ドクター・ドレー、Gファンクを生んだ音の職人

📷 Dr. Dre / 撮影: Jason Persse / CC BY-SA 2.0
ヒップホップの曲を聴いていて、「この音、何だか気持ちいいな」と感じたことはありませんか。ゆったりしたベースに、ふわっと浮かぶシンセの音。その心地よさのルーツをたどると、ほぼ必ず名前が出てくるのが、ドクター・ドレーです。
本人の名前を知らなくても、彼が手がけたビートは、どこかで耳にしているはずです。
ドレーは、歌う人というより「音を作る人」として語られることが多い存在です。作ったビートで何人ものスターを世に出し、時代を何度も更新してきました。この記事では、彼の歩みを三つの場面に分けて、むずかしい言葉を使わずにたどっていきます。
ビートの作り方がわからなくても大丈夫です。「どうして今の音楽はこう聞こえるのか」という入口として、気軽に読んでもらえればと思います。
N.W.Aから、ひとりの職人へ
ドレーは、ロサンゼルス近郊の出身です。まずはグループN.W.Aのメンバーとして、ビート作りの中心を担いました。前回までの記事で紹介したとおり、このグループは西海岸のヒップホップを世界に知らせた存在です。
その後、グループを離れたドレーは、シュグ・ナイトらとともに「デス・ロウ・レコード」というレーベルを立ち上げます。ここが、のちの伝説の始まりの場所になりました。
デス・ロウは短い期間で大きな成功を収めた一方、その後はさまざまな問題も報じられ、ドレー自身も離れる道を選びます。光と影の両方を経験したことが、のちの慎重で粘り強い姿勢につながったのかもしれません。自分の理想の音を追いかけるために、環境そのものを作ってしまう。この行動力が、ドレーの大きな特徴です。
ここで大切なのは、ドレーが「自分で歌う人」だけでなく「全体をまとめる人」でもあったことです。曲、ラッパー、録音の環境。そのすべてに耳を向けて、ひとつの作品に仕上げていく。映画でいう監督のような役割でした。

The Chronicと、Gファンクの誕生
1992年に出たソロ第1作が『The Chronic』です。このアルバムで広まったのが、「Gファンク」と呼ばれる音のスタイルでした。昔のファンクの名曲の雰囲気を借りながら、低くうねるベースと、ゆったりしたテンポを組み合わせた音です。
聴いたことがない人は、「夕方の車の中で流したくなる音」と想像してみてください。攻撃的な言葉があっても、音そのものは驚くほどなめらか。
ベースが主役のように前に出て、その上にシンセの高い音が細く伸びていく。この組み合わせは、のちに多くのプロデューサーがお手本にしました。そのバランスが新しく、西海岸の街を越えて、世界中にファンを増やしました。
日本のクラブでも、この時代の曲は定番です。ヒップホップのイベントでは、ほぼ毎回どこかで耳にするといっても言いすぎではありません。若いお客さんも、原曲を知らないまま体が反応していることがあります。
クラブで聴くときは、テンポがゆっくりなので、体を大きく揺らして楽しめます。ぎゅうぎゅうのフロアでも、自然と全員の肩が同じリズムで動くのが、このスタイルの魅力です。
ドレーは音の細かい部分、たとえばドラムの響きや低音の太さに、とても強いこだわりを持つ人だと語られています。何度も録り直して、少しずつ理想に近づける。その積み重ねが、あの滑らかな音を生みました。
スヌープを世に出し、仲間が広がる
『The Chronic』には、若手のスヌープ・ドッグが参加し、その存在感が一気に知られました。1993年には、ドレーが制作の中心になったスヌープのデビュー作『Doggystyle』が発表されます。これも大きな話題になり、西海岸の勢いを決定づけました。
ほかにも、ドレーの義理の弟にあたるウォーレンGが、1994年に「Regulate」でヒットを出します。ひとりの職人が、仲間を呼び寄せ、ひとつの流れを作っていく。
いま、クラブで「西海岸っぽい」と感じる音の多くは、このころの仲間たちの仕事の延長にあります。まるで、盛岡のクラブで一人の主催者が仲間をまとめ、シーンを大きくしていくような光景です。
スヌープのゆったりした語り口と、ドレーのなめらかなビート。その組み合わせは、いまでも「最高の相性」の例としてよく挙げられます。ふたりの出会いがなければ、西海岸の景色は少し違っていたかもしれません。

次の時代、アフターマスへ
グループを離れ、別のレーベルを離れ、そのたびにドレーは新しい場所で音を磨き直してきました。環境が変わっても、自分の軸は変えない。その柔らかさと頑固さのバランスが、長い活躍を支えています。
1990年代の後半に、ドレーはデス・ロウを離れ、自分の新しいレーベル「アフターマス」を立ち上げました。そこで世に出したのが、白人ラッパーのエミネムや、のちの50セントです。
これは、とても大きなことでした。ジャンルや出身地が違っても、実力があれば世界に出す。ドレーは耳の良さと決断力で、その役割を果たしました。
スターを育てる人は、才能を見つける目と、育てる辛抱強さの両方が必要です。ドレーは、そのどちらも持っていたのだと思います。1999年のアルバム『2001』は、ドレーの音の新しい形を示した作品として知られています。
ピアノの響きやシンプルなビートで、前作よりもすっきりした印象です。音を足すだけでなく、引くことで迫力を出す。職人らしい発想です。
さらに2014年には、ドレーが関わったヘッドホンのブランド「ビーツ」が、アップルに買収されたと報じられました。音楽の世界だけでなく、ビジネスの面でも成功を収めたことで、「ラッパーが億万長者になれる」という夢を、より現実のものにしました。
もちろん、成功の裏には多くの努力がありました。音の好みにうるさく、納得するまで作り直す。そうした地道な姿が、長い成功を支えたのでしょう。
まとめ
ドレーの仕事を振り返ると、「聴く人が気持ちよく感じる音を、とことん追いかける」ことに尽きるように思います。流行を追うよりも、自分の耳を信じる。この姿勢は、どんな仕事にも通じる大切な考え方です。
ドクター・ドレーは、自分が前に出るよりも、音で語る人でした。どんなに時代が変わっても、ひとつの音を丁寧に磨き続けた。その姿勢が、何十年も愛される理由だと思います。
2015年には『Compton』というアルバムも発表され、故郷への思いをあらためて形にしました。年齢を重ねても、作り手として現役であり続ける。その姿は、これから音楽を作ろうとする若い人にも、大きな励みになるはずです。
クラブでGファンクがかかると、少し空気が柔らかくなります。激しい曲が続いたあとに、ホッと息をつけて、でも踊れる。DJにとっても、フロアにとっても、頼もしい存在です。
特に夜が深くなってきた時間に、ゆったりしたGファンクで一息つくのは、現場ならではの楽しみです。
ビートを聴くときに、「誰が作ったのかな」と気にしてみてください。その視点があるだけで、いつもの一曲が、ぐっと深く聴こえるようになります。
まずはこの曲から
- Nuthin' but a 'G' Thang:Gファンクの代表曲。まずはこの一曲から
- Still D.R.E.:1999年の人気曲。ピアノの音が印象的です
- Let Me Ride:ゆったりしたノリで、ドライブにぴったりです