラップスタア誕生!」シーズン3で優勝し、東海エリアを代表する若手として注目された。
代表作『Jungle』(2020)、『Ride 4 Life』(2022)
PLAY | JAPAN43
小沢健二 featuring スチャダラパー今夜はブギー・バック (nice vocal)・1994YouTubeで開く ↗
MU-TON vs 呂布カルマKING OF KINGS 2019 GRAND CHAMPIONSHIP FINAL (MCバトル)・2019YouTubeで開く ↗
これだけ知っていれば読める
Words

ヒップホップ用語集——記事も歌詞も、これで読める32語

ブレイクからグライムまで。記事や歌詞カードでよく出てくる言葉を、1〜2文で押さえる。

ヒップホップの記事やクレジットを読んでいると、聞き慣れない言葉が次々に出てくる。英語の略語や隠語、機材の名前、ジャンルの呼び名。意味を知らないまま読み飛ばすと、せっかくの面白い話が半分しか入ってこない。ここに並べたのは、音の作り方、ラップの技、曲の呼び方、ジャンル名、文化の用語の順に、よく出る32語だ。英語の記事をそのまま読むときの助けにもなる。全部を覚える必要はない。引っかかった言葉が出てきたら、ここに戻ってくればいい。

ブレイク Break
ファンクやソウルの曲で、ドラムとベースだけになる短い区間。DJは2枚のレコードでここを引き延ばし、踊る人に差し出した。
ブレイクビーツ Breakbeat
ブレイクから切り出したドラム中心のビート素材。それを使って組んだリズム自体も、こう呼ぶ。
サンプリング Sample
既存のレコードの一部を取り込み、別の曲の素材にすること。取り込んだ音そのものも「サンプル」、それを繰り返して使うのが「ループ」だ。
チョップ Chop
サンプルを細かく切り、パッドに割り当て、元とは違う順番で叩き直す技。
フリップ Flip
元ネタの曲を、まったく別の曲に作り替えること。ネタをどう変えたかが、トラックメイカーの腕の見せどころになる。
クレイト・ディギング Crate digging
中古レコード店や古い箱の山を探って、ネタになるレコードを掘り出すこと。熱心な人は「ディガー」と呼ばれる。
サイファー Cypher
輪になってマイクを回し、順番にラップを披露する場。競うというより、技を見せ合う場として語られる。
フリースタイル Freestyle
書いた歌詞ではなく、その場で即興で作って歌うラップ。広くは、曲の枠を離れて自由に披露するラップを指す。
フロウ Flow
ビートに言葉をどう乗せるか、その抑揚・間・リズムの付け方。同じ歌詞でも、フロウが違えば別の曲に聞こえる。
バース/バー Verse / Bars
バースはラップのひとまとまりで、多くは16小節。その小節を「バー」と数え、転じて「バーが良い」は歌詞の出来がいいことを言う。
パンチライン Punchline
言葉遊びや意外な切り返しで、聴き手をハッとさせたり笑わせたりする決めの一行。
フック Hook
曲の「サビ」にあたる、繰り返される印象的なフレーズ。耳に引っかかる(hook)ことが名前の由来だ。
アドリブ Ad-lib
ラップの合間に入れる合いの手や掛け声。「Yeah」「Skrrt」のような短い声で、曲に勢いを足す。
フィーチャリング Feature
ほかのアーティストが客演で参加すること。曲名に「feat.」と付き、ヒップホップでは「フィーチャー」と略されることもある。
ミックステープ Mixtape
もとはDJが編集して出回らせたカセット。今は、正式なアルバムとは別に、ラッパーが無料配信などで出す作品を指すことが多い。
ディス・トラック Diss track
特定の相手を名指しして批判する曲。「ディス」はdisrespect(軽んじる)の略で、返す曲を「アンサー」と呼ぶ。
コサイン Cosign
知名度のあるアーティストが、新人や別のアーティストを公に認めて後押しすること。客演や名前を出すことでも示される。
808 TR-808
ローランドのドラムマシン(1980年発売)。長く伸びる低音のキックがヒップホップの骨格になり、その低音そのものも「808」と呼ばれる。
ハイハット・ロール Hi-hat roll
ハイハットを1拍の中で細かく連打し、速さや音程を変えて転がす手法。トラップの特徴のひとつ。
ダブルタイム Double time
ビートの速さは変えずに、ラップの刻みを倍の細かさにして畳みかけるフロウ。
三連フロウ Triplet flow
1拍を3つに割って言葉を詰め込むフロウ。Migosの「Versace」(2013)が代表例とされる。
オートチューン Auto-Tune
音程を自動補正するソフト(1997年発売)。極端にかけて声を楽器のように加工する使い方が、T-Painや、カニエ・ウェストの『808s & Heartbreak』(2008)などで広まった。
チョップド&スクリュード Chopped & screwed
曲のテンポを大きく落とし、飛ばしたりスクラッチしたりする加工。1990年代前半、ヒューストンのDJスクリューが広めた。
クランク Crunk
メンフィスとアトランタで育った、掛け声と重低音で煽るパーティー向けのサウンド。リル・ジョン「Get Low」(2003)で全国に知られた。
トラップ Trap
アトランタの隠語(麻薬を売る場所)が語源の、808とハイハット・ロールが軸の南部発サウンド。2010年代に世界の主流になった。
ドリル Drill
2010年代初頭のシカゴで生まれた、トラップを土台に暗く直接的な歌詞を淡々と乗せるスタイル。チーフ・キーフ「I Don't Like」(2012)で広まり、のちにロンドンやブルックリンにも広がった。
マンブル・ラップ Mumble rap
言葉の明瞭さより、メロディや雰囲気を重んじるスタイルを指す呼び名。もとは批判的に使われた言葉で、定義は曖昧だ。
ブームバップ Boom bap
キックの「ブーン」とスネアの「バップ」から。サンプルのドラムを切り出した、1990年代ニューヨークの硬いビートを指す。
Gファンク G-funk
Dr.ドレー『The Chronic』(1992)で広まった西海岸のサウンド。Pファンクのサンプル、高音のシンセ、90〜100BPMのゆったりしたグルーヴが特徴。
グライム Grime
2000年代初頭のロンドン東部で生まれた、約140BPMの電子的なビートに乗るラップ。ディジー・ラスカル『Boy in da Corner』(2003)がマーキュリー賞を受賞した。
Bボーイ/Bガール B-boy / B-girl
ブレイクダンスをする人。クール・ハークが自分のパーティーで踊る人たちをこう呼んだのが始まりとされる。2024年のパリ五輪で、ブレイキングは正式競技になった。
タグ/ピース Tag / Piece
グラフィティの用語。タグは自分の名前を素早く書くサイン、ピースは時間をかけて描く本格的な作品を指す。
ESSENTIAL ALBUMS | まず聴くべき26枚
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どこから聴く? 年代順・必聴アルバム

全部は聴けない。だから、ここまでの話に出てきた名前から、一枚ずつ。気になった年代から、上から順に潰していけば、ヒップホップの地図がだいたい頭に入る。

  1. 1987
    Eric B. & Rakim

    Paid in Full

    ラップを「語り」から「芸術」へ。ラキムの落ち着いた声が、すべてのMCの基準になった。

  2. 1988
    Public Enemy

    It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back

    ボム・スクワッドの轟音と、チャックDの怒り。政治と音圧が衝突する名盤。

  3. 1988
    N.W.A

    Straight Outta Compton

    ギャングスタ・ラップを全米に広めた転換点。街の言葉をそのまま鳴らした衝撃作。

  4. 1991
    A Tribe Called Quest

    The Low End Theory

    ジャズのベースとサンプルの理想形。ブームバップの「軽やかな知性」を知るならここ。

  5. 1992
    Dr. Dre

    The Chronic

    Gファンクの完成形。スヌープが世に出た一枚でもある。西海岸の入口。

  6. 1993
    Wu-Tang Clan

    Enter the Wu-Tang (36 Chambers)

    荒削りなRZAのビートと、9人のMCの競演。ニューヨークの逆襲の号砲。

  7. 1994
    Nas

    Illmatic

    10曲、約40分。ブームバップの「最高傑作」候補として、まず名前が挙がる一枚。

  8. 1994
    The Notorious B.I.G.

    Ready to Die

    低くて甘い声のストーリーテリング。成り上がりと影を同じ重みで描く。

  9. 1995
    Mobb Deep

    The Infamous

    冷たく不穏なループ。ニューヨークの暗部を、最短距離で伝える。

  10. 1995-96
    2Pac

    Me Against the World / All Eyez on Me

    内省の『Me Against the World』と、豪華な2枚組。同じ人物の二つの顔を並べて聴く。

  11. 1996
    Jay-Z

    Reasonable Doubt

    デビュー作にして、のちの帝王の原点。クールで知的なハスラー・ラップ。

  12. 1998
    OutKast

    Aquemini

    南部の誇りと、サイケで自由な発想。アトランタが世界の舞台に立った一枚。

  13. 1998
    Lauryn Hill

    The Miseducation of Lauryn Hill

    ラップとソウルを一つの声で。時代を超えて聴かれ続ける、唯一無二の傑作。

  14. 2000
    Eminem

    The Marshall Mathers LP

    毒と笑いと告白。超高速のライムと物語の巧みさは、いま聴いても圧倒される。

  15. 2004
    Kanye West

    The College Dropout

    チップマンク・ソウルの温かい質感。ラップに「弱さ」を持ち込んだデビュー作。

  16. 2004
    Madvillain

    Madvillainy

    MFドゥーム×マッドリブ。ざらついたループと奇想の言葉遊び。アンダーグラウンドの金字塔。

  17. 2006
    J Dilla

    Donuts

    「揺れるドラム」の教科書。ローファイ・ヒップホップの原点のひとつ。

  18. 2008
    Lil Wayne

    Tha Carter III

    初週100万枚超。ミックステープ時代の勢いを持ち込み、2008年の全米年間売上1位に。

  19. 2011
    Drake

    Take Care

    ラップと歌、不安と余裕。ストリーミング時代のムード・ミュージックの原型。

  20. 2012
    Kendrick Lamar

    good kid, m.A.A.d city

    少年の一日を映画のように描いた、コンセプト・アルバムの傑作。

  21. 2015
    Kendrick Lamar

    To Pimp a Butterfly

    ジャズとファンクと詩。黒人の歴史と自己嫌悪に向き合った、大作。

  22. 2015
    Future

    DS2

    トラップが、孤独と享楽の音楽として完成した一枚。808とオートチューンの教科書。

  23. 2017
    Migos

    Culture

    三連のフロウとアドリブで、「ノリ」でラップが成立することを証明した。

  24. 2017
    Lil Uzi Vert

    Luv Is Rage 2

    ロックとエモをトラップに溶かした、「XO Tour Llif3」収録のブレイク作。

  25. 2017
    Kendrick Lamar

    DAMN.

    ピューリッツァー賞に選ばれた一枚。フックの強さと内省の深さが両立している。

  26. 2018
    Travis Scott

    Astroworld

    ビートが何度も切り替わる、遊園地のようなトラップ大作。現在の「アルバムの作り方」の見本。

DIG DEEPER | 掘り方のコツ

気に入った曲が見つかったら、次は「元ネタ」を追うのがヒップホップの最高の遊びだ。サンプリングの元ネタを調べられる「WhoSampled」のようなサイトを使うと、ナズのビートがジャズの名曲に、ケンドリックの一曲がファンクのレコードに、すっとつながる。聴いたことのなかった60〜70年代のソウルやジャズが、ヒップホップを入口にして手に入る。

映像で歴史を追うなら、ドキュメンタリーが入口になる。ヒップホップ誕生の現場を撮った映画『Style Wars』(1983)と『Wild Style』(1983)、クラシックから現代までを当事者の証言で辿るシリーズ『Hip-Hop Evolution』、ア・トライブ・コールド・クエストの軌跡を追う『Beats, Rhymes & Life』(2011)、N.W.Aを描いた映画『Straight Outta Compton』(2015)。どれも、音を聴くだけでは分からない「その時代の空気」を教えてくれる。

  • 『Style Wars』(1983) ニューヨークの地下鉄グラフィティと、ブレイキングの熱気を記録したドキュメンタリー。
  • 『Wild Style』(1983) 初期ヒップホップの四つの要素をまとめて映した、最初期の劇映画。
  • 『Hip-Hop Evolution』(2016〜) 当事者へのインタビューで、ヒップホップの歴史をたどるシリーズ。
  • 『Beats, Rhymes & Life』(2011) ア・トライブ・コールド・クエストの絆と衝突を描いた作品。

音は、現場でいちばん鳴る。

ここまで読んで気になった曲があれば、次は盛岡の夜へ。HIP-HOPの夜も、レゲエの夜も、今月のカレンダーにまとまっています。岩手のヒップホップ・アーティストの紹介もトップページから。

画像・動画のクレジットについて

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