リー・ペリー、音で遊んだダブの魔術師

📷 Lee Scratch Perry / 撮影: oskarlin / CC BY-SA 2.0
クラブで低音がずしんと体に響く瞬間、ふっと音が消えて、残響だけが空気に残る。そんな体験をしたことはありませんか。じつはあの「音を削ったり、響かせたり」という遊び方のルーツのひとつが、ジャマイカで生まれた「ダブ」です。
そのダブを語るときに、必ず名前が挙がるのが、リー・スクラッチ・ペリー。変わった帽子と派手な服装で知られ、ステージでも個性が強い人でしたが、本当にすごいのは、スタジオで音を作る力でした。
派手な見た目に目が行きがちですが、音の中身を知ると、むしろ繊細で緻密な人だったことがわかります。この記事では、盛岡のクラブにも通じる、ダブとスタジオの魔法の話をやさしく紹介します。
むずかしい機材の話はほとんど出てきません。「音で遊ぶ」というシンプルな楽しさを感じてもらえたらうれしいです。
ダブって何?
ダブは、すでにある曲から歌やメロディを抜き、ドラムとベースを大きく見せたり、エコーやリバーブをたっぷりかけたりして作り直した音楽です。いまでいうリミックスの、いちばん古い形のひとつといわれています。
たとえば、いつも聴いている歌がふっと消えて、ベースだけが大きく鳴る。その瞬間にフロアが一斉に沸く、という経験は、ダブの発想そのものです。
もともとは、ジャマイカの「サウンドシステム」と呼ばれる移動式のディスコで、盛り上げ用に作られました。歌のない版を用意しておくと、DJが声を乗せたり、フロアがベースに集中したりできる。そんな現場の工夫から生まれた文化です。
つまり、ダブは机の上の理論ではなく、踊る人のために生まれた音楽です。ヒップホップのDJがビートを伸ばして遊ぶ感覚も、実はこの流れとつながっています。
ミキサーのつまみを動かして、音を出したり消したりする。それ自体が、ひとつの演奏になるというのが、ダブの大きな発見でした。
ブラックアークという小さな魔法の部屋
リー・ペリーは、1936年ごろにジャマイカで生まれ、1950年代の終わりから音楽の仕事を始めました。レコード会社のスタッフとして経験を積み、その後、自分のレーベル「アップセッター」を立ち上げます。
自分の名前で好きな音を出せる場所を作る。この「自分でやる」精神は、いまのインディーズの作り手にも通じる大切な姿勢です。
1970年代の前半には、自宅の敷地内に、自分のスタジオ「ブラックアーク」をつくります。設備は決して豪華ではありませんでした。それでも、機材の使い方を工夫して、独特のこもった音や、不思議な空気感を生み出しました。
録音した音を何度も重ねたり、テープの回転を変えたり、ときには声や環境音まで取り込んだりしたといわれています。ルールにとらわれず、とにかく試してみる。そんな実験の連続でした。
大きな機材がなくても、アイデアと遊び心があれば、世界に通用する音は作れる。ブラックアークの成功は、いまの自宅でビートを作る若い人たちにとっても、心強い見本です。
いまはパソコン一台でも、当時のスタジオ以上のことができる時代です。だからこそ、道具の数ではなく、どんな音を鳴らしたいかという気持ちが、いちばん大切なのだと気づかされます。
名曲を生み、スターを支える
ペリーは、他のアーティストの録音を手伝うときも、ただ記録するのではなく、そこに自分のアイデアをどんどん足していきました。そのため、ペリーが関わった曲には、独特の「ペリーらしさ」が漂っています。
ブラックアークでは、多くのアーティストの録音が行われました。ジュニア・マーヴィンの「Police and Thieves」のような、いまでも語られる名曲も、ペリーの手で形になったことで知られています。ボブ・マーリーが在籍していた初期のウェイラーズとも、深く関わっていました。
ペリーは、歌い手の魅力を引き出すだけでなく、スタジオ全体を一つの楽器のように使いました。足元で響くベース、遠くで鳴る不思議な効果音。どれも「音で絵を描く」ような感覚で並べられています。
だからこそ、彼の作品は、ジャンルの違う人にも刺さります。
派手な演出がなくても、聴き込むほどに新しい発見がある。そうした作品は、長い時間が経っても色あせません。ロックのバンドや、のちのヒップホップやエレクトロニックの作り手たちにも、強い影響を与えたと広く語られています。
だれかのまねではなく、自分だけの音の世界をつくる。ペリーの作品に触れた人の多くが、そんな勇気をもらったのではないでしょうか。
スタジオの火事、そしてその後
1979年に、ブラックアークは火事に遭い、スタジオは使えなくなってしまいました。原因については諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていません。ここでは、ペリーにとって大きな転機だった、という事実だけを書いておきます。
音楽の歴史には、こうした悲しい出来事がときどきあります。それでも、残された録音は世界中で聴き継がれ、いまも新しいリスナーを増やしています。
その後のペリーは、ジャマイカを離れて、ヨーロッパを拠点に活動を続けました。若いミュージシャンやプロデューサーと組んだり、ライブをしたりして、新しい世代に音を届けていきます。
世界各地のイベントにも出演しており、ダブを聴いて育ったという人たちが、世代をこえて集まる光景が見られたといいます。2003年には、アルバム『Jamaican E.T.』でグラミー賞のレゲエ部門を受賞しました。
2021年8月、ペリーは85歳で亡くなりました。変わった人として語られることも多かった彼ですが、音楽に対する真剣さは、最後まで変わらなかったと思います。
訃報は世界中のレゲエやダブのファンに大きな衝撃を与え、多くの音楽家が感謝の言葉を寄せました。
まとめ
ペリーの人生を振り返ると、「うまくやる」より「おもしろがる」ことを大切にしていた人だと感じます。失敗も偶然も、音の一部にしてしまう。その発想が、ほかの誰にも真似できない作品を生みました。
リー・スクラッチ・ペリーは、ダブという文化を形にした、偉大な発明家のひとりです。高価な機材がなくても、発想次第で音は無限に広がる。そのことを、自分の人生で見せてくれた人でした。
クラブで低音がずんと響き、エコーが空間に残るとき、そこにはペリーたちの遊び心が生きています。レゲエのイベントでも、ヒップホップやハウスのパーティーでも、「音を遊ぶ」という考え方は共通です。
これから、ふとした瞬間に響くエコーを聴いたら、遠いジャマイカの小さなスタジオを想像してみてください。きっと、いつもよりフロアが少し不思議で、愛おしく感じられるはずです。
もし機会があれば、レゲエやダブのイベントにも足を運んでみてください。ヒップホップとは違う、ゆったりした低音の気持ちよさが待っています。
まずはこの曲から
- Police and Thieves:ジュニア・マーヴィンの名曲。ペリーの手による空気感を味わえます
- Chase the Devil:マックス・ロメオの曲。エコーと低音が気持ちいい、ダブの名曲として知られる一曲
- Roast Fish Collie Weed & Cornbread:ペリー自身の個性が出た、1970年代のアルバム。曲名から気軽に探せます