IWATE CLUB CRAWLERS
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1970s → NOW

HouseHistoryハウス全史

Disco → Chicago → Rave → EDM / 50 years in 1 page

1979年、ディスコは「死んだ」はずだった。だがその灰の中から、シカゴの倉庫でハウスが生まれた。フランキー・ナックルズ、ラリー・レヴァン、ダフト・パンク——4つ打ちのキックを軸に、世界のクラブ文化を作り直した半世紀を、年代とテーマで辿る。

80Artists
7Eras
17Chapters
50Years
序章 | PROLOGUE
Prologue

ディスコの灰から、ハウスは生まれた

ミラーボール
ミラーボール
フランキー・ナックルズ
フランキー・ナックルズ
ダフト・パンク
ダフト・パンク
ピギー・ゴウ
ピギー・ゴウ

ハウス・ミュージックを一言で言うなら、「4つ打ちのキックドラムで夜を終わらせない音楽」だ。1小節に4回、一定のバスドラムが打たれる。その上に、ベース、ハイハット、ボーカルの断片、ピアノのコード、サンプルがレイヤーされていく。同じ4つ打ちに、人は何時間でも踊れる。

その誕生は、1980年代前半のシカゴ。ただし、物語は少し遡る。1970年代のニューヨークで、黒人、ラテン系、そしてゲイのコミュニティが開いた小さなダンスパーティーがあった。そこで鳴っていたのがディスコだ。1979年、ディスコは白人中心のロック・ファンから「死ね」と叩かれ、ラジオとレコード会社から一斉に姿を消した。だがダンスフロアは消えなかった。

ディスコの終わりが、ハウスの始まりだった。ラジオが流さなくなったディスコの代わりに、シカゴの若いDJたちは、残ったレコードを繋ぎ、ドラムマシンで足し、自分たちで新しい曲を作りはじめた。ハウスという名前は、そのDJたちが働いていた店「ウェアハウス(Warehouse)」からきたとされる。

音の特徴は、シンプルさにある。ヒップホップが「サンプリングと言葉」で、レゲエが「リディムと低音」で世界に広がったとするなら、ハウスは「4つ打ちとグルーヴ」で、国境も言語も超えて広がった。ヨーロッパへ、日本へ、アフリカへ。あなたが盛岡のクラブで聴く4つ打ちの夜は、1980年代のシカゴの倉庫と、同じ血を引いている。

TIMELINE
  1. 1970デヴィッド・マンキューソが NYで会員制パーティーThe Loftを始める。ディスコ文化の原点とされる。
  2. 1977シカゴにThe Warehouse開店。DJは若きフランキー・ナックルズ。同年、ニューヨークではParadise Garageが開店(DJはラリー・レヴァン)。
  3. 1977ドナ・サマー「I Feel Love」。ジョルジオ・モロダーによる全編シンセの4つ打ち。のちのダンス・ミュージックの設計図になる。
  4. 19797月12日、シカゴ・コミスキー・パークでディスコ・デモリッション・ナイト。ディスコのレコードを爆破するイベントが暴動に発展。
  5. 1984ジェシー・サンダース「On and On」。最初期のハウス・レコードのひとつとされる。
  6. 1985ラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)「Mystery of Love」、ジェイミー・プリンシプル「Your Love」。
  7. 1986マーシャル・ジェファーソン「Move Your Body」。「ハウス・アンセム」の別名を持つ曲。
  8. 1987Phuture「Acid Tracks」。ローランドTB-303のうねりからアシッド・ハウスが誕生。
  9. 1988英国でセカンド・サマー・オブ・ラヴ。ハウスとエクスタシーの夏が、レイヴ文化を作る。
  10. 1997ダフト・パンク『Homework』。フレンチ・タッチの旗印。
  11. 2011アヴィーチー「Levels」。EDMが北米のメインストリームを占拠する。
  12. 2022ビヨンセ『Renaissance』。ハウスとクラブ文化への敬意を込めたポップスが、世界のチャートに戻ってくる。
PRELUDE | 前史
1970s

ディスコと、フロアを作った人たち

まだハウスという名前はない。だが、すべての原型がここにある。

ジョルジオ・モロダー(2007年撮影)
ジョルジオ・モロダー
ドナ・サマー(1977年撮影)
ドナ・サマー
ヴィレッジ・ピープル(2006年撮影)
ヴィレッジ・ピープル
1970NYのThe Loft。DJ、デヴィッド・マンキューソが自宅で会員制パーティーを開催
1977「I Feel Love」。ベースもシンセ、キックもシンセ。全部が機械だった
19797月12日、ディスコ・デモリッション・ナイト

ハウスの前に、ディスコがあった。1970年代前半、ニューヨークのダウンタウンには、黒人、ラテン系、ゲイの人々が夜通し踊れる場所がほとんどなかった。その空白を埋めたのが、ディスコだった。はじまりの場所とされるのが、デヴィッド・マンキューソが1970年から開いた会員制パーティーThe Loftだ。招待制で、アルコールを出さず、最高のサウンドシステムで音楽に集中する。クラブというより「共同体」に近い空間だった。

これに続いたのが、ニッキー・シアーノ(The Gallery)、そしてラリー・レヴァンがレジデントを務めたParadise Garage(1977〜1987)。ガレージで鳴っていたゴスペル、ソウル、ファンク、ダブの混ざった音は、のちに「ガレージ(NYハウス)」の源流とされる。1970年代なかば、DJの技術の面でも変化があった。フランシス・グラッソらが、曲と曲を切れ目なくつなぐ「ビート・マッチング」を確立し、夜を一本の流れにするDJ文化の基礎ができた。

ポピュラー音楽の側からは、1977年のドナ・サマー「I Feel Love」が決定的だった。プロデューサーのジョルジオ・モロダーが、ほぼ全編をシンセサイザーで組んだ。生のドラムもベースもなく、ミニマルな4つ打ちが延々と続く。ブライアン・イーノがこの曲を聴いて、デヴィッド・ボウイに「未来のサウンドを聴いた」と話したという逸話でも知られる。

生のバンドはいらない。機械と4つ打ちがあればいい。ハウスの設計図は、すでに1977年に引かれていた。

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)とスタジオ54のブームで、ディスコは一気に大衆化する。それが、反動を招く。1979年7月12日、シカゴのコミスキー・パークで、ラジオDJのスティーヴ・ダールが主催した「ディスコ・デモリッション・ナイト」。ディスコのレコードを爆破するイベントだったが、観客がフィールドになだれ込む騒ぎになり、試合が中止された。「ディスコ・サックス(ディスコは最悪)」の運動には、人種差別や同性愛嫌悪が混ざっていたとの指摘も多い。

ARTISTS | 1970s9
デヴィッド・マンキューソ(David Mancuso)ニューヨーク|1970〜2016The Loftの創設者。音質への徹底的なこだわりと、「パーティーは共同体」という思想で、クラブ文化の原点を作った。写真:フリー素材なし
ラリー・レヴァン(Larry Levan)ニューヨーク|1970s〜92Paradise Garageの伝説的DJ。1992年没。ゴスペルからダブまで混ぜる選曲は、ガレージの原型。
代表作Paradise Garage
写真:フリー素材なし
ニッキー・シアーノ(Nicky Siano)ニューヨーク|1970s〜The Galleryの若き天才DJ。3台目のターンテーブルを使ったり、ミックスを実験した。写真:フリー素材なし
フランシス・グラッソ(Francis Grasso)ニューヨーク|1960s〜2001ビート・マッチングを普及させた最初期のDJのひとり。写真:フリー素材なし
ジョルジオ・モロダー(2007年撮影)
ジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)イタリア→ミュンヘン|1970s〜シンセを使ったダンス・ミュージックの設計者。
代表作 「I Feel Love」(1977)
2007年撮影 | 📷 This Photo was taken by Wolfgang Moroder. Feel free to us / CC BY-SA 3.0
ドナ・サマー(1977年撮影)
ドナ・サマー(Donna Summer)ボストン|1970s〜2012「ディスコの女王」。2012年没。
代表作「I Feel Love」「Love to Love You Baby」
1977年撮影 | 📷 Casablanca Records / Public domain
シック(2018年撮影)
シック(Chic)ニューヨーク|1976〜ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズ。ベースラインがのちにヒップホップにもサンプルされた。
代表作「Le Freak」「Good Times」(1978-79)
2018年撮影 | 📷 Raph_PH / CC BY 2.0
ヴィレッジ・ピープル(2006年撮影)
ヴィレッジ・ピープルニューヨーク|1977〜ゲイ・カルチャーを象徴するグループ。
代表作「Y.M.C.A.」(1978)
2006年撮影 | 📷 Jackie from Monmouth County, NJ, USA / CC BY 2.0
グレース・ジョーンズ(2016年撮影)
グレース・ジョーンズジャマイカ→ニューヨーク|1970s〜ディスコ期の象徴的な歌手。ガレージでも愛された。
代表作「Pull Up to the Bumper」(1981)
2016年撮影 | 📷 Dave Gould / CC BY-SA 4.0
CHICAGO | シカゴ
1980s

倉庫で名前を得て、寝室で曲になった

ドラムマシンと、日本製のベース・シンセ。ハウスは、すべてを持っていなかった若者たちの発明だった。

フランキー・ナックルズ(2012年撮影)
フランキー・ナックルズ
ラリー・ハード(2010年撮影)
ラリー・ハード
マーシャル・ジェファーソン(2020年撮影)
マーシャル・ジェファーソン
1977The Warehouse(シカゴ)が営業開始。のちの「ハウス」の語源とされる
1980s初頭シカゴのラジオ局WBMXでDJミックス番組が人気に。ハウスの下地を作る
1987Phuture「Acid Tracks」。TB-303で作られたアシッドの原点

シカゴ——倉庫から生まれた名前

1977年、シカゴの工業地区の倉庫で営業を始めたThe Warehouseは、黒人のゲイ・コミュニティが集まるクラブだった。DJはニューヨークから招かれたフランキー・ナックルズ。彼はディスコのレコードをつなぎ、リールテープで編集し、後にはドラムマシンを重ねて、オリジナルのグルーヴを作った。ここに通う人たちがレコード店で「Warehouseでかかっているような音楽をください」と言ったのが、「ハウス・ミュージック」の名前になったとされる。

1982年、ナックルズはウェアハウスを離れて新しいクラブ「Power Plant」を開く。入れ替わるように、ロン・ハーディがクラブ「Music Box」で攻撃的でエキセントリックなプレイを繰り広げた。二人は、ハウスの「二大巨頭」と呼ばれる。ナックルズは滑らかで官能的、ハーディは荒々しく、ディスコの断片をテープで切り貼りしてダンスフロアを爆発させた。

一方で、レコード店で働く若いDJやプロデューサーが、自分でも曲を作りはじめた。道具は、日本のローランドが売っていたTR-808、TR-909(ドラムマシン)、TB-303(ベース・シンセ)。本来は生バンドの伴奏用機材だったが、ほとんど売れず中古市場で安く買えた。若者たちはそれを買い込み、寝室で曲を作り、友人のDJに渡した。ジェシー・サンダース「On and On」(1984)、マーシャル・ジェファーソン「Move Your Body」(1986)、スティーヴ“シルク”ハーレー「Jack Your Body」(1986/87)——この最後の曲は、1987年に英国で1位になる。

ディープ・ハウスとアシッド

ラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)の「Mystery of Love」(1985)や「Can You Feel It」(1986)は、冷たいシンセと内省的な雰囲気で、のちにディープ・ハウスと呼ばれる流れの原点になった。一方で、1987年、シカゴの3人組Phuture(DJピエール、スパンキー、ハーブ・J)が発表した「Acid Tracks」は、TB-303のベースを極端にいじってうねらせた、奇妙なサウンドだった。「アシッド・ハウス」はここから生まれ、英国と世界のレイヴ文化を直撃する。

ニューヨーク——ガレージとその先

ニューヨークでは、ラリー・レヴァンが1987年にParadise Garageを閉じた後も、ガレージ(NYのハウス)の精神は生き続けた。ニュージャージーのクラブ「ザンジバル」で、トニー・ハンフリーズがソウルフルなハウスを育て、トッド・テリーは「Bango」(1988)のようなラテンの香りのするトラックを量産した。

ARTISTS | 1980s14
フランキー・ナックルズ(2012年撮影)
フランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)ブロンクス→シカゴ|1970s〜2014「ハウスのゴッドファーザー」。2014年3月31日没。「Your Love」「The Whistle Song」。
代表作「Your Love」(1987)
2012年撮影 | 📷 HaeB / CC BY-SA 4.0
ロン・ハーディ(Ron Hardy)シカゴ|1970s〜92Music Boxの伝説的DJ。エディットとテンポ操作で、フロアを限界まで煽った。1992年没。
代表作Music Box
写真:フリー素材なし
ラリー・ハード(2010年撮影)
ラリー・ハード(Larry Heard / Mr. Fingers)シカゴ|1980s〜「ディープ・ハウスの創始者」。内省的で、ジャジーなシンセの美学。
代表作「Can You Feel It」
2010年撮影 | 📷 Achi Raz / CC BY 2.0
マーシャル・ジェファーソン(2020年撮影)
マーシャル・ジェファーソン(Marshall Jefferson)シカゴ|1980s〜「Move Your Body」。ピアノ・ハウスの発明者としても知られる。
代表作「Move Your Body」(1986)
2020年撮影 | 📷 TheArches / CC BY 2.0
ジェシー・サンダース(Jesse Saunders)シカゴ|1980s〜「On and On」(1984)は最初のハウス・レコードのひとつとされる。
代表作「On and On」
写真:フリー素材なし
ファーレー・ジャックマスター・ファンクシカゴ|1980s〜「Love Can't Turn Around」(1986)が英国ヒット。写真:フリー素材なし
スティーヴ・“シルク”・ハーレー(2010年撮影)
スティーヴ・“シルク”・ハーレーシカゴ|1980s〜「Jack Your Body」は1987年の英国1位。
代表作「Jack Your Body」
2010年撮影 | 📷 Uzerakount (talk) / CC BY-SA 3.0
フューチャー(Phuture)シカゴ|1985〜DJピエールらの3人組。「Acid Tracks」でアシッド・ハウスを生んだ。
代表作「Acid Tracks」(1987)
写真:フリー素材なし
ジェイミー・プリンシプル(Jamie Principle)シカゴ|1980s〜官能的な歌声。「Your Love」はナックルズの手でハウスの定番に。
代表作「Your Love」
写真:フリー素材なし
トッド・テリー(2013年撮影)
トッド・テリー(Todd Terry)ブルックリン|1980s〜ラテン/サンプル中心のNYハウスの旗手。
代表作「Bango」(1988)
2013年撮影 | 📷 TheRSSShow / CC BY 3.0
トニー・ハンフリーズ(Tony Humphries)ニュージャージー|1980s〜クラブ・ザンジバルのDJ。ソウルフルな「ジャージー・サウンド」を確立。写真:フリー素材なし
ブラック・ボックス(Wikimedia Commons)
ブラック・ボックス(Black Box)イタリア|1989〜「Ride on Time」(1989)が欧州で大ヒット。イタロ・ハウスの代表曲。
代表作「Ride on Time」
📷 David Jones / CC BY 2.0
ジョー・スムース(Joe Smooth)シカゴ|1980s〜ゴスペル的な高揚感のあるシカゴ・ハウス。
代表作「Promised Land」(1987)
写真:フリー素材なし
M/A/R/R/S英国|1987「Pump Up the Volume」(1987)が英国1位。サンプリングとハウスの出会い。
代表作「Pump Up the Volume」
写真:フリー素材なし
GLOBAL HOUSE
1990s

レイヴと、パリの陽気なフィルター

シカゴの音が大西洋を渡り、ロンドンで暴走し、パリで洗練された。

クリスタル・ウォーターズ(2014年撮影)
クリスタル・ウォーターズ
ダフト・パンク(2013年撮影)
ダフト・パンク
アーマンド・ヴァン・ヘルデン(2024年撮影)
アーマンド・ヴァン・ヘルデン
1988〜89英国のセカンド・サマー・オブ・ラヴ。ハウスとレイヴが若者文化に
1991ロンドンに「Ministry of Sound」開業(1991年)
1995ダフト・パンク「Da Funk」。フレンチ・タッチの起点

ハウスは英国で爆発した

1987年、ロンドンのDJ、ポール・オークンフォールドらがスペイン・イビサ島で聴いた「ありえないほど開放的なダンス」を英国に持ち帰る。ここにシカゴのハウス、アシッドが重なり、1988〜89年のセカンド・サマー・オブ・ラヴが起きる。スマイリーマーク、廃工場、野原でのイリーガル・レイヴ。マンチェスターではファクトリー・レコードのクラブ「ハシエンダ」が中心になり、808 Stateや A Guy Called Geraldの「Voodoo Ray」(1988)が出た。

政府は、この文化を規制した。1994年の「犯罪司法及び治安法(Criminal Justice and Public Order Act)」は、「反復するビートを主に含む音楽」の屋外集会を禁止対象に含めた。音楽のジャンルが法律に書かれた、珍しい例だ。

米国と世界

米国では、ハウスは次第にR&Bと混ざり、ポップなボーカル・ハウスとしてヒットした。クリスタル・ウォーターズ「Gypsy Woman (She's Homeless)」(1991)、CeCe Peniston「Finally」(1991)、C+C Music Factory「Gonna Make You Sweat」(1990)、Robin S.「Show Me Love」(1993)。ニューヨークのマスターズ・アット・ワーク(ルイ・ヴェガとケニー“ドープ”ゴンザレス)は、ラテンやアフロを混ぜた「ニューヨリカン・ソウル」を提示した。

一方、ヨーロッパではハウスが分岐する。ベルリンでは1989年にラヴ・パレードが始まり、トレゾアが1991年にオープン。ベルギー、イタリア、オランダでもテクノ、トランスが発展した。パリでは、1990年代後半にフレンチ・タッチが出現する。ダフト・パンク『Homework』(1997)、スターダスト「Music Sounds Better with You」(1998)、カシアス、モジョ「Lady」(2000)。ディスコのサンプルをフィルターで加工した、ファンキーで陽気な音だった。

ハウスは、ひとつの音ではない。街ごとに違う顔を持った言語だった。
ARTISTS | 1990s20
マスターズ・アット・ワーク(Masters at Work)ニューヨーク|1990s〜ルイ・ヴェガ&ケニー“ドープ”。リミックスの量と質でNYハウスを牽引。
代表作『Nuyorican Soul』(1997)
写真:フリー素材なし
ロビン・S(Robin S)ニューヨーク|1990s「Show Me Love」(1993)。のちにビヨンセ「Break My Soul」(2022)がサンプルした。
代表作「Show Me Love」
写真:フリー素材なし
クリスタル・ウォーターズ(2014年撮影)
クリスタル・ウォーターズ(Crystal Waters)ニュージャージー|1990s〜「Gypsy Woman」。ボルチモア勢の洗練されたポップ・ハウス。
代表作「Gypsy Woman」(1991)
2014年撮影 | 📷 Bull-Doser / Public domain
ダフト・パンク(2013年撮影)
ダフト・パンク(Daft Punk)パリ|1993〜2021トーマ・バンガルテルとギ=マニュエル。『Homework』『Discovery』。2021年解散。
代表作『Homework』(1997)
2013年撮影 | 📷 w:Sony Music Entertainment / Public domain
カシアス(Cassius)パリ|1990s〜フレンチ・タッチの重要ユニット。
代表作『1999』
写真:フリー素材なし
スターダスト(Stardust)パリ|1998「Music Sounds Better with You」。トーマ・バンガルテルが参加した1曲限りのユニット。
代表作「Music Sounds Better with You」
写真:フリー素材なし
アーマンド・ヴァン・ヘルデン(2024年撮影)
アーマンド・ヴァン・ヘルデンボストン→NY|1990s〜「You Don't Know Me」(1999)。ブレイクビーツ・ハウスのヒットメーカー。
代表作「You Don't Know Me」
2024年撮影 | 📷 Hï Ibiza / CC BY 3.0
ファットボーイ・スリム(2004年撮影)
ファットボーイ・スリム英国|1990s〜「Praise You」。ビッグ・ビート。ハウスとブレイクビーツの混合で90年代末を席巻。
代表作「Praise You」
2004年撮影 | 📷 Shokophoto / CC BY 2.0
オービタル(2010年撮影)
オービタル(Orbital)英国|1989〜野外レイヴの象徴。英国のエレクトロニック・ミュージックの代表格。
代表作「Chime」
2010年撮影 | 📷 Edward Simpson from London, England / CC BY-SA 2.0
808ステイト(808 State)マンチェスター|1987〜ハシエンダ時代の主役。アシッドと電子ポップの橋渡し。
代表作「Pacific State」
写真:フリー素材なし
サシャ&ジョン・ディグウィード(2025年撮影)
サシャ&ジョン・ディグウィード英国|1990s〜プログレッシブ・ハウスの二大DJ。2025年撮影 | 📷 Lazz R / CC0
ダニー・ランプリング/ポール・オークンフォールド(2009年撮影)
ダニー・ランプリング/ポール・オークンフォールドロンドン|1980s〜イビサ・トリップをロンドンに持ち帰ったDJたち。2009年撮影 | 📷 Stuart Sevastos / CC BY 2.0
ケリー・チャンドラー(Kerri Chandler)ニュージャージー|1990s〜ニュージャージー発のディープ・ハウスの重鎮。ザンジバルの系譜。写真:フリー素材なし
ダニー・テナグリア(2012年撮影)
ダニー・テナグリア(Danny Tenaglia)ニューヨーク|1980s〜ニューヨークの長尺セットで知られるDJ。2012年撮影 | 📷 Kevin3141 (https://www.flickr.com/people/kevint3141) / CC BY 2.0
ベースメント・ジャックス(2013年撮影)
ベースメント・ジャックス(Basement Jaxx)ロンドン|1994〜ブリクストン発。ハウスにラテンとファンクを詰め込んだ。
代表作「Where's Your Head At」(2001)
2013年撮影 | 📷 Piotr Drabik from Poland / CC BY 2.0
アンダーワールド(Underworld)英国|1980s〜カール・ハイドとリック・スミス。レイヴ世代のアンセム。
代表作「Born Slippy .NUXX」(1996)
写真:フリー素材なし
カール・クレイグ(Carl Craig)デトロイト|1990s〜デトロイト第二世代のテクノ/ハウス。
代表作「Bug in the Bassbin」(1992)
写真:フリー素材なし
ムーディーマン(2010年撮影)
ムーディーマン(Moodymann)デトロイト|1990s〜デトロイトのディープ・ハウス。自主レーベル Mahogani Music。
代表作『Silentintroduction』(1997)
2010年撮影 | 📷 acidpolly / CC BY-SA 2.0
セオ・パリッシュ(2026年撮影)
セオ・パリッシュ(Theo Parrish)デトロイト|1990s〜荒く温かい質感のデトロイト・ハウス。レーベル Sound Signature。2026年撮影 | 📷 Theo Schear / CC BY-SA 4.0
ピート・トン(2009年撮影)
ピート・トン(Pete Tong)ロンドン|1980s〜BBCラジオ1「Essential Selection」で英国のダンス・ミュージックを紹介し続けるDJ。2009年撮影 | 📷 Aflickion / CC BY 2.0
ELECTRO & MINIMAL
2000s

ベルリン、ストックホルム、パリ——ハウスの再編

エレクトロの歪み、ミニマルの静けさ。ハウスはジャンルの内側に、無数の部屋を作りはじめた。

ダフト・パンク(2013年撮影)
ダフト・パンク
ジャスティス(Wikimedia Commons)
ジャスティス
デッドマウス(2009年撮影)
デッドマウス
2001ダフト・パンク『Discovery』。日本のアニメ(松本零士)と共同で映像化
2004ベルリンに「Berghain」(旧・東ドイツの発電所跡)が開業
2008スウェディッシュ・ハウス・マフィア結成

2000年代のハウスは、二つの方向に伸びた。ひとつはエレクトロ・ハウス——ジャスティス『†』(2007)、デッドマウス——の歪んだ音と、派手なシンセ。もうひとつはミニマル/テック・ハウス。リカルド・ヴィラロボス、リッチー・ホウティンらがベルリンで繰り広げた、削ぎ落とした反復の美学だ。

ベルリンは東西統一後の空き物件を使ったクラブ文化で、世界のクラブ・ミュージックの首都になった。ベルクハインは2004年に営業を始め、徹底した入場管理と撮影禁止で「現代クラブの聖地」と呼ばれる。

商業面では、デヴィッド・ゲッタが「When Love Takes Over」(2009)でハウスをヒップホップ/R&Bのポップスと結びつけた。ブラック・アイド・ピーズ「I Gotta Feeling」(2009)も、彼がプロデュースした。2008年に結成されたスウェディッシュ・ハウス・マフィア(アクスウェル、スティーヴ・アンジェロ、セバスチャン・イングロッソ)は、のちのEDMブームの下地を作った。

日本でも、フジロックやエレクトラグライドなどの野外フェスにハウスやテクノのDJが並び、クラブ文化が若者の間に定着していった(→ 日本の章)。

ARTISTS | 2000s12
ダフト・パンク(2013年撮影)
ダフト・パンク(Daft Punk)パリ|〜2021『Discovery』(2001)。「One More Time」「Harder, Better, Faster, Stronger」。
代表作『Discovery』
2013年撮影 | 📷 w:Sony Music Entertainment / Public domain
ジャスティス(Wikimedia Commons)
ジャスティス(Justice)パリ|2003〜ディスコのサンプルを歪ませたエレクトロ・ハウス。
代表作『†』(2007)
📷 Edwin van Dalen / CC BY 3.0
デッドマウス(2009年撮影)
デッドマウス(deadmau5)トロント|2000s〜マウスヘッドのプログレッシブ/エレクトロ・ハウスのプロデューサー。
代表作「Ghosts 'n' Stuff」(2008)
2009年撮影 | 📷 Haydn Curtis from New Zealand / CC BY 2.0
デヴィッド・ゲッタ(2012年撮影)
デヴィッド・ゲッタ(David Guetta)パリ|1990s〜ハウスをポップ・チャートに浸透させた。
代表作「When Love Takes Over」(2009)
2012年撮影 | 📷 Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0
ボブ・シンクレア(2026年撮影)
ボブ・シンクレア(Bob Sinclar)パリ|1990s〜フレンチ・ハウスの商業的成功者。
代表作「Love Generation」
2026年撮影 | 📷 CamilaAlves.raf / CC BY-SA 4.0
ロジャー・サンチェス(Wikimedia Commons)
ロジャー・サンチェス(Roger Sanchez)ニューヨーク|1990s〜「Another Chance」(2001)が欧州で大ヒット。
代表作「Another Chance」
📷 97.8 Dance FM / CC BY 3.0
リカルド・ヴィラロボス(2009年撮影)
リカルド・ヴィラロボスチリ→ベルリン|1990s〜ミニマルの代表的DJ。2009年撮影 | 📷 basic_sounds / CC BY-SA 2.0
リッチー・ホウティン(2018年撮影)
リッチー・ホウティン(Richie Hawtin)ウィンザー→デトロイト|1990s〜ミニマル・テクノ。別名プラスティックマン。2018年撮影 | 📷 Sven Volkens / CC BY-SA 4.0
カール・コックス(Wikimedia Commons)
カール・コックス(Carl Cox)英国|1980s〜90年代からのレジェンド。イビサのレジデントを長く務める。📷 M.Minderhoud / CC BY-SA 3.0
スウェディッシュ・ハウス・マフィア(2022年撮影)
スウェディッシュ・ハウス・マフィアストックホルム|2008〜アクスウェル、アンジェロ、イングロッソ。2013年に解散し、2018年に再結成。
代表作「One」(2010)
2022年撮影 | 📷 Dennis Radaelli / CC BY-SA 4.0
ブラック・アイド・ピーズ(2000年撮影)
ブラック・アイド・ピーズロサンゼルス|1995〜デヴィッド・ゲッタと組み、ダンスポップへ。
代表作「I Gotta Feeling」(2009)
2000年撮影 | 📷 Mika Väisänen / CC BY-SA 4.0
エリック・プライズ(2009年撮影)
エリック・プライズ(Eric Prydz)ストックホルム|2000s〜スウェーデンのプロデューサー。
代表作「Call on Me」(2004)
2009年撮影 | 📷 Haydn Curtis / CC BY 2.0
EDM
2010s

EDMブームと、アンダーグラウンドの反撃

スタジアムを満たした4つ打ちと、地下で温め続けた4つ打ち。どちらも「ハウス」の子どもだった。

アヴィーチー(2014年撮影)
アヴィーチー
カルヴィン・ハリス(2012年撮影)
カルヴィン・ハリス
デューク・デュモント(2014年撮影)
デューク・デュモント
2011アヴィーチー「Levels」。EDMが米国のスタジアムを満たす
2013Disclosure『Settle』。UKの新世代ハウス
2018アヴィーチー、4月20日に28歳で死去

2010年代の北米は、「EDMブーム」の渦に包まれた。ラスベガスのクラブ、ウルトラ・ミュージック・フェスティバル、エレクトリック・デイジー・カーニバル。アヴィーチー(Avicii)、カルヴィン・ハリス、スクリレックス、マーティン・ギャリックスが、ロック・スターのようにスタジアムを埋めた。この「EDM」は、ハウス、トランス、ダブステップなどをまとめた商業的な呼び名だ。そのため、クラブの現場では「EDM」と「ハウス」を分けて語る人も多い。

同時に、アンダーグラウンドでも、新しい世代がハウスを更新していた。UKのディスクロージャーは『Settle』(2013)でUKガラージとハウスを混ぜ、ポップスの語法にしてみせた。カナダのカイトラネイダ、英国のデューク・デュモントなど。ディープ・ハウスのリバイバルも起き、ラリー・ハードの影響をうけた若い世代が、再び「温かい4つ打ち」へ戻っていった。

一方で、アフリカからは新しいダンス・ミュージックが生まれていた。南アフリカのアマピアノは、ジャジーなピアノとログドラム(低音の打撃音)を軸にした独自のハウス派生で、2010年代後半から世界に広がる。

4つ打ちは変わらない。変わるのは、そこに誰が参加するかだ。
ARTISTS | 2010s11
アヴィーチー(2014年撮影)
アヴィーチー(Avicii)ストックホルム|2010s「Levels」「Wake Me Up」。EDMの象徴。2018年4月20日没、28歳。
代表作「Levels」(2011)
2014年撮影 | 📷 The Perfect World Foundation / CC BY 3.0
カルヴィン・ハリス(2012年撮影)
カルヴィン・ハリス(Calvin Harris)スコットランド|2000s〜「We Found Love」(2011)など世界的ヒットを連発。
代表作『18 Months』(2012)
2012年撮影 | 📷 Carlos Delgado / CC BY-SA 3.0
ディスクロージャー(2016年撮影)
ディスクロージャー(Disclosure)サリー|2010〜ローレンス兄弟。『Settle』(2013)でUKハウスを復興。
代表作『Settle』
2016年撮影 | 📷 Batiste Safont / CC BY-SA 4.0
デューク・デュモント(2014年撮影)
デューク・デュモント(Duke Dumont)ロンドン|2010s〜「Need U (100%)」(2013)が英国1位。
代表作「Need U (100%)」
2014年撮影 | 📷 swimfinfan from Chicago / CC BY-SA 2.0
カイトラネイダ(2016年撮影)
カイトラネイダ(Kaytranada)モントリオール|2010s〜ヒップホップとハウスを横断する、ファンキーなビート。
代表作『99.9%』(2016)
2016年撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
フィッシャー(Fisher)オーストラリア|2010s〜「Losing It」(2018)でテック・ハウスをポップなヒットに。
代表作「Losing It」
写真:フリー素材なし
ブラック・コーヒー(2018年撮影)
ブラック・コーヒー(Black Coffee)南アフリカ|2000s〜アフロ・ハウスの国際的スター。2022年にグラミー賞受賞。2018年撮影 | 📷 DeepBluuue / CC0
マーティン・ギャリックス(2023年撮影)
マーティン・ギャリックスオランダ|2010s〜EDMのポップ寄りのスター。
代表作「Animals」(2013)
2023年撮影 | 📷 Moiyeah / CC BY-SA 4.0
ジェイミー・エックスエックス(2011年撮影)
ジェイミー・エックスエックス(Jamie xx)ロンドン|2010s〜The xxのメンバー。クラブとポップの境界を溶かす。
代表作『In Colour』(2015)
2011年撮影 | 📷 James Morris from London, England / CC BY 2.0
カイゴ(2016年撮影)
カイゴ(Kygo)ベルゲン|2010s〜トロピカル・ハウスの顔。
代表作「Firestone」(2014)
2016年撮影 | 📷 The Come Up Show / CC BY 2.0
ティエスト(2011年撮影)
ティエスト(Tiësto)オランダ|1990s〜トランスからEDM、ハウスまで時代に合わせて変わり続けるDJ。2011年撮影 | 📷 Brandon Lim / CC BY-SA 2.0
NOW
2020s

ポップスに戻ってきた4つ打ち

パンデミック、配信、そしてビヨンセ。クラブ文化はもう一度、世界の真ん中に座った。

ビヨンセ(2019年撮影)
ビヨンセ
ハニー・ディジョン(2017年撮影)
ハニー・ディジョン
ピギー・ゴウ(2019年撮影)
ピギー・ゴウ
2020パンデミックでクラブが閉鎖。世界中で配信DJ、ライブストリームが増える
2021ダフト・パンク解散(2月)
2022ビヨンセ『Renaissance』(7月)/ドレイク『Honestly, Nevermind』(6月)

2020年、パンデミックでクラブが閉じた。それでもDJたちは配信を続け、人々はリビングで踊った。2021年に再開したクラブには、新しい世代が押し寄せた。

2022年は、「ハウスがポップスに戻った年」として語られる。6月、ドレイクが『Honestly, Nevermind』でほぼ全編をハウス/クラブ・サウンドにして発表。同じ6月にビヨンセが先行曲「Break My Soul」(ロビン・Sの「Show Me Love」をサンプル)を、7月にはアルバム『Renaissance』を発表した。この作品では、ニューオーリンズのバウンス、ディスコ、ハウスの伝統が、黒人とクィアのクラブ文化への敬意とともに再構成された。

ピギー・ゴウ(Peggy Gou)は韓国生まれのDJ。2023年の「(It Goes Like) Nanana」で世界的ヒットを出した。ハニー・ディジョンのような、トランスジェンダーのDJが、ハウスの源流と現在をつなぐ存在として注目された。一方、ロンドンのフォー・テット、スキリックスなどの活動も、クラブとポップスの垣根を溶かしている。

ハウスの歴史を一言で言えば、「居場所のなかった人たちが、4つ打ちの中で居場所を作った」物語だ。
ARTISTS | 2020s7
ビヨンセ(2019年撮影)
ビヨンセ(Beyoncé)ヒューストン|2022『Renaissance』。ハウスとクラブ文化を讃えたポップ・アルバム。
代表作『Renaissance』(2022)
2019年撮影 | 📷 Sassy / CC BY 3.0
ハニー・ディジョン(2017年撮影)
ハニー・ディジョン(Honey Dijon)シカゴ→NY|1990s〜シカゴ出身のDJ。トランスジェンダーのアーティストとして、ハウスの源流に連なる。2017年撮影 | 📷 LOVE Magazine / CC BY 3.0
ピギー・ゴウ(2019年撮影)
ピギー・ゴウ(Peggy Gou)ソウル→ベルリン|2010s〜「(It Goes Like) Nanana」(2023)。DJとファッションの両面で世界的な存在に。
代表作「(It Goes Like) Nanana」
2019年撮影 | 📷 DAVIDE GUIDONE / Public domain
ドレイク(2017年撮影)
ドレイク(Drake)トロント|2022『Honestly, Nevermind』でダンスフロア寄りに転換。
代表作『Honestly, Nevermind』
2017年撮影 | 📷 GabboT / CC BY-SA 2.0
フォー・テット(2018年撮影)
フォー・テット(Four Tet)ロンドン|1990s〜フォークトロニカからダンスまで。
代表作『Three』(2024)
2018年撮影 | 📷 Menschenmaterial / CC BY-SA 4.0
スキリックス(2011年撮影)
スキリックス(Skrillex)ロサンゼルス|2010s〜ダブステップ出身。近年はハウス寄りのセットもする。2011年撮影 | 📷 Weekly Dig / CC BY 2.0
フレッド・アゲイン…(2024年撮影)
フレッド・アゲイン…(Fred again..)ロンドン|2020sライブとボーカルのサンプルで感情的なダンスミュージックを作る。
代表作『Actual Life』
2024年撮影 | 📷 Kiqmah / CC0
TECHNOLOGY | 機材
Machines

808、909、303——日本製の三種の神器

売れ残ったローランドの機材が、世界中のフロアを揺らす音になった。

ハウスは、機材の音楽でもある。1980年代のシカゴで中心になったのは、ほぼすべて日本のローランド製だった。

TR-808(1980年発売)は、アナログ音源のドラムマシン。深く沈むバスドラムと、独特のクラップ、カウベルの音。もともと生ドラムの代用品として作られたが、リアルな音ではないとして、あまり売れなかった。しかし中古で手に入れたヒップホップとダンスのプロデューサーたちが、その「偽物の音」に価値を見出した。

TR-909(1983年)は、ハウスとテクノの標準ドラムマシンになった。サンプルとアナログのハイブリッドで、硬く弾けるキックと、ざらついたハイハット。いまもソフトウェアやハードウェアで再現され、世界中のフロアを支えている。

TB-303(1981年)は、ベースラインを自動演奏する小型シンセ。生ベースの代用品として売り出されたが、これも売れなかった。シカゴのPhutureが、つまみを回して極端に歪ませたとき、あの「ウネウネ」とした音が生まれ、アシッド・ハウスが誕生した。

売れ残った機械を、貧乏な若者が使い倒した。ハウスは、そこから始まる。

それからの40年で、ドラムマシンはソフトウェアになり、サンプラー(AKAI MPC、Ensoniq ASRなど)、DAW(Ableton Live、Logic、FL Studio)と進化した。だが、4つ打ちの核にあるのは、いまも808と909と303の音だ。

Roland TR-808。深く沈むバスドラムが、ハウスとヒップホップの定番になった。
Roland TR-808深く沈むバスドラムが、ハウスとヒップホップの定番になった。2014年撮影 | 📷 Roland_TR-808_&_909.jpg: Brandon Daniel derivative work: Clu / CC BY-SA 2.0
Roland TR-909。ハウスとテクノの標準ドラムマシン。
Roland TR-909ハウスとテクノの標準ドラムマシン。2011年撮影 | 📷 Roland_TR-808_&_909.jpg: Brandon Daniel derivative work: Clu / CC BY-SA 2.0
Roland TB-303。つまみを回して歪ませると、アシッドの音になる。
Roland TB-303つまみを回して歪ませると、アシッドの音になる。2008年撮影 | 📷 Steve Sims / CC0
DETROIT
Techno

デトロイト——もうひとつの未来

シカゴが魂なら、デトロイトは機械。二つの街は、4つ打ちの双子だった。

ハウスと並行して、デトロイトでは別の音が育っていた。テクノだ。自動車産業の衰退で荒廃した街で、黒人の高校生3人——ホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・ソーンダーソン(通称ベルヴィル・スリー)が、クラフトワークやYMO、ジョルジオ・モロダーの電子音楽に影響を受けて、未来的な4つ打ちを作った。

ホアン・アトキンスは、サイボトロンの名義で「Clear」(1983)を発表。テクノという言葉を音楽に使った最初期の人物とされる。デリック・メイ(Rhythim Is Rhythim)の「Strings of Life」(1987)は、ピアノとストリングスのサンプルを使った感動的なトラックで、ハウスのフロアでも愛された。ケヴィン・ソーンダーソン率いるインナー・シティの「Big Fun」(1988)、「Good Life」(1988)は、テクノがポップに届いた例だ。

デトロイトのテクノとシカゴのハウスは、互いに影響し合いながら、別の道を歩んだ。ハウスはボーカルとソウル、テクノは機械的で未来的。ただ、どちらも黒人の若者が作った音楽であることは変わらない。1988年、英国のレコード会社が編集盤『Techno! The New Dance Sound of Detroit』を出し、ヨーロッパにその名前が知れ渡った。

ホアン・アトキンス。デトロイト・テクノの創始者。
ホアン・アトキンスデトロイト・テクノの創始者。2010年撮影 | 📷 Angie Linder from Detroit, USA / CC BY-SA 2.0
デリック・メイ。「Strings of Life」(1987)。
デリック・メイ「Strings of Life」(1987)。2015年撮影 | 📷 ThatChickOverThere aka Natalie Chickee / CC BY-SA 4.0
ケヴィン・ソーンダーソン。インナー・シティで世界のポップへ。
ケヴィン・ソーンダーソンインナー・シティで世界のポップへ。2016年撮影 | 📷 Rubens Ben / CC BY-SA 4.0
RAVE
Rave

英国のセカンド・サマー・オブ・ラヴ

イビサの朝日、アシッドの笑顔、M25の野外パーティー。ハウスは英国で、国家と衝突する文化になった。

1987年の夏、ロンドンのDJたちがイビサ島に旅行した。ポール・オークンフォールド、ダニー・ランプリング、ニッキー・ホロウェイ、トレヴァー・フン。彼らはDJアルフレドが、野外でありえないほど自由な選曲をするのを目撃し、その経験を英国に持ち帰った。

ここにシカゴのアシッド・ハウスが重なった。1988年の夏から翌年にかけて、英国では野外や倉庫での無許可パーティー「レイヴ」が爆発的に増える。若者たちが数千人、数万人規模で集まり、朝まで踊る。M25(ロンドン環状道路)の周辺で開かれる大規模なレイヴに、警察が追いつけない。この現象はセカンド・サマー・オブ・ラヴと呼ばれた(1960年代のヒッピー文化「サマー・オブ・ラヴ」に由来)。

この動きに政府は強硬になる。1994年の「犯罪司法及び治安法」は、野外の無許可集会を禁止した。抗議デモも起きたが、レイヴは屋内のクラブへ移行していった。ミニストリー・オブ・サウンド(ロンドン)、クリーム(リヴァプール)、ファブリック(ロンドン)といった巨大クラブが、世界のクラブ産業のモデルになった。

派生した音楽も多い。ブレイクビーツ・ハードコア、ジャングル/ドラムンベース(レゲエの影響が強い)、UKガラージ、のちのダブステップ。レゲエ史で書いたジャマイカのサウンドシステム文化は、ここで合流する(→ レゲエ史 UK)。

ロンドンのMinistry of Sound(1991年開業)。
ロンドンのMinistry of Sound(1991年開業)2012年撮影 | 📷 Oast House Archive / CC BY-SA 2.0
マンチェスターのHaçienda。レイヴ文化の中心地のひとつ。
マンチェスターのHaçiendaレイヴ文化の中心地のひとつ。2007年撮影 | 📷 a_marga / CC BY-SA 2.0
ラブ・パレード(ベルリン)。1989年に始まったテクノ/ハウスの祭典。
ラブ・パレード(ベルリン)1989年に始まったテクノ/ハウスの祭典。1998年撮影 | 📷 Ago76 / Public domain
MAP | 地図
Cities

街ごとに違う、ハウスの顔

音楽は、街に根づく。同じ4つ打ちでも、都市の事情で別の言語になった。

シカゴ——すべての出発点。ウェアハウス、ミュージック・ボックス、Trax Records、DJ International。ゲットー・ハウスやジュークなど、現在も独自の派生を生み続けている。

ニューヨーク/ニュージャージー——ガレージ、ゴスペル、ラテン。ラリー・レヴァンの伝統から、マスターズ・アット・ワーク、ルイ・ヴェガ、ジョー・クラウセルらの深い系譜がある。

デトロイト——テクノとハウスの間にあるメロディと機械のバランス。ムーディーマン、セオ・パリッシュなど、ディープ・ハウス寄りのプロデューサーも多い。

ロンドン/マンチェスター——レイヴ、アシッド、そしてクラブ産業の発明。ミニストリー・オブ・サウンドは1991年にオープンし、世界のクラブ・ブランドのひな形になった。

ベルリン——東西統一後の廃墟で育った、世界一のクラブ都市。トレゾア(1991年)、ベルクハイン(2004年)。

パリ——フィルターとディスコのサンプルを使った陽気なフレンチ・タッチ。ダフト・パンク、カシアス、ジャスティスなど。

イビサ——スペインの島。アムネシア、パシャ、ウシュアイア。夏のダンス・ミュージックの首都。

ヨハネスブルグ——アマピアノ、アフロ・ハウス。ブラック・コーヒーなど。

シカゴ。ハウスの生まれた街。
シカゴハウスの生まれた街。2012年撮影 | 📷 Diego Delso / CC BY-SA 3.0
ベルリンのBerghain(2004年開業)。
ベルリンのBerghain(2004年開業)2025年撮影 | 📷 Lear 21 / CC BY 4.0
イビサ島。英国のDJたちが1987年に通った場所。
イビサ島英国のDJたちが1987年に通った場所。2012年撮影 | 📷 Amnesia Ibiza / CC BY 2.0
GUIDE | ガイド
Genres

ハウスの主なサブジャンル早見表

ハウスの「サブジャンル」は無数にある。ここでは、クラブの現場でよく出てくる名前を簡単に整理する。

ジャンル
特徴
ディープ・ハウス
Deep House
ジャジーなコード、ゆったりしたテンポ(120BPM前後)。ラリー・ハードの系譜。
ガレージ・ハウス
Garage
ゴスペル風のボーカルが映えるNYの音。パラダイス・ガレージが語源。
アシッド・ハウス
Acid
TB-303のうねるベースライン。Phuture「Acid Tracks」。
プログレッシブ・ハウス
Progressive
長いビルドアップとメロディ。サシャ&ディグウィード。
エレクトロ・ハウス
Electro
歪んだシンセと強いキック。ジャスティス、デッドマウス。
テック・ハウス
Tech House
ハウスとテクノの中間。ミニマルな質感。
ファンキー/ディスコ・ハウス
Disco House
ディスコのサンプルをループ。フレンチ・タッチ。
トロピカル・ハウス
Tropical
柔らかい音色、リラックスしたムード。カイゴなど。
ゲットー・ハウス/ジューク
Ghetto / Juke
シカゴの高速ダンス・ミュージック。トラック、フットワーク。
アフロ・ハウス/アマピアノ
Afro / Amapiano
アフリカの打楽器、ログドラム、ジャジーなピアノ。
ORIGIN | 誰が生んだか
Origin

ハウスの「家」は、誰のものだったか

ディスコとハウスの最初の担い手は、居場所を求めた人たちだった。

ハウスの歴史を語るとき、「誰が作ったのか」を飛ばしてはいけない。ディスコ〜ハウスの最初の担い手は、黒人、ラテン系、ゲイ、そしてトランスジェンダーのコミュニティだった。ストーンウォール事件(1969年)の後、ゲイの人々は公共の場所では踊ることさえ難しかった。会員制のパーティーや、地下のクラブが、彼らの避難所だった。

デヴィッド・マンキューソのThe Loftは、人種、性別、性的指向を問わず迎える場所だった。ラリー・レヴァンのParadise Garageは、黒人とラテン系のゲイ・コミュニティの聖地だった。シカゴのウェアハウスも、黒人のゲイ男性が中心だった。ハウスの名曲の多くは、孤立した人たちが、夜の4つ打ちの中で見つけた「家」を歌っている。

1980年代後半、エイズ危機が襲ったとき、クラブは多くの友人を失った場所でもあった。ハウスの歌詞に出てくる「ラヴ」「ユニティ」「フリーダム」は、きれいごとではなく、切実な願いだった。

ハウスは、居場所のなかった人たちが作った居場所だった。

この歴史は、ビジネスの拡大とともに薄まった時期もあった。2010年代のEDMブームでは、その起源が忘れられがちだとの批判もあった。2022年のビヨンセ『Renaissance』が、あらためて黒人とクィアのクラブ・カルチャーへの敬意を明言したことは、その文脈でも語られた。クラブに足を運ぶとき、そこが誰かの「家」だったことを、少しだけ思い出してほしい。

ニューヨークのストーンウォール・イン。1969年の事件はゲイ解放運動の転機になった。
ニューヨークのストーンウォール・イン。1969年の事件はゲイ解放運動の転機になった。📷 Rhododendrites / CC BY-SA 4.0
CRAFT | DJの技
DJ

DJの仕事——フロアで何が起きているか

曲より、つなぎ。ハウスは「夜全体」をひとつの作品にする音楽だ。

ハウスは、「DJの音楽」だ。曲そのものより、DJが何をかけ、どうつなぐかで夜が決まる。ここでは、フロアで起きていることを簡単に説明する。

ビートマッチとミックス

2枚のレコード(またはデジタル音源)のテンポを揃えて、切れ目なくつなぐ。120〜128BPMの4つ打ちは、つなぎやすい。15分以上、同じキックが続いているように聞こえる。

ビルドアップとドロップ

フィルターで低音を削り、ハイハットを刻んで緊張を高める(ビルドアップ)。そして一瞬の静寂ののち、キックとベースが戻る(ドロップ)。この波が、数分ごとに繰り返される。

ターンテーブルとCDJ

ハウスのDJはもともとレコード(12インチ・シングル)を使っていた。いまは、パイオニアのCDJ(USBメモリーから再生する機材)が標準。ただし、盛岡のような地方都市でも、レコードのみでプレイするDJは健在だ。

エディットとリミックス

ロン・ハーディのようにテープで曲を切り貼りした手法は、現在はソフトウェアで行われる。古いディスコの名曲を、フロア向けに作り直す「エディット」は、ハウス文化のなかで今も盛んだ。

CDJとミキサー。現在のクラブDJの標準的な機材。
CDJとミキサー。現在のクラブDJの標準的な機材。2014年撮影 | 📷 Arnold Jaeger Werner / CC BY 2.0
JAPAN
Japan

日本とハウス——機材、音楽家、そして盛岡

808も909も303も、日本の機械だった。

YMO(2009年撮影)
YMO
トウワ・テイ(2007年撮影)
トウワ・テイ
ケン・イシイ(2010年撮影)
ケン・イシイ

日本は、ハウスの歴史に二重に関わっている。ひとつは機材。TR-808、TR-909、TB-303、そしてTechnics SL-1200(DJの標準ターンテーブル)。ほぼすべてが日本製だ。世界のダンス・ミュージックの音の骨格は、日本の企業が作った。

もうひとつは音楽家。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、デトロイトのテクノ創始者たちが影響を受けた存在として語られる。トウワ・テイは、ニューヨークのユニット「ディー・ライト」で「Groove Is in the Heart」(1990)を世界的ヒットにした。ケン・イシイは、ベルギーの名門R&Sから作品を出した日本人テクノ・アーティストの先駆けで、富家哲はフランキー・ナックルズとの共作「Tears」(1989)で知られる。田中知之(Fantastic Plastic Machine)、中田ヤスタカ(Capsule、Perfumeのプロデューサー)らは、日本のポップスにハウスを接続した。

クラブの面では、1990年代にバブル後の東京で巨大クラブが次々に誕生した。Juliana's Tokyo(1991〜)、Yellow(西麻布)、渋谷のWOMB(2000年開業)、新木場のageHa(2002年開業)など。2010年代以降は、ULTRA JAPANなどの大型フェスも定着した。

札幌の高橋クニユキ(Kuniyuki Takahashi)のように、地方都市から国際的な評価を得るアーティストも出ている。地方だから劣る、という時代ではもうない。盛岡の夜も、世界のハウスの地図の一点だ。

今月の盛岡のイベントを見る →

ARTISTS | JAPAN7
YMO(2009年撮影)
YMO(Yellow Magic Orchestra)東京|1978〜83/再結成細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一。デトロイト・テクノにも影響を与えたとされる。2009年撮影 | 📷 YMO2008.jpg: The_Junes of Flickr.com derivative work: Solid / CC BY 2.0
トウワ・テイ(2007年撮影)
トウワ・テイ(Towa Tei)東京→NY|1990s〜Deee-Liteのメンバー。ソロでもハウス/ブレイクビーツを制作。2007年撮影 | 📷 Joi / CC BY 3.0
ケン・イシイ(2010年撮影)
ケン・イシイ(Ken Ishii)東京|1990s〜ベルギーの名門R&Sから作品を出した、日本のテクノの先駆け。2010年撮影 | 📷 MIXTRIBE / CC BY 2.0
富家哲(2012年撮影)
富家哲(Satoshi Tomiie)東京→NY|1980s〜フランキー・ナックルズとの「Tears」(1989)。
代表作 「Tears」
2012年撮影 | 📷 MIXTRIBE / CC BY-SA 3.0
Fantastic Plastic Machine東京|1990s〜渋谷系の文脈から、ラウンジ/ハウスの洗練されたミックス。写真:フリー素材なし
中田ヤスタカ(2010年撮影)
中田ヤスタカ(Capsule)金沢→東京|2000s〜Capsule、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅの制作で知られる。2010年撮影 | 📷 Karl Baron from Lund, Sweden / CC BY 2.0
高橋クニユキ(2019年撮影)
高橋クニユキ(Kuniyuki Takahashi)札幌|1990s〜ディープ・ハウスとアンビエントの混合で国際的に評価される。2019年撮影 | 📷 Washing Machine / CC BY 3.0
日本のクラブ。ageHa(新木場)やWOMB(渋谷)が国際的に知られる。
日本のクラブ。ageHa(新木場)やWOMB(渋谷)が国際的に知られる。📷 Connie / CC BY 2.0
LANGUAGE | 用語
Words

クラブで聞く言葉を、少しだけ解説

4つ打ち Four on the Floor
1小節に4回、等間隔でバスドラムを打つリズム。
BPM Beats Per Minute
1分あたりの拍数。ハウスは120〜130前後が多い。
ビルドアップ Build-up
徐々に緊張を高める展開。
ドロップ Drop
ビルドアップのあと、キックとベースが戻る瞬間。
フィルター Filter
特定の周波数帯を削る/強調するエフェクト。
サイドチェイン Sidechain
キックに合わせて他の音量が凹む処理。ハウスの「ポンピング」感の正体。
アカペラ Acapella
伴奏のないボーカル素材。
エディット Edit
既存曲を切り貼りしてDJ向けに作り変えたもの。
ダブ・ミックス Dub Mix
ボーカルを抜いた、あるいは空間系を強調したバージョン。レゲエ由来の用語。
ジャッキン Jackin'
シカゴ・ハウスで、体を跳ねさせるように踊ること、またそのグルーヴ。
レジデント Resident
特定のクラブで定期的にプレイするDJ。
ウェアハウス Warehouse
「ハウス」の語源とされる、シカゴのクラブ名。
レイヴ Rave
野外や倉庫で行われる大規模なダンスパーティー。
ガレージ Garage
ニューヨークの Paradise Garage に由来する、ソウルフルなハウスのスタイル。
ESSENTIAL TRACKS | まず聴くべき18枚
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どこから聴く? 年代順・必聴の曲とアルバム

全部は聴けない。だから、ここまでの話に出てきた作品から18作を選んだ。

  1. 1977
    Donna Summer

    I Feel Love(12inch)

    全ては、ここから。シンセと4つ打ちの設計図。

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  2. 1978
    Chic

    C'est Chic

    ナイル・ロジャースのカッティング。ディスコの教科書。

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  3. 1986
    Marshall Jefferson

    Move Your Body

    「ハウス・アンセム」。ピアノとボーカルの歓喜。

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  4. 1987
    Phuture

    Acid Tracks

    アシッドの原点。TB-303の衝撃。

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  5. 1987
    Frankie Knuckles(Jamie Principle)

    Your Love

    官能的なシンセと歌。ハウスの定番。

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  6. 1987
    Rhythim Is Rhythim

    Strings of Life

    デトロイトのテクノの名曲。ハウスのフロアでも泣ける。

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  7. 1989
    Inner City

    Paradise

    「Big Fun」「Good Life」を収録。テクノがポップに届く。

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  8. 1991
    Various(Ministry of Sound)

    The Sound of London

    英国クラブ・カルチャーの入り口。

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  9. 1995
    Daft Punk

    Da Funk / Homework(1997)

    フレンチ・タッチの宣言。

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  10. 1995
    Masters at Work

    The Tenth Anniversary…

    NYハウスの職人技。

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  11. 1997
    Nuyorican Soul

    Nuyorican Soul

    マスターズ・アット・ワークが、ラテンとソウルの巨匠たちと作った名盤。

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  12. 1998
    Stardust

    Music Sounds Better with You

    フィルターの至福。

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  13. 2001
    Daft Punk

    Discovery

    ハウスとポップが完璧に融合した一枚。

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  14. 2007
    Justice

    †

    エレクトロ・ハウスの代表作。

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  15. 2013
    Disclosure

    Settle

    現代UKハウスの入り口。

    ▶ YouTubeで探す
  16. 2013
    Daft Punk

    Random Access Memories

    生演奏と4つ打ちの再会。グラミー賞年間最優秀アルバム。

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  17. 2016
    Kaytranada

    99.9%

    ヒップホップとハウスをつなぐ、軽やかなグルーヴ。

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  18. 2022
    Beyoncé

    Renaissance

    ハウスへのラブレター。ポップスの真ん中に4つ打ちが戻った。

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