IWATE CLUB CRAWLERS
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1950s → NOW

ReggaeHistoryレゲエ全史

Ska → Rocksteady → Roots → Dancehall / 70 years in 1 page

音楽より先に、巨大なスピーカーがあった。1950年代のキングストンで街角を揺らしたサウンドシステムから、ボブ・マーリー、キング・タビー、ショーン・ポール、コフィまで。ジャマイカの小さな島が、世界の音楽の低音を作り変えた70年を、年代順とテーマ別に辿る。

97Artists
8Eras
17Chapters
70Years
序章 | PROLOGUE
Prologue

レゲエは、音楽である前に「スピーカー」だった

ボブ・マーリー
ボブ・マーリー
キング・ジャミー
キング・ジャミー
ショーン・ポール
ショーン・ポール
コフィ
コフィ

レゲエを「ゆるくてレイドバックした南国の音楽」だと思っている人は多い。半分は合っている。ただ、もう半分は違う。レゲエは、植民地支配の歴史を引きずったまま独立を迎えた島で、スラムの若者が自分たちの声を届けるために育てた音楽だ。ゆったりしたリズムの底には、貧しさ、信仰、政治、そして踊る喜びが全部入っている。

音楽の形にも、ほかにない特徴がある。まず「サウンドシステム」という発明。レコードをかけるために、トラックに積めるほどの巨大なスピーカーと、DJ(セレクター)、マイクを握る進行役(トースター)が街を回った。バンドが演奏するより先に、再生装置のほうが主役だったのだ。次に「リディム(riddim)」という考え方。ひとつのバックトラックを使い回し、歌手とDJがその上で何度も別の曲を乗せる。これは後のヒップホップのビートの使い方、ダンスミュージックのリミックスの発想そのものにつながっていく。

このページは、そのレゲエの70年を年代ごとに辿る読み物だ。前半はスカ→ロックステディ→レゲエ→ダンスホールという「ジャマイカ国内の変化」、後半はラスタファリ、ダブ、サウンドシステム、UK、世界、ヒップホップ、日本というテーマ別の章で構成している。

※ 年号・記録は一般に流布している資料に基づく。諸説あるものは「とされる」と書いた。ヒップホップ全史と同じく、盛岡のクラブの夜につながる話を選んでいる。

TIMELINE
  1. 1950sキングストンでサウンドシステムが街の娯楽になる。アメリカのR&Bを爆音で流し、ジャマイカ産の音源の需要が生まれる。
  2. 1962ジャマイカ独立(8月6日)。同じ年、スカが「独立の音」として広まる。
  3. 1966夏の暑さでテンポが落ち、ロックステディの時代へ。歌とコーラスが主役になる。
  4. 1968トゥーツ&ザ・メイタルズ「Do the Reggay」。この曲から「レゲエ」という言葉が使われはじめたとされる。
  5. 1972映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』(原題 The Harder They Come)公開。ジミー・クリフ主演。レゲエが海外の映画館に届く。
  6. 1973Bob Marley & the Wailers『Catch a Fire』。ロック市場に向けた初のレゲエ・アルバムとして世界に出る。
  7. 1977Culture「Two Sevens Clash」、Bob Marley『Exodus』。ルーツ・レゲエの頂点。
  8. 19815月11日、ボブ・マーリーが36歳で死去。
  9. 1985Wayne Smith「Under Mi Sleng Teng」。デジタル・リディムの時代が開く。
  10. 2005Damian Marley「Welcome to Jamrock」。ジャマイカ産の音が再びチャートの中心へ。
  11. 201811月29日、ユネスコが「ジャマイカのレゲエ音楽」を無形文化遺産に登録。
  12. 2020Koffee『Rapture』が最優秀レゲエ・アルバムでグラミー賞。女性としても最年少としても初の受賞とされる。
ORIGIN | 源流
1950s

1950年代キングストン、トラックに積んだスピーカー

歌より先にスピーカーがあった。レコードを独占した者が夜を制する。ジャマイカの音楽産業は、街角のダンスから始まった。

プリンス・バスター(2008年撮影)
プリンス・バスター
ローレル・エイトケン(2000年撮影)
ローレル・エイトケン
1954コクソン・ドッドが自分のサウンドシステム「Downbeat」を立ち上げたとされる(前後の年号は資料により揺れる)
1959クリス・ブラックウェルがジャマイカでアイランド・レコードを創業。のちにマーリーを世界へ送り出す
1962独立。サウンドシステムの熱気がそのままスカへ流れ込む

レゲエの出発点は、バンドでもスタジオでもなく、屋外のダンスパーティーだった。1950年代のキングストン。ラジオから流れるのは主にアメリカの音楽で、庶民が自由に聴ける場所は少なかった。そこで人々は、トラックに自作のスピーカー・タワーを積み、レコードをかけて夜通し踊れる「サウンドシステム」を作った。

有名どころは3人。デューク・リード(元警官で、のちに「The Trojan」と呼ばれる)、コクソン・ドッド(Downbeat)、そしてトム・ザ・グレート・セバスチャン。彼らはアメリカの流行り物のR&Bを仕入れるため船員や運び屋に頼んだが、やがて「他のシステムと同じ曲では勝てない」ことに気づく。ラベルを剥がして曲名を隠し、自分たちだけの曲を録音して、独占して回す——「持っている音源の差」が勝敗を分ける文化がここで生まれた。

録音は、最初は借り物のスタイルだった。ニューオーリンズ風のR&Bのシャッフルを、ジャマイカのミュージシャンがなぞる。ところが次第に、アクセントの位置が逆になった。普通の4/4拍子は1・3拍目を強く叩くが、ジャマイカでは2・4拍目(裏拍)にギターやピアノが刻まれる。のちにスカ、ロックステディ、レゲエ全体に通底する「裏打ち」の誕生だ。

先に生まれたのは曲ではない。「夜に人を集める装置」だった。

同じころ、もうひとつの源流があった。農村の民俗音楽メントだ。バンジョーやハンド・ドラムを使い、ユーモアのある歌詞で日常を歌う。後のスカやレゲエの歌詞に残る「風刺」と「軽さ」は、ここにルーツがあるとされる。

ARTISTS | 1950s6
コクソン・ドッド(2024年撮影)
コクソン・ドッド(Coxsone Dodd)キングストン|1950s〜サウンドシステム「Downbeat」の主。のちにスタジオ「Studio One」を設立し、ジャマイカ音楽の最大の工場を作った。
代表作Studio One
2024年撮影 | 📷 Yowaltekatl / CC BY-SA 4.0
デューク・リード(Duke Reid)キングストン|1950s〜元警官。拳銃を下げてダンスに現れたという逸話を持つ。レーベルとスタジオ「Treasure Isle」でロックステディを育てた。
代表作Treasure Isle
写真:フリー素材なし
プリンス・バスター(2008年撮影)
プリンス・バスター(Prince Buster)キングストン|1950s〜ドッドの下で働いたのち独立。ブラック・ミュージックの新しい低音とスカの語り口を作ったプロデューサー兼歌手。
代表作「Al Capone」(1964)
2008年撮影 | 📷 Yerpo / CC BY-SA 3.0
セオフィラス・ベックフォードジャマイカ|1950s〜ピアニスト。「Easy Snappin’」(1956頃)はスカの原型のひとつと数えられる。
代表作「Easy Snappin’」
写真:フリー素材なし
ローレル・エイトケン(2000年撮影)
ローレル・エイトケン(Laurel Aitken)キューバ生まれ|1950s〜ジャマイカ国産R&B/メントの最初期の人気者。のちにイギリスでスカ復興にも関わる。
代表作「Boogie in My Bones」
2000年撮影 | 📷 Mbdortmund / CC BY-SA 3.0
カウント・オジー(Count Ossie)キングストン|1950s〜ラスタのナイヤビンギ(ドラム儀式)をポピュラー音楽に持ち込んだパーカッション奏者。
代表作『Grounation』(1973)
写真:フリー素材なし
SKA → ROCKSTEADY
1960s

独立、そして三つの音——スカ、ロックステディ、レゲエ

数年ごとにテンポと言葉が変わる。ジャマイカ音楽が最も速く進化した10年。

スカタライツ(2009年撮影)
スカタライツ
ミリー・スモール(Wikimedia Commons)
ミリー・スモール
トゥーツ&ザ・メイタルズ(2017年撮影)
トゥーツ&ザ・メイタルズ
1962独立の年。スカが「新しい国の音」として全国に広まる
1964Millie Small「My Boy Lollipop」。スカが英米でも大ヒット
1968「Do the Reggay」。新しい言葉が音楽のジャンル名になる

スカ(1960年前後〜1966)

独立のころ、国内で生まれた最初の「ジャマイカ自前のダンスミュージック」がスカだ。裏拍で刻むギターとピアノ、歩くようなベース、ジャズ仕込みのホーンセクション。名前の由来は、ギターの「スカッ、スカッ」という音からと言われる。この音を引っ張ったのがスカタライツで、メンバーには天才トロンボーン奏者のドン・ドラモンド、サックスのトミー・マクックらがいた。

スカは海外にも渡った。1964年、ミリー・スモールの「My Boy Lollipop」が英米でヒットし、同年のニューヨーク万国博覧会にはジャマイカ代表団が出演した。ただ、スカの勢いは数年で一服する。

ロックステディ(1966〜68)

理由のひとつに、1966年の猛暑がある。「暑すぎて速いテンポでは踊れなかった」とも言われ、リズムが遅く、ベースが重くなった。これがロックステディだ。ホーンの代わりにコーラスと歌が前に出て、愛や別れを歌う甘い曲が増えた。アルトン・エリス、ヘプトーンズ、パラゴンズ、フィリス・ディロン——この時期は「歌の黄金期」とも呼ばれる。

音の面でも革命があった。ベースが「メロディを刻むもの」へ変わり、ドラムは3拍目に大きなアクセントを置く。のちのレゲエのスタイルへの橋渡しが、ここで完成する。

「レゲエ」の誕生(1968〜)

1968年、トゥーツ&ザ・メイタルズが「Do the Reggay」を発表する。「レゲエ」の語源は諸説あるが、この曲がジャンル名を定着させたとされる。ロックステディよりさらに遅れて、ギターがチャカチャカと刻み、オルガンが「バブル」と呼ばれる粒立ちを入れる。デズモンド・デッカー「Israelites」(1968年録音)は、1969年に英国チャート1位を獲得し、ジャマイカ産の曲が世界の一位になるという前例を作った。

ARTISTS | 1960s12
スカタライツ(2009年撮影)
スカタライツ(The Skatalites)キングストン|1964〜スカの代名詞。ドン・ドラモンド(トロンボーン)、トミー・マクック、ローランド・アルフォンソ(サックス)らを擁した。
代表作「Guns of Navarone」(1965)
2009年撮影 | 📷 Libertinus Yomango / CC BY-SA 2.0
ドン・ドラモンド(Don Drummond)キングストン|1950s〜スカを象徴するトロンボーン奏者。1965年の事件で投獄され、1969年に没した。
代表作「Man in the Street」
写真:フリー素材なし
ミリー・スモール(Wikimedia Commons)
ミリー・スモール(Millie Small)ジャマイカ|1960s「My Boy Lollipop」(1964)の歌手。スカを世界に知らせた最初のスターのひとり。
代表作「My Boy Lollipop」
📷 Holger Eklund / Public domain
アルトン・エリス(2007年撮影)
アルトン・エリス(Alton Ellis)キングストン|1960s〜「ロックステディの父」と呼ばれる歌手。穏やかな声と、のちに無数にカバーされるメロディ。
代表作「Rocksteady」「Blessings of Love」
2007年撮影 | 📷 Kat Geb / CC BY 2.0
ヘプトーンズ(The Heptones)キングストン|1965〜三声のコーラス・グループ。スタジオ・ワンのロックステディ期の顔。
代表作「Party Time」「Book of Rules」
写真:フリー素材なし
パラゴンズ(The Paragons)キングストン|1960sロックステディの甘い美声。「The Tide Is High」はのちにブロンディがカバーして世界的ヒットになった。
代表作「The Tide Is High」
写真:フリー素材なし
フィリス・ディロン(Phyllis Dillon)ジャマイカ|1960s「ロックステディの女王」と呼ばれた歌手。
代表作「Perfidia」
写真:フリー素材なし
トゥーツ&ザ・メイタルズ(2017年撮影)
トゥーツ&ザ・メイタルズキングストン|1962〜トゥーツ・ヒバートの熱いソウルフルな歌声。「Do the Reggay」でジャンル名を残した。トゥーツは2020年9月11日に没。
代表作「Pressure Drop」「Monkey Man」
2017年撮影 | 📷 G.Garitan / CC BY-SA 4.0
デズモンド・デッカー(2005年撮影)
デズモンド・デッカー(Desmond Dekker)キングストン|1960s〜「Israelites」(1969年英国1位)。ジャマイカ人として初めて世界のチャートを制した歌手のひとり。
代表作「Israelites」
2005年撮影 | 📷 Original photo by sean mason from Austin, Texas, USA. Croppe / CC BY 2.0
ジミー・クリフ(2012年撮影)
ジミー・クリフ(Jimmy Cliff)セント・ジェームズ|1960s〜映画『The Harder They Come』(1972)の主演。「Many Rivers to Cross」は永遠の名曲。
代表作『The Harder They Come』
2012年撮影 | 📷 Thesupermat / CC BY-SA 3.0
ザ・ウェイラーズ(2023年撮影)
ザ・ウェイラーズ(初期)トレンチタウン|1963〜ボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーの三人。初期はスカやロックステディのコーラス・グループだった。
代表作「Simmer Down」(1964)
2023年撮影 | 📷 Spudgun67 / CC BY-SA 4.0
デリック・モーガン(2018年撮影)
デリック・モーガン(Derrick Morgan)ジャマイカ|1950s〜スカ最初期のスター。プリンス・バスターとの掛け合いの曲で国じゅうを沸かせた。
代表作「Forward March」
2018年撮影 | 📷 Chipermc / CC BY-SA 4.0
ROOTS | ルーツ・レゲエ
1970s

マーリーとルーツ——世界に届いた低音

映画、アルバム、一人の巨星。そして政治の銃声。レゲエが世界の音楽になった10年。

ボブ・マーリー(Wikimedia Commons)
ボブ・マーリー
ピーター・トッシュ(1978年撮影)
ピーター・トッシュ
バニー・ウェイラー(2014年撮影)
バニー・ウェイラー
1973『Catch a Fire』『Burnin'』。Bob Marley & the Wailersが世界へ
197612月3日、ボブ・マーリーの自宅が襲撃され、本人は軽傷。それでも2日後のコンサートに出演
19784月22日、One Love Peace Concert。対立する政治指導者2人をステージ上で握手させた

1970年代、レゲエは国の外へ出た。きっかけは映画と、イギリスのレーベル、アイランド・レコードの創設者クリス・ブラックウェルだった。彼はウェイラーズを「ロック・バンド」のようにアルバム単位で売り出した。『Catch a Fire』(1973)で世界に出たボブ・マーリーは、『Natty Dread』(1974)、ライブ盤『Live!』(1975)、『Exodus』(1977)と続け、ついには世界で最も有名なジャマイカ人になる。エリック・クラプトンが「I Shot the Sheriff」をカバーして全米1位にしたのも1974年だ。

しかしこの時代のレゲエを一人の物語にするのは不十分だ。同時期に、ルーツ・レゲエと呼ばれる一群が現れた。歌詞はラスタファリの信仰、貧困、不当な支配への批判。バーニング・スピア「Marcus Garvey」、カルチャー「Two Sevens Clash」(1977年7月7日に世界が終わるという噂を歌った)、ヘプトーンズの流れを受けたミグティ・ダイアモンズ、ブラック・ユーフ(Big Youth)やユー・ロイ(U-Roy)のようなDJたち。

1970年代のジャマイカは政治的にも荒れていた。与党PNPと野党JLPの支持者が銃で衝突し、キングストンのスラムは政党ごとに色分けされた。ボブ・マーリーが1976年に襲われたのも、この政治の渦中だった。1978年のOne Love Peace Concertで、マーリーが両党首の手を取って掲げた場面は、音楽が政治に介入した象徴として語り継がれている。

「ひとつの愛、ひとつの心」——それは、撃ち合う街に向けた歌だった。

1970年代後半には、スタジオの側からも変化が起きていた。リズム隊のスライ&ロビー(スライ・ダンバー、ロビー・シェイクスピア)は、タイトなドラムと太いベースで、ルーツの音をよりモダンにした。1980年代にかけて、彼らは何百ものセッションに参加し、プロデューサーとしても名を残す。

ARTISTS | 1970s10
ボブ・マーリー(Wikimedia Commons)
ボブ・マーリー(Bob Marley)トレンチタウン|1963〜81レゲエの象徴。『Exodus』(1977)は英紙タイムが「20世紀最高のアルバム」に選んだことでも知られる。1981年没、36歳。
代表作『Exodus』『Legend』(1984・編集盤)
📷 Eddie Mallin / CC BY 2.0
ピーター・トッシュ(1978年撮影)
ピーター・トッシュ(Peter Tosh)ウェストモアランド|1960s〜87元ウェイラーズ。攻撃的なスタンスと「Legalize It」(1976)。1987年9月11日、自宅で襲撃され死去。
代表作『Legalize It』
1978年撮影 | 📷 TimDuncan / CC BY 3.0
バニー・ウェイラー(2014年撮影)
バニー・ウェイラー(Bunny Wailer)ジャマイカ|1963〜2021ウェイラーズ最後の生き残りだった。『Blackheart Man』(1976)はルーツの傑作。2021年3月2日没。
代表作『Blackheart Man』
2014年撮影 | 📷 Peter Verwimp / CC0
バーニング・スピア(2026年撮影)
バーニング・スピア(Burning Spear)セント・アン|1969〜ウィンストン・ロデリック。マーカス・ガーベイを讃える歌でルーツの精神を深めた。
代表作『Marcus Garvey』(1975)
2026年撮影 | 📷 Niko3818 / CC BY-SA 4.0
カルチャー(2000年撮影)
カルチャー(Culture)ジャマイカ|1976〜ジョセフ・ヒルのリード。「Two Sevens Clash」は黙示録的な予言として当時のパンクスにも愛された。
代表作『Two Sevens Clash』(1977)
2000年撮影 | 📷 "travail personnel" by User:Bigjack02002 / CC BY-SA 3.0
マイティ・ダイアモンズ(Wikimedia Commons)
マイティ・ダイアモンズ(The Mighty Diamonds)キングストン|1969〜三声のハーモニーで社会批判を歌ったボーカル・グループ。
代表作『Right Time』(1976)
📷 Renaud Guilhou / CC BY 2.0
ジョー・ヒッグス(Joe Higgs)ジャマイカ|1960s〜「レゲエの父のひとり」。若き日のボブ・マーリーにハーモニーを教えたと言われる。
代表作『Life of Contradiction』
写真:フリー素材なし
ジュニア・マーヴィン(2007年撮影)
ジュニア・マーヴィン(Junior Murvin)ジャマイカ|1970sファルセットの歌声。リー・ペリー制作の「Police & Thieves」(1976)は、のちにザ・クラッシュがカバーした。
代表作「Police & Thieves」
2007年撮影 | 📷 Iwan Gabovitch from Berlin, Germany / CC BY 2.0
デニス・ブラウン(1980年撮影)
デニス・ブラウン(Dennis Brown)キングストン|1960s〜99「クラウン・プリンス・オブ・レゲエ」。少年時代から歌い、1999年7月1日に42歳で亡くなるまで数千曲を残した。ボブ・マーリー本人が最も好きな歌手のひとりに挙げたとも伝わる。
代表作「Money in My Pocket」「Revolution」
1980年撮影 | 📷 Lioneldecoster / CC BY-SA 3.0
グレゴリー・アイザックス(2010年撮影)
グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)キングストン|1970s〜2010「クール・ルーラー」。囁くように歌う気だるいラヴァーズ。2010年10月25日没。
代表作「Night Nurse」(1982)
2010年撮影 | 📷 Gregory_Isaacs_SNWMF_2010_1_-_on_stage.jpg: www.photosbyalys / CC BY 2.0
ARTISTS | 1970s・DJ(トースター)と UK9
ユー・ロイ(U-Roy)キングストン|1960s〜2021「ゴッドファーザー・オブ・DJ」。1970年「Wake the Town」で、曲の上に語りを乗せるトースティングを国民的人気にした。2021年2月17日没。
代表作「Wake the Town」「Natty Rebel」
写真:フリー素材なし
ビッグ・ユース(2010年撮影)
ビッグ・ユース(Big Youth)キングストン|1970s〜ラスタの教えと街の言葉を混ぜた語り。ルーツ時代のトースターの顔。
代表作『Screaming Target』(1973)
2010年撮影 | 📷 Alyssa Tomfohrde / CC BY 2.0
アイ・ロイ(I-Roy)ジャマイカ|1960s〜99ユー・ロイに並ぶ初期DJ。粋なウィットのある語り。
代表作『Presenting I-Roy』
写真:フリー素材なし
ディリンジャー(Dillinger)キングストン|1970s〜「Cocaine in My Brain」(1976)の大ヒット。
代表作「Cocaine in My Brain」
写真:フリー素材なし
リントン・クウェシ・ジョンソン(Wikimedia Commons)
リントン・クウェシ・ジョンソンジャマイカ→英国|1970s〜「ダブ・ポエトリー」の詩人。ロンドンの黒人コミュニティの声。
代表作『Bass Culture』(1980)
📷 IngimarE / CC BY-SA 4.0
スティール・パルス(2017年撮影)
スティール・パルス(Steel Pulse)バーミンガム|1975〜UKレゲエの代表格。政治的な歌詞で知られる。
代表作『Handsworth Revolution』(1978)
2017年撮影 | 📷 Krd / CC BY-SA 4.0
アスワド(2002年撮影)
アスワド(Aswad)ロンドン|1975〜英国レゲエを代表するバンド。1988年の「Don't Turn Around」が英国1位。
代表作「Don't Turn Around」
2002年撮影 | 📷 DZ Studios Photography (en:User:Dzstudios) / CC BY-SA 3.0
ブラック・ウフル(2012年撮影)
ブラック・ウフル(Black Uhuru)キングストン|1972〜スライ&ロビーが支えたトリオ。1985年、グラミー賞にレゲエ部門ができた最初の年に受賞。
代表作『Anthem』(1983)
2012年撮影 | 📷 Jhavasilk / CC BY-SA 3.0
サード・ワールド(2022年撮影)
サード・ワールド(Third World)ジャマイカ|1973〜ルーツにR&Bとファンクを混ぜた洗練されたバンド。
代表作「Now That We've Found Love」
2022年撮影 | 📷 Peter Verwimp / CC BY-SA 4.0
DANCEHALL | ダンスホール
1980s

スレン・テン——小さなキーボードが島を変えた

生バンドの時代から、デジタルの時代へ。ダンスフロアがもう一度、音楽の主役になった。

イエローマン(2024年撮影)
イエローマン
イーク・ア・マウス(2019年撮影)
イーク・ア・マウス
バリントン・レヴィ(Wikimedia Commons)
バリントン・レヴィ
1985Under Mi Sleng Teng。カシオの小型キーボードのプリセット・リズムから作られたデジタル・リディム
1985グラミー賞に「レゲエ録音部門」誕生(第1回の受賞者はブラック・ウフル)
1984『Legend』発売。マーリーの編集盤は現在も世界で売れ続ける

1981年にボブ・マーリーが亡くなり、レゲエは「ひとつの顔」を失った。その空白を埋めたのは、より速く、よりストリートに近い音——ダンスホールだった。名前は、キングストンのダンスホール(サウンドシステムが開かれる会場)に由来する。

初期のダンスホールの顔は、アルビノのDJイエローマン、イーク・ア・マウス、バリントン・レヴィ、サグ・ミノットなど。生バンドの重厚なルーツに比べると、歌詞は日常的で、ときに卑猥で、ユーモアに満ちていた。ルーツ期の「救済」の言葉に代わって、ダンスフロアの今この瞬間が主題になる。

決定的だったのは、1985年のウェイン・スミス「Under Mi Sleng Teng」だ。プロデューサーのキング・ジャミーが、友人のミュージシャンが持ち込んだカシオMT-40の内蔵リズムを元に作った。生のドラムもベースもなく、小さなキーボードのプリセットだけでできたリディムが、島中を席巻した。この後、同じリディムを使った数百曲が作られたとされる。バンドを雇わなくても曲が作れる——ジャマイカの音楽産業は、一晩で作り方が変わった。

生のバンドがいなくても、一台のキーボードでヒットが作れる。ヒップホップとほぼ同時期に、島の側でも「打ち込みの革命」が起きていた。

この時期、ダンスホールは国外にも広がった。ニューヨークとロンドンのジャマイカ系コミュニティで育ち、のちのヒップホップとの合流の下地ができる。一方、英国ではUB40がジャマイカのレゲエをポップスに変換し、「Red Red Wine」(1983年に英国1位)でヒットを飛ばした。ルーツの精神は、アフリカ(ルーシー・デューブ、アルファ・ブロンディ)でも根づいていく。

ARTISTS | 1980s13
イエローマン(2024年撮影)
イエローマン(Yellowman)キングストン|1980s〜アルビノの孤児から国民的スターへ。「King Yellowman」として80年代初期の王者に。
代表作『Zungguzungguguzungguzeng』(1983)
2024年撮影 | 📷 comechatwidmi / CC BY 3.0
イーク・ア・マウス(2019年撮影)
イーク・ア・マウス(Eek-A-Mouse)キングストン|1980s〜奇妙な節回し「ビビビ」とユーモアで知られる。
代表作「Wa-Do-Dem」
2019年撮影 | 📷 Peter Verwimp / CC BY-SA 4.0
バリントン・レヴィ(Wikimedia Commons)
バリントン・レヴィ(Barrington Levy)クラレンドン|1970s〜少年期から歌い続けるハイトーンの歌手。
代表作「Here I Come」「Under Mi Sensi」
📷 Korall / CC BY 3.0
サグ・ミノット(2009年撮影)
サグ・ミノット(Sugar Minott)キングストン|1970s〜2010スタジオ・ワンで育ち、若手を育てる「Youth Promotion」を主催。
代表作「Good Thing Going」
2009年撮影 | 📷 Montalba / CC BY-SA 3.0
ウェイン・スミス(Wayne Smith)ジャマイカ|1980s〜2014「Under Mi Sleng Teng」(1985)の歌手。デジタル時代の幕開けを担った。
代表作「Under Mi Sleng Teng」
写真:フリー素材なし
キング・ジャミーズ(Wikimedia Commons)
キング・ジャミーズ(King Jammy)キングストン|1970s〜キング・タビーの弟子。デジタル・リディムの総帥として80年代後半を牽引した。
代表作Jammys
📷 Yamaguchi, E / CC BY-SA 4.0
ジュニア・リード(Junior Reid)キングストン|1980s〜ブラック・ウフルの後期メンバー。のちにソロ。
代表作「One Blood」
写真:フリー素材なし
スーパー・キャット(2021年撮影)
スーパー・キャット(Super Cat)キングストン|1980s〜ノトーリアスB.I.G.、パフ・ダディとの「Dolly My Baby」リミックス(1993)でも知られる。
代表作「Don Dada」
2021年撮影 | 📷 Argles Barkley / CC BY-SA 4.0
ニンジャマン(2013年撮影)
ニンジャマン(Ninjaman)ジャマイカ|1980s〜過激で攻撃的なスタイル。サウンドクラッシュの花形。
代表作「Murder Dem」
2013年撮影 | 📷 Thesupermat / CC BY-SA 3.0
ルーシー・デューブ(2023年撮影)
ルーシー・デューブ(Lucky Dube)南アフリカ|1980s〜2007アパルトヘイト時代の南アフリカでレゲエを歌った。2007年に没。
代表作『Prisoner』(1989)
2023年撮影 | 📷 Music Updater Uganda / CC BY-SA 4.0
アルファ・ブロンディ(Wikimedia Commons)
アルファ・ブロンディ(Alpha Blondy)コートジボワール|1980s〜西アフリカのレゲエのスター。
代表作『Jerusalem』(1986)
📷 livepict.com / CC BY-SA 3.0
UB40(2017年撮影)
UB40バーミンガム|1978〜英国の多民族バンド。「Red Red Wine」など、レゲエのカバーを世界に届けた。
代表作「Red Red Wine」
2017年撮影 | 📷 Thesupermat / CC BY-SA 4.0
ジギー・マーリー&メロディ・メーカーズキングストン|1979〜ボブの長男ジギー率いる家族バンド。のちに自身で複数のグラミー賞を受賞。
代表作「Tomorrow People」(1988)
写真:フリー素材なし
GLOBAL DANCEHALL
1990s

ダンスホールが世界のポップスの隣に座った

ヒップホップと混ざり、ポップスと握手し、批判にもさらされる。ダンスホールの国際化。

シャバ・ランクス(2024年撮影)
シャバ・ランクス
ビーニ・マン(2008年撮影)
ビーニ・マン
バウンティ・キラー(2006年撮影)
バウンティ・キラー
1993Shaggy「Oh Carolina」、Snow「Informer」。ダンスホールがポップ・チャートを占拠
1995Buju Banton『’Til Shiloh』。ダンスホールとルーツの接続点
1996Fugees「No Woman, No Cry」。ヒップホップ側からレゲエへの敬意

1990年代、ダンスホールは世界のポップスの隣に座った。シャバ・ランクスはグラミー賞最優秀レゲエ・アルバムを2度受賞(1992年・1993年)し、ダンスホールのDJとして国際的な看板になった。ビーニ・マンとバウンティ・キラーは、「ライバル」としてジャマイカ国内のサウンドクラッシュを燃え上がらせる。

同時に、ヒップホップとの合流が加速する。ニューヨークはジャマイカ系移民が多く、レゲエとラップは同じ街で同じ人々が聴いていた。ノトーリアスB.I.G.はスーパー・キャットと共演し、フージーズはボブ・マーリーを自分たちの言葉でカバーした。

一方で、ジャマイカ国内ではダンスホールの歌詞の暴力性や同性愛嫌悪が国際的な批判を浴びた。ブジュ・バントンの「Boom Bye Bye」は、のちに英米で抗議の対象になる。一方で彼は、1995年の『’Til Shiloh』でラスタの信仰に向き合い、ダンスホールのDJでもここまで深いアルバムが作れることを示した。ダンスホールは、騒がしさと、祈りの両方を持った音楽だった。

「ラガ」と呼ばれる流れも生まれた。ラガマフィン(ragamuffin)から来た言葉で、ヒップホップ寄りのビートに乗せるダンスホール。そして、この頃に作られた「ディム・ボウ(Dem Bow)」リディム——シャバ・ランクスの1990年の曲が元になったとされる——は、のちにプエルトリコやパナマのレゲトンの骨格になっていく。

ARTISTS | 1990s12
シャバ・ランクス(2024年撮影)
シャバ・ランクス(Shabba Ranks)セント・アン|1980s〜野太い声のDJ。英米でも成功し、ダンスホールの国際化の先頭に立った。
代表作「Trailer Load a Girls」「Dem Bow」
2024年撮影 | 📷 DON SINCLAIR REGGAE VIBES / CC BY 3.0
ビーニ・マン(2008年撮影)
ビーニ・マン(Beenie Man)キングストン|1980s〜子ども時代から活動し、「キング・オブ・ダンスホール」を名乗る。
代表作「Who Am I」(1997)
2008年撮影 | 📷 Alex Const / CC BY 2.0
バウンティ・キラー(2006年撮影)
バウンティ・キラー(Bounty Killer)キングストン|1990s〜ビーニ・マンのライバル。ゲットーの怒りを背負った「ウォーロード」。
代表作「Down in the Ghetto」
2006年撮影 | 📷 Stefan Klauke from Kingston, Jamaica / CC BY-SA 2.0
ブジュ・バントン(2025年撮影)
ブジュ・バントン(Buju Banton)キングストン|1980s〜しゃがれ声の巨星。2010年代の収監を経て、2021年にグラミー賞を受賞した。
代表作『’Til Shiloh』(1995)
2025年撮影 | 📷 Danielle G. Campbell / CC BY-SA 4.0
カプレトン(2018年撮影)
カプレトン(Capleton)クラレンドン|1990s〜「ザ・プロフェット」。ラスタの炎の言葉を乗せたDJ。
代表作「Tour」
2018年撮影 | 📷 Elekes Andor / CC BY-SA 4.0
シズラ(2005年撮影)
シズラ(Sizzla)クラレンドン|1990s〜異常な量産で知られる。ラスタの精神を叫び続ける。
代表作『Black Woman & Child』(2001)
2005年撮影 | 📷 Caspiax / Public domain
ルシアーノ(Luciano)ジャマイカ|1990s〜「メッセンジャー」。教会的な高揚を持った歌い手。
代表作「It's Me Again Jah」
写真:フリー素材なし
ガーネット・シルク(Garnett Silk)ジャマイカ|1990s若くしてルーツ復興の象徴に。1994年12月、28歳で事故により亡くなった。
代表作「Hello Mama Africa」
写真:フリー素材なし
ベレス・ハモンド(2013年撮影)
ベレス・ハモンド(Beres Hammond)ジャマイカ|1970s〜成熟したR&B風の歌声。90年代を代表する歌手。
代表作「Tempted to Touch」
2013年撮影 | 📷 Yamaguchi,E / CC BY-SA 4.0
ドーン・ペン(Dawn Penn)キングストン|1960s〜「You Don't Love Me (No, No, No)」(1994)が世界的ヒット。
代表作「You Don't Love Me」
写真:フリー素材なし
シャギー(2006年撮影)
シャギー(Shaggy)キングストン→NY|1990s〜「Oh Carolina」「Boombastic」など、レゲエをポップに換えたヒットを連発。
代表作「Boombastic」(1995)
2006年撮影 | 📷 https://www.flickr.com/people/adamj4282/ / CC BY 2.0
スノウ(2019年撮影)
スノウ(Snow)トロント|1990s「Informer」(1992)で白人カナダ人ダンスホール・シンガーとして全米1位。
代表作「Informer」
2019年撮影 | 📷 ShowBizz The Adult / CC BY 3.0
POP & FAMILY
2000s

ポップスのど真ん中へ、そしてマーリー家の逆襲

ショーン・ポールが「Get Busy」を全米1位にし、ダミアン・マーリーがルーツの精神を更新した。

ショーン・ポール(2025年撮影)
ショーン・ポール
ダミアン・マーリー(2015年撮影)
ダミアン・マーリー
ステファン・マーリー(2025年撮影)
ステファン・マーリー
2002Sean Paul『Dutty Rock』。2004年グラミー賞最優秀レゲエ・アルバム
2005Damian Marley『Welcome to Jamrock』。2006年グラミー賞を受賞
2008北京五輪、ウサイン・ボルト。ジャマイカ人気がスポーツからも広がる

2000年代の入口に立っていたのは、ショーン・ポールだ。ミドルクラスのキングストン出身で、ダンスホールの語り口と、ミニマルで弾むビートを使い、「Get Busy」(2003年全米1位)で世界のラジオを占拠した。2002年の『Dutty Rock』は2004年にグラミー賞のレゲエ部門を受賞した。ダンスホールが、はじめて「ポップスのど真ん中のリズム」になった時期だ。

同じ頃、ボブの末っ子ダミアン・マーリーが『Welcome to Jamrock』(2005)で登場する。同名曲はダンスホール・ビートの上にヒップホップのような社会批判を乗せたもので、世界的ヒットになった。兄ステファンやジュニア・ゴングも含めたマーリー家は、「ルーツの血筋」と「新世代の音」を一族で担うことになる。

2000年代はジャマイカ国内でも勢力図が変わった。ヴァイブズ・カーテルは、ダンスホールの新しい王として名を上げ、クリエイティブな造語とダークな語りでシーンを塗り替えた。マヴァド、エレファント・マン、タリー・ライリーなど、多様な顔ぶれが並ぶ。また、リアーナの「Pon de Replay」(2005)のように、バルバドス出身のポップ・スターがダンスホール調のビートでデビューした例もある。

一方、世界のあちこちで「地元のレゲエ」が育ちはじめた。ドイツのジェントルマン、イタリア出身でジャマイカ在住のアルボロジー、アメリカのレベリオン、SOJA、スラィトリー・ストゥーピッドなどの「レゲエ・ロック」。ジャマイカの外でも、レゲエは自分たちの音楽になった。

ARTISTS | 2000s12
ショーン・ポール(2025年撮影)
ショーン・ポール(Sean Paul)キングストン|1990s〜「Get Busy」「Temperature」。ダンスホールを世界ポップの定番にした。
代表作『Dutty Rock』(2002)
2025年撮影 | 📷 Apocam / CC BY-SA 4.0
ダミアン・マーリー(2015年撮影)
ダミアン・マーリー(Damian Marley)キングストン|1990s〜愛称ジュニア・ゴング。ボブの末子で、ルーツとヒップホップを繋ぐ。
代表作『Welcome to Jamrock』(2005)
2015年撮影 | 📷 Emha / CC BY-SA 4.0
ステファン・マーリー(2025年撮影)
ステファン・マーリー(Stephen Marley)キングストン|1990s〜ボブの息子。プロデュースとソロで高く評価される。
代表作『Mind Control』(2007)
2025年撮影 | 📷 Danielle G. Campbell / CC BY-SA 4.0
ヴァイブズ・カーテル(2025年撮影)
ヴァイブズ・カーテル(Vybz Kartel)キングストン|2000s〜2000年代以降のダンスホールの王者。獄中でも作品が出続け、論争を呼び続けている。
代表作「Romping Shop」
2025年撮影 | 📷 Pelpa Time Production / CC BY 3.0
マヴァド(2008年撮影)
マヴァド(Mavado)キングストン|2000s〜ゲットーの日々を、硬質な声で歌う。
代表作「Real McCoy」
2008年撮影 | 📷 Psycler who is also known as AlfredMoya.com for Jamaica MAX / CC BY 3.0
エレファント・マン(2014年撮影)
エレファント・マン(Elephant Man)キングストン|1990s〜ダンス・クレイズを生み出した派手なキャラクター。
代表作「Pon de River」
2014年撮影 | 📷 © Markus Felix (talk to me) / CC BY-SA 3.0
タリー・ライリー(2013年撮影)
タリー・ライリー(Tarrus Riley)キングストン|2000s〜ルーツ系シンガーの新世代。
代表作「Shaka Zulu Pickney」
2013年撮影 | 📷 Emha / CC BY-SA 3.0 de
ポポ(2013年撮影)
ポポ(Popcaan)セント・トーマス|2000s〜ヴァイブズ・カーテルに見出された。ダンスホールの新たな顔に。
代表作『Where We Come From』(2014)
2013年撮影 | 📷 Emha / CC BY-SA 3.0 de
アルボロジー(2013年撮影)
アルボロジー(Alborosie)シチリア→ジャマイカ|2000s〜イタリア生まれでキングストンに移住。ルーツ・レゲエを現地で更新した。
代表作『Soul Pirate』(2008)
2013年撮影 | 📷 You may re-use this image under the terms of the license usi / CC BY 3.0
ジェントルマン(2013年撮影)
ジェントルマン(Gentleman)ドイツ|1990s〜ドイツ人のレゲエ・シンガー。ジャマイカでも録音。
代表作『Confidence』(2004)
2013年撮影 | 📷 You may re-use this image under the terms of the license usi / CC BY 3.0
ソジャ(2011年撮影)
ソジャ(SOJA)ワシントンDC|1997〜米国のレゲエ・バンド。レゲエ・ロックの代表格。
代表作『Amid the Noise and Haste』
2011年撮影 | 📷 Matthew Straubmuller / CC BY 2.0
サブライム(Sublime)ロングビーチ|1988〜スカ・パンク・レゲエの混合。ボーカルのブラッドリー・ノウェルは1996年に没。
代表作「What I Got」
写真:フリー素材なし
REVIVAL | 現在
2010s→

レゲエ・リバイバルとユネスコ

ルーツへの回帰と、世界の新しい音との交差。いま、島の外でも島の内でも、新しい世代が主役だ。

クロニクス(2015年撮影)
クロニクス
プロトジェ(2017年撮影)
プロトジェ
コフィ(2020年撮影)
コフィ
2018ユネスコ無形文化遺産に「ジャマイカのレゲエ音楽」が登録される
2020Koffee『Rapture』。史上最年少・女性として初のレゲエ部門グラミー賞
2024映画『Bob Marley: One Love』公開

2010年代のジャマイカでは、ルーツへの回帰が新世代から起こった。クロニクス(Chronixx)、プロトジェ(Protoje)、ケイバカ・ピラミッド——生バンド、ヴィンテージの機材、ラスタファリの言葉。「レゲエ・リバイバル」と呼ばれた彼らは、ルーツの美学をデジタル時代に持ち込み、世界中の若いリスナーを巻き込んだ。

そこへコフィ(Koffee)が現れる。2018年に18歳で「Toast」をヒットさせ、2020年には『Rapture』でグラミー賞を受賞。レゲエとダンスホール、ヒップホップをなめらかに混ぜる世代の象徴になった。同時期にリラ・アイケ、セヴァナ、スパイスなど、女性アーティストも存在感を増す。

もうひとつの重要な流れは、アフロビーツとの接続だ。ナイジェリアやガーナの新しいポップが、ダンスホールとリズムを交換する。サウンドシステム文化も、世界各地の若い世代の手で更新されている。

2018年、ユネスコは「レゲエ音楽」をジャマイカの無形文化遺産と認めた。島の小さなスピーカーが、人類の遺産になった。

悲しい別れも続いた。トゥーツ・ヒバート(2020年9月11日)、バニー・ウェイラー(2021年3月2日)、ユー・ロイ(2021年2月17日)、リー・ペリー(2021年8月29日)、ロビー・シェイクスピア(2021年12月)。ルーツ世代の大半が、ここ数年で世を去った。いま鳴っているのは、彼らから受け取ったバトンだ。

ARTISTS | 2010s〜12
クロニクス(2015年撮影)
クロニクス(Chronixx)ジャマイカ|2010s〜レゲエ・リバイバルの顔。ロック寄りのサウンドと、ラスタの哲学。
代表作『Chronology』(2017)
2015年撮影 | 📷 Tomjhill / CC BY-SA 4.0
プロトジェ(2017年撮影)
プロトジェ(Protoje)キングストン|2010s〜レーベル「In.Digg.Nation」を率い、ルーツの新世代を束ねる。
代表作『Ancient Future』(2015)
2017年撮影 | 📷 Krd / CC BY-SA 4.0
コフィ(2020年撮影)
コフィ(Koffee)スパニッシュタウン|2018〜2020年、グラミー賞を史上最年少・女性として初受賞。
代表作『Rapture』(2019)
2020年撮影 | 📷 Mykal Cushnie / CC BY 3.0
ケイバカ・ピラミッド(2020年撮影)
ケイバカ・ピラミッド(Kabaka Pyramid)キングストン|2010s〜ヒップホップとの親和性が高いコンシャス・ラッパー。
代表作『Kontraband』(2017)
2020年撮影 | 📷 Bebble Rock Music / CC BY-SA 4.0
ジェシー・ロイヤル(2017年撮影)
ジェシー・ロイヤル(Jesse Royal)キングストン|2010s〜ルーツ・リバイバルの代表的シンガー。
代表作『Lily of da Valley』
2017年撮影 | 📷 Krd / CC BY-SA 4.0
リラ・アイケ(2022年撮影)
リラ・アイケ(Lila Iké)ジャマイカ|2010s〜現代ルーツのシンガー。
代表作『The Experience』
2022年撮影 | 📷 Peter Verwimp / CC BY-SA 4.0
スパイス(2019年撮影)
スパイス(Spice)ジャマイカ|2010s〜「クイーン・オブ・ダンスホール」と呼ばれる。
代表作「Romantic Mood」
2019年撮影 | 📷 Jean Laurenceau / CC BY-SA 4.0
ポポ(2013年撮影)
ポポ(Popcaan)ジャマイカ|2010s〜ドレイクとの交流でも知られるダンスホール・スター。
代表作「Unruly Rave」
2013年撮影 | 📷 Emha / CC BY-SA 3.0 de
スキリベン(Wikimedia Commons)
スキリベン(Skillibeng)ジャマイカ|2020sドリル寄りのビートを使うダンスホール新世代。
代表作「Crocodile Teeth」
📷 Mixtape Madness / CC BY 3.0
シェンシーア(2019年撮影)
シェンシーア(Shenseea)ジャマイカ|2010s〜ポップとダンスホールを往復する女性アーティスト。
代表作『Alpha』(2022)
2019年撮影 | 📷 Pelpa Time Production / CC BY 3.0
ジャー・キュア(Jah Cure)ジャマイカ|2000s〜獄中時代にヒットを出し、ラヴァーズ・ロックの新たな声に。
代表作「Longing for」
写真:フリー素材なし
ジギー・マーリー(2011年撮影)
ジギー・マーリー(Ziggy Marley)キングストン→ロサンゼルス|1979〜近年も継続して作品を発表し、グラミー賞を何度も受賞。
代表作『Ziggy Marley』(2016)
2011年撮影 | 📷 Alex Marshall / CC BY-SA 3.0
THOUGHT | 思想
Rasta

バビロンとザイオン——ラスタファリという言葉

歌詞に出てくる「ジャー」や「バビロン」は、ただの飾りではない。

レゲエを聴くと、「ジャー」「バビロン」「ザイオン」「アイリー」といった独特の言葉が出てくる。これはラスタファリ(Rastafari)という宗教・思想運動の用語だ。1930年代のジャマイカで生まれ、1930年にエチオピア皇帝に即位したハイレ・セラシエ1世(即位前の名はラス・タファリ・マコンネン)を、神の化身として崇める。

背景には、アフリカからの奴隷の子孫が、自分たちのルーツを取り戻そうとする運動がある。ジャマイカ出身の思想家マーカス・ガーベイが「アフリカへ帰れ」と唱え、ラスタたちは、奴隷制の記憶が刻まれた西洋社会を「バビロン」と呼び、理想の地アフリカ(エチオピア)を「ザイオン」と呼んだ。

見た目の特徴であるドレッドロックス、エチオピア国旗の色(赤・黄・緑)、大麻(ガンジャ)を聖なる儀式として使うこと、菜食に近い食事「イタル」。これらはすべて、「西洋文化とは別のやり方で生きる」という選択の表れだ。当初、ラスタはジャマイカ社会から迫害された。それが1970年代、ボブ・マーリーやバーニング・スピアの音楽を通じて世界に知られていく。

ラスタを理解せずにレゲエを聴くことはできるが、ラスタを理解したときに、歌詞の景色は変わる。

もうひとつの重要な要素がナイヤビンギ。ハンド・ドラムを3つ使う儀式の音楽で、カウント・オジーらがポピュラー音楽に取り入れた。レゲエの「心臓の鼓動のようなリズム」の源流だ。

※ ラスタファリは多様で、実践や解釈は人によって異なる。ここで書いたのは一般的に知られる概要で、信仰の全体を代表するものではない。

ハイレ・セラシエ1世。ラスタファリでは神の化身とされる。
ハイレ・セラシエ1世ラスタファリでは神の化身とされる。1970年撮影 | 📷 unknown; according to [1] and [2] an official portrait of wh / Public domain
マーカス・ガーベイ。「アフリカへ帰れ」の思想家。
マーカス・ガーベイ「アフリカへ帰れ」の思想家。1924年撮影 | 📷 from George Grantham Bain Collection / Public domain
TECHNOLOGY | 技術
Dub

ミキサーが楽器になった日——ダブの発明

ボーカルを抜いて、空白と残響で曲を再構築する。レゲエが世界に残した最大の発明のひとつ。

ダブは、レゲエが生んだ最大の発明だ。誕生は1960年代後半。キングストンのサウンドシステムのために、録音からボーカルを抜いてオケだけにした「ヴァージョン」を作るようになった。ボーカルがなくても、DJがその上に語りを乗せられる。これがやがて、スタジオのミキサーそのものを楽器として扱う手法に進化する。

この発明の中心人物がキング・タビー(King Tubby)だ。電気技師だった彼は、キングストンのダウンタウンの自宅スタジオで、ミキサーのフェーダーを動かし、リバーブとディレイを加え、ドラムとベースだけを抜き差しして、曲を再構築した。原曲の骨格を解体して、「空白」と「残響」で組み替える。ベースが空間を揺らし、スネアの音が洞窟の奥に響く。

もう一人の巨人がリー・“スクラッチ”・ペリーだ。1973年に自宅の裏庭に建てたスタジオ「ブラック・アーク(Black Ark)」で、少ない機材を奇妙な方法で使い、霧のように濃く、魔術的な音を作った。1979年にスタジオが火災で焼失(本人による放火と語られる)。その後はヨーロッパに渡り、2021年8月29日に没するまで、実験を続けた。

ミキサーは、ただの調整卓ではなかった。それは演奏する楽器になった。

ダブの影響範囲は広い。リミックスの発想。DJが曲の上で別のレコードを重ねる手法。ヒップホップのプロデューサーがブレイクを分解する方法。UKのジャングル、ダブステップ、ドラムンベース。ハウスのエディットや「ダブ・ミックス」という呼び名もここから来た。現代のクラブミュージックの多くは、ダブの末裔だと言ってもよい。

日本にも、ダブの強い系譜がある(→ 日本の章)。ジャマイカ生まれのこの技法は、いまも世界のどこかの小さな部屋で鳴り続けている。

ARTISTS | DUB6
キング・タビー(King Tubby)キングストン|1960s〜89ダブの創始者のひとり。1989年2月6日、自宅前で銃撃され死去。
代表作『Dub from the Roots』(1974)
写真:フリー素材なし
リー・ペリー(1998年撮影)
リー・ペリー(Lee "Scratch" Perry)ジャマイカ|1960s〜2021ブラック・アークの魔術師。マーリーのウェイラーズとも共作。
代表作『Super Ape』(1976)
1998年撮影 | 📷 oskarlin / CC BY-SA 2.0
オーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)キングストン|1970s〜99メロディカの哀愁。ダブを「メロディ」で聴かせた。
代表作『King Tubbys Meets Rockers Uptown』(1976)
写真:フリー素材なし
サイエンティスト(Scientist)キングストン|1970s〜キング・タビーの弟子。ダブ・アルバムを量産。
代表作『Scientist Rids the World of the Evil Curse of the Vampires』
写真:フリー素材なし
マッド・プロフェッサー(2011年撮影)
マッド・プロフェッサー(Mad Professor)ガイアナ→ロンドン|1979〜UKダブの要。『Dub Me Crazy』シリーズを世に出した。
代表作『Dub Me Crazy』
2011年撮影 | 📷 Chris Williams / CC BY-SA 3.0
エイドリアン・シャーウッドロンドン|1980s〜オン・ユー・サウンド。ダブとポスト・パンクを結びつけた。
代表作On-U Sound
写真:フリー素材なし
ミキサー(ミキシング・コンソール)。ダブでは、これが楽器になった。
ミキサー(ミキシング・コンソール)。ダブでは、これが楽器になった。2011年撮影 | 📷 VACANT FEVER / CC BY-SA 2.0
CULTURE | 文化
Sound

サウンドシステムとクラッシュ——街角の勝負

スピーカー、セレクター、ダブプレート。「勝負」がこの音楽を進化させてきた。

サウンドシステムの構成は、いまもほぼ同じだ。巨大なスピーカー・ボックス(ベース用のフォールデッド・ホーン、中高域用のスクープなど)、アンプ、ターンテーブル、そしてセレクター(曲を選んでかける人)とMC/DJ(マイクで煽り、語る人)。レコードを再生するだけでなく、ダブプレート——その夜のためだけに作った特注のアセテート盤——を披露することが、システムの誇りだった。

サウンドシステム同士が、一晩のうちに直接対決するサウンドクラッシュが、シーンの中心にある。2台(または複数)が交互に数曲ずつかけ、観客の反応で勝敗が決まる。ラウンドは「ダブプレート合戦」「ユーモア」「相手システムの罵倒」「ソウルフルな選曲」と進む。つまり、クラッシュは音楽のボクシングだ。

スタジオで曲を作る人と、システムで曲を鳴らす人は別の職能だが、互いを必要とする。ヒットは、サウンドシステムでの反応から生まれた。スタジオで作る→ダンスでテストする→売れる、というサイクルを、ジャマイカは1950年代から回し続けている。

スピーカーの前で踊る人たちの反応が、そのままチャートだった。

この文化は、ヒップホップにも直結している。ニューヨークのブロンクスでパーティーを開いたDJクール・ハークは、ジャマイカ出身だ。彼は故郷のサウンドシステムの文化——巨大なスピーカー、マイクで煽る「トースティング」——をブロンクスに持ち込んだ。ヒップホップ全史の1970sの章にも書いたとおり、ラップの祖先のひとつはレゲエのDJトークである(→ ヒップホップ全史 1970s)。

岩手の話もしておこう。サウンドシステムという文化は、いま盛岡の夜でも生きている。くわしくはマガジン「サウンドシステムという文化」にまとめた。

Technics SL-1200。サウンドシステムからクラブまで、DJの標準機。
Technics SL-1200。サウンドシステムからクラブまで、DJの標準機。2019年撮影 | 📷 Franz van Duns / CC BY-SA 4.0
UK
UK

ロンドンの低音——移民が持ち込んだスピーカー

ブリクストンからバーミンガムへ。カリブ海の音楽が、英国の若者文化を作り変えた。

1948年以降、カリブ海から多くの移民が英国に渡った(ウィンドラッシュ世代)。彼らはロンドンのブリクストン、バーミンガムのハンズワースなどに住み、故郷の音楽を持ち込んだ。サウンドシステムの文化も、そのまま英国に根づいた。

1960年代には、スカが英国のモッズ層に支持され、ブルー・ビート・レコードなどから国内盤も出た。1970年代末には2トーン(ザ・スペシャルズ、マッドネス、ザ・セレクターら)が白人と黒人が混ざったバンドとしてスカを再燃させた。パンクもレゲエから影響を受けた。ザ・クラッシュは「Police & Thieves」をカバーし、ポリスは「Roxanne」(1978)にレゲエのリズムを採り入れた。

UK発の独自ジャンルもある。ラヴァーズ・ロック(1970年代、ロンドンで生まれた甘いレゲエ。ジャネット・ケイ「Silly Games」(1979)がその代表)、UKダブ、ジャングル/ドラムンベース、ダブステップ、UKガラージ。ロンドンのクラブの低音の多くは、サウンドシステムの血を引いている。毎年8月に開かれるノッティング・ヒル・カーニバルは、カリブ系コミュニティの祭りで、いまも巨大なサウンドシステムが通りを占拠する。

ノッティング・ヒル・カーニバル(ロンドン)。カリブ系コミュニティの祭り。
ノッティング・ヒル・カーニバル(ロンドン)カリブ系コミュニティの祭り。2008年撮影 | 📷 Jay Bergesen / CC BY 2.0
ウィンドラッシュ世代。カリブ海からの移民が英国に音楽を持ち込んだ。
ウィンドラッシュ世代カリブ海からの移民が英国に音楽を持ち込んだ。2023年撮影 | 📷 Rhagfyr / CC BY-SA 4.0
WORLD
World

レゲエは、世界のあちこちで鳴っている

アフリカの解放から、ラテンのレゲトンまで。ひとつのリズムが各地で別の名前を持った。

アフリカでは、ボブ・マーリーが1980年にジンバブエ独立記念式典で演奏し、「解放の音」として受け入れられた。ルーシー・デューブ(南アフリカ)、アルファ・ブロンディ(コートジボワール)、ティケン・ジャー・ファコリー(コートジボワール)らが、それぞれの言葉でレゲエを歌った。

中南米では、パナマのスペイン語レゲエがプエルトリコに渡り、ダンスホールとヒップホップが混ざってレゲトンが生まれた。ダディ・ヤンキーの「Gasolina」(2004)、バッド・バニー、J・バルヴィンらは、その流れの延長にいる。ベースにあるのは、前に書いた「ディム・ボウ」のリズム。

ヨーロッパではドイツ、フランス、イタリアなどでジャマイカ人以外のレゲエ・アーティストが活躍する。アメリカでは、西海岸のスラィトリー・ストゥーピッド、レベリオン、ハワイの「ジョーイアン(Jawaiian)」など。ジャマイカ島の人口は約280万人。その小さな島の音が、世界じゅうで鳴っている。

世界各地で開かれるレゲエ・フェス。
世界各地で開かれるレゲエ・フェス。2010年撮影 | 📷 Kmitch7490 / CC BY-SA 3.0
CROSSOVER
Hip-Hop

レゲエとヒップホップは、血のつながった兄弟

クール・ハークからダミアン&ナズまで。ブロンクスとキングストンは、同じ街角の音だった。

ヒップホップとレゲエの縁は、ほとんど「兄弟」のようなものだ。DJクール・ハークの出身がジャマイカであること。サウンドシステムがブロンクスのブロック・パーティーのひな形になったこと。ダブのように曲を解体して組み替える発想が、ブレイクビーツやリミックスにつながったこと。

1980年代以降は、直接の交流が増えた。ブギ・ダウン・プロダクションズのKRS-Oneはダンスホールの語り口を取り入れ、1990年代にはスーパー・キャット、シャバ・ランクス、ビーニ・マンがラップ側のプロデューサーと組んだ。ノトーリアスB.I.G.はスーパー・キャットの「Dolly My Baby」リミックス(1993)に参加している。フージーズは、ボブ・マーリーの「No Woman, No Cry」をカバー(1996)。2000年代にはショーン・ポールがポップ・ラップとの接点を広げ、ダミアン・マーリーはナズとの共作アルバム『Distant Relatives』(2010)を出した。

ブロンクスもキングストンも、貧しい街で、巨大なスピーカーが主役だった。

岩手のクラブでレゲエとヒップホップが同じ夜に並ぶのは、偶然ではない。二つは同じ祖先を持っている。

DJクール・ハーク(ブロンクス)。ジャマイカ出身で、サウンドシステムの文化をニューヨークに持ち込んだ。
DJクール・ハーク(ブロンクス)。ジャマイカ出身で、サウンドシステムの文化をニューヨークに持ち込んだ。2009年撮影 | 📷 Bigtimepeace (Wikimedia Commons user) / Public domain
JAPAN
Japan

日本のレゲエ——ダブからサウンドクラッシュまで

ミュート・ビートから、世界一のサウンドまで。そして盛岡の夜へ。

東京スカパラダイスオーケストラ(2007年撮影)
東京スカパラダイスオーケストラ
ランキン・タクシー(2016年撮影)
ランキン・タクシー

日本のレゲエは、1970年代にはじまった輸入の音楽から、1980年代に独自のシーンへ育った。最初期のバンドとして知られるのが、こだま和文が率いるダブ・バンドミュート・ビート(MUTE BEAT)(1980年代前半に活動開始)。静かな空間とトランペットの音色を軸にした日本独自のダブを作り、後の世代に絶大な影響を残した。こだま和文は現在もソロで活動を続けている。

1985年には東京スカパラダイスオーケストラが結成され、スカを日本の大衆音楽として根づかせた。1990年代にはジャパニーズ・レゲエがメジャーなシーンとして成立し、ランキン・タクシー(日本語レゲエの先駆者のひとり)、ドライ&ヘビーなど、ジャマイカ現地のサウンドを熱心に追うアーティストが現れる。

サウンドシステムの側では、神奈川県相模原市を拠点とするマイティ・クラウン(MIGHTY CROWN)が、1999年にニューヨークで開かれた「ワールド・クラッシュ」を制し、日本のサウンドが世界の舞台で勝てることを証明した。以後、ジャパニーズ・サウンドシステムの層はぐっと厚くなった。毎年開かれる横浜レゲエ祭などのフェスは、日本全国のレゲエ・ファンが集まる場になっている。

地方都市のシーンも、強い。盛岡にも、レゲエのパーティーやサウンドシステムの夜が根づいている。気になる人は、今月のイベント一覧から「REGGAE」をのぞいてみてほしい。

今月の盛岡のイベントを見る →

ARTISTS | JAPAN5
ミュート・ビート(MUTE BEAT)東京|1980年代こだま和文(トランペット)を中心にしたダブ・バンド。日本のダブの原点。
代表作『Flower』(1989)
写真:フリー素材なし
東京スカパラダイスオーケストラ(2007年撮影)
東京スカパラダイスオーケストラ東京|1985〜日本のスカの代名詞。1990年代以降、国内外で長く活動。2007年撮影 | 📷 Rama / CC BY-SA 2.0 fr
ランキン・タクシー(2016年撮影)
ランキン・タクシー(Rankin Taxi)東京|1980s〜日本語レゲエの先駆者のひとり。2016年撮影 | 📷 Nesnad / CC BY-SA 4.0
ドライ&ヘビー(Dry & Heavy)東京|1990s〜ジャマイカ現地録音も行った本格派ダブ/ルーツ・バンド。写真:フリー素材なし
マイティ・クラウン(2026年撮影)
マイティ・クラウン(MIGHTY CROWN)神奈川・相模原|1990s〜1999年、ワールド・クラッシュ制覇。日本のサウンドを世界に示した。2026年撮影 | 📷 KQuhen / CC BY-SA 4.0
LANGUAGE | 用語
Words

聞こえてくる言葉を、少しだけ解説

リディム Riddim
ジャマイカ英語で「リズム」。ひとつのバックトラックのこと。複数の歌手・DJがこの上で別々の曲を録音する。
ヴァージョン Version
ボーカル抜きの別バージョン。ダブの前身。
ダブ Dub
ミキサーとエフェクトで曲を解体・再構築する手法、またはその作品。
サウンドシステム Sound System
巨大スピーカーとレコードで構成する移動式のダンス装置。人と機材の総称でもある。
セレクター Selector
曲を選んでかける人(DJと呼ぶことも)。
トースティング Toasting
レコードの上でマイクを握って語る/歌う技法。ラップの祖先のひとつ。
ダブプレート Dubplate
特注の1枚だけのアセテート盤。サウンドクラッシュの切り札。
ワンドロップ One Drop
3拍目にバスドラムとスネア(リムショット)が同時に鳴る、レゲエ特有のドラム・パターン。
スカンク Skank
裏拍で刻むギター/ピアノのカッティング。
ガンジャ Ganja
大麻。ラスタでは儀式に使われるが、日本では所持・使用は違法。
ジャー Jah
ラスタファリにおける神の名。
バビロン Babylon
抑圧的な西洋社会、あるいは警察や権力そのもの。
ザイオン Zion
理想の地。エチオピアなどアフリカを指す。
アイリー Irie
「最高だ」「いい感じ」を意味するジャマイカ英語。
パトワ Patois
ジャマイカの言語。英語を基盤に西アフリカの言語が混ざったクレオール。
ヤード Yard
故郷、ジャマイカ。
ラヴァーズ・ロック Lovers Rock
甘いラブソングを中心にした英国発のレゲエ。
ダンスホール Dancehall
1980年代以降の、ダンス会場の音楽として発展したジャマイカの現代的なスタイル。
ESSENTIAL ALBUMS | まず聴くべき20枚
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どこから聴く? 年代順・必聴アルバム

全部は聴けない。だから、ここまでの話に出てきた作品から20枚を選んだ。

  1. 1964
    The Skatalites

    Ska Authentic

    スカの教科書。ホーン・セクションの粋と、ジャズの余韻。

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  2. 1969
    Desmond Dekker & The Aces

    Israelites

    ジャマイカ産のレゲエが世界1位になった。

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  3. 1972
    Jimmy Cliff(サントラ)

    The Harder They Come

    映画と音楽が一体になった入口。

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  4. 1973
    Bob Marley & The Wailers

    Catch a Fire

    世界に出た最初のウェイラーズ。

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  5. 1975
    Bob Marley & The Wailers

    Live!

    「No Woman, No Cry」の決定版。ロンドン・ライシアム公演。

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  6. 1975
    Burning Spear

    Marcus Garvey

    ルーツ・レゲエの深さを知る一枚。

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  7. 1976
    Bunny Wailer

    Blackheart Man

    ウェイラーズ出身。静かで神秘的。

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  8. 1976
    Augustus Pablo

    King Tubbys Meets Rockers Uptown

    ダブの最高傑作として挙がる名盤。

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  9. 1977
    Bob Marley & The Wailers

    Exodus

    ルーツとポップが最も幸福に出会った瞬間。

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  10. 1977
    Culture

    Two Sevens Clash

    不吉と祈りの傑作。

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  11. 1982
    Gregory Isaacs

    Night Nurse

    ラヴァーズの王道。夜の定番。

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  12. 1984
    Bob Marley & The Wailers

    Legend

    最初の一枚としてはこれ。世界で最も売れたレゲエ盤。

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  13. 1985
    Wayne Smith

    Under Mi Sleng Teng

    デジタル時代の幕開け。

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  14. 1995
    Buju Banton

    ’Til Shiloh

    ダンスホールとルーツの接点。

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  15. 1996
    Fugees

    The Score

    「No Woman, No Cry」のカバーを収録。ヒップホップとレゲエの合流点。

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  16. 2002
    Sean Paul

    Dutty Rock

    世界ポップの中のダンスホール。

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  17. 2005
    Damian Marley

    Welcome to Jamrock

    ルーツの血と、ヒップホップの言葉。

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  18. 2010
    Nas & Damian Marley

    Distant Relatives

    ヒップホップとレゲエ、兄弟の共作。

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  19. 2017
    Chronixx

    Chronology

    リバイバル世代の代表作。

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  20. 2019
    Koffee

    Rapture

    新世代のグラミー受賞EP。

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