HouseHistoryハウス全史
1979年、ディスコは「死んだ」はずだった。だがその灰の中から、シカゴの倉庫でハウスが生まれた。フランキー・ナックルズ、ラリー・レヴァン、ダフト・パンク——4つ打ちのキックを軸に、世界のクラブ文化を作り直した半世紀を、年代とテーマで辿る。
ディスコの灰から、ハウスは生まれた




ハウス・ミュージックを一言で言うなら、「4つ打ちのキックドラムで夜を終わらせない音楽」だ。1小節に4回、一定のバスドラムが打たれる。その上に、ベース、ハイハット、ボーカルの断片、ピアノのコード、サンプルがレイヤーされていく。同じ4つ打ちに、人は何時間でも踊れる。
その誕生は、1980年代前半のシカゴ。ただし、物語は少し遡る。1970年代のニューヨークで、黒人、ラテン系、そしてゲイのコミュニティが開いた小さなダンスパーティーがあった。そこで鳴っていたのがディスコだ。1979年、ディスコは白人中心のロック・ファンから「死ね」と叩かれ、ラジオとレコード会社から一斉に姿を消した。だがダンスフロアは消えなかった。
ディスコの終わりが、ハウスの始まりだった。ラジオが流さなくなったディスコの代わりに、シカゴの若いDJたちは、残ったレコードを繋ぎ、ドラムマシンで足し、自分たちで新しい曲を作りはじめた。ハウスという名前は、そのDJたちが働いていた店「ウェアハウス(Warehouse)」からきたとされる。
音の特徴は、シンプルさにある。ヒップホップが「サンプリングと言葉」で、レゲエが「リディムと低音」で世界に広がったとするなら、ハウスは「4つ打ちとグルーヴ」で、国境も言語も超えて広がった。ヨーロッパへ、日本へ、アフリカへ。あなたが盛岡のクラブで聴く4つ打ちの夜は、1980年代のシカゴの倉庫と、同じ血を引いている。
- 1970デヴィッド・マンキューソが NYで会員制パーティーThe Loftを始める。ディスコ文化の原点とされる。
- 1977シカゴにThe Warehouse開店。DJは若きフランキー・ナックルズ。同年、ニューヨークではParadise Garageが開店(DJはラリー・レヴァン)。
- 1977ドナ・サマー「I Feel Love」。ジョルジオ・モロダーによる全編シンセの4つ打ち。のちのダンス・ミュージックの設計図になる。
- 19797月12日、シカゴ・コミスキー・パークでディスコ・デモリッション・ナイト。ディスコのレコードを爆破するイベントが暴動に発展。
- 1984ジェシー・サンダース「On and On」。最初期のハウス・レコードのひとつとされる。
- 1985ラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)「Mystery of Love」、ジェイミー・プリンシプル「Your Love」。
- 1986マーシャル・ジェファーソン「Move Your Body」。「ハウス・アンセム」の別名を持つ曲。
- 1987Phuture「Acid Tracks」。ローランドTB-303のうねりからアシッド・ハウスが誕生。
- 1988英国でセカンド・サマー・オブ・ラヴ。ハウスとエクスタシーの夏が、レイヴ文化を作る。
- 1997ダフト・パンク『Homework』。フレンチ・タッチの旗印。
- 2011アヴィーチー「Levels」。EDMが北米のメインストリームを占拠する。
- 2022ビヨンセ『Renaissance』。ハウスとクラブ文化への敬意を込めたポップスが、世界のチャートに戻ってくる。
ディスコと、フロアを作った人たち
まだハウスという名前はない。だが、すべての原型がここにある。



ハウスの前に、ディスコがあった。1970年代前半、ニューヨークのダウンタウンには、黒人、ラテン系、ゲイの人々が夜通し踊れる場所がほとんどなかった。その空白を埋めたのが、ディスコだった。はじまりの場所とされるのが、デヴィッド・マンキューソが1970年から開いた会員制パーティーThe Loftだ。招待制で、アルコールを出さず、最高のサウンドシステムで音楽に集中する。クラブというより「共同体」に近い空間だった。
これに続いたのが、ニッキー・シアーノ(The Gallery)、そしてラリー・レヴァンがレジデントを務めたParadise Garage(1977〜1987)。ガレージで鳴っていたゴスペル、ソウル、ファンク、ダブの混ざった音は、のちに「ガレージ(NYハウス)」の源流とされる。1970年代なかば、DJの技術の面でも変化があった。フランシス・グラッソらが、曲と曲を切れ目なくつなぐ「ビート・マッチング」を確立し、夜を一本の流れにするDJ文化の基礎ができた。
ポピュラー音楽の側からは、1977年のドナ・サマー「I Feel Love」が決定的だった。プロデューサーのジョルジオ・モロダーが、ほぼ全編をシンセサイザーで組んだ。生のドラムもベースもなく、ミニマルな4つ打ちが延々と続く。ブライアン・イーノがこの曲を聴いて、デヴィッド・ボウイに「未来のサウンドを聴いた」と話したという逸話でも知られる。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)とスタジオ54のブームで、ディスコは一気に大衆化する。それが、反動を招く。1979年7月12日、シカゴのコミスキー・パークで、ラジオDJのスティーヴ・ダールが主催した「ディスコ・デモリッション・ナイト」。ディスコのレコードを爆破するイベントだったが、観客がフィールドになだれ込む騒ぎになり、試合が中止された。「ディスコ・サックス(ディスコは最悪)」の運動には、人種差別や同性愛嫌悪が混ざっていたとの指摘も多い。





倉庫で名前を得て、寝室で曲になった
ドラムマシンと、日本製のベース・シンセ。ハウスは、すべてを持っていなかった若者たちの発明だった。



シカゴ——倉庫から生まれた名前
1977年、シカゴの工業地区の倉庫で営業を始めたThe Warehouseは、黒人のゲイ・コミュニティが集まるクラブだった。DJはニューヨークから招かれたフランキー・ナックルズ。彼はディスコのレコードをつなぎ、リールテープで編集し、後にはドラムマシンを重ねて、オリジナルのグルーヴを作った。ここに通う人たちがレコード店で「Warehouseでかかっているような音楽をください」と言ったのが、「ハウス・ミュージック」の名前になったとされる。
1982年、ナックルズはウェアハウスを離れて新しいクラブ「Power Plant」を開く。入れ替わるように、ロン・ハーディがクラブ「Music Box」で攻撃的でエキセントリックなプレイを繰り広げた。二人は、ハウスの「二大巨頭」と呼ばれる。ナックルズは滑らかで官能的、ハーディは荒々しく、ディスコの断片をテープで切り貼りしてダンスフロアを爆発させた。
一方で、レコード店で働く若いDJやプロデューサーが、自分でも曲を作りはじめた。道具は、日本のローランドが売っていたTR-808、TR-909(ドラムマシン)、TB-303(ベース・シンセ)。本来は生バンドの伴奏用機材だったが、ほとんど売れず中古市場で安く買えた。若者たちはそれを買い込み、寝室で曲を作り、友人のDJに渡した。ジェシー・サンダース「On and On」(1984)、マーシャル・ジェファーソン「Move Your Body」(1986)、スティーヴ“シルク”ハーレー「Jack Your Body」(1986/87)——この最後の曲は、1987年に英国で1位になる。
ディープ・ハウスとアシッド
ラリー・ハード(ミスター・フィンガーズ)の「Mystery of Love」(1985)や「Can You Feel It」(1986)は、冷たいシンセと内省的な雰囲気で、のちにディープ・ハウスと呼ばれる流れの原点になった。一方で、1987年、シカゴの3人組Phuture(DJピエール、スパンキー、ハーブ・J)が発表した「Acid Tracks」は、TB-303のベースを極端にいじってうねらせた、奇妙なサウンドだった。「アシッド・ハウス」はここから生まれ、英国と世界のレイヴ文化を直撃する。
ニューヨーク——ガレージとその先
ニューヨークでは、ラリー・レヴァンが1987年にParadise Garageを閉じた後も、ガレージ(NYのハウス)の精神は生き続けた。ニュージャージーのクラブ「ザンジバル」で、トニー・ハンフリーズがソウルフルなハウスを育て、トッド・テリーは「Bango」(1988)のようなラテンの香りのするトラックを量産した。






レイヴと、パリの陽気なフィルター
シカゴの音が大西洋を渡り、ロンドンで暴走し、パリで洗練された。



ハウスは英国で爆発した
1987年、ロンドンのDJ、ポール・オークンフォールドらがスペイン・イビサ島で聴いた「ありえないほど開放的なダンス」を英国に持ち帰る。ここにシカゴのハウス、アシッドが重なり、1988〜89年のセカンド・サマー・オブ・ラヴが起きる。スマイリーマーク、廃工場、野原でのイリーガル・レイヴ。マンチェスターではファクトリー・レコードのクラブ「ハシエンダ」が中心になり、808 Stateや A Guy Called Geraldの「Voodoo Ray」(1988)が出た。
政府は、この文化を規制した。1994年の「犯罪司法及び治安法(Criminal Justice and Public Order Act)」は、「反復するビートを主に含む音楽」の屋外集会を禁止対象に含めた。音楽のジャンルが法律に書かれた、珍しい例だ。
米国と世界
米国では、ハウスは次第にR&Bと混ざり、ポップなボーカル・ハウスとしてヒットした。クリスタル・ウォーターズ「Gypsy Woman (She's Homeless)」(1991)、CeCe Peniston「Finally」(1991)、C+C Music Factory「Gonna Make You Sweat」(1990)、Robin S.「Show Me Love」(1993)。ニューヨークのマスターズ・アット・ワーク(ルイ・ヴェガとケニー“ドープ”ゴンザレス)は、ラテンやアフロを混ぜた「ニューヨリカン・ソウル」を提示した。
一方、ヨーロッパではハウスが分岐する。ベルリンでは1989年にラヴ・パレードが始まり、トレゾアが1991年にオープン。ベルギー、イタリア、オランダでもテクノ、トランスが発展した。パリでは、1990年代後半にフレンチ・タッチが出現する。ダフト・パンク『Homework』(1997)、スターダスト「Music Sounds Better with You」(1998)、カシアス、モジョ「Lady」(2000)。ディスコのサンプルをフィルターで加工した、ファンキーで陽気な音だった。












ベルリン、ストックホルム、パリ——ハウスの再編
エレクトロの歪み、ミニマルの静けさ。ハウスはジャンルの内側に、無数の部屋を作りはじめた。



2000年代のハウスは、二つの方向に伸びた。ひとつはエレクトロ・ハウス——ジャスティス『†』(2007)、デッドマウス——の歪んだ音と、派手なシンセ。もうひとつはミニマル/テック・ハウス。リカルド・ヴィラロボス、リッチー・ホウティンらがベルリンで繰り広げた、削ぎ落とした反復の美学だ。
ベルリンは東西統一後の空き物件を使ったクラブ文化で、世界のクラブ・ミュージックの首都になった。ベルクハインは2004年に営業を始め、徹底した入場管理と撮影禁止で「現代クラブの聖地」と呼ばれる。
商業面では、デヴィッド・ゲッタが「When Love Takes Over」(2009)でハウスをヒップホップ/R&Bのポップスと結びつけた。ブラック・アイド・ピーズ「I Gotta Feeling」(2009)も、彼がプロデュースした。2008年に結成されたスウェディッシュ・ハウス・マフィア(アクスウェル、スティーヴ・アンジェロ、セバスチャン・イングロッソ)は、のちのEDMブームの下地を作った。
日本でも、フジロックやエレクトラグライドなどの野外フェスにハウスやテクノのDJが並び、クラブ文化が若者の間に定着していった(→ 日本の章)。












EDMブームと、アンダーグラウンドの反撃
スタジアムを満たした4つ打ちと、地下で温め続けた4つ打ち。どちらも「ハウス」の子どもだった。



2010年代の北米は、「EDMブーム」の渦に包まれた。ラスベガスのクラブ、ウルトラ・ミュージック・フェスティバル、エレクトリック・デイジー・カーニバル。アヴィーチー(Avicii)、カルヴィン・ハリス、スクリレックス、マーティン・ギャリックスが、ロック・スターのようにスタジアムを埋めた。この「EDM」は、ハウス、トランス、ダブステップなどをまとめた商業的な呼び名だ。そのため、クラブの現場では「EDM」と「ハウス」を分けて語る人も多い。
同時に、アンダーグラウンドでも、新しい世代がハウスを更新していた。UKのディスクロージャーは『Settle』(2013)でUKガラージとハウスを混ぜ、ポップスの語法にしてみせた。カナダのカイトラネイダ、英国のデューク・デュモントなど。ディープ・ハウスのリバイバルも起き、ラリー・ハードの影響をうけた若い世代が、再び「温かい4つ打ち」へ戻っていった。
一方で、アフリカからは新しいダンス・ミュージックが生まれていた。南アフリカのアマピアノは、ジャジーなピアノとログドラム(低音の打撃音)を軸にした独自のハウス派生で、2010年代後半から世界に広がる。










ポップスに戻ってきた4つ打ち
パンデミック、配信、そしてビヨンセ。クラブ文化はもう一度、世界の真ん中に座った。



2020年、パンデミックでクラブが閉じた。それでもDJたちは配信を続け、人々はリビングで踊った。2021年に再開したクラブには、新しい世代が押し寄せた。
2022年は、「ハウスがポップスに戻った年」として語られる。6月、ドレイクが『Honestly, Nevermind』でほぼ全編をハウス/クラブ・サウンドにして発表。同じ6月にビヨンセが先行曲「Break My Soul」(ロビン・Sの「Show Me Love」をサンプル)を、7月にはアルバム『Renaissance』を発表した。この作品では、ニューオーリンズのバウンス、ディスコ、ハウスの伝統が、黒人とクィアのクラブ文化への敬意とともに再構成された。
ピギー・ゴウ(Peggy Gou)は韓国生まれのDJ。2023年の「(It Goes Like) Nanana」で世界的ヒットを出した。ハニー・ディジョンのような、トランスジェンダーのDJが、ハウスの源流と現在をつなぐ存在として注目された。一方、ロンドンのフォー・テット、スキリックスなどの活動も、クラブとポップスの垣根を溶かしている。







808、909、303——日本製の三種の神器
売れ残ったローランドの機材が、世界中のフロアを揺らす音になった。
ハウスは、機材の音楽でもある。1980年代のシカゴで中心になったのは、ほぼすべて日本のローランド製だった。
TR-808(1980年発売)は、アナログ音源のドラムマシン。深く沈むバスドラムと、独特のクラップ、カウベルの音。もともと生ドラムの代用品として作られたが、リアルな音ではないとして、あまり売れなかった。しかし中古で手に入れたヒップホップとダンスのプロデューサーたちが、その「偽物の音」に価値を見出した。
TR-909(1983年)は、ハウスとテクノの標準ドラムマシンになった。サンプルとアナログのハイブリッドで、硬く弾けるキックと、ざらついたハイハット。いまもソフトウェアやハードウェアで再現され、世界中のフロアを支えている。
TB-303(1981年)は、ベースラインを自動演奏する小型シンセ。生ベースの代用品として売り出されたが、これも売れなかった。シカゴのPhutureが、つまみを回して極端に歪ませたとき、あの「ウネウネ」とした音が生まれ、アシッド・ハウスが誕生した。
それからの40年で、ドラムマシンはソフトウェアになり、サンプラー(AKAI MPC、Ensoniq ASRなど)、DAW(Ableton Live、Logic、FL Studio)と進化した。だが、4つ打ちの核にあるのは、いまも808と909と303の音だ。



デトロイト——もうひとつの未来
シカゴが魂なら、デトロイトは機械。二つの街は、4つ打ちの双子だった。
ハウスと並行して、デトロイトでは別の音が育っていた。テクノだ。自動車産業の衰退で荒廃した街で、黒人の高校生3人——ホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・ソーンダーソン(通称ベルヴィル・スリー)が、クラフトワークやYMO、ジョルジオ・モロダーの電子音楽に影響を受けて、未来的な4つ打ちを作った。
ホアン・アトキンスは、サイボトロンの名義で「Clear」(1983)を発表。テクノという言葉を音楽に使った最初期の人物とされる。デリック・メイ(Rhythim Is Rhythim)の「Strings of Life」(1987)は、ピアノとストリングスのサンプルを使った感動的なトラックで、ハウスのフロアでも愛された。ケヴィン・ソーンダーソン率いるインナー・シティの「Big Fun」(1988)、「Good Life」(1988)は、テクノがポップに届いた例だ。
デトロイトのテクノとシカゴのハウスは、互いに影響し合いながら、別の道を歩んだ。ハウスはボーカルとソウル、テクノは機械的で未来的。ただ、どちらも黒人の若者が作った音楽であることは変わらない。1988年、英国のレコード会社が編集盤『Techno! The New Dance Sound of Detroit』を出し、ヨーロッパにその名前が知れ渡った。



英国のセカンド・サマー・オブ・ラヴ
イビサの朝日、アシッドの笑顔、M25の野外パーティー。ハウスは英国で、国家と衝突する文化になった。
1987年の夏、ロンドンのDJたちがイビサ島に旅行した。ポール・オークンフォールド、ダニー・ランプリング、ニッキー・ホロウェイ、トレヴァー・フン。彼らはDJアルフレドが、野外でありえないほど自由な選曲をするのを目撃し、その経験を英国に持ち帰った。
ここにシカゴのアシッド・ハウスが重なった。1988年の夏から翌年にかけて、英国では野外や倉庫での無許可パーティー「レイヴ」が爆発的に増える。若者たちが数千人、数万人規模で集まり、朝まで踊る。M25(ロンドン環状道路)の周辺で開かれる大規模なレイヴに、警察が追いつけない。この現象はセカンド・サマー・オブ・ラヴと呼ばれた(1960年代のヒッピー文化「サマー・オブ・ラヴ」に由来)。
この動きに政府は強硬になる。1994年の「犯罪司法及び治安法」は、野外の無許可集会を禁止した。抗議デモも起きたが、レイヴは屋内のクラブへ移行していった。ミニストリー・オブ・サウンド(ロンドン)、クリーム(リヴァプール)、ファブリック(ロンドン)といった巨大クラブが、世界のクラブ産業のモデルになった。
派生した音楽も多い。ブレイクビーツ・ハードコア、ジャングル/ドラムンベース(レゲエの影響が強い)、UKガラージ、のちのダブステップ。レゲエ史で書いたジャマイカのサウンドシステム文化は、ここで合流する(→ レゲエ史 UK)。



街ごとに違う、ハウスの顔
音楽は、街に根づく。同じ4つ打ちでも、都市の事情で別の言語になった。
シカゴ——すべての出発点。ウェアハウス、ミュージック・ボックス、Trax Records、DJ International。ゲットー・ハウスやジュークなど、現在も独自の派生を生み続けている。
ニューヨーク/ニュージャージー——ガレージ、ゴスペル、ラテン。ラリー・レヴァンの伝統から、マスターズ・アット・ワーク、ルイ・ヴェガ、ジョー・クラウセルらの深い系譜がある。
デトロイト——テクノとハウスの間にあるメロディと機械のバランス。ムーディーマン、セオ・パリッシュなど、ディープ・ハウス寄りのプロデューサーも多い。
ロンドン/マンチェスター——レイヴ、アシッド、そしてクラブ産業の発明。ミニストリー・オブ・サウンドは1991年にオープンし、世界のクラブ・ブランドのひな形になった。
ベルリン——東西統一後の廃墟で育った、世界一のクラブ都市。トレゾア(1991年)、ベルクハイン(2004年)。
パリ——フィルターとディスコのサンプルを使った陽気なフレンチ・タッチ。ダフト・パンク、カシアス、ジャスティスなど。
イビサ——スペインの島。アムネシア、パシャ、ウシュアイア。夏のダンス・ミュージックの首都。
ヨハネスブルグ——アマピアノ、アフロ・ハウス。ブラック・コーヒーなど。



ハウスの主なサブジャンル早見表
ハウスの「サブジャンル」は無数にある。ここでは、クラブの現場でよく出てくる名前を簡単に整理する。
ハウスの「家」は、誰のものだったか
ディスコとハウスの最初の担い手は、居場所を求めた人たちだった。
ハウスの歴史を語るとき、「誰が作ったのか」を飛ばしてはいけない。ディスコ〜ハウスの最初の担い手は、黒人、ラテン系、ゲイ、そしてトランスジェンダーのコミュニティだった。ストーンウォール事件(1969年)の後、ゲイの人々は公共の場所では踊ることさえ難しかった。会員制のパーティーや、地下のクラブが、彼らの避難所だった。
デヴィッド・マンキューソのThe Loftは、人種、性別、性的指向を問わず迎える場所だった。ラリー・レヴァンのParadise Garageは、黒人とラテン系のゲイ・コミュニティの聖地だった。シカゴのウェアハウスも、黒人のゲイ男性が中心だった。ハウスの名曲の多くは、孤立した人たちが、夜の4つ打ちの中で見つけた「家」を歌っている。
1980年代後半、エイズ危機が襲ったとき、クラブは多くの友人を失った場所でもあった。ハウスの歌詞に出てくる「ラヴ」「ユニティ」「フリーダム」は、きれいごとではなく、切実な願いだった。
この歴史は、ビジネスの拡大とともに薄まった時期もあった。2010年代のEDMブームでは、その起源が忘れられがちだとの批判もあった。2022年のビヨンセ『Renaissance』が、あらためて黒人とクィアのクラブ・カルチャーへの敬意を明言したことは、その文脈でも語られた。クラブに足を運ぶとき、そこが誰かの「家」だったことを、少しだけ思い出してほしい。

DJの仕事——フロアで何が起きているか
曲より、つなぎ。ハウスは「夜全体」をひとつの作品にする音楽だ。
ハウスは、「DJの音楽」だ。曲そのものより、DJが何をかけ、どうつなぐかで夜が決まる。ここでは、フロアで起きていることを簡単に説明する。
ビートマッチとミックス
2枚のレコード(またはデジタル音源)のテンポを揃えて、切れ目なくつなぐ。120〜128BPMの4つ打ちは、つなぎやすい。15分以上、同じキックが続いているように聞こえる。
ビルドアップとドロップ
フィルターで低音を削り、ハイハットを刻んで緊張を高める(ビルドアップ)。そして一瞬の静寂ののち、キックとベースが戻る(ドロップ)。この波が、数分ごとに繰り返される。
ターンテーブルとCDJ
ハウスのDJはもともとレコード(12インチ・シングル)を使っていた。いまは、パイオニアのCDJ(USBメモリーから再生する機材)が標準。ただし、盛岡のような地方都市でも、レコードのみでプレイするDJは健在だ。
エディットとリミックス
ロン・ハーディのようにテープで曲を切り貼りした手法は、現在はソフトウェアで行われる。古いディスコの名曲を、フロア向けに作り直す「エディット」は、ハウス文化のなかで今も盛んだ。

日本とハウス——機材、音楽家、そして盛岡
808も909も303も、日本の機械だった。



日本は、ハウスの歴史に二重に関わっている。ひとつは機材。TR-808、TR-909、TB-303、そしてTechnics SL-1200(DJの標準ターンテーブル)。ほぼすべてが日本製だ。世界のダンス・ミュージックの音の骨格は、日本の企業が作った。
もうひとつは音楽家。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は、デトロイトのテクノ創始者たちが影響を受けた存在として語られる。トウワ・テイは、ニューヨークのユニット「ディー・ライト」で「Groove Is in the Heart」(1990)を世界的ヒットにした。ケン・イシイは、ベルギーの名門R&Sから作品を出した日本人テクノ・アーティストの先駆けで、富家哲はフランキー・ナックルズとの共作「Tears」(1989)で知られる。田中知之(Fantastic Plastic Machine)、中田ヤスタカ(Capsule、Perfumeのプロデューサー)らは、日本のポップスにハウスを接続した。
クラブの面では、1990年代にバブル後の東京で巨大クラブが次々に誕生した。Juliana's Tokyo(1991〜)、Yellow(西麻布)、渋谷のWOMB(2000年開業)、新木場のageHa(2002年開業)など。2010年代以降は、ULTRA JAPANなどの大型フェスも定着した。
札幌の高橋クニユキ(Kuniyuki Takahashi)のように、地方都市から国際的な評価を得るアーティストも出ている。地方だから劣る、という時代ではもうない。盛岡の夜も、世界のハウスの地図の一点だ。







クラブで聞く言葉を、少しだけ解説
- 4つ打ち Four on the Floor
- 1小節に4回、等間隔でバスドラムを打つリズム。
- BPM Beats Per Minute
- 1分あたりの拍数。ハウスは120〜130前後が多い。
- ビルドアップ Build-up
- 徐々に緊張を高める展開。
- ドロップ Drop
- ビルドアップのあと、キックとベースが戻る瞬間。
- フィルター Filter
- 特定の周波数帯を削る/強調するエフェクト。
- サイドチェイン Sidechain
- キックに合わせて他の音量が凹む処理。ハウスの「ポンピング」感の正体。
- アカペラ Acapella
- 伴奏のないボーカル素材。
- エディット Edit
- 既存曲を切り貼りしてDJ向けに作り変えたもの。
- ダブ・ミックス Dub Mix
- ボーカルを抜いた、あるいは空間系を強調したバージョン。レゲエ由来の用語。
- ジャッキン Jackin'
- シカゴ・ハウスで、体を跳ねさせるように踊ること、またそのグルーヴ。
- レジデント Resident
- 特定のクラブで定期的にプレイするDJ。
- ウェアハウス Warehouse
- 「ハウス」の語源とされる、シカゴのクラブ名。
- レイヴ Rave
- 野外や倉庫で行われる大規模なダンスパーティー。
- ガレージ Garage
- ニューヨークの Paradise Garage に由来する、ソウルフルなハウスのスタイル。
Here
どこから聴く? 年代順・必聴の曲とアルバム
全部は聴けない。だから、ここまでの話に出てきた作品から18作を選んだ。
- 1977Donna Summer
I Feel Love(12inch)
全ては、ここから。シンセと4つ打ちの設計図。
▶ YouTubeで探す - 1978Chic
C'est Chic
ナイル・ロジャースのカッティング。ディスコの教科書。
▶ YouTubeで探す - 1986Marshall Jefferson
Move Your Body
「ハウス・アンセム」。ピアノとボーカルの歓喜。
▶ YouTubeで探す - 1987Phuture
Acid Tracks
アシッドの原点。TB-303の衝撃。
▶ YouTubeで探す - 1987Frankie Knuckles(Jamie Principle)
Your Love
官能的なシンセと歌。ハウスの定番。
▶ YouTubeで探す - 1987Rhythim Is Rhythim
Strings of Life
デトロイトのテクノの名曲。ハウスのフロアでも泣ける。
▶ YouTubeで探す - 1989Inner City
Paradise
「Big Fun」「Good Life」を収録。テクノがポップに届く。
▶ YouTubeで探す - 1991Various(Ministry of Sound)
The Sound of London
英国クラブ・カルチャーの入り口。
▶ YouTubeで探す - 1995Daft Punk
Da Funk / Homework(1997)
フレンチ・タッチの宣言。
▶ YouTubeで探す - 1995Masters at Work
The Tenth Anniversary…
NYハウスの職人技。
▶ YouTubeで探す - 1997Nuyorican Soul
Nuyorican Soul
マスターズ・アット・ワークが、ラテンとソウルの巨匠たちと作った名盤。
▶ YouTubeで探す - 1998Stardust
Music Sounds Better with You
フィルターの至福。
▶ YouTubeで探す - 2001Daft Punk
Discovery
ハウスとポップが完璧に融合した一枚。
▶ YouTubeで探す - 2007Justice
†
エレクトロ・ハウスの代表作。
▶ YouTubeで探す - 2013Disclosure
Settle
現代UKハウスの入り口。
▶ YouTubeで探す - 2013Daft Punk
Random Access Memories
生演奏と4つ打ちの再会。グラミー賞年間最優秀アルバム。
▶ YouTubeで探す - 2016Kaytranada
99.9%
ヒップホップとハウスをつなぐ、軽やかなグルーヴ。
▶ YouTubeで探す - 2022Beyoncé
Renaissance
ハウスへのラブレター。ポップスの真ん中に4つ打ちが戻った。
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